第15話 マイラ・グランヴィルが観測し1
義賊のセイロ。
長身体躯の年齢は二十歳そこそこの男だ。齢十八ぐらいまで各所で犯罪行為を繰り返し、国が総力を挙げて捕まえようとしていたが、その足取りすら掴めなかったという凄まじい経歴を持つ。では何故牢獄に閉じ込められるに至ったのかといえば「彼が自ら出頭してきたから」という話をマイラは聞いたことがある。
出頭した理由は判明していない。世間では色々と憶測が流れているものの、どれも理由としては後一手に欠けるものばかりだ。とはいえ先ほどの様子ではあまり話してくれそうにないな、という気がしてならない。
(まさかあのことまで忘れてるんじゃないでしょうね)
浴室の着替え場でマイラは少しだけ頬を膨らませながら、さっと上着を脱いだ。その際手首に巻いていたハンカチを思い出してすぐさまほどく。ここにフィデスがいたらマイラの傷を見て大騒ぎになったかもしれないが、今は信頼の置けるメイド一人しかいない。
「わ、マイラ様! その手首どうしたんですか!」
結局そのメイドも大騒ぎすることになるが、マイラは口元に人差し指を当てて「静かにしなさい」と窘める。
「ちょっと怪我をしなくちゃいけなくて。理由は後で話すわ」
「分かりました。ではまず傷を癒やすことにしましょう。いいですね」
と、メイはマイラの手首に手のひらをかざして魔術を唱える。彼女が使えるのは簡単な治癒魔術だが、傷口を塞ぐのなら十分過ぎるぐらいだ。治療系魔術は基本的に本人の治癒力を高めるものであり、もしここでマイラが回復不可能な傷を負っていた場合、少なくともメイの魔術では治しようもないだろう。
「ふぅ、お風呂で染みたら嫌だなって思ってたの。ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして。それでは今日は」
メイがタオルと湯浴み用バケツを持って、にっこりと笑う。
「昨日の分まで、しっかりと洗わないといけませんね」
「ひえっ……」
今のマイラは昨日湯浴みをサボった分、走り回って汗だくになった分、馬小屋まで荷物を取りに行ったり、さらに自身の潔白を偽造するために二度も馬小屋にいった分の臭いが積もっている。マイラ自身も早く身体を洗いたくて仕方ない気持ちになっていたが、なんだかメイの笑顔が怖くていつも通りに洗ってくれと言いづらい。
「お嬢様はたまーーーーに自分の綺麗さを忘れてる時がありますので、今日はしっかり思い出して頂きます」
「え、あ、別にその」
「いいですねーおじょうさまー?」
「え、怖、メイ、ちょ、目が怖ッ……!」
わきわきと動く両手の指に底から湧き上がる恐怖心を覚え、マイラは自分の胸を抱いてしゃがみこむ。今のマイラは武器も何もない一人の少女。相手は完全武装(メイド服を着装)したプロフェッショナル。最初から勝ち目などないのだ。
「や……」
マイラは勘弁したように、半泣きになりながら言う。
「やさしくしてください……」
お風呂場は音が響く。
理由としては壁が固いからだとか、湯気が音の伝達率を上げてるためだとかあるらしいが、とにかく声が響く。声が響くということはお湯を流す音も大きく響いているということだ。
だからこそマイラは風呂場を逆に利用する。
メイが身体を流す音に合わせて素早く情報を伝える。小さな声で早口になるのだが、メイは一言一句を聞き逃さない。流れる水が治まるとマイラは口を閉じ、メイが「はい、次はお背中流しますねー」と言う。実際に背中を流れるお湯の温度を感じながら、さらにマイラは言葉を続けた。
「手首を切ったのは私の血を魔術で操るため。それと事前に血を染み込ませたハンカチを用意しておきたかった。二重の意味で誰よりも前を歩いている時に実行したの。そうすれば注意するところは前だけでいい」
マイラが意図するところをメイはすかさず読み取っていく。魔術で血を操り、誰よりも早く馬小屋へ入ることで壁沿いに血を移動させ、馬の股辺りにべっとりとくっつける。馬は何がくっついたのか気になってしきりに後ろを向くことになる。
そして操った血はマイラ、フィデス、兵士の三人が馬小屋を出たところで最後の仕事を行う。小さな針を作り、馬に傷を付けるのだ。そうすることで実際に馬は怪我を負ったことになり、また血はすぐさま馬の血と混ざり人間のものか判別が出来なくなる。
一方でマイラは血に染めたハンカチを使い、一芝居を打った。
『ええ、私の婚約者である第一王子の血を拭おうとしたものよ』
拭ってなんかいない。致命傷を押さえてそういう振りはしたが、わざわざ拭うようなことなどしていない。かといってあの場でそれを冷静に観察していた者はいないだろう。――アズヴァルドや第二王子のエドアルドがその場にいたのなら別だろうが。
(いや、そもそもゲーム攻略対象者がいたらやばかったわね。全員才能があるからねー……)
「少し、傷痕が残るかもしれませんね」
「え?」
「手首です。そのまま完治すればいいんですが……」
「そうね、傷痕は残したくないわね」
――本当に、この身体は傷一つない綺麗なモノであらねばならない。マイラ・グランヴィルを美しく保つためには。
(マイラ……マイラ・グランヴィル。今の私。だけど『私』ではない少女。悪役令嬢。聖女に危害を加え、場合によっては命をも追い込むような悪女。だけれどもそれは孤独であるが故。マイラからすれば聖女は突如として現れて全てを奪っていった女に見えた。聖女からすればマイラとは唐突に現れた性格の悪い女に見えた。――問題は、そう、問題は、彼女が聖女なので決してマイラ・グランヴィルを傷つけようとしなかったこと)
だから『私』は『聖女』をターゲットにしない。
何もしていない者を殺すことは、ただの無差別殺人と変わらない。
(そう、無差別殺人なんてしやしないわ)
そうなってしまっては何もかもお終いだ。マイラ・グランヴィルとして、何より人として終わってしまう。
(冷静に、そう、常に冷静にあるのよ、私)
身体を洗い終わり、久し振りにさっぱりした気持ちに包まれる。この二日間はやたらと忙しかった。今夜ぐらいはゆっくりしたいものだが、しかし――
「セイロ、ねぇ……」
「例のフィデス様を守(ま)護(も)るといっていた輩のことですか?」
「ええ。さすがに私とメイがいる部屋に居座るつもりはないらしいけど、どうやって守るつもりなのかしら」
「以前マイラ様がお話になっていた、えっと、ニンジャ……? みたいな感じで、こう影からスバババーっと」
「いや忍者て」
あの巨体で物陰に潜むのは、実際かなりしんどそうに思えてならなかった。忍者というにはマイラの中野イメージと乖離している。
「まぁ、慌てる必要も無いし、どう動くのか観察してみましょう」
そう、急ぐ必要は無い。
だからマイラはより完璧な計画を遂行するため、ひとまず今日はゆっくり寝ることを決めたのだった。
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