第11話「二度目の月光」

目を覚ますと、見慣れた天蓋付きのベッドの中だった。ヴィオレットは一瞬、混乱した。つい先ほどまで宮殿の中庭で、瀕死のフレデリックの傍らにいたはずなのに。


「お嬢様、お目覚めですか」


穏やかな声に振り向くと、レイモンドが立っていた。窓から差し込む朝日が彼の姿を照らしていた。


「レイモンド...?」彼女は困惑して起き上がった。「ここは...?」


「アシュフォード邸です」彼は答えた。「今日は春の訪れを祝う早春の宴会の日です」


「早春の宴会...?」


ヴィオレットは息を呑んだ。時間が戻ったのだ。月環の二度目の残機を使ったことで、彼女は過去に戻ってきた。しかし、前回のように6年前ではなく、わずか3か月前に戻っただけだった。


「月環...」彼女は指輪を見た。


銀の月型の指輪には、目に見える亀裂が入っていた。前回よりも深く、大きな亀裂だ。そして、「最後の機会、残り一度」という文字が刻まれている。


「どうされました、お嬢様?」レイモンドが心配そうに尋ねた。


「大丈夫よ」ヴィオレットは冷静を装った。「ただの悪夢だったわ」


彼女はベッドから出て、窓の外を見た。春の陽光が庭の花々を照らしている。3か月前。早春の宴会の日。セレストの侍女エリザベスが国王に毒を盛ろうとした、あの日だ。


「フレデリックは?」彼女は思わず尋ねた。


「ハーウッド伯爵ですか?」レイモンドは不思議そうに答えた。「今日の宴会でお会いになるはずですが」


ヴィオレットは安堵のため息をついた。フレデリックは無事だ。彼女の犠牲は無駄ではなかった。


「レイモンド」彼女は真剣な表情で彼に向き直った。「守護者たちに連絡を取ってほしいの。今日、とても重要な日になるわ」


レイモンドの表情が引き締まった。「何かご存知のことが?」


「ええ、たくさんよ」彼女は言った。「そして、時間がないの」


数時間後、ヴィオレットは宮殿への道を馬車で進んでいた。フレデリックが彼女の隣に座り、彼女の話に真剣に耳を傾けていた。


「つまり、君は3か月後の未来から戻ってきたというのか」彼は驚きを隠せない様子だった。


「ええ」ヴィオレットは頷いた。「月環の二度目の残機を使って。あなたを救うために」


「僕を...?」フレデリックは困惑した。


「宮殿での戦いであなたは致命傷を負ったの」彼女は悲しげに言った。「だから、戻ることにしたわ」


「しかし」フレデリックは彼女の手に触れた。「それは貴重な残機だったはず。今や一度しか残っていないのでは?」


「それでも悔いはないわ」ヴィオレットは静かに答えた。「あなたの命は、それだけの価値があるから」


フレデリックは言葉を失い、彼女をじっと見つめた。その目には感謝と複雑な感情が浮かんでいた。


「君は本当に変わった」彼はようやく言った。「前世の君とは全く違う人になっている」


「前世では、私は野心だけで動いていたわ」ヴィオレットは窓の外を見つめた。「でも今は、守るべき人たちがいるの」


「私たちはどう行動すべきか?」フレデリックは話題を変えた。「君の知識を活かすべきだ」


「まず、今日の早春の宴会でエリザベスの毒殺計画を阻止しなければなりません」ヴィオレットは言った。「それから、セレストとの絆を強め、彼女を『赤き月』の支配から解放する手助けをするの」


