第6話「毒杯の真実」
春の柔らかな日差しがアシュフォード邸の客間を明るく照らしていた。ヴィオレットは窓辺で静かに時を刻む時計を見つめながら、セレストの訪問を待っていた。今日の会合は、彼女の計画における重要な一歩だった。
「お嬢様」レイモンドが静かに入室した。「準備は整いました。お茶と点心、そしてお望みの通り、特別なブレンドのハーブティーも用意しております」
「ありがとう、レイモンド」ヴィオレットは微笑んだ。「セレストが来たら、すぐに案内して」
彼が退室すると、ヴィオレットは胸元のブローチを確認した。フレデリックから贈られた守護者の護符。彼女は軽く指でそれに触れ、安心感を得た。
鐘の音が響き、まもなくレイモンドがセレストを案内してきた。彼女は純白のドレスに身を包み、微笑みを浮かべていた。
「ヴィオレット、お招きいただきありがとう」セレストは優雅にお辞儀をした。「あなたのお宅は素敵ですわね」
「ようこそ、セレスト」ヴィオレットは彼女を迎え入れた。「どうぞ、お座りになって」
二人はソファに向かい合って座り、レイモンドがお茶を注いだ。彼は無言のうちにヴィオレットに視線を送り、それから退室した。
「特別なブレンドのお茶です」ヴィオレットはカップを差し出した。「私自身が選んだものよ」
「まあ、光栄ですわ」セレストはカップを受け取り、その香りを楽しんだ。「ラベンダーとローズ、そして...何か特別なハーブも混ざっているようですね」
「よく分かるわ」ヴィオレットは微笑んだ。「確かに、ある特別なハーブを混ぜています。記憶を明晰にし、真実を引き出すと言われているものよ」
セレストの表情が一瞬こわばった。「真実...ですか?」
「冗談よ」ヴィオレットは軽く笑った。「単に気分を良くするブレンドなの」
セレストはホッとしたように笑ったが、その目には警戒心が残っていた。彼女はお茶を一口すすり、すぐに話題を変えた。
「舞踏会に向けて準備は進んでいますか?」
「ええ、少しずつね」ヴィオレットは応じた。「あなたはどうですか?王太子との婚約が噂されているわね」
セレストは少し頬を赤らめた。「まだ公式発表はされていませんが...そうなる可能性は高いと思います」
「おめでとう。あなたなら王太子妃にふさわしいわ」
「あなたもそう思ってくださるのですか?」セレストは少し驚いたように尋ねた。
「ええ、もちろん」ヴィオレットはお茶をすすりながら言った。「あなたは『聖女』と呼ばれるほど慈愛に満ちた人。王国の人々にも愛されているでしょう」
セレストは一瞬、言葉に詰まったように見えた。「ありがとう...でも、私は完璧ではありません」
「誰も完璧ではないわ」ヴィオレットは彼女をじっと見つめた。「私たちは皆、光と影を持っている」
セレストはカップを置き、窓の外を見た。「あなたは不思議な人ですね、ヴィオレット。初めて会った時から感じていましたが...あなたは他の人とは違う」
「どういう意味?」
「あなたは私を...見透かしているような気がするのです」セレストが静かに言った。「まるで、私の内側まで」
「それは...」ヴィオレットは慎重に言葉を選んだ。「私たちが似ているからかもしれないわね」
セレストは急に身を乗り出した。「あなたも感じていますか?この不思議な繋がりを」
「ええ」ヴィオレットは正直に答えた。「まるで...前から知っていたかのような」
「私も同じです」セレストは熱心に言った。「初めて会った時から、あなたに惹かれる理由が分からなかった。でも、それは...」
彼女はふと言葉を切り、手で口元を覆った。「ごめんなさい、興奮してしまいました」
ヴィオレットはチャンスだと感じた。「セレスト、あなたの聖印を見せてくれるって約束してくれたわね」
「ええ」セレストは胸元から銀の聖印を取り出した。「これです」
ヴィオレットはそれを手に取り、綿密に観察した。月と太陽が重なったデザインの銀の聖印。裏面には見慣れない文字で何かが刻まれている。
