第5話 国守からの求婚(2)

 家族も是長も庭に控える従者も全ていなくなり、祥子は喬任と二人きりになった。完全に人の気配が消えたところで祥子はやおら口を開く。


「国守殿、これはどういうことでしょう? あの短い時間で見初められたと思うほど、私はうぬぼれておりません」

「それはそれでご自身の評価が低すぎます。姫は魅力的ですよ」

「ふざけないでちゃんと説明をしてください。また来るとはお聞きしましたが、求婚に来るとは聞いておりません。しかも伯父上にまで手を回すなんて──」


 あまりに一方的な求婚を非難すれば、喬任が気まずそうな顔をした。

 ふむ、それなりに悪いと思っているらしい。


「どうしていきなり私に求婚を?」

「姫は安岐の話を興味深く聞いてくださいました。そんな姫であれば、一緒に安岐に来てくださるのではないかと思ったのです」

「まるで、最初から安岐に来てくれる女性を探していたみたいな口ぶりですね」

「そのとおりです。正確には──宮家の姫を探しておりました」

「……それは、皇族の血筋が欲しいという意味?」


 率直に話してくれるのはいいが、「宮家の姫を探していた」という言葉に少なからず祥子は傷つく。なぜならそれは、自分自身が評価された言葉ではないからだ。

 やや険のある眼差しを喬任に向ければ、彼は神妙な面持ちで頷き返した。


「今回、私が都に来た理由の一つです。宮家の姫を妻として安岐にお迎えしたく、何か方策はないかと探っておりました。いや、妻と言ってもただの飾りでいいのです。宮家の姫君と私が本当の夫婦になれるなんてありえないことは分かっています。だから私の隣に立ってもらえればそれでいい」

「ただの飾り、」


 話の流れからある程度予想される言葉ではあったが、面と向かって言われると胸にぐさりと刺さる。祥子は湧き上がる怒りを抑え、喬任に尋ねた。


「理由を聞きいても?」

「はい。まずは、私自身の結婚を誤魔化すためです。国守という立場上、安岐の有力者たちから娘を伴侶としてすすめられ困っております」

「どなたか一人を選べば済む話でしょう?」

「誰か一人を選んでも、難癖をつけてもう一人となります。しかも女は嫉妬深く、何かと面倒です。例えば、このように都に長期滞在すれば、都に女がいるのかと疑われます。屋敷で若い侍女に着替えを頼めば、どうして私でないのかと喧嘩になります。煩わしいことこの上ない」


 女に対しずいぶんな言い様だ。ちょっと反論したいところであるが、本題ではないので祥子はひとまず黙る。ともかく喬任が女性に全く困っていない……いや、それなりに困っていることがうかがえる。


「それで私を妻に?」

「都から高貴な姫君を妻として迎えれば、さすがに誰もが黙りましょう。それに、姫は安岐のことに興味があるのであって私ではない」


 気持ちがいいほどあっけらかんと言われ、今度は猛烈に反論したくなる。が、やはり本題ではないので、ぐっと堪える。

 しかしこれで喬任の気持ちがはっきりした。つまり彼は、自身の結婚を誤魔化すために、惚れそうにない都合のいい女として祥子を選んだのだ。

(彼にとっては職人を呼び寄せることと変わらないのね)

 どうりで物量作戦に打って出るわけだ。庭に積まれた貢ぎ物は、ある意味、祥子に対する正当な評価だと考えてもいい。

 ただ、それでも不明な点が一つある。


「でも、それなら公卿家でもいいはずです。わざわざ宮家にこだわる理由が分かりません」


 すると、喬任が急に顔を強張らせて押し黙った。そして歯切れ悪く祥子に告げる。


「……それは、今ここで言えません」

「なぜ?」

「その理由を含め、安岐に着いたら話します」


 拒絶に近い一方的な言葉。しかし、直感的にそれが本当の、そして最大の理由であると祥子は感じた。

(ずいぶんと勝手な話ね……)

 祥子は庭に積まれた貢ぎ物を眺めながら思案する。遠くでは職人が作業を始めたのか、何かを打ちつける音がした。

 落ちぶれた宮家にくる縁談など、所詮はこんなものだろう。むしろ、今までの苦しい生活を考えるなら、喬任の申し出は願ってもない話だ。

 にも関わらず、恨めしい気持ちになるは、ほんの少し喬任のことが気になり始めていたから。あの短く感じた帰り道、彼のような人となら楽しい時が過ごせると錯覚してしまったから。

 まだ始まってもいない相手に何を夢見ていたのだろうか。

 そんな祥子の気持ちを逆なでするように喬任が真剣な顔で言葉を続ける。


「決して不自由な思いはさせません。必要なものは全て揃えます。もちろん、六ノ宮家へも安岐の品々を季節ごとに送りましょう。無理は承知のうえ、姫の人となりを信じてお頼みしております」

「人となりを信じてって……なによ、それ」


 祥子は思わず吐き捨てる。

 だってそうだろう。周到に是長に手を回し、お飾りの妻だなんて勝手なことを言い、最後は信じていると情に訴えてくるなんて──。

 わざと? それとも大真面目? いずれにせよ、相当たちが悪い。その証拠に、今の喬任の言葉に大きく揺らいでしまっている自分がいる。


「……国守殿は卑怯だわ」

「私に対する批判は甘んじて受けましょう。しかし安岐のため、どうしても姫が必要なのです」

「宮家の姫が、でしょう?」


 本当になによ、と祥子は思う。

 微妙に噛み合わない会話、今さらな口説き文句。けれど、喬任の真剣な目にほだされそうになる。

 深呼吸を一つ、祥子は乱れた気持ちを整えた。そして、喬任に対するいっさいがっさいの感情を心の奥に押し込める。


「国守殿の言い分は分かりました。私は安岐に参ります」

「本当ですか?」

「伯父上を通しての縁談です。どちらにしても断れませんもの」


 投げやり気味に答え、遠慮なくため息をつく。そして居住まいを正して喬任に答える。


「お飾りの妻であることも理解しました。宮家の娘として、求められた役割を粛々と果たしましょう。他の女に嫉妬することも、張り合うこともいたしません」


 そう、これは形ばかりの結婚。

 だからこそ、お互いに過ごしやすいよう、勘違いをしないよう、何より傷つかないよう間違えてはならない。

 とは言え、言われっぱなしは腹が立つ。祥子はあえて不遜な顔を喬任に向けた。


「ご安心ください。国守殿には絶対に惚れません。ですから、国守殿も万が一にも私に惚れないようお願いいたします。この結婚は愛情がないからこそ成り立つもの、どちらかが惚れたらそこでお終いにございます。努々ゆめゆめお忘れなきよう」


 平手打ちのようなきつい一言を放てば、喬任がほんの一瞬だけ顔を強張らせ、それから戸惑いがちに視線をさ迷わせる。

 その様子は、まるで捕らえたひなに噛みつかれ、鷹が困っているよう。

 何を今さら。愛情のない結婚を言い出したのはそっちじゃないか。


「では、よろしくお願いいたします。安岐へと向かう日取りはそちらで決めてください。身一つで良いとのことですし、持っていく物もないですし、私はいつでもかまいません」


 最後は冷めた笑顔で締めくくり、祥子は毅然と立ち上がった。

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