「彼女は本当に味方になるのか?」


「ええ」ヴィオレットは確信を持って言った。「彼女の心は既に『赤き月』から離れ始めているわ。ただ、彼女の腕にある刻印が彼女を縛っているの」


「その刻印について調べる必要があるな」フレデリックは考え込んだ。


「それから」ヴィオレットは続けた。「王太子も味方になる可能性が高い。彼もドラクロワを疑っているから」


馬車が宮殿に到着すると、既に多くの貴族や高官たちが集まっていた。早春の宴会は毎年恒例の行事で、国王を含む王族たちも出席する重要な催しだ。


「エリザベスはあそこにいるはずよ」ヴィオレットは人混みを見渡した。「セレストの傍にいる侍女」


彼らは慎重に会場内を移動し、やがてセレストを見つけた。彼女は純白のドレスに身を包み、周囲の貴族たちと会話を交わしていた。その横には確かに、エリザベスがいた。


「あの侍女ね」フレデリックは小声で言った。「守護者たちには既に彼女を監視するよう指示している」


「彼女は宴会の最中、国王の杯に毒を入れようとするわ」ヴィオレットは説明した。「前回は、実行直前に彼女とドラクロワが気配を察知して計画を変更したけど」


「今回は先手を打とう」フレデリックは言った。「しかし、不自然にならないようにしなければ」


彼らは社交的な微笑みを浮かべながら、セレストの方に近づいていった。


「ヴィオレット」セレストは彼女に気づくと、優雅に微笑んだ。「今日もお美しいですわ」


「ありがとう、セレスト」ヴィオレットは礼儀正しく応じた。「あなたもとても素敵よ」


エリザベスはセレストの後ろで静かに控えていた。彼女の表情は無感情に見えたが、その目には冷たい決意が宿っていた。


「今日は特別な日ですわね」セレストは会話を続けた。「国王陛下もお出ましになるそうですし」


「ええ」ヴィオレットは言った。「とても楽しみにしています」


会話の間、ヴィオレットはさりげなく周囲を見回した。ドラクロワ宰相は高官たちと談笑していた。彼の表情には何の疑念も見えない。


「お二人とも、失礼」フレデリックが丁寧に頭を下げた。「ちょっと知人に挨拶してきます」


彼は離れていき、さりげなく守護者たちに合図を送った。彼らは既に給仕や衛兵に変装して、会場内に配置されていた。


「セレスト」ヴィオレットは彼女に近づき、小声で言った。「あなたに話があるの。できれば二人だけで」


セレストは少し驚いたが、すぐに優雅に頷いた。「もちろん。でも、今は難しいかもしれません」


「分かっているわ」ヴィオレットは言った。「でも、あなたの侍女、エリザベスには注意して。彼女はあなたのためを思っていないわ」


セレストの表情が一瞬凍りついた。「どういう意味ですか?」


「彼女は『赤き月』の手先よ」ヴィオレットは静かに言った。「そして、今日、彼女は国王を毒殺しようとしている」


「それは...」セレストは言葉を失った。彼女はエリザベスを振り返り、初めて疑わしげに見た。


「彼女があなたを監視し、報告しているのよ」ヴィオレットは続けた。「ドラクロワに」


セレストの表情から血の気が引いた。「どうして知っているのですか?」


「長い話よ」ヴィオレットは微笑んだ。「でも信じて。私はあなたの味方だから。あなたの姉として」


