第33話 歌の奥にあるもの
まだ 君に届かない声が
ここにあるんだ
ほどけかけた糸を
ぎゅっと結びなおすように
僕は歌う
いつか 君がこの世界で
一人きりだと泣いた夜も
僕は気づかずにいて
ごめん、って今なら言えるのに
————
スタジオの扉を開けると、ユウの口ずさむ歌が入ってきた。
数十分前とは随分と雰囲気が変わり、和やかさが伝わってくる。
ゆうか「ごめんねー。まみ迷ってたみたいで、ちょっと遅くなっちゃった!」
まみ「ごめんなさい。遅くなりました。」
カイ「まみちゃん!待ってたよ〜。大変だったね…あれ?目かゆい?花粉かな?」
まみ「あ、その…」
まみは急に恥ずかしくなった。
カイ「はい、僕の目薬かしてあげる!僕もいつ目が赤くなるか分かんないから、常に持ってるんだ。」
カイは自分の鞄から目薬を取り出して、まみに渡す。
まみ「あ…ありがとう…」
まみが目薬のキャップを外し、恐る恐る目にさすと、ひんやりとした感覚がして少し楽になった気がした。
まみ「……ありがとう、カイさん。少し落ち着きました。」
カイ「よかった〜。でも無理しないでね?花粉症なら、こっちに空気清浄機もあるから。」
そう言って、カイはスタジオの隅にある白い空気清浄機を指差した。まみは小さくうなずいて、ぎこちなく笑った。
そのとき、ユウの声がふと止んだ。
ユウ「……来てくれたんだ。」
まみは、声のするほうを見た。ユウがマイクの前に立ったまま、こちらを見ている。目が合った瞬間、胸が詰まるような感覚がした。さっきまで口ずさんでいた歌はもう聴こえないのに、まだその余韻だけが部屋に漂っているようだった。
まみ「……はい。」
それしか言えなかった。けれど、それだけで、ユウの唇の端がわずかに上がる。
レン「おーい、二人とも。そろそろ始めようぜ。」
レンがドラムスティックを軽く鳴らして合図した。まみの視線はようやくユウから離れ、メンバーたちが準備を整える姿に移った。
カイが優しい声でまみに言った。
カイ「大丈夫だよ、まみちゃん。無理にしゃべらなくてもいいから、見ていて。」
まみはその言葉に、少し肩の力を抜いた。ユウはもう視線を外して、またマイクに向かう。
カイのピアノの音が響き、レンのカウントが重なり、そしてユウが再び歌い出す。
——その歌声は、まるでまみだけに届くように、優しく、そして痛いほどまっすぐだった。
まみは気づかれないように、そっと目頭を押さえた。
歌が終わると、スタジオの空気が一瞬、静かに張り詰めた。ユウの声が消えたあとも、まみの胸の奥ではまだ響き続けていた。
カイ「よし、今のすごくよかったよ!」
カイが手を叩き、場を明るくするように笑った。レンもドラムスティックを軽く回しながら、うなずいた。
レン「ま、俺たちにしては上出来だな。」
カイ「なにそれ、ひどい言い方!」
軽口を叩く二人を横目に、まみはまだユウのほうを見ていた。ユウは、ギターの弦を少し直している。ふと視線が重なり、まみは慌てて目をそらした。
すると、ユウがぽつりと口を開いた。
ユウ「……どうだった?」
まみははっとして、顔を上げた。自分に聞いているのだと、すぐにわかった。
ゆうかも入口の扉近くにもたれかかり、微笑ましくやりとりを見守る。
まみ「え……と……」
言葉に詰まる。どう言えばいいのか分からなかった。でも、胸の中からこぼれ落ちるように、つい口をついて出た。
まみ「……すごく、きれいで……苦しくなりました。」
ユウの指が、弦の上で止まった。カイとレンも、なんとなく気まずそうに視線を逸らした。
ユウ「……そうか。」
それだけ言うと、ユウはまたギターに視線を戻し、何事もなかったようにチューニングを続ける。
レンが空気を変えるように声を上げた。
レン「なーんか腹減ったな。休憩入れようぜ!」
カイ「いいね!まみちゃんも、ちょっと座ってて。」
カイが椅子を引いてくれ、まみはそこに腰を下ろした。カイとレンは隅の冷蔵庫から飲み物を取り出し始める。
——その間も、ユウはずっと弦をいじっていた。ときどき、こちらにちらりと視線を送る。そのたびに、まみの胸が不思議にざわつく。
やがてカイが戻ってきて、まみの手にペットボトルを差し出した。
カイ「はい。お疲れ様。」
まみ「……ありがとうございます。」
キャップを開けて、冷たい水をひと口飲む。その冷たさが、ほんの少しだけ、胸の奥のざわめきを鎮めてくれた。
そしてまた、ユウのギターの音が小さく響き始める。弾くでもなく、ただ鳴らすように、低い音が空気に漂う。
まみはその音を聴きながら、思った。
——きっと、この人の歌の奥にあるものを、私はもっと知りたいんだ。
その気持ちが、少しずつ言葉になるのを感じながら、彼のほうを見つめた。
その視線に気づいたのか、ユウが今度ははっきりと、まみの目を見返した。
何か言いたげな、その瞳に。
ユウとまみの視線が、しばらく絡んだまま離れなかった。
カイもレンも、それに気づいているのか、そっと気配を消している。
するとユウは、静かにギターを持ち直した。右手の指先が、弦をやさしく弾き始める。
低く、切なく、でもどこか優しいメロディーがスタジオに広がった。
カイが小さな声でレンに囁く。
カイ「……あの歌だ。」
レンも短く頷いた。
ユウの視線は、ずっとまみに向けられたままだ。
その目が、まみの胸の奥を射抜くようにまっすぐだった。
そして——ユウは歌い出した。
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