第14話 マイラ・グランヴィルはほくそ笑む3

 そこは、地上より遙かに低い場所にあった。

 そこは、誰の声も届かぬ奥深き場所にあった。

 そこよりも上には数えきれぬ程の囚人達が蠢いているものの、ここまでくるともはや蟲の一匹すらも寄り付かず、まるで氷の檻に閉じ込められたかのような寒気すら迸ってくる。じわり、と染み込む冷気は常人ならば恐怖に悲鳴を上げるというのに、その男は一切顔色を変えず地下を進んでいく。

 その牢獄の中を、囚人らしき囚人すら監獄していない最奥の地下を一定の歩幅で歩くのは王宮魔術研究所副所長という肩書きを持つ男、アズヴァルドその人であった。

 この監獄はかつて要塞として建設されたものだが、その用を終えた後は刑務所として改築し、重犯罪を犯した者達を閉じ込める檻として機能を果たしている。とはいえ、ここまで奥にまで――合間の蝋燭さえなければ一切の光が届かぬ場所にまで閉じ込められる犯罪者などそうはいない。いたとして、それは歴史に名を残す大犯罪者となろう。

 しかし今ここの解で檻の中にいるのは只一人、しかも名を残すどころか名前すら持たぬ一人の『青年』だった。名を持たないということはこの国の住民として登録されていない流浪の者ということだが、それでもここまで厳重に監禁する理由は何かを考えて、アズヴァルドは思わず鼻で笑う。

「――止まれ」

 闇の奥から声が届いてくる。アズヴァルドはその声を無視して歩き続ける。

「止まれ、といった。お前は餌係ではないだろう。何者だ」

「この国で私を知らぬ者はいませんよ、最悪の犯罪者ランピオン」

「そんな大層な名前じゃない。俺のコトは名(セ)無(イ)し(ロ)と呼べ」

 喋りながらも足を止めない男に、名無しと名乗った男が振り返る。

「止まれと、三度目の警告だ」

「その警告、意味ありますか? 無いのなら止まる理由がありませんね」

「確かに檻に閉じ込められた哀れな獣同然だが、それでもお前を殺せぬことにはならない」

「無理でしょう。私を知らぬ貴方に私を殺すことなどできない」

「……名前は?」

「名無しを口にする貴方が私の名を求めるのですか?」

「……俺のことは好きに呼べ」

「ではセイロと」

「結局それか。で?」

「それでは名乗りましょう。私は王宮魔術研究所副所長のアズヴァルド。故有って貴方に取引を持ちかけにここまでやってきました」

「取引? 司法取引とかいうやつか?」

「そうですねぇ。似たようなものです。私が貴方の刑罰に口添えをするという意味では、ね」

「……」

 ビリ、と肌を焼くような錯覚を覚え、アズヴァルドは僅かだが笑みを深くした。

「そういう取引をする輩は大体俺のターゲットだ。貴様もそういう貴族か」

「ああ、失礼。まずは依頼内容を話さなければ誤解したままでしたね」

「……」

「あるお方を守って頂きたい」

「どこぞの偉い人間か? それとも公にできない訳ありの人物か?」

 彼にとってその人物が如何なる者であろうとも、正直どうでも良かったのだろう。そもそも護衛任務などしたこともないし、するつもりもない。刑の減軽すら望んではいない。さりとて人生を諦めているわけでもない。――そういった強き視線がその男から感じられた。こういった心の人間はすそう言葉で折れることはなく、かといって実力行使でどうにかなるものでもないだろう。

「現状『偉くはない』のですが、公にするのは憚られる人物です。貴方に護衛を頼むのは一人の少女です。恐らく何も問題は無いと思っておりますが、念のために裏から護衛する者を付けておきたい」

「兵士でいいだろう。そこら辺にゴロゴロいる」

「彼らは正規兵ですよ。影に忍んで相手を見張るなんて、そんなこと可能だと思います?」

「隠密とか飼ってないのか?」

「そもそも私にそういった権限はありませんから。だからここへ来たんですよ」

「――独断か」

「話が早い。やはり頭が回るようです。でなければあれだけの貴族を殺せる筈がないでしょうからね」

 貴族殺しの義賊。

 牢の中で大人しくしている男は、かつて国中を震撼せしめた犯罪者である。未だにその理由を話していないが、その男は単独で貴族階級の人間を殺して国中を回っていた。対象としていたのは、当時不正や領地内での不当な圧政、悪行を働く貴族階級が主であり、彼自身もまたそれ自体の犯行は認めている。だがしかし、同時に民衆を本当の意味で恐怖たらしめたのは市民の虐殺であり、こちらは貴族殺害と同時期に発生し、数十名を超す被害者が発生した。国は同一犯による犯行と断定し捜査を行っていたものの調査は進まず、手詰まりとなったところで犯人が自首をしてきたのだ。