「姉...」セレストはその言葉に震えたように見えた。


会話はドラクロワ宰相の接近によって中断された。彼は優雅に二人に近づき、微笑んだ。


「セレスト、アシュフォード嬢」彼は丁寧に挨拶した。「二人とも輝いていますね」


「宰相」ヴィオレットは冷静に対応した。「ご機嫌いかがですか」


「上々です」ドラクロワは滑らかに答えた。「特に今日は特別な日ですから」


「特別?」


「ええ」彼は意味深に微笑んだ。「春の訪れを祝う日ですから」


しかし、彼の目に浮かぶ光は、彼が別の「特別な計画」を持っていることを示していた。


「陛下はもうすぐお出ましになるのでしょうか?」セレストが尋ねた。


「ええ、もうすぐです」ドラクロワが答えた。「セレスト、あなたは陛下に祝福の言葉を述べることになっています。準備はいいですか?」


「はい」セレストは従順に頷いた。だが、彼女の目にはわずかな抵抗の色が見えた。


「素晴らしい」ドラクロワは満足げに言った。「では、私は他のゲストに挨拶してきます」


彼が去った後、セレストはヴィオレットに向かって小声で言った。「あなたが本当に正しいのなら、私は何をすればいいの?」


「彼らの計画を邪魔して」ヴィオレットは答えた。「でも、あなた自身が危険にさらされないように」


宮殿の楽団がファンファーレを奏で、国王の到着を告げた。貴族たちは一斉に廷下の礼をし、国王ルナリウス3世が入場してきた。彼は威厳ある姿でホールに現れたが、よく見ると顔色が悪く、年齢以上に老けて見えた。


「彼は病んでいる」ヴィオレットはフレデリックが戻ってきたのを見て、小声で言った。


「ええ」フレデリックは頷いた。「守護者たちの情報によると、彼の健康状態は極めて悪いらしい。ドラクロワが薬を処方しているとも聞いた」


「毒を盛っているのかも」ヴィオレットは疑念を抱いた。


国王が玉座に着くと、宴会が本格的に始まった。音楽が流れ、貴族たちは美味な料理やワインを楽しんだ。


ヴィオレットはエリザベスの動きを注視していた。彼女はセレストの側を離れ、給仕たちが行き交う場所に近づいていた。


「始まるわ」ヴィオレットはフレデリックに囁いた。


エリザベスは給仕の準備エリアに入り、何かを袖から取り出した。小さな瓶のようだった。


フレデリックが目配せすると、変装した守護者の一人が彼女に近づいた。彼は給仕として振る舞い、エリザベスの横でグラスを整えていた。


エリザベスが何かの粉末を国王のワイングラスに入れようとした瞬間、守護者がさりげなく彼女の腕にぶつかった。粉末の入った小瓶が床に落ち、割れた。


「申し訳ありません!」守護者は慌てた様子で謝った。


エリザベスの表情が一瞬、怒りで歪んだ。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、深々と頭を下げた。


「いいえ、私の不注意でした」


彼女は小瓶の破片を素早く拾い集め、姿を消した。


「うまくいったわね」ヴィオレットは安堵のため息をついた。


しかし、彼女の安堵は長くは続かなかった。エリザベスは急いでセレストの元に戻り、彼女の耳元で何かを囁いた。セレストの表情が強張り、彼女はエリザベスを静かに制止するかのように手を上げた。


