才能を隠した少年、舞い上がる

ルクシオン

冷遇されし少年

第1話 地味で無能と呼ばれた少年

「おい、また天城じゃん。ほんと、よく落第しねぇな」


休み時間、教室の後ろの方で誰かが笑った。まるでそこに「いない」ことが前提であるかのように、名前だけがぞんざいに呼ばれる。


教室の隅――窓際の一番後ろ。天城悠真は今日も、静かに席についていた。


地味で、無能で、暗くて、存在感がない。そんなレッテルが当然のように貼られた彼に、誰もまともな関心を向けようとはしない。教師でさえも、名前を呼ぶときはどこか興味なさげだ。


「成績も運動も中の下、コミュ力ゼロ。あれでよくこの高校入れたよな~」


「親が金でも積んだんじゃね? 知らんけど」


笑い声が広がる。だが、悠真はそれに反応しない。顔を上げることすらなく、黙々と自分のノートをめくっていた。


けれど、そのノートの中身は、誰にも読めない。


独自の記号と略号で構成されたメモ、要点を的確に抜き出した論理展開。もし誰かが中身を覗けば、間違いなく「こいつ、本当に同じ授業を受けてたのか?」と驚くことだろう。


だが、それを誰も知らない。いや、彼が“そうなるように”仕向けている。


(……今日も平和、か)


悠真は思う。この「地味で無能で陰キャな俺」を演じる日常は、静かで、波風もなく、気楽だ。


しかし、それは“仮面”だ。


彼の頭は全国模試で上位に入るほど回っており、幼少期から学んだ複数の格闘技で体も鍛えられている。副業でIT関連の仕事もこなしており、実はちょっとした資産持ちだ。


だが、そのすべてを――「隠している」。


「……邪魔。机、ずれてる」


隣から冷たい声が飛んできた。声の主は白雪理央。完璧な美貌と学力を誇る、学年一の才女。誰にも媚びず、誰とも群れず、孤高を貫く天才だ。


「……ごめん」


淡々と返し、机を戻す。理央の態度はいつも通り。彼女にとって悠真は、ただの“どうでもいいクラスメイト”に過ぎない。


(白雪理央。こいつもまた、表面だけを見て俺を切り捨てた一人……)


過去を思い出す。中学時代――信じていた仲間に裏切られ、誤解され、孤立した日々。そのとき決めたのだ。もう誰にも期待しないと。素の自分は、どこにも出さないと。


そんなことを思っていた時、不意に理央が口を開いた。


「……アンタ、昨日の数学。あれ、どうやって解いたの?」


「え?」


一瞬、教室の空気が止まる。白雪理央が、誰かに話しかける。それだけでも珍しいのに、よりによって「天城悠真」に?


「適当にやっただけだよ。たまたま合ったんじゃないかな」


「そう。じゃあ、次も偶然ね」


理央はそれだけ言って視線を戻す。淡々としていて、それでいて妙な確信を孕んだ口ぶりだった。


(気づいたか? ……まさかな)


悠真は内心で眉をひそめる。昨日の数学の応用問題、あれは試験範囲外の知識を要するものだった。たまたま解ける類の問題ではない。


彼女の洞察力は本物。決して見くびってはいけない相手だ。


「天城くんってさ、地味だけど……案外、気が利くよね」


ふと、前の席から女子が一人振り向いた。クラスのムードメーカー的存在で、理央とは真逆のタイプ。おそらく、理央の発言を見て、何か感じたのだろう。


「ありがとうって、言っとく」


「……うん」


悠真は小さく頷いた。それだけで会話は終わる。だが、彼の“仮面”に、わずかな亀裂が入ったような気がした。


休み時間が終わり、教室に教師が入ってくる。


静かな日常。繰り返される演技。けれど、それはもう長くは続かない。


(少し、風向きが変わったか……?)


悠真は、気配を読むように空を見上げた。窓の向こうで、鈍い曇天がわずかに揺れていた。


そしてその日、彼はまだ知らなかった。


――この教室での静寂が、やがて嵐の前触れであったことを。

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