世界の核を封印せよ
lauzecha
第1話 GPSA
第5世代ステルス戦闘機が南極の空を突き進む。4万フィートの高度で凍てついた雲を切り裂きながら、機体は静かに進路を取る。小さな窓の外には、南極の氷原が一面に広がり、陽光を反射して砕けた鏡のように輝いていた。極寒の風が外を吹き荒れる中、最新鋭の技術で密閉された機内はまるで無音の真空管に包まれたように静かで安定していた。
目の前のナビ画面には、一つの青い点が刻一刻と目的地へ近づいていた。 フォート・ハルモニア——GPSA(Global Peace and Security Authority/世界平和安全機構)の本部。 世界が核戦争の危機に瀕した八年前、その混沌の中から誕生した、秘密裏に動く国際組織だ。
黒い制服のキャビンアテンダントが無言でコーヒーを差し出す。軍人のような無駄のない動作、そして感情を感じさせない顔。 「あと20分で着陸します、朝倉様」
静かに頷く。向かいの席には、私のパートナー——結月リリィが座っていた。タブレットの画面から一瞬も目を離さず、「グローバル兵器撤去プロジェクト」の資料に目を通している。東京を飛び立ってから二時間、彼女は一言も発していない。 その冷たい瞳と落ち着き払った顔は、まるでこの下に広がる氷原そのもののようだ。
「南極は初めてか?」 沈黙を破るつもりで問いかける。
「初めて。そしてたぶん、最後でもない」 返事はあくまで簡潔だった。
再び窓の外を見る。 フォート・ハルモニアは分厚い氷と電磁センサーの下に隠され、かつて国際研究基地だった廃墟の上に築かれた要塞。 世界の誰もがその存在を知らず、我々新規採用者だけが、その正体に触れることを許されている。
——そして、全てはここから始まる。 この座席に座るまでの経緯を語るには、八年前のあの日に戻らなければならない。
***
八年前——2025年
リヤドの空が赤く染まっていた。 燃え盛るような夕焼けの下、核警報が鳴り響く。 ガラスの塔が微かに揺れ、地下からの振動が街を包み、人々は方向もわからず逃げ惑っていた。 避難シェルターへ向かう者、ただ生存本能のまま走る者。
あらゆる街角のスクリーンに映し出されるのは、アメリカ大統領、日本の首相、そして国連事務総長。 緊迫した表情、震える声。そして、世界を凍りつかせたひと言——
「自動発射システムの制御を喪失しました」
3分もしないうちに、17発の核ミサイルが世界各地から発射された。 出所は不明。発射コードは偽物。 NATOの追跡システムすら機能しなかった。
世界には2つの選択肢しか残されていなかった。 ——互いを疑い、報復の連鎖に陥るか。 ——それとも、人類として団結し、文明を救うか。
そして、史上初めて、後者が選ばれた。
72時間に及ぶ国連の緊急会議。 出入りを禁じ、通信を遮断し、徹底的な密室交渉の末に、世界は合意に至る。
——全ての大量破壊兵器を監視・管理する、超法規的な国際機関の創設。
その名は、GPSA(Global Peace and Security Authority)。
それは単なる組織ではなかった。 人類が滅びを回避するために下した、最後の妥協案だった。
一年足らずで180を超える国々が多国間条約の修正を通じて承認。 国家の法を超越する権限を持ち、核・化学・生物兵器の全てを押収・封印・管理することを使命とする。
その本部は、政治的影響から完全に隔絶された南極の地に極秘裏に建設された。 かつての国際研究拠点を改修し、今やフォート・ハルモニアと呼ばれる超要塞へと姿を変えた。
最新鋭の技術、各国のエリート兵士、そして戦略レベルのAIによる世界監視システムを備え、 GPSAは、もはや設立国ですら制御できない存在となった。
***
現在——2033年
「本当に……あの時、世界は滅びかけていたんだな」 着陸まで7分と表示されたモニターを見つめながら、独りごちた。
「そして今、君はその秩序の一部だ」 リリィは振り向かずに答えた。
私は朝倉。 18歳。 先週、ある国際解剖競技大会で優勝した。
——それが、GPSA新世代採用試験だったなんて、知らなかった。
我々はエージェントでも兵士でもない。 パズルを解く者。 考える者。 影の執行者。
初任務はまだ始まっていない。 ——だが、世界はすでに、答えを待っている。
***
南極の空は白く霞んでいた。 昼も夜も曖昧で、全てが凍りついた時間の中にあった。
ブラック・ルークVT-022型戦闘輸送機が氷床と一体化した鋼鉄の滑走路へ静かに降り立つ。 着地時の衝撃は、反重力システムによって完璧に緩和された。
機体のエンジン音がゆっくりと静まっていく中、リリィが窓の外を睨むように言った。 「ここが、フォート・ハルモニアだ」
それはまさに、SF映画の未来都市だった。 軍事施設らしからぬ、ポリゴン構造の地中要塞。 可視範囲のほとんどが地下に隠れており、その全容を知る者は限られている。
ハッチが開く。 南極の冷気が針のように肌を刺す。 自動接続された金属製ブリッジを渡ると、GPSAのロゴを胸に刻んだ黒服の男たちが我々を待っていた。
「エージェント・リリィ・ユヅキと……朝倉、だな?」 低く太い声。
「はい」
「ついて来い」
歓迎の言葉も、微笑もない。 GPSAに無駄な感情は存在しない。 ここは一秒が国家の命運を分ける現場だ。
3メートル以上の厚さを持つ金属の通路を進む。 壁には遺伝子認証スキャナが並び、天井からは光学カメラが動きを追う。
——このカメラ、ただ録画しているだけじゃない。 体温、声の震え、血圧、心拍。
一つの嘘、殺意。 それらを感知した瞬間、この通路は閉ざされる。
「ここから先はレッドゾーンだ。 君たちがこれから受け取る全情報は、シグマ級。 終末プロトコル下の最高機密だ」
やがて、我々は巨大なドーム状のホールへと辿り着いた。 中央には、5階層分の高さを持つガラス製の塔。 その頂にあるのが、GPSAの中枢AI《ガイア・コア》。
専用衛星ネットワークを通じて、地球全域を監視するその存在は、もはや“神”に近かった。
世界各国から集まったオペレーターたちが各自の端末に向かう。 飛び交う言語は英語、ロシア語、中国語、アラビア語、日本語——だが、モニターに表示されるのは、ただ一つの言語。
ミッションコード。
「ここで、全ての決定が下される」 とリリィ。 「投票も会議も存在しない。 あるのはデータ、確率、そして一つの答えだけ」
私は一歩前に出た。 なぜだろう……この瞬間、
——自分が小さな存在に思えた。
だが同時に、ここが自分の居場所だとも思った。
突然、空間全体に響き渡る穏やかな声がした。 人間のものではない。
「サブジェクト・朝倉、ID認証完了。神経一致率:98.7%。 特別調査部門候補として認定。 グローバル脅威レベル上昇中。 36時間以内に任務準備を開始せよ。」
リリィが私に目を向け、静かに頷いた。
「ようこそ、文明の最前線へ——朝倉」
この胸に芽生えたのは、誇りではなかった。
——恐怖だった。
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