「何かがおかしい」フレデリックが言った。


その時、ドラクロワがセレストに近づき、彼女の腕を強く掴んだ。彼は笑顔を浮かべていたが、その目には怒りが宿っていた。二人は小声で激しく言い合っているようだった。


「彼は気づいたわ」ヴィオレットは心配そうに言った。「計画が失敗したことに」


「我々も動くべきだ」フレデリックは言った。


彼らが近づこうとした時、セレストが突然ドラクロワの手を振り払い、彼から離れた。彼女の表情には決意が見えた。


「セレスト...」ヴィオレットは心配そうに見つめた。


セレストは国王の玉座に向かって歩き始めた。貴族たちは彼女に道を開け、称賛の視線を送った。「聖女」の接近に、国王も微笑んだ。


「陛下」セレストは深々と頭を下げた。「本日、春の訪れを祝福申し上げます」


「ありがとう、セレスト」国王は温かく応じた。「あなたの祝福は王国にとって貴重なものだ」


セレストは立ち上がり、国王に近づいた。その動きは優雅だったが、どこか緊張が見えた。


ドラクロワは彼女を厳しい目で見つめていた。エリザベスは側に立ち、手に何かを握っていた。


「陛下」セレストは声を上げた。「私は今日、重要なことをお伝えしなければなりません」


会場が静まり返った。これは予定された挨拶の内容とは違うようだった。


「何かね、セレスト?」国王は少し困惑した様子で尋ねた。


「はい」彼女は深呼吸した。「陛下は毒殺の危機にさらされています」


会場から驚きの声が上がった。ドラクロワの顔から血の気が引き、エリザベスは硬直した。


「何だと?」国王は驚いた声で言った。


「エリザベス」セレストは自分の侍女を指差した。「彼女は陛下のワインに毒を入れようとしていました」


衛兵たちがすぐにエリザベスを取り囲んだ。彼女は抵抗せず、冷静に立っていた。


「これは誤解です」ドラクロワが前に出た。「セレスト嬢は疲れているのでしょう。こんな馬鹿げた―」


「それは真実です」ヴィオレットが声を上げた。「私も目撃しました。彼女が国王の杯に何かを入れようとしているところを」


フレデリックも前に出て、床に落ちた小瓶の破片を差し出した。「これが証拠です。毒の痕跡がまだ残っています」


国王は激怒した様子で立ち上がった。「これは何事か!エリザベス、弁明せよ」


エリザベスは冷たい目で国王を見つめた。「私には何も言うことはありません」


「捕らえよ!」国王は命じた。


衛兵たちがエリザベスを拘束しようとした瞬間、彼女は何かを口に入れた。彼女の体が震え始め、床に崩れ落ちた。


「毒だ!」フレデリックが叫んだ。


貴族たちが悲鳴を上げる中、衛兵たちはエリザベスを取り囲んだ。しかし、既に遅かった。彼女の口から血が流れ、目が虚ろになっていった。


「赤き月の名において...」彼女は最後に呟いた。そして、動かなくなった。


会場は混乱に包まれた。国王は警護の衛兵たちに囲まれ、別室へと急いで移動した。貴族たちも恐怖に駆られて逃げ始めた。


ドラクロワは冷静さを保ちながらも、明らかに動揺していた。彼はセレストを睨みつけ、何か言いかけたが、すぐに周囲の状況を判断し、その場を離れた。


「セレスト」ヴィオレットは彼女に駆け寄った。「大丈夫?」


「はい」セレストは震える声で答えた。「でも、これで私は...」


「彼の敵になったわね」ヴィオレットは彼女の手を握った。「でも心配しないで。私たちがあなたを守るから」


フレデリックが二人に近づいた。「ここは安全ではない。すぐに移動しましょう」


彼らは混乱に紛れて宮殿を後にした。外では既に馬車が待機していた。


「どこへ行くの?」セレストが尋ねた。


「守護者の隠れ家へ」フレデリックが答えた。「そこなら一時的に安全だ」


馬車の中で、セレストは静かに震えていた。「私は彼を裏切った」彼女は呟いた。「ドラクロワは決して許さないでしょう」


「あなたは勇敢だったわ」ヴィオレットは彼女を励ました。「そして、正しいことをしたのよ」


「でも、彼はあなたが言ったように、私を監視していた」セレストは腕の刻印を見せた。「この刻印を通じて、彼は私の居場所を知るでしょう」


「だからこそ、隠れ家に行くのよ」フレデリックが説明した。「そこは魔術的な結界で守られている。刻印の力を一時的に遮ることができる」


セレストは不安げにヴィオレットを見つめた。「本当にあなたが私の姉だと言うの?」


「ええ」ヴィオレットは真摯に答えた。「私たちは双子よ。私の本名はヴィオレット・アシュフォード、あなたの本名はセレスティア・アシュフォード。十五年前、私たちは引き離された」