「これは...」
「古代ルナリア語です」セレストが説明した。「意味は『二つで一つ、光と影、永遠に繋がりし魂』だと言われています」
ヴィオレットの胸が高鳴った。「生まれた時からこれを持っていたのね?」
「はい」セレストは頷いた。「私の唯一の遺品です」
ヴィオレットは自分の月環を見せた。「私もこれを母から受け継いだの」
セレストは月環をじっと見つめた。「美しい...そして、どこか見覚えがあるような...」
二人の宝物が近づいた瞬間、微かな光が発した。セレストは驚いて手を引っ込めた。
「何...何だったのですか?」
「分からないわ」ヴィオレットは装った。
実際、彼女は確信を深めていた。セレストが彼女の姉妹である可能性は非常に高い。そして二人の持つ宝物—月環と聖印—は何らかの形で繋がっている。
「セレスト」ヴィオレットは決心して尋ねた。「あなたはドラクロワ宰相のことをどう思っていますか?」
セレストの表情が急に緊張した。「どうして彼の話を?」
「彼はあなたの後見人ですよね。彼について知りたいと思って」
セレストは慎重に言葉を選んでいるようだった。「彼は...私を孤児院から引き取り、ブライトウッド家に引き合わせてくれた恩人です。常に私を気にかけ、導いてくれました」
「彼は優しい人?」
「表向きは...」セレストは言いかけて止まった。「彼は複雑な人物です。王国のために献身的に働く一方で、時に...厳しさも持ち合わせています」
「厳しさ?」
セレストはため息をついた。「彼は私に多くを期待しています。『聖女』としての役割、そして...もっと大きな運命を」
「どんな運命?」
「彼はいつも『お前は特別な血を引いている』と言うのです」セレストの目に不安の色が浮かんだ。「『赤き月の下で、お前の真の力が解放される』と」
「赤き月...」ヴィオレットは鋭く反応した。
セレストは突然、まるで何かに気づいたかのように身を引いた。「私は話しすぎました」
「セレスト」ヴィオレットは彼女の手を取った。「あなたは恐れているの?ドラクロワを?」
セレストの目に一瞬、恐怖の色が浮かんだ。だが、すぐに彼女はその感情を押し隠した。
「恐れる理由などありません」彼女は冷静に言った。「私は彼に多くの恩義があるのです」
しかし、その言葉は彼女の本心とは思えなかった。ヴィオレットは突然、質問を変えた。
「前世では、あなたは私を陥れた」彼女は静かに言った。「毒殺未遂の罪で」
「何ですって?」セレストは混乱した様子で尋ねた。「前世?毒殺?何のお話ですか?」
「もちろん、冗談よ」ヴィオレットは軽く笑った。「小説の話をしていたの」
セレストは安堵したように見えたが、その目に疑念の色が残った。「変わった冗談ですね」
「ごめんなさい」ヴィオレットは謝った。「でも、もしあなたが毒を使おうとしていることを知ったら、私はそれを阻止するでしょうね」
セレストの顔が青ざめた。「何...何を言っているのですか?」
「王宮での早春の宴会」ヴィオレットは静かに言った。「あなたの侍女、エリザベスが国王の杯に毒を入れる計画があるわ」
セレストは立ち上がり、震える声で言った。「あなたは...何者?」
「ただのヴィオレット・アシュフォードよ」彼女は穏やかに答えた。「あなたのように、真実を求める者」
「どうして...どうしてそんなことを?」
「情報というものは力よ、セレスト」ヴィオレットは立ち上がり、彼女に近づいた。「私はあなたを敵だとは思いたくない。でも、もし王家に危害を加えようとするなら、私は黙ってはいられないわ」
セレストの目に涙が浮かんだ。「あなたには理解できない...私には選択肢がないのです」
「常に選択肢はあるわ」ヴィオレットは彼女の両肩に手を置いた。「セレスト、あなたは『赤き月』に操られているだけ。本当のあなたはそんな人ではないはず」
「本当の私...」セレストは呟いた。「私は自分が誰なのか、もう分からなくなりました」
