シンボリック7


受験が終わっても吉田とは会っていた。けれど、高校生活を送るうちにだんだん連絡が途絶えていった。吉田が就職活動のために島を出たからである。上京したいのだと吉田は言った。私は、へえ、と特に意味も含ませずいったのだったか。

 吉田と付き合っているわけではなかった。ただふたりで遊びに行って、買い物をして、短くくちづけて、帰ってくるだけだった。吉田にはほかに恋人がいたのだと思う、「こんなことはいけない」というのが常であった。こんなことはいけない。そう言われるたびに私はなんだかばつの悪いような気になって、ごめんと謝るのだった。いつだってそう。私が始めたのだから、私に責任があった。

「それってさあ、女が好きってことなの?」

 これまた稲葉がちょろちょろしながら聞く。稲葉とは、なんと同じ高校に進学したのである。勉強が苦手なはずなのに、妙である。私のこと追いかけてきたんでしょ、と聞くと、ちげーしと顔を赤らめた。

「女が好き、っていうより男が嫌いなのかも」

「おれのことも?」

「あんたはべつ」私が言うと、稲葉は歯を見せて笑った。相変わらず稲葉の身長は低い。成長しないのだろうか。私を見上げる稲葉。けれどもう中学生の時みたいに私は稲葉の頭を叩いたりしない。こいつ、触れると、変な風に反応するようになったから。少し照れくさそうに、はにかむようになったから。そしてそれがどうしてか私を苛立たせるから。

「おれ今度の土曜日試合だから、見にきてくれよ」

「なんであんたの練習見なきゃいけないの」

「おれは女が好きでも、男が好きでも、らかんのことが好きだ」稲葉はおどけたように言った。

「ばかじゃないの」

 私は稲葉を追い越してずんずん歩いていく。稲葉は待ってよ、と言って追いかけてくる。わたしたちのやりとりを見た生徒たちが、好奇の目を向けてくる。稲葉なんか、知らない。ずっと私にまとわりついてきて。でも、稲葉だけは母のことを言わない。母のことを誉めず、私のことだけを誉めてくれる。

「なあ、今度体育祭、おまえ何出るの?」

「バレーボール」

「おまえでかいもんな」

「背が高いって言え」

 憎まれ口をたたいているとチャイムが鳴ったので私たちは各々の教室へ戻る。椅子に座ると一目散に前の席の女の子が話しかけてくる。ねえ、稲葉くんと付き合っているの? 稲葉はチビの割にけっこうもてるらしい。そんなわけない。ただの幼馴染で一つも恋愛感情を抱いたことはない、と私は笑う。

 退屈な授業、私はぼんやりとクラスメイトを眺める。クラスメイトの小林くんを眺める。小林くんは、母に似ていた。母のように童顔で、顔の下の方に整ったパーツが配置されていた。よくもてた。母と異なるところはその表情だった。母はいつも大胆不敵に微笑んで男たちを眺めていたけれど、小林くんは女の子に囲まれていると、困ったように、怯えたように、微笑んでいた。私は小林くんと話したことがなかった。だからそっと見ているだけだった。美しい横顔。まつ毛の長い、天使のような横顔。

 母の存在もこれくらい控えめであったいいのに。

「お帰り!らかんちゃん」

 母はにっこりと笑って走ってくる。毎日映画しか見ていない母。働いていない母。子どものような母。母が醜くなることはあるんだろうか。年老いた母を気にかけてくれる男ははたしているのだろうか。そのとき母はどのように生きていくのだろうか。わからない。落ちぶれた母の姿が想像できない。

「きょうはねえ、フェリーニの道を観たの。お母さん、泣いちゃった。せつなくてね、らかんちゃんも観てみて!」

 母の顔の部位一つ一つが小林くんと重なる。大きな丸い目、羽のようなまつ毛、濡れた唇と白い肌。豊かな身体、栗のように淡い髪色。


 父は、〈オンダ〉は、母のどこが好きだったのだろうか。

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