 しかし男は貴族殺しこそ認めたものの一般人殺害については首を縦に振らず否定している。また認めた犯行だけに絞ったとしても数が多く、しかも一件一件が貴族絡みで複雑なため、男に対しての罪状については数年経った今でもまとまりきっておらず、そのせいで処刑が行われずに現状牢屋に閉じ込めておくしかないという状況だった。

「守る対象の情報は?」

「たいした情報はありませんよ。貴方が気に入るかどうかは不明ですが、一般人の娘ですので」

「ますます意味不明だが……いやまさか、『聖女』か?」

「そうですよ」

「あっさりと認めやがったな……」

 アズヴァルドからすれば今まで情報を伏せていた聖女の存在をあっさり見抜いた男の鋭さに驚かされていたが、それすらも笑みという仮面に隠してしまう。

「彼女を守って頂きたい。それ以外は、まぁ、どうなってもいいです」

「まるで聖女の周りの人間が死んでも構わないみたいな言い方だが?」

「大事なのは聖女です。もちろん被害者は出ないに越したことはありませんが、聖女を害すると想定される人物がいた場合は速やかなる排除をお願いします」

「――聖女っていうのは、つまりアレだろ。未曾有の大災害に対して神が用意した人類側の切り札ってやつだったろう。聖女様に手を出すってことは、言わば人類を巻き込んだ自殺行為だ。余程頭がイカれてないとやらないだろう」

「未曾有の大災害といっても、せいぜい国が一つ滅ぶ程度ですよ。ならば『片方が滅ぶ可能性』に賭ける人間が出てきてもおかしくはない」

「博打だな」

「ええ、私もそう思います。常識的な考えでは到底行えないことをやる人間というのは何時の時代にだっているものです。ただごく少数なので歴史に与える影響が全く無いか、あるいは奇跡的に影響を与えるか……」

「お前は」

 何かを言おうとして、男は口を閉じる。

「貴方と話すのは恐らくここが最初で最後ですよ。訊きたいことがあれば何なりと」

「いやいい。詮無いことだ」

「おやつれない。では引き受けてくれますか」

「いや――引き受けない。俺にとってはどうでもいいことだ」

「そうですか。実に残念です。罪の無い人達が殺されるかもしれないのを、ただ黙って見ているだけなんて」

「……『達』?」

 誘導されていると薄々気付きながらも、男は聞き返すことを躊躇わなかった。アズヴァルドの笑みがいよいよ強まっているのに気分を悪くしながらも、これは男にとって非常に大事な事だからだ。

「ええ、ここには私と貴方以外誰もいませんね」

「安心しろ。何の音もしやしない。俺とお前以外には誰もいない」

「いいでしょう。――この国の第一王子、第二王子について、貴方はどこまでご存じです?」

「! おい、まさか」

「どこまでご存じです?」

「……! 少なくとも、この国を担う者として真っ当に育ったという認識だ。王も含め俺の殺害対象にはなり得ない。両方ともだ。ご健勝ならば相当共にその年代では頭一つ抜けた才を発揮しているだろう。尤も第三王子についてはあまり詳しくないが」

「ありがとうございます。これで両殿下も少しは報われるでしょう」

「……殺されたのか。犯人はまだ見つかってない。そしてお前はこう言いたいんだな? 過去の事件に似ている気がする、と」

「実に話が早い。その通りです」

「何故だ。いや待て、この言い方は違うな……動機は?」

「不明です」

「殺しの手順は? 魔力波紋は?」

「第一王子は恐らく刺殺、第二王子は身柄が不明。第一王子に残っていた魔力紋による登録者は無し。どうです?」

「魔力紋が分からない……行方不明……動機も不明……これだけではさすがに断定できないが、しかし……」

「貴方がここに入ることになった事件、それと少しだけ匂いが似ていると思いませんか? 貴方が主張する『悪徳貴族だけを殺している間に、別の場所でも殺害事件があった』とされる件、もし犯人が同じなら」