「教えてあげる」ヴィオレットは静かに言った。「あなたは私の姉妹よ」
セレストの顔から血の気が引いた。「な...何ですって?」
「証拠はないけれど、私の心が告げている」ヴィオレットは彼女の目をじっと見つめた。「私たちは双子として生まれ、引き離された。あなたは『赤き月』に、私は月影の守護者に」
セレストは膝から崩れ落ちそうになり、ヴィオレットが彼女を支えた。
「嘘...嘘よ...」セレストは震える声で言った。「でも...それが真実なら...」
突然、ブレーッという鋭い音が響き、二人は驚いて見回した。音の発信源はヴィオレットの胸元のブローチだった。
「警告だわ」ヴィオレットは即座に理解した。「誰かが来る」
その瞬間、窓ガラスが割れ、黒い影が室内に飛び込んできた。黒装束の男だ。彼は刃物を構え、二人に向かって突進してきた。
「ヴィオレット様!」レイモンドの声が廊下から響いた。
ヴィオレットは咄嗟にセレストを引き寄せ、テーブルを倒して盾とした。
「誰なの!?」彼女は叫んだ。
男は答えず、テーブルを飛び越えて襲いかかってきた。その時、セレストが驚くべき行動に出た。彼女はドレスの裾から小さな短剣を取り出し、鮮やかな動きで男の攻撃を受け流したのだ。
「セレスト...?」
「話は後よ!」セレストは鋭く言った。ヴィオレットが見たこともない冷たく決然とした表情で。
男は再び攻撃を仕掛け、セレストは短剣で応戦した。彼女の動きは洗練されており、明らかに訓練を受けていることが窺えた。聖女の仮面の下に隠された一面だった。
ドアが開き、レイモンドが飛び込んできた。彼も武器を構え、男に立ち向かう。二人がかりの攻撃に、男は窮地に立たされた。
「降参しなさい!」レイモンドが命じた。
しかし男は急に内ポケットから何かを取り出し、口に放り込んだ。
「毒!?」ヴィオレットは驚愕した。
男は苦しそうに呻き、床に崩れ落ちた。セレストが駆け寄ったが、すでに遅かった。男の口から血が流れ、瞳が虚ろになっていく。
「赤き月の名において...」男は最後に呟いた。「我らが女王に...栄光を...」
そして男は動かなくなった。
「レイモンド、彼は...?」
「死にました」レイモンドは男の脈を確かめて言った。
ヴィオレットはセレストを見た。彼女は冷静さを取り戻し、短剣をドレスの中に隠していた。
「説明してくれる?」ヴィオレットは尋ねた。
セレストは深いため息をついた。「自己防衛の術を身につけています。『聖女』といえども、危険な世界ですから」
「それだけ?」
「今は...それ以上は言えません」セレストは目を伏せた。
レイモンドが男の衣服を調べ、背中を見せた。そこには赤い月の紋章が刺青されていた。
「『赤き月』の刺客です」彼は言った。
「なぜ彼らがあなたを?」セレストがヴィオレットに尋ねた。
「私ではなく、私たち二人を狙っていたのよ」ヴィオレットは答えた。「彼らは私たちが会うことを望んでいなかった」
セレストは混乱した表情で問いかけた。「どうして?」
「おそらく、私たちが真実に気づくことを恐れているからよ」
男の身体をさらに調べると、小さな紙片が見つかった。そこには「二人を引き離せ」という文字と、ドラクロワの印が押されていた。
セレストはそれを見て顔色を変えた。「彼が...?」
「あなたの『恩人』ね」ヴィオレットは皮肉を込めて言った。
セレストは椅子に崩れ落ちた。「彼が私を殺そうとしたなんて...信じられません」
「殺すつもりではなかったかもしれない」レイモンドが指摘した。「おそらく、あなた方の会話を中断し、引き離すためだったのでしょう」
ヴィオレットはセレストの隣に座り、彼女の手を取った。「あなたはどうするの?」
「どうすればいいのか...分かりません」セレストは混乱した様子で言った。「もしあなたの言う通り、私たちが姉妹で、ドラクロワが私を利用していたのなら...」