「どうして私にはその記憶がないの?」


「ドラクロワが記憶操作をしたのよ」ヴィオレットは静かに言った。「あなたが十歳の時、『赤き月』は両親から一人の双子を奪い、もう一人は守護者に守られた」


セレストは混乱した様子で頭を抱えた。「断片的な記憶はあるの...子供の頃の歌、二人の少女...でも、はっきりとは思い出せない」


「時間をかけて思い出せばいい」フレデリックは優しく言った。「今は安全を確保することが先決だ」


馬車は都市を抜け、郊外の森へと向かった。夕暮れが近づき、空が赤く染まっていく。


「ドラクロワの本当の計画は何なの?」セレストが尋ねた。


「月光舞踏会で『時間の儀式』を行うことよ」ヴィオレットは説明した。「彼は時間を操る力を手に入れようとしている。そのために、私たち双子の力が必要なの」


「双子の力...」セレストは自分の胸元の聖印を取り出した。「この『太陽の羽飾り』と、あなたの『時間の月環』...」


「その通り」フレデリックが言った。「二つが一つになると、伝説では時間の扉が開くとされています」


「でも、なぜドラクロワはそんな力を?」


「支配のためよ」ヴィオレットは静かに言った。「彼は過去を変え、未来を支配し、自分だけの王国を作ろうとしている」


「彼は私を『時間の女王』にすると言っていた」セレストが呟いた。「でも、それがどんな意味を持つのか、説明はしなかった」


馬車は森の中の小道を進み、やがて古い石造りの建物に到着した。それは一見、廃屋のように見えたが、近づくと精巧な作りの隠れ家だということが分かった。


建物の中には既に数人の守護者たちが待っていた。イザベラが彼らを出迎え、特に、セレストを見て深い感慨を示した。


「セレスティア・アシュフォード」彼女は優しく言った。「あなたを守護者の館にお迎えできて、本当に嬉しい」


「あなたは?」セレストは警戒しながらも、何か懐かしさを感じたように見えた。


「イザベラです」彼女は微笑んだ。「かつて、あなたとヴィオレットが赤ん坊だった頃、お世話をしていました」


「私を知っているの?」


「ええ」イザベラは頷いた。「あなたたちの母、エレノアの親友でした」


セレストは感情に圧倒されたように、椅子に腰かけた。「こんなに多くの真実が...一度に押し寄せてくる」


「少しずつ理解すればいいのよ」ヴィオレットは彼女の横に座った。「急ぐ必要はないわ」


イザベラは彼らに温かい飲み物を勧め、セレストの腕の刻印を調べ始めた。


「これは強力な『赤き月』の魔術ね」彼女は眉をひそめた。「解除するのは難しいでしょう」


「でも、可能なんでしょう?」ヴィオレットが尋ねた。


「ええ、時間をかければ」イザベラは言った。「でも、完全に解除するには『太陽の羽飾り』の全体が必要かもしれません」


「全体?」セレストは聖印を見つめた。「これは一部だけなの?」


「ええ」イザベラは頷いた。「本来の『太陽の羽飾り』は、もっと大きな遺物です。あなたが持っているのは、中心の聖印だけ」


「残りはどこにあるの?」


「おそらく、ドラクロワが持っているでしょう」フレデリックが言った。「月光舞踏会での儀式のために」


その晩、セレストはアシュフォード家の記録や、彼女とヴィオレットが幼かった頃の写真を見せられた。二人の幼い姉妹が笑顔で並ぶ写真は、彼女の心を強く揺さぶった。


「少しずつ記憶が...」彼女は写真を見つめながら言った。「この歌...『月の光、星の瞬き、二人は一つ、永遠に...』」


「ええ」ヴィオレットは感動して言った。「母がよく歌ってくれた子守唄よ」


セレストはヴィオレットを見つめ、涙を流した。「姉さん...本当に...」


「妹...」ヴィオレットも涙があふれた。


二人は抱き合い、十五年の別離を埋めるかのように泣いた。フレデリックとイザベラは静かに部屋を後にし、姉妹に個人的な時間を与えた。


翌朝、ヴィオレットは早く目を覚まし、窓から昇る朝日を見つめていた。昨夜の出来事は夢のようだった。セレストとの再会、彼女が記憶を少しずつ取り戻していく様子、そして二人の絆が再び強まっていくのを感じること。