「――こじつけだ。その程度では確証が無い」

「無くとも聞いてしまっては放っておけないでしょう」

「……ちっ」

 男は舌打ちをしてから、ゆっくりと立ち上がる。

「ちなみに逃げようとしても無駄です。分かっているでしょうが、『私から逃げられると思わないでください』」

「分かっている。今目の前にいる男がどれだけの実力者なのか、一目で察知した」

「ありがとうございます。では、しばらくの間、聖女フィデス・サンク様を守ってください」

「終了期間は」

「その時が来たら使者をお送りしましょう」

「承知した」

 立ち上がった男の背は高く、また光が顔に刺すと顔中髭だらけであり、長い年月をこの牢屋に閉じ込められていたことが分かる。しかし寝転がっているだけの幅しかない牢屋だというのに、男はどうやってかバランスのよい筋肉質の肉体をしており、立ち上がった時や一歩歩く所作に一切の無駄な動きが無い。

 狭い檻の中でも一切の鍛錬を怠らずに鍛え抜いた肉体と武術が、その男には備わっていた。

「では、フィデス・サンクという少女を守ろう。彼女を殺そうとする者には俺が自ら手を下しても?」

「構いません。聖女を守ることこそ王からの使命。最優先としてください」

「いいんだな」

「相手が王族でさえなければ、後はこちらで何とかします。これでいいですか?」

「分かった」

 男はアズヴァルドの開いた戸から出ていきそのまま向かおうとするので、慌てて声を出して止める。

「待ってください。まさかそのまま行くわけではないでしょう?」

「? 何が問題でも?」

「……」

 頭を押さえそうになるのを何とか踏み留まる。

「王城の中を歩くならそれなりに服装や身なりにも気を遣う必要があります。まずはそれを用意しましょう」

「ふむ、確かにな。意外にも面倒見がいい奴だったか」

「いえ、貴方が気にしなさすぎなだけですが」

 とはいえ、このような牢屋でずっと過ごしてきたのみならず、その前も家を持たずに次々と貴族の屋敷を襲撃して回っていたというのだから、元から身なりを気にするという質ではないだろうとアズヴァルドは察していた。

(しかし、間違いなく腕は立つ)

 それがどの様な結末を生むのかまでは――

(――それを楽しむのが楽しいのではないですか)

 歪みそうになる口の端を必死に抑え込みながら、アズヴァルドは一度彼を王宮魔術研究所へと連れて行った。


 部屋に戻ってきたマイラは、血の付いたハンカチを手首に巻いたままだったことに気付く。

(彼女を欺すために痛い思いをしたわ)

 しかし傷を負った手首のことをフィデスに悟られる訳にはいかない。もう血は止まっているが、あまり浅く切って血の量が少なかった場合は問題なのでそこそこ強めの傷を付けている。その為今日の湯浴みは傷に染みそうで背筋がぞっとした。

(メイが戻ってくるまでに説明できればいいんだけど)

 とりあえずフィデスはお風呂の用意をしてくると自分の荷物を漁っている。マイラはメイが用意してくれることもあって何もすることがない。

(てゆか、手首痛いから何もしたくない)

 計画を実行しようにも、次のターゲットがまだ現れないのだ。アズヴァルドも標的に入っているが、王や王妃からの信頼も厚く、また父と手を組んでいるかもしれない今この時点で彼に挑むのは無謀が過ぎる。

(となると、別の相手よね)

 少なくともアズヴァルドとは全く関係の無い目標を見つける必要がある。

(第三王子はまだ影も形もないし、そもそも幼い頃から滅多に見ない……まぁゲームで観てるから顔は分かるけど、姿を出してこないんじゃどうしようもない。騎士団長は……そうね、騎士団長はいいかもしれないわ。上手くいけば混乱を引き起こしてやりやすくなるかも)

 可能であればアズヴァルドから遠い人間が良い。騎士団長はあまり王宮魔術研究所に立ち寄ることはしなかったはずだ。それに戦争も近いとあって、王城の中をよく歩き回っている。隙ならば幾らでもあるのではないか、とマイラは手を考え始めた時だった。

