第2話 過去に囚われて

昼休み。食堂へ行くこともなく、悠真は人気のない図書室の奥に腰を下ろしていた。

机の上には参考書とノート。そしてタブレット端末が一つ。指先で静かにスライドするたびに、コードとアルゴリズムが次々と走る。


(……仮想通貨の市場、明らかに動いてるな。夕方までには一回利確しておくか)


高校生らしからぬ思考が、淡々と頭の中を巡っていく。だが、それが彼にとっては“日常”だった。


誰もが「地味で無能」と思っている少年が、裏では小規模な資産運用を行っていることなど、誰一人として知らない。


「……変わらないな、俺」


ふと、独り言のように呟いた。


どれだけ実力があっても、見せなければ意味がない。

見せたところで、信じてくれるとは限らない。


中学時代――あの事件がすべてを変えた。


彼は当時、部活動でも成績でも目立つ存在だった。人望もあり、リーダーシップを取ることも多かった。

けれど、ある時、些細な誤解と一人の“嘘”がすべてを壊した。


「お前って、なんでそんなに要領いいの? ずるしてるんじゃないの?」


そう言われたのは、親しかったはずの友人からだった。


その言葉が火種となり、次第に「裏でズルしている」「信用できないやつ」と噂が独り歩きした。

教師でさえも、「念のため調査しよう」と言い出した。誰も、彼の努力を信じてくれなかった。


結果――悠真は、誰も信用しなくなった。


(期待しなければ、裏切られることもない。信じなければ、傷つくこともない)


それ以来、彼は“目立たない存在”であることを選んだ。

地味で、暗くて、無能。そう思われることで、誰からも干渉されない自由を手に入れた。


だが――


「アンタって、いつも一人ね」


突然、図書室の静けさを破って声が響いた。


見れば、そこには白雪理央が立っていた。制服のスカートが揺れ、真っ直ぐな眼差しが悠真を射抜く。


「……図書室で昼食を取るのは、珍しいね。白雪さん」


「たまたま。けど、アンタがここにいるのは知ってた。いつも同じ場所だし」


「……観察力、すごいね」


「当然よ。私は、必要だと思った相手のことはちゃんと見るから」


悠真は内心で息をのんだ。白雪理央――彼女は、学年でもトップの成績を誇る才女。感情をあまり表に出さず、誰とも深く関わらない主義のはずだった。


それが、自分に関心を持っている?


「……なにか、用?」


「昨日の数学の件。あれ、やっぱり偶然じゃないわよね?」


理央の言葉は鋭い。そして迷いがない。


悠真はごまかそうとしたが、ふと、気が変わった。


「……偶然じゃないよ。実際、範囲外の問題だったしね」


理央の目がわずかに見開かれる。


「やっぱり。なんで隠してるの?」


「見せる意味がないから」


即答だった。だが、その答えに彼女は納得していないようだった。


「……あのね、私も最初はアンタのこと、“ただの雑魚”だと思ってた。でも、違った。認める。私の見る目がなかった。だから、聞くの。なんで本気を出さないの?」


その問いに、悠真はふと、昔の自分を思い出した。


信じた人に裏切られ、誤解され、全てを捨てたあの日。

もし、あの時の彼が今のやり取りを見たら、なんて思うだろうか。


「……答えを出すのは、まだ早いかな」


それだけを残し、悠真はタブレットを閉じた。

その背中に、理央が何かを言いかけたが、結局声にはならなかった。


だが確かに、何かが変わり始めている。

冷え切った心に、小さな熱が灯るような――そんな、予感。

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