「朝早いのね」


振り向くと、セレストが部屋に入ってきた。彼女は借りた普段着を身につけ、金色の髪を簡単にまとめていた。「聖女」の仮面を脱いだ彼女は、より自然で柔らかい印象だった。


「ええ」ヴィオレットは微笑んだ。「よく眠れた?」


「久しぶりに穏やかな眠りだったわ」セレストは彼女の隣に立った。「不思議と...安心感があったの」


「嬉しいわ」


二人は静かに朝日を見つめた。


「教えて」セレストは突然言った。「あなたはどうやって私のことを知ったの?なぜ私を探し出したの?」


ヴィオレットは少し躊躇った。セレストに時間遡行の能力について話すべきか迷ったが、今はまだ早いと判断した。


「守護者たちの助けよ」彼女は答えた。「彼らは長年、あなたの行方を追っていたの。そして、私も十五年前に失われた姉妹がいることを知り、探し始めた」


「でも、なぜ今なの?」


「時間の儀式が近づいているから」ヴィオレットは静かに言った。「ドラクロワが動き始めたから、私たちも行動しなければならなかったの」


セレストは納得したように頷いた。「彼は何年もかけて私を育て、『聖女』として作り上げてきた...全て、この儀式のためだったのね」


「そう思うわ」


「私は彼を父のように思っていた」セレストは苦々しく言った。「彼は私に多くを与えてくれた。だけど、それは全て私を使うための...」


「彼は私たちの父を操ったのよ」ヴィオレットは静かに言った。「父は『赤き月』に加わり、あなたを彼らに引き渡した。そして母は...それを阻止しようとして命を落とした」


「そんな...」セレストは震えた。「だから私には両親の記憶がないのね」


「ドラクロワは私たちの家族を壊した」ヴィオレットは決意を込めて言った。「だから、私たちは彼を止めるの」


セレストは真剣な表情でヴィオレットを見た。「どうやって?彼は強大な力を持っている」


「私たちには仲間がいるわ」ヴィオレットは言った。「守護者たち、そして恐らく王太子も」


「アレクサンダー王太子...」セレストは考え込んだ。「彼もドラクロワを疑っているわ。でも、それを公にはできない」


「彼とコンタクトを取る必要があるわね」ヴィオレットは言った。


その時、フレデリックが部屋に入ってきた。彼の表情は緊張していた。


「何があったの?」ヴィオレットは即座に尋ねた。


「ドラクロワが動いている」フレデリックは言った。「彼は今朝、セレストの失踪を発表し、彼女が『聖女』としての圧力に耐えられなくなって逃げ出したと言っている」


「私のせいにしているのね」セレストは苦笑した。


「それだけではない」フレデリックは続けた。「彼は密かに『赤き月』の信者たちを集めている。月光舞踏会に向けて、何か大きな動きがあるようだ」


「時間が少ないわ」ヴィオレットは言った。「私たちも行動を開始しなければ」


「何をするの?」セレストが尋ねた。


「まず、あなたの腕の刻印を解除する方法を見つけることよ」ヴィオレットは言った。「それから、ドラクロワの計画の詳細を知り、それを阻止する方法を考える」


フレデリックが頷いた。「守護者たちは既に古文書を調べている。刻印の解除法と、『時間の儀式』を阻止する方法を見つけるために」


「私も協力するわ」セレストは決意を示した。「『赤き月』について知っていることを全て話すから」


彼らは食堂に移動し、守護者たちと今後の計画について話し合った。セレストは「赤き月」の内部情報を詳しく説明した。儀式の準備、ドラクロワの習慣、そして「赤き月」の本部とされる場所について。


「月光舞踏会では、ドラクロワは満月の光が最も強まる深夜零時に儀式を行おうとするでしょう」セレストは言った。「彼は舞踏会場の大シャンデリアを使って、月光を集め、増幅させるつもりです」


