第2話


 その日、今年も美しい薔薇が咲き誇る女王の庭にアミアは茶席を用意させていた。


 今日は午前中リュティスの奥館に魔術を習いに行っていたメリクと彼の師を、そこに招いていたのである。

 柔らかな香りをたてる紅茶を優雅に飲んでいたアミアは、やがて向こうの方からリュティスが、いつものように術衣のフードを深く頭から被った姿で歩いて来るのを見つけた。


 その後ろをくっついて歩いて来るメリクは、いつもならしきりにリュティスの周りを嬉しそうにうろうろしながら彼の顔を見上げ、何かを話しかけているのだが今日は後ろから黙って歩いて来ている。

 話しかけているメリクと、全くそれに応じようとせず無視を決め込んでいるリュティスの姿は二人が真面目にそうしている分、遠目に面白くてアミアは好きなのだが、今日は何やら様子が違う。


 あら? と思っているうちにリュティスはやって来て、アミアと向かい合う椅子に座ると足を組んでいつもの不遜な態度で紅茶に手を伸ばした。


「……」


 メリクに眼をやると彼は心持ち視線を俯かせたまま、こちらもアミアの隣に座り、元気の無い様子で紅茶のカップに手を伸ばした。

「……。」

「……。」

「…………。」


 そよそよ……と風だけは穏やかに庭園に流れている。


「ちょっと!」


 アミアが沈黙に耐えかねて口元を引きつらせながら声を発した。

「何なのよ貴方たちその重い空気は! やめてよねっ」

「……」

 例によってリュティスはアミアのことも無視をした。

 公の場では「女王陛下」などと口にしても、この男が全くアミアを王として敬ってないことくらい、簡単に伝わって来る。

 アミアは別にリュティスに敬われたいなどとは思っていないのでそれは全くどうでもよかったが。


「リュティス! あんたはともかく何でこの子がこんな暗いのよ!」

「……。」


 メリクは基本的に大人しい子供だ。

 でもどうやらリュティスのことは慕っているようで、彼に魔術を教えてもらえるようになったときは嬉しそうだったし、リュティスの側にいるとニコニコしている。


 現時点でも何度かアミアはリュティスから、メリクのことをうるさい子供だなんとかしろと注意されているのだが、メリクがうるさい子供などとはとんでもないと思ったのでそんな抗議、無視してやっている。

 リュティスは気に食わない相手には誰に対しても「うるさい」などと言う男なのである。


 メリクは同じ年頃の少年達のように声を上げて駆け回るでもなく、騒ぎを起こすことも無く、忙しいアミアの手を煩わせることも無い子供だった。

 もともとリュティスが特異に静かな環境で生きて来た節があるので、アミアはきっとメリクが声を発さずに側にいても、この義弟はうるさいと口にするのだろうと思って、彼の苦情は真面目に取り合っていない。


 メリクがリュティスの側で押し黙っている時は、決まって厳しくリュティスに叱責された時なのだ。


「どうせまたいつもの調子で叱り飛ばしたんでしょ。もー! 相手は子供なんだからちょっとくらい手加減してよね」


 アミアは呆れ顔だ。

 もちろんリュティスに「子供だから優しくしてあげる」などという芸当が出来ないことは分かっているのだが。

 涼しい顔で眼を閉じているリュティスにはもはや何を言っても無駄だと悟り、アミアはメリクの方を励ますことにした。


「ほらどうしたのよメリク。いつもの元気は?」


 柔らかい彼の栗色の髪を撫でて優しい声をかけてやると、ひねくれているリュティスとは異なりこっちは素直に反応があった。翡翠の瞳がアミアを見上げる。

「リュティスに叱られたの? まぁそんなに落ち込まないことよ。リュティスは普段からこういう恐い顔だから。別にあなただけに厳しいわけじゃないからね。私なんてこいつにしょっちゅう怒鳴られてるけど、全然気にしないことにしてるわ!」


 本人を前に無遠慮にアミアがリュティスを指差している。

 しかしメリクはしゅんとした様子で首を振っている。


「あらそのことじゃないの? じゃ、どうしたっていうのよ」

「……ぼく、……魔法が使えなくて」

 小さい声でメリクが言った。

「は?」

 メリクがそのまままた俯いてしまったのでアミアは説明を求めて対面のリュティスを見る。

 しかし涼しい顔でそっぽを向いているリュティスが全くこっちを見ようとしないので、アミアはテーブルの下からリュティスを蹴った。

 サンゴール広しと言えども内外に『恐るべき』と形容される魔術師のリュティスに躊躇いなく蹴りを入れられる女性など、アミアカルバ以外には存在しない。


「……貴様今この私に蹴りを入れたな」


 さすがにムッとした様子でリュティスがアミアを睨みつけたが、彼の【魔眼まがん】などものともせずアミアはリュティスを堂々と睨み返して来る。


「あんたがちゃんとこっち見ないからでしょーが! 