「今すぐ決断する必要はないわ」ヴィオレットは優しく言った。「ただ、早春の宴会での毒殺計画だけは止めてほしい」
セレストは長い間黙っていたが、やがて静かに頷いた。「できる限りのことはします。でも、彼らは私を監視しています。簡単には...」
「理解したわ」ヴィオレットは言った。「あなたは表向き、彼らに従うふりをしていればいい。私が裏で動くから」
「危険すぎるわ」セレストは警告した。
「大丈夫」ヴィオレットは微笑んだ。「私には協力者がいるから」
レイモンドは男の遺体を片付けながら言った。「この件は守護者たちに報告し、警戒を強化します」
セレストは疑問に思ったように尋ねた。「守護者?」
「月影の守護者よ」ヴィオレットは説明した。「『赤き月』とは反対の立場にある組織。彼らは代々、月の加護を受けた者たちを守ってきたの」
「それで...あなたは彼らと?」
「ええ」ヴィオレットは頷いた。「そして、あなたも本来はそうあるべきだった」
セレストは立ち上がり、窓の外を見つめた。「私はもう帰らなければなりません。長居すれば疑われます」
「分かったわ」ヴィオレットも立ち上がった。「でも約束して。私たちの会話は誰にも話さないで」
「約束します」セレストは彼女の手を握った。「そして...早春の宴会については、何とかします」
「連絡を取る方法は?」
「これを」セレストはドレスの袖から小さな銀の鈴を取り出した。「何か緊急のことがあれば、これを鳴らして。私に届くでしょう」
「魔術?」
「ええ、小さな」セレストは微かに微笑んだ。「私にも秘密はあるのよ」
彼女はヴィオレットに別れを告げ、レイモンドに案内されて邸を後にした。ヴィオレットは彼女の去り際の表情に、混乱と共に小さな希望の光を見た気がした。
その晩、ヴィオレットはフレデリックに会って詳細を報告した。月影の守護者の本部とされる彼の邸宅の地下室で、彼らは対策を練った。
「セレストが心を開き始めたのは良い兆候だ」フレデリックは言った。「だが、彼女をどこまで信用できるかは分からない」
「彼女は混乱しているわ」ヴィオレットは言った。「長年『赤き月』の教えに染まりながらも、心のどこかで違和感を覚えていたのでしょう」
「問題は早春の宴会だな」フレデリックは言った。「彼女が計画を阻止できなかった場合、我々が行動しなければならない」
「宴会は一週間後」ヴィオレットは確認した。「エリザベスという侍女が実行犯よ」
「彼女を監視します」シルヴィアが言った。「そして必要なら...排除します」
「殺すの?」ヴィオレットは驚いた。
「最終手段としてですが」シルヴィアは冷静に答えた。「国王の命は何より優先されます」
エレノアが言葉を挟んだ。「私なら毒を無効化する解毒剤を準備できます。もし毒が杯に入れられても」
「それが最善ね」ヴィオレットは言った。「できるだけ血は流したくない」
守護者たちは宴会に向けた準備を始めた。ヴィオレット自身も、マーカスから基本的な護身術を教わった。短い期間で多くを学ぶことはできなかったが、少なくとも自分を守る術を身につけることができた。
宴会当日、ヴィオレットは銀灰色のエレガントなドレスに身を包み、フレデリックとともに王宮に向かった。
「緊張してる?」馬車の中で彼が尋ねた。
「少し」彼女は認めた。「でも、これが第一の試練よ。前世で起きた悲劇を防ぐための」
「守護者たちは既に配置についている」フレデリックは彼女を安心させた。「シルヴィアはセレストの侍女を監視し、エレノアは飲み物担当の給仕として潜入している」
ヴィオレットは深呼吸した。「これで成功すれば、ドラクロワの計画に最初の打撃を与えることになるわ」
宮殿に到着すると、すでに多くの貴族たちが集まっていた。華やかな衣装と宝石に身を包んだ人々が、広間を埋め尽くしている。
「王太子はまだ現れていないようですね」フレデリックが周囲を見回した。
「ドラクロワは?」
