イマジネール1
想像とは、鏡像において自己と他者を取り違える秩序である。
「らかんちゃんは、サークル決めた?」
と聞くのはあけみちゃんである。あけみちゃんは入学式で隣の席に座っていた、同じ文学コースの学生である。背が低い。百六十七センチのわたしより、二十センチも低い。目がくりくりと大きくて小動物のように動くあけみちゃんは、「あなた、すごくきれいだね!お名前なんていうの」と聞いてくれた。それからわたしたちはときどき一緒に過ごしている。あけみちゃんの善良で穏やかな振舞いがわたしの心をほっとさせるから。
「サークルじゃなくて、部活動に入ろうかなと思っている。合唱部」
「合唱かー!いいね、高校でやっていたの?」
「ううん、運動も好きじゃないし。楽器もできないから、合唱がいいかなと思って。スキルアップだね」
「えらいなー。あけみはね、ダンスサークルに入るんだ」あけみちゃんは歌うように言って、体を左右に動かした。
「恩田さんって本当、美人だよね。モデルみたい」
後ろから、ほかの女の子たちが話しかけてくる。あけみちゃんにはたくさんの友達がいて、その子たちともあけみちゃんを通じて話すようになった。四月。桜は三月の最後にすっかり散った。いまではいちめんの緑がぼんやりと浮かび上がる。春の風が吹く。わたしは肩まで伸びてきた髪をおさえて遠くを見つめる。
「そんなことない…無駄に背が高くて、嫌になっちゃうよ、ほんと」
「えー!でもあけみ、ちっちゃいから羨ましい!らかんちゃんスタイルいいしー」
「先輩たちもすごく綺麗って言ってたよ、なんていうか、可愛いよりも、麗しい!美しい!って感じ!」
「そうなの…」わたしは少し笑った。
美しい、とは、母のためにある言葉のような気がする。それはけっしてわたしのものではない。だってわたしは母とまったく似ていないから。わたしは父にそっくりだ。写真では嫌というほど見た父。遺影の中の父。インターネットに挙げられた、証明写真の父。研究している父。実際はもっとあかるい表情だったのだろうか。写真写りの悪い父を見てそんなふうに思ったものだった。わたしはわたしの顔だちを他者に説明されるたびに、この人のことを思う。鏡を見て、頬に触れる。クリーム色の肌。父の肌。真っ白くてふっくらした母とはまったく違うもの。
父。
罪人の父と同じ顔。
「わたし、沖縄だからさ、生まれが。周りの人みんな顔が濃いんだよね。そのせいじゃないかな」わたしは言った。確かに、中国文学科にいる沖縄出身の子も顔が濃いかも! あけみちゃんが言う。あけみその人と英語隣同士なんだ。イケメン? めっちゃイケメンだよ!見に行こう。さっきバスケットボール部の部室にいたから、みんなで覗きにいこうー!あけみちゃんが先導して走り出す。わたしは目を細めて女子集団が遠ざかっていくのを見つめる。
合唱部の活動場所である13号館の小ホールに顔を出すと、新歓の準備をしていた先輩たちが振り返った。「見学したいんですけど」言い終わらないうちにわたしはたくさんの人に囲まれた。
「合唱、好き?」
「一年生、ぜひぜひ入って」
「一緒に歌おうよ!」
わたしは手を引かれながら、耳を熱くしてステージに上がる。わたしはもう母にとらわれない。東京にいれば、ここにいれば、母のことを見なくて済む。父のことを考えなくて済む。わたしは、これでようやく、父と母からようやく逃れられる。
わたしの名前は恩田らかん。父からも、母からも、もうなにも影響を受けることはない。
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