女魔王と旅館経営~世界樹の中に作った異世界温泉旅館で、濃い仲間たちと共にクセ強お客さんの悩みを解決する話~
女魔王と旅館経営~世界樹の中に作った異世界温泉旅館で、濃い仲間たちと共にクセ強お客さんの悩みを解決する話~
女魔王と旅館経営~世界樹の中に作った異世界温泉旅館で、濃い仲間たちと共にクセ強お客さんの悩みを解決する話~
お餅ミトコンドリア@悪役ムーブ下手が転生
女魔王と旅館経営~世界樹の中に作った異世界温泉旅館で、濃い仲間たちと共にクセ強お客さんの悩みを解決する話~
「おい、大丈夫か? 城を壊しちゃって、ごめんな」
満月が照らす中、突如現れたのは、荘厳な漆黒の城だった。
どうやら認識阻害魔法と不可触魔法が掛けられていたらしいそれを、問答無用で巨大な蠢く根っ子により上から貫き破壊してしまったのは、俺が固有スキルで生み出した世界樹。
その枝の上から俺は覗き込み、声を掛ける。
見ると、大破した城内にて、主らしき妙齢で長い金髪碧眼の美しき女性モンスターが、鯉のように口をパクパクさせながらこちらを見上げていた。
「な……!? 馬鹿なっ! き、貴様は一体……!?」
可愛らしいピンクの寝間着姿の彼女が、世界樹の根っ子によって左半分を貫かれたベッドの上で、その豊かな胸と格好良い声を震わせる。
どうやら、就寝中だったらしい。
「起こしちゃって悪かったな、魔王」
「! 何故我が魔王だと分かった!?」
「いや、だって書いてあるし。パジャマに」
「あっ!」
「それとも、名前の方が良かったか? 良い名前だな、デレカ」
「ひゃあああん!」
「え? ひゃあああん?」
女性にしては低いイケボが、一瞬で可憐な悲鳴に変わる。
寝間着の胸部分に書かれていた魔王デレカという文言を口に出しただけなのだが、いけなかったのだろうか?
「くっ! 我の真名まで知られてしまうとは、不覚……!」
頬が紅潮、眉根を寄せ唇を噛みながら、涙を浮かべる魔王。
まるで人間の女性のような反応だが、二本の角、牙、その背には腰辺りから生えた一対の漆黒の翼、スペード形の黒尻尾を持っているところを見るに、立派なモンスターだ。
「いや、今はそれよりも! それ以上我を見るな!」
顔を両手で隠し、魔王が俺の視線から逃れようとする。
「え? 何でだ?」
「何でって、見れば分かるだろう! 我のこの癖っ毛と、酷い寝癖を! それに、我は名が書いてある寝間着姿であり、更に言えば、スッピンなのだぞ! 恥ずかしいに決まっているだろうが!」
手で覆いながら顔を逸らす魔王に、俺は首を傾げた。
「別に見られても良いじゃん。だって、そのパジャマ、可愛いし」
「か、可愛い!?」
「スッピンだって分からないくらい、スゲー美人だし」
「び、美人!?」
「ウェーブ掛かった髪も良く似合ってるし」
「に、似合ってる!?」
「寝癖だって、お前のような美人はどんな状態でも美人だから、大丈夫だ」
「なっ!!??」
魔王が目を見開き、その尖った耳の先まで真っ赤に染まる。
ん?
体調でも悪いのか?
俺が城を壊したせいか。
やっぱりパジャマ姿で夜風に当たるのは、良くないな。
「なぁ、魔王」
「ひゃいっ!」
「え? ひゃい?」
「い、いや、何でもない。話を続けろ」
「悪いが、もう魔王城には住めないと思う。そこで、良かったら、俺と一緒に温泉旅館を経営してくれないか?」
「なっ!? 『俺と一緒に、温泉旅館で結婚してくれないか?』だと!?」
「いや、言ってない」
「……分かっている! 冗談に決まっているだろうが!」
「で、どうだ? この世界樹は俺の固有スキルで出したものだ。この世界樹のやたら太い幹の中に、いくつも部屋を作って、温泉旅館にする。そこで働いてくれないか?
もちろん、給料は出す。一ヶ月ごとに金貨十枚払う。それに、一日三食美味い食事が食べられて、温かい寝床も確保出来る。どうだ?」
我ながら、悪くない条件だと思う。
ちなみに、異世界の貨幣価値だが、金貨十枚は日本円で百万円くらいだ。
「乗った!」
「はやっ」
魔王は即決だった。
枝から根っ子を伝って魔王城内へと降り立った俺が、手を差し出す。
「ありがとう。俺はメグルだ。これから宜しくな、魔王」
「こちらこそ宜しく頼む、メグル」
先程と違い、胸を張り、ウェーブの掛かった綺麗な髪を悠然と風になびかせながら、魔王は俺の手を握った。
※―※―※
「実は、我は少々引きこもっていた。千年ほど」
「いや、千年を少々て」
さすが魔王。スケールが違う。
今俺たちが喋っているのは、世界樹の枝の上だ。
完全に崩壊した魔王城を眼下に見ながら、魔王がポツリと漏らしたのが、先程の言葉だった。
ちなみに、引きこもったきっかけについては、話したくなさそうだったので、それ以上は聞かなかった。
「だが、案ずるな。引きこもりではあったが、ここで働く以上、必ず貴様の役に立ってみせよう。我は腐っても魔王。様々な魔法を使える。しかも、膨大な魔力量を誇るからな」
「それは頼もしい。頼りにしてるぞ」
あと、先刻までと違って、魔王は漆黒の衣装に身を包んでいる。
魔法で自由に服装を変えられるらしい。便利なもんだ。
俺は、「まずは、幹の中に温泉旅館を作らないとな」と言いながら、世界樹の幹に近付き、手を触れる。
「どうやってやるんだ? 魔法か?」
「いや、俺は魔法は使えない。だから、固有スキルを使うんだ。ちなみに、こことは違う世界で死んだ俺が、転生する際に女神からもらったものなんだが」
「サラッと重要な事を言ったな、貴様」
俺が、「『ウインドウ』」と呟くと、世界樹の幹に、四角い画面のような物が浮かび上がった。まるで血管のように。
少し気持ち悪いが、これがウインドウだ。
ちゃんと光り輝いており、今みたいに夜間でも見ることが出来る。
俺が具体的な旅館作成方法を説明する前に、ウインドウを興味深そうに見ていた魔王が、ふと左に目を向けて、声を上げる。
「おわっ! 敵か!?」
突如ウインドウの横――幹から生えてきた真っ赤な口に対して、魔王が身構える。
「いや、そいつは、この世界樹の分身体だ。名前はユドル。見た目と性格と口は悪いが、害は無い」
鋭い無数の牙を持ち涎よだれを垂らす口に向かって今にも攻撃魔法を放ちそうな魔王を、俺は手で制した。
「てめぇ、喧嘩売ってるドル!? ユドルは、見た目も性格も口調も最高ドル! 分かったら反省して今すぐ死ねドル!」
「……なるほど」
ロリ声だが、ひどい暴言。
俺の言わんとすることを分かってくれたようで、魔王が神妙に頷く。
「でまぁ、ユドルは一旦放っておいて」
「放っておくなドル! ぶっ殺すドル!」
「よし、<メニュー>、と」
ウインドウの右上にある<メニュー>という文字をタップする。
すると、画面が切り替わった。
<メニュー>
客室(トイレ、洗面所あり):一部屋につき金貨一枚
従業員用の休憩室:金貨一枚
従業員用の宿泊室(四人用。トイレ、洗面所あり):(男性用女性用それぞれ)金貨一枚
玄関・フロント・ロビー・廊下:まとめて金貨一枚
客・従業員共同用トイレ(客室外にある):金貨一枚
厨房:金貨一枚
露天風呂(温泉):(男性用女性用それぞれ)金貨一枚
食堂:金貨一枚
「魔王、悪いが金かねを持っていないか? ユドルに食わせれば、部屋とかを作れるんだ。俺の財布に入っていた異世界の金も一応使えたんだけど、ユドルを成長させるためにだけ食わせて、ほとんど使っちゃってさ」
ヒモ男ムーブ丸出しだったが。
「何だ、そんな事か。我に任せよ!」
魔王は、ちょろかった。
「とは言ったものの、我もずっと引きこもっていたからな。……これは使えるか?」
魔王が眼下に手を翳すと、魔王城の瓦礫の中から、スーッと光に包まれた何かが浮き上がって来た。
魔王の手中に乗ったそれは、小さな宝箱だった。
開けると、そこには、古びた金貨が一枚入っていた。
「ありがとう。試してみよう」
魔王から受け取った古い金貨を、ユドルに食わせてみる。
「珍味ドル! 珍味ドル珍味ドル!」
どうやら、お気に召したようだ。
「よし、早速部屋を作ろう」
一枚とはいえ、金貨だしな。一部屋くらいは作れるだろう。
改めてメニューを見てみる。
ちなみに、ここに表示されている値段は、あくまでユドルに部屋を作らせるために必要な金額であり、一般的な建築費用とは異なる。
「何はともあれ、まずはトイレだな……って、え?」
俺はあることに気付いた。
「全部タップ出来るようになっているじゃないか。しかも、一枚だったはずなのに、金貨十枚分?」
「ハッ! レア金貨だったから、オマケしてやったドル! 勇者に比べれば、てめぇは大分マシだからドル! あと、残念ながらてめぇには借りがあるからドル! でも、取り敢えずはこのユドル様に感謝して、その何も入って無さそうな頭を地面に擦り付けるドル!」
相変わらず口が悪いが、どうやらユドルは、余程古の金貨が気に入ったらしい。
俺は、ウインドウに表示されているメニューの全選択をタップし、更に従業員用の宿泊室と露天風呂を男女別で一つずつ指定して、購入を押した。
「おおっ」
「幹の中に旅館が!」
恐ろしく太い幹の内部が蠢いて、瞬く間に温泉旅館が形作られた。
ザ・旅館といった風情の、どこか懐かしい温もりを感じさせる木造の日本家屋だ。
入口には温泉旅館 世界樹という看板もある。
「階段と瓦礫撤去はサービスドル! 感謝して五体投地するドル!」
ユドルの声に反応して後ろを振り返ると、地上に向けて長い階段が出来上がっていた。
更に、左斜め下を見ると、魔王城の瓦礫が全て消えている。
「早速、中に入ろう」
温泉旅館の中に入ると、落ち着いて格調高い雰囲気のフロントが迎える。
「ここで靴を脱いでくれ。この温泉旅館内は、土足厳禁なんだ」
「ふ、服を脱ぐだと!?」
「靴は、靴箱に入れるか、靴箱に備え付けてある革袋を一枚取って、その中に入れて自分の部屋まで持って行くんだ。まぁ、俺を含めて従業員は、基本的に全員、従業員用の宿泊室へと持って行くことになる。この靴箱は客用だからな」
魔王のボケを華麗にかわしながら、説明をする。
革袋に靴を入れた俺と魔王は、用意してあるスリッパに履き替えて、旅館の奥へと入っていく。
「うん、思い描いた通りだ」
趣味の温泉旅館巡りが好き過ぎて、持病が悪化した後も続け、収入が無くなると趣味を続けられなくなるからと、仕事もやり続けて、無理が祟って二十八歳で倒れて死んだ俺。
そんな俺が、常日頃、脳内で思い描いていた通りの、最高の温泉旅館がそこにはあった。
間取りも、大樹の中だからこそ味わえる究極の木の温もりと優しい匂いも、正に理想そのもの。
一旦、男女それぞれの従業員用の宿泊室に靴を置く。
「従業員用の宿泊室も客室も、部屋の中に入る時は、スリッパを脱いでくれ」
そして、まだ一部屋のみしかない客室に入ってみる。
旅館全体がそうなのだが、所々光るキノコが生えていて発光しているため、明るい。
客室には大きな光るキノコが天井から生えており、「オン」「オフ」と呟くだけで、その声に反応して、光がついたり消えたりする。
畳特有のい草の良い香りを楽しみつつ、テーブルと座椅子、奥のスペースにある小さなテーブルと椅子、更には窓を確認する。
「なかなかの景色ではないか!」
魔王が歓声を上げる。
どうやらここは、世界樹の幹の外皮に当たる部分らしく、窓の外には、月に照らされた外の景色が見える。
元々毒に汚染されていたこの辺り一帯は、俺が固有スキルでこの聖なる世界樹を生み出したことで、浄化された。
そんな訳で、毒のせいで大陸のどの国の領土にもなっていなかったこの土地を、各国の王に事前に許可を得た上で、俺が貰っておいたのだ。
ちなみに、この大陸は、大昔は超巨大大陸だったようだが、過去に何かがあって、大部分は海と化し、残った一割ほどが現在の大陸となったらしい。
話を戻すと、毒の代わりに今では、一瞬で出現した森がその緑を静かに主張している。
と同時に、ここは北向きの部屋であるため、世界樹が大陸最北部に位置することから、窓の外に海が見える。
※―※―※
「よし、じゃあ、集客の前に、まずは従業員を募集しよう」
従業員用の休憩室へと移動した俺は、テーブルの向かいに座る魔王に話し掛けた。
「従業員募集の方法だが――」
そこまで俺が話した所で。
ドーン
外から轟音が響いた。
「ん?」
「な、何だ!?」
※―※―※
急いで靴を持って来て、外に出ると。
「……はい?」
玄関の目の前――世界樹の枝にクレーターが出来ており、長い緑髪で緑色の服を身に|纏った、うら若き女性が、まるで一本の槍のような形で、クレーターの中心にその頭が埋まっていた。
「さすがは世界樹だな! こんな葉が生えて来るだなんて、魔王たる我ですら予想出来なかったぞ!」
「な訳あるか」
魔王に突っ込みつつ、世界樹の枝に頭から突き刺さった女性を俺が見守っていると。
「ッぷはぁ!」
ズボッと女性の頭が抜けた。
緑の長髪が良く似合う、顔立ちの整った美人だ。
だが。
ズボッ
「何でだよ」
四肢を地面につけた女性は、何故か再び、穴の中に頭を突っ込んだ。
そして。
「ああ! ユドル様! 三千年振りのユドル様! ユドル様の匂い! 感触! 体温! 舌触り! 堪らないですわあああああ! ペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ!」
「「………………」」
どうやら彼女は、ユドルに対して異常な程の愛情を持つ、これ以上ない残念美人――変態であるようだった。
「ヒィッ! キモいドル! 死ねドル!」
幹から巨大な口を生やしたユドルが、悲鳴を上げつつ別の枝を猛スピードで動かして、女性を攻撃する。
「魔王、動くな」
「え?」
巻き添えになってはいけないので、俺は魔王の前に立って、両手で庇った。
俺たちの眼前で、這いつくばったままの女性の身体に、巨大な枝が直撃する。
が。
「ドル!?」
女性は、ビクともしなかった。
「ああ! ユドル様が自ら私に触れて下さいましたわ! 何たる幸せ! ありがた過ぎて涎が出ますわああああ! ペロペロペロペロペロペロペロペロ!」
「ヒィッ!」
自分を攻撃した枝に抱き着いて大量の涎を撒き散らしながら舐め回す女性に、ユドルは悲鳴を上げ、枝を引き離した。
「あん! いけず、ですわ!」
人差し指を口許に当てる女性。
先程巨大な枝が高速で女性に直撃した瞬間、実は俺たちの方にも衝撃波が襲い掛かったのだが、俺に触れた瞬間にフッと消えた。
俺に庇われた魔王が、頬を赤らめながら、ポツリと呟く。
「……トゥンク。好きだ」
「ん? すき? まぁ、隙はあったかもな」
そもそも、ここは温泉旅館だ。
戦闘のための施設じゃないし、隙だらけなのはしょうがない。
「ちがあああう! そうじゃなくて、好き好き好きいいいいいい!」
何故か身体をくねらせながら叫び狂っている魔王は、放置するとして。
「『看破』」
俺は、世界樹の攻撃を受けて平然としている女性に対して、スキルを発動した。
固有スキル世界樹は、俺が転生する際に女神から貰った物だが、もう一つ貰ったスキルがあった。
それが相手のステータスや記憶を見抜くこの看破だ。
それによると。
「木の精霊……だからか」
目の前に佇むただの変態――もとい、ただの若い女性にしか見えない相手は、リアという名前で、木の精霊ドリアードであるようだ。
だから、持ち主であるが故に世界樹の攻撃が効かない俺と同じように、世界樹の力が通用しないんだろう。
どれだけ巨大だろうが、木は木だからな。
木の精霊とは、相性が悪過ぎる。
逆に、三千年前にユドルに告白して振られたが諦め切れず、三千年振りに復活したのを感じ取って、大急ぎでやって来たらしいリアは、目の前のクレーターのように、ユドルにダメージを負わせることが可能なようだ。
圧倒的な戦闘能力を誇る世界樹にとって、唯一の天敵と言えるだろう。
俺は、少し後ろに下がって、リアに対してドン引きして震えているユドルの口に、密かに話し掛けた。
「リアを、うちの従業員として雇おうと思う」
「本気ドル!? 絶対に嫌ドル! アイツを雇うくらいなら、アオムシに葉を
「世界最強の樹木にしちゃ、妄想する被害がショボ過ぎるだろ」
俺は、ユドルを何とかなだめようとした。
「まぁまぁ、良いじゃないか。金貨を滅茶苦茶たくさん食わせてやるからさ」
「金貨を滅茶苦茶たくさんドル!? 本当ドル?」
「ああ、本当だ。たらふく食わせてやる」
「だったら、我慢するドル!」
ユドルは単純だった。
恐ろしく巨大で年齢もかなりいっていそうだが、そのロリ声と同じく、精神年齢は幼女そのものだな。
あとは、リアを勧誘するだけだ。
精霊である彼女は色んな魔法を使えるだろうし、あの美貌はフロントにピッタリだし、暴走さえしなければ、ちゃんと接客出来そうだし、真面目に働いてくれそうだからな。うん、暴走さえしなければ。
この真面目に働いてくれそうって、全然当たり前じゃないからな。
真面目に働いてくれる従業員が、どれだけ貴重なことか。
「リア。話がある」
「あら、こんな所に人間がいたんですの。貴方は?」
「俺はメグル。この温泉旅館のオーナーであり、代表だ。単刀直入に言うが、うちの旅館で、住み込みで従業員として働いてくれないか? 給料は、月に金貨十枚だ」
「
リアが、ファサッと緑色の綺麗な長髪をかき上げ、顔を背ける。
いやいやいや。
先刻まで
「お前の目は節穴か? この温泉旅館は、一体どこにある?」
「一体どこにって、それは……」
怪訝な表情を浮かべたリアは、目を凝