「あそこです」フレデリックは目で示した。
ドラクロワ宰相は広間の奥で、国王と話していた。五十代半ばの威厳ある男性で、灰色の髪と鋭い目をしている。一見、誠実そうな政治家に見えるが、その目には計算高さが垣間見える。
「彼が本当に『赤き月』のリーダーなのね...」ヴィオレットは小声で言った。
そして広間の入口で、アナウンスが響いた。
「セレスト・ブライトウッド嬢のご到着です」
全ての視線が入口に集まる。セレストは空色のドレスに身を包み、優雅に入場した。彼女の後ろには侍女のエリザベスが控えていた。
「ターゲットを確認」フレデリックが小声で言った。
ヴィオレットはエリザベスをじっと見た。細身の若い女性で、無害に見えるが、その目には冷たい決意が宿っている。
セレストはヴィオレットと目が合うと、ほとんど気づかないような小さな頷きを送った。それは合図だった。彼女は計画を実行するつもりらしい。
しかし、この時ヴィオレットはすでに対策を講じていた。エレノアが給仕として毒を中和する薬を準備し、シルヴィアがエリザベスの監視を続けている。
宴会が進み、国王の乾杯の時間が近づいた。ヴィオレットはフレデリックと共に、さりげなく王のテーブルに近づいた。
「もうすぐだわ」彼女は小声で言った。
その時、彼女はセレストが慌てた様子でエリザベスに何か話しかけているのを見た。侍女は明らかに動揺し、反論しているようだった。
「何かあったようだ」フレデリックが緊張した声で言った。
突然、エリザベスはセレストの制止を振り切り、給仕の一人から杯を奪い取った。それは国王のためのものだった。彼女は素早く何かを杯に入れ、給仕に戻そうとした。
「彼女が動いた!」ヴィオレットは小声で叫んだ。
フレデリックが手で合図を送ると、シルヴィアが侍女のドレスに身を包んだまま、エリザベスに近づいた。しかし、エリザベスは警戒していたようで、シルヴィアに気づくと急に向きを変えた。
「違う方向に行った!」
エリザベスは予定にない行動を取り始めた。彼女は杯を持ったまま、国王ではなくドラクロワ宰相の方へ向かっていた。
「計画が変わった?」フレデリックは混乱した声で言った。
「いいえ」ヴィオレットは急に理解した。「彼女は捕まりそうになって焦り、誰かに渡そうとしているの」
ドラクロワはエリザベスが近づいてくるのを見て、わずかに眉をひそめた。彼らは小声で何か会話を交わし、ドラクロワは彼女から何かを受け取った。それは小さな瓶であり、恐らく毒薬だった。
「証拠を処分しようとしている」フレデリックが言った。
シルヴィアは依然としてエリザベスを追っていたが、人混みの中で距離が開いてしまった。
ヴィオレットは決断した。「あなたはドラクロワを見張って。私がエリザベスを追う」
彼女はエリザベスの後を追った。侍女は混乱の中、出口に向かっていた。セレストも彼女を追おうとしていたが、他の貴族たちに囲まれて動けなくなっていた。
「エリザベス!」ヴィオレットは彼女に追いついた。「待って!」
彼女は振り向き、驚いた表情を見せた。「あなたは...」
「私はヴィオレット・アシュフォード」彼女は言った。「あなたが何をしようとしているのか知っているわ」
エリザベスの顔色が変わった。「何も分かっていない」
「毒殺計画のことよ」ヴィオレットは静かに言った。「『赤き月』があなたに命じたことを」
「黙りなさい!」エリザベスは突然、袖から小さな刃物を取り出した。「これ以上近づかないで」
ヴィオレットは冷静さを保った。「逃げられないわ。この宮殿の出口は全て守られている」
「私は使命を果たすだけ」彼女は震える声で言った。「赤き月の女王のために」
「女王?」ヴィオレットは驚いた。「誰のこと?」
エリザベスは急に表情を硬くした。「もう話すことはない」
その瞬間、彼女は何かを口に入れた。ヴィオレットは彼女の手を掴もうとしたが、遅かった。
「やめて!」