 それになによ! この子は魔法なんか今までに使った事無いんだから、そういうの教えるのが貴方の役目でしょう、こら!」


 アミアがリュティスを責めるので、メリクは驚いて首を振った。


「あの、違うんです、リュティスさまは魔法のこといっぱい教えて下さいます。ぼくが……」



「――こいつは魔法構成の原理を全く体現出来ていない」



 ようやくリュティスが口を開いた。

「ん? なぁにその魔法構成の原理って」

 アミアが普通に小首を傾げたのでリュティスは額に青筋を立てた。


「魔法を構成する為の三原則。

 魔力の昇華、構成、調整。

 そんなことも知らずに貴様今まで生きて来たのか、死んでしまえ」


「え~? そうだったかしら。

(詠唱を)噛まない変えないとちらないじゃなかったかしら」


「だからアリステアは知恵に見放された野蛮の土地と言われるんだ」

 リュティスの毒舌もアミアは全く気にしていない。


「でも私そんなのあんまり気にしないで魔法使ってるわよ?」


 メリクはアミアを見上げた。

「サンゴールに来るまで魔法なんかロクに使った事無かったのよね。でもなんかそんな深く考え込まなくてもちょちょいと使えるようになったわよ?」

 確かにアミアはそれほど魔力は強くもないのだが、魔法自体はすぐに使えるようになった。

 私でも出来たんだからメリクもすぐに使えるようになるわよと気楽に言っているアミアを、リュティスは向かいから分からん奴めという表情で睨んでいる。


 ……アミアとメリクでは物事の捉え方が百八十度違うのだ。


 アミアは理論なんてあとでついて来い! というような考え方を持っているところがあった。 

 それで大抵のことは本当にこなしてしまうのだから、元来器用な性格なのだろうが、それ以上に深く考え込むことのない性格が、上手い具合に魔術知識の難解な扉をすり抜けたのだろうとリュティスは見ている。


 しかしこういう場合魔法はとりあえず使えるようになっても、アミアの様な人間は魔術師として知恵や能力を深めて行くことは出来ないだろう。決して大成はしない。


 魔術は知識なのである。

 そして魔法を使うということは鍛錬なのだった。


 確かに魔法を構成する段階で躓き、そのまま魔術師になることを放棄する人間はいるだろうが、分からなかったり何故だと思う人間の方が、潜在的な魔術師としての素質は高いのである。

 


(そういう人間は『掴む』と一気に化ける)



 リュティスの見た所では、メリクは何事にも細かい性格をしていた。

 特に知識の記憶や勉強に関して、その傾向が顕著に顕われるらしい。


 リュティス自身も決してそんな大雑把な性格ではないのだが、魔術に関しては物心つく前にすでにある程度の扉は開いていたし、サンゴールの国柄から言っても魔術に触れることが、それほど異質な感覚は味わったことが無かった。


 メリクにとってはその異質さこそを強く意識している為に、いまいち魔力というものの全体像を把握しかねているのだろう。

 メリクは自分の中の魔力というものを全く感じ取ることが出来ていないようだった。

 呪文に関しては全く問題なく次々と覚えて行っているのだが、呪文を魔力と結びつけ魔法に昇華するという過程がごっそりと抜け落ちている。

 そのことはメリクにとって強いジレンマになっているようだった。


 魔力の感じ方は術師それぞれと言われている。


 なんせ普通は眼に見えるものではない。

 熟練の術師ならばそれを離れていても感じ取れるものなのだが、魔術に触れたことの無い人間にとってはそもそも魔力というもの自体を捉えることこそが困難なのだった。


 そう考えるとメリクの悩みはさほど珍しいものでもない。

 

 リュティスはメリクの魔才を出会っている時にすでに見抜いている。

 だから魔力の昇華に関しても、そのうち自然と理解するようになるのだろうと特に何も言わず放っておいたのだが、メリクは最近になってやけにそのことを意識し、焦っていることが多い。


「アミア様は、魔力を高めたり……外界の精霊を感じ取ったり……それはどんな風な感覚なのですか?」


「そんなに難しく考えた事無いわよ。

 いい、メリク。まずは自分が魔法を使えると思い込むことよ。

 自分は世界一の魔術師だ! と思うの。

 次にこれから魔法を使うぞーって気を高めて、

 それから何でもいいからこう、

 大気の精霊集まれ~! って叫ぶのよ」


「……なんという頭の悪い講義をするんだ貴様……そもそも大気の精霊などという精霊はいない。お前は二度と公の場で魔術を語るな。魔術大国サンゴールの恥だ」

 こいつのお守りなどアミアに任せておくかという顔で紅茶を飲んでいたリュティスだが、アミアの言葉に耐えかねたように口を出して来た。


「うるさいわねリュティス! 子供にも分かりやすいように噛み砕いて表現しただけよっ」


「この馬鹿の話に耳を貸すと、お前も馬鹿になるぞメリク」

「ほっほ~ん? じゃあサンゴール最高の魔術師であるリュティス第二王子殿下様は、どんな感覚で魔力を感じ取っていらっしゃるんでしょうかねぇ~~~」


 メリクも、これには興味深そうにリュティスの方をじっと見つめている。


「……。……熱だ」


 また無視するのかと思ったら、意外にもリュティスは答えて来た。

「それって魔力を高めた時や魔力を感じ取る時は、あんたは熱を感じるってこと?」

「……ああ」

 アミアは頬杖をつく。

「へぇ~そうなの。やっぱり貴方の場合、瞳が魔力の表層元になってるのと関係あるのかしら? そういえば小さい頃貴方魔法を使ったあとはよく眼を痛めてたって聞いたわ、グインエルに」


 リュティスは不機嫌そうな顔だったが黙ってそれを聞いている。

 本人を目の前にしても恐れも無く【魔眼】の話題を口に出すのは、サンゴールにおいてアミアくらいのものである。


 確かに今よりもリュティスが魔力の扱いが拙かった頃、魔力を高めるとリュティスの瞳は熱を宿して、もっとひどくなると焼ける様な痛みを感じることがよくあった。


「そういえば昔グインが言ってたわ。自分には魔力の才は全く無いけど、リュティスの側にいると魔力というものを近くに感じることがあるって」


 リュティスが一瞬、アミアの方を見た。

 アミアは笑顔でそのリュティスを見返し、そのままメリクの方を覗き込む。

「だから大丈夫よメリク。貴方にはリュティスがついているんだから。焦らないでもそのうち不意に魔術なんか使えるようになるわよ。ゆっくり勉強しなさい」

 メリクは「はい」と頷いた。



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