「それは前回と同じね」ヴィオレットは考え込んだ。「私たちはシャンデリアのロープを切ることを考えていたけど...」


「切る?」セレストは驚いた。「それは危険すぎるわ。多くの人々が傷つくかもしれない」


「最後の手段よ」フレデリックが言った。「でも、他の方法を考える必要がある」


イザベラが古い巻物を広げた。「私たちの調べでは、『時間の儀式』を阻止する最も確実な方法は、双子の力を調和させることです」


「調和?」ヴィオレットとセレストが同時に尋ねた。


「はい」イザベラは頷いた。「『太陽の羽飾り』と『時間の月環』は本来、調和して使われるべき遺物です。対立ではなく、協力して」


「だから、ドラクロワは私たちを引き離していたのね」セレストは理解した。「二人が協力すれば、彼の計画は失敗する」


「そう考えられます」イザベラは言った。「しかし、それを証明する方法が必要です」


「まずは刻印の問題を解決しましょう」フレデリックが提案した。「セレストが自由にならない限り、何も始まりません」


彼らは刻印の解除に必要な儀式を準備し始めた。古い魔術の知識を持つイザベラが中心となり、必要なハーブや鉱物を集め、魔法陣を描いた。


夕方になり、準備が整った。セレストは魔法陣の中央に立ち、ヴィオレットが彼女の横に立った。


「怖い?」ヴィオレットは彼女の手を握った。


「少し」セレストは正直に答えた。「でも、自由になりたい」


イザベラが古代ルナリア語で呪文を唱え始めた。魔法陣が青白い光を放ち始め、セレストの腕の刻印が赤く光った。


「痛い…!」セレストは顔をゆがめた。


「頑張って」ヴィオレットは彼女の手をしっかりと握った。


月環が反応して光を放ち、その光がセレストの刻印に向かって伸びた。赤と青の光が交わり、セレストの腕から黒い霧のようなものが立ち上り始めた。


「これが『赤き月』の呪縛…」イザベラは呪文を続けながら言った。


セレストは痛みに耐えながら立っていた。やがて、刻印が徐々に薄くなり始め、黒い霧が消えていった。


儀式は一時間以上続き、終わった時にはセレストは疲労で倒れそうになっていた。しかし、彼女の腕には、かつての刻印の代わりに薄い痕跡だけが残っていた。


「成功したようだ」フレデリックは安堵の表情を見せた。


「完全には消えていないけれど」イザベラは説明した。「ドラクロワはもうあなたを追跡できないでしょう。しかし、彼の力が最も強い月光舞踏会の夜は、この方法でも完全には守りきれないかもしれません」


「それでも十分よ」セレストは疲れた顔で微笑んだ。「初めて…自由を感じる」


ヴィオレットは彼女を抱きしめた。「よかった」


その夜、姉妹は静かに語り合った。子供の頃の断片的な記憶、十五年の空白、そして今後の計画について。セレストの記憶は徐々に戻りつつあったが、まだ多くの空白があった。


「あなたは変わったわね」セレストは不意に言った。「初めて会った時よりも…柔らかくなった」


「そう?」


「ええ」セレストは彼女をじっと見た。「まるで…別の人生を経験したかのように」


ヴィオレットは一瞬言葉に詰まった。セレストの直感は鋭かった。


「人は変わるものよ」彼女は静かに答えた。「特に、大切なものを見つけた時には」


セレストは微笑み、窓から見える月を見上げた。「月の光…」彼女は呟いた。「昔から私を見守っていたのね」


「私たちを」ヴィオレットは彼女の手を取った。「そして、これからも」


月環が淡く光り、その光がセレストの持つ聖印と共鳴するように見えた。二つの遺物、二人の姉妹。運命は彼らを再び一つに結びつけ始めていた。そして月光舞踏会の日が、着実に近づいていた。

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