エリザベスの目が見開き、彼女は苦しみ始めた。刃物を落とし、床に崩れ落ちる。
「誰か!助けて!」ヴィオレットは叫んだ。
衛兵たちが駆けつけ、エリザベスを取り囲んだ。だが、彼女の命を救うことはできなかった。彼女の口から血が流れ、最後の息を引き取る前に、彼女はヴィオレットを見つめた。
「赤き月の名において...」彼女は囁いた。
衛兵団長が到着し、状況を把握しようとした。「何が起きたのだ?」
「この女性が突然倒れて...」ヴィオレットは動揺した様子で説明した。「何か飲み込んだようです」
医師が呼ばれ、エリザベスの体を調べた。「毒です。速効性の猛毒」
その頃、フレデリックがヴィオレットの元に駆けつけた。「大丈夫か?」
「ええ」彼女は頷いた。「でも、エリザベスは...」
「自害したようだな」彼は静かに言った。
宮殿は突然の出来事で騒然となった。国王と王太子は安全のために別室に移され、ドラクロワ宰相は冷静に指示を出していた。
セレストはようやく人混みを抜け、ヴィオレットの元にたどり着いた。「何が...?」
「エリザベスが自害したわ」ヴィオレットは小声で言った。「でも、彼女は最後に『赤き月の女王のため』と言ったの」
セレストの顔色が変わった。「女王...?」
「あなたは知っている?」
「いいえ...」セレストは首を振った。「初めて聞きました」
だが、彼女の目には混乱と恐怖の色が浮かんでいた。彼女は何かを隠しているようだった。
ドラクロワが近づいてきた。「セレスト、無事で何よりだ」
彼はヴィオレットを冷たい目で見た。「アシュフォード嬢、あなたが最初に彼女を発見したそうですね」
「はい」ヴィオレットは平静を装った。「彼女が突然倒れるのを見たので」
「何か言いましたか?最期に」
「いいえ、何も」ヴィオレットは嘘をついた。彼に『赤き月の女王』について知られるわけにはいかなかった。
ドラクロワは彼女をじっと見つめた。その鋭い目は彼女の嘘を見抜いたようだったが、それ以上は追及しなかった。
「セレスト、帰りましょう」彼はセレストの肘を取った。「ここは危険です」
セレストはヴィオレットに最後の視線を送り、ドラクロワに連れられて去っていった。その目には明確なメッセージがあった。「気をつけて」
宴会は事件のため早々に終了し、貴族たちは不安と興奮の入り混じった様子で帰っていった。ヴィオレットとフレデリックも馬車に乗り込んだ。
「計画は失敗したが、同時に成功でもあるな」フレデリックは言った。「国王は無事だった」
「でも、エリザベスの死は避けられなかった」ヴィオレットは悲しげに言った。
「彼女は『赤き月』の工作員だ」彼は冷静に言った。「仕方がない」
「彼女の言った『赤き月の女王』...誰のことだと思う?」
フレデリックは考え込んだ。「分からない。だが、ドラクロワの上にまだ指導者がいるのかもしれない」
「あるいは...」ヴィオレットはある考えが浮かんだ。「まだ存在していない女王かもしれない」
「どういう意味だ?」
「もし『赤き月』の計画が、新たな女王を擁立することなら?」ヴィオレットは言った。「そして、その女王が...」
「セレスト?」フレデリックが驚いて言った。
「可能性はあるわ」ヴィオレットは窓の外の月を見つめた。「セレストが『赤き月』に操られ、何らかの儀式で『女王』になるというシナリオ」
「だとしたら、彼女を救う必要がありますね」レイモンドが言った。彼はずっと黙って聞いていた。「彼女もまた犠牲者なのかもしれません」
ヴィオレットは月を見つめながら決意を固めた。「ええ、セレストを救い出さなければ。そして、ドラクロワの計画を阻止するために」
彼女の脳裏には、背中に謎の紋章が刻まれたエリザベスの姿が浮かんだ。紋章の背後に隠された真実を明らかにし、ドラクロワと「赤き月」の真の目的を暴かなければならない。
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