最終章:育つということ

最終話 一年という時間(アレンとエルゼ)



 春、再び。


 アルカナの家には、新しい風が吹いていた。

 古い椅子のきしみさえ、どこか懐かしく、今では音の一つ一つに意味があるように思える。


 新たに迎えた小さな命が、また扉を開けた。


 僕はその姿に、ふと一年前の風景を重ねていた。


 


 ■ ■ ■(アレン)


 あの日、不安げに門をくぐった子どもが、

 今では“迎える側”として、手を伸ばしている。


 ほんの一年。

 でも、子どもにとっての一年は、まるで人生の半分ほどの重みがある。


 「できなかった」が「できる」に変わる。

 「わからなかった」が「話せる」に変わる。

 「怖い」が「守ってあげたい」に変わる。


 子どもたちのその変化は、確実に僕の心も動かしていた。


 僕は、大人になったのかもしれない。

 いや、ようやく“育てられた”のかもしれない。


 


 ■ ■ ■(エルゼ・リュディナ)


 小高い丘の上から、私は静かにアルカナの家を見下ろしていた。


 春霞に包まれたその家には、かつて拾い上げたあの少年——アレンがいた。


 理不尽な家に生まれ、心を閉ざしていた子。

 目を合わせることさえ恐れていた日々を、私はよく覚えている。


 あの子が、こんなにも多くの命と向き合っている。

 やさしく、でも強く。


 それだけで、私は十分だった。


 


 ■ ■ ■


 あの日、火のそばで震えるアレンに私はこう言った。


 「世界を信じなくてもいい。けれど、お前は信じていい。何かを育てるということは、自分を育てなおすことだ」


 ——あの言葉の意味を、今ようやく噛み締めているのは、きっと私の方だ。


 アレン。

 お前は、もう大丈夫だね。


 


——モノローグ(アレン)——

 子どもを育てているつもりが、実は僕自身が育てられていた。


 怒り、戸惑い、悩み、笑い合い、泣いて——

 すべてがこの場所に詰まっていた。


 この一年という時間が、何よりも重く、何よりも温かい。


 僕はこれからも、誰かの最初の居場所であり続けたい。


 名前を呼ばれなくなっても。忘れられても。

 ここで過ごした日々だけは、僕が忘れない。



——モノローグ(エルゼ)——

 「育てる」とは、指導でも命令でもない。


 それは、寄り添い、見守り、最後まで手放す覚悟を持つこと。


 アレン、お前は誰よりも、その意味を知っている。


 だからこそ、私はもう——誇らしく背を向けることができる。



終幕

 こうして、またひとつの春が来る。

 また誰かが笑い、誰かが泣き、そしてきっと、誰かが育つ。


 この家は、今日も変わらずそこにある。


 名もなき子どもたちが、自分の名前を取り戻すまで——。

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