「や、やめてください! 勝手に入らないで!」

「……メイ?」

 扉の外がやたらとうるさい。部屋の前で番人をやっている兵士の声も聞こえてくる。二人とも誰かを止めようとしているようだが――

「なんでしょう?」

「さぁ……」

 フィデスの問いへ曖昧に答えつつ、二人して扉を見守っていると。

 バン! と大きな音が聞こえて戸が開く。

「ああ! 勝手に入らないでください!」

「お、お前! 逮捕するぞ!」

 メイと兵士が慌て、フィデスが入ってきた男に対して頭に?マークを浮かべているこの状況は何とも愉快なものであったが、マイラは全く別の事が浮かんでいた。

「フィデス・サンクというのは、お前か。白髪の少女」

 はっきり言えば野生の美形といった男である。王城にいる整った美形とは違う、粗々しさが滲み出ている。服装こそ兵士と同じものを着ているが、着慣れていない感もあり、兵士達の精悍な顔つきと違う野性味のせいでどこかちぐはぐだ。背は高く、それこそマイラやフィデスの頭二つ分ぐらいはあるのではなかろうか。腰には一般兵とは違い短刀をしまった鞘が革のベルトとズボンの間に挟まっている。。

「あ、はい、そうですが」

「そうか。俺はセイロ。今日からお前を守る者だ」

「へ?」

 一体何を言っているのかわからない、とフィデスの顔に書いてあった。確かに唐突過ぎてこの男の無礼さも言葉もフィデスのみならずこの場にいる全ての者が訳が分からんと混乱しているだろう。そう、マイラを除いて。

 マイラは高鳴る心臓にやや頬が紅潮する。

(知ってる。この男を知ってる)

 見覚えがある。この無礼な感じ、顔、そして背の高さ。荒々しさ。他の『攻略対象』とは全く違うテイストを添えられた登場人物。魔術は基礎しか使えないが、類い希な体術によってあらゆる敵を屠り、そしてその実力は間違いなく『ゲーム内においてトップクラス』と呼べる程の男。

(セイロ……! 義賊の……セイロ!)

 どういうわけか聖女の護衛という役を承ったらしいが、そもそも彼に命令を下せる人間がいるのだろうか。とても人の命令を聞くような人間ではないし、彼もそれを善しとしないだろう。例え王命でも彼は聞く耳を持たない、そういった類の人間だ。

 また彼が聖女の護衛に就くといった以上、ますます聖女には手を出し辛くなることは必至だろう。元々彼女を殺すつもりはないが、いざという選択肢は残しておきたかった。だがセイロほどの実力者が来たのならばその選択肢は実質的に消失したも同様だ。

「ま、マイラ様、フィデス様、大丈夫ですか!」

 さっとマイラとフィデスの前に立ち塞がるメイだったが、いくら体術の嗜みがあるメイドといえど相手が悪い。戦闘になったとしても数秒と持たないだろう。

「大丈夫よ、メイ。その方からは敵意を感じないわ」

 なので一旦メイを下がらせることにする。

「し、しかし」

「いいの。それにフィデスさんを守ってくださるというのでしょう。これ以上無い申し出です」

 にこりと、セイロに向かって微笑んでみせる。

「ああ、その通りだ。もちろんここは女性の部屋だからな、常に居るわけにはいかない。だが、部屋の構造と、何より守るべき対象を見ておきたかった」

 じっと、セイロの目がフィデスを睨める。

「ひっ」

「女性に失礼ですよ!」

 その視線に割って入って、メイは両手を広げてフィデスを庇う。

「すまなかった。それに大体分かった。すぐに仕事を始めるとしよう」

 男はそれだけ言い残し、部屋を出て行った。

「お、お前、ちょっと待て……ま、待て、まままっ、うわぁ!」

 兵士が男を止めようとするが、全く意にも介さずずかずかと廊下を歩いていくものだから、兵士はバランスを崩して転げてしまう。

「あ、あの方、何だったのでしょう」

「フィデスさんの頼れる護衛なのでしょう。あの言葉を信じるならば、ね」

「で、でも、ここには他の兵士さんもいますし、何より王城ですし」

「もしかしたら何かがあるのかもしれないわね」

「何か、ですか」

 聞き返してくるフィデスに背を向けて、マイラは崩れそうになる自分の顔を軽く叩く。

(セイロ……恐らく最強の武術使い……場合によってはアズヴァルドより厄介かもしれない……)

 それでも、それでもだ。

(ターゲットが向こうからやってきたー!)

 手詰まり感のあった圧迫から解放されたマイラは、爽やかな笑顔を向けながらセイロを迎え入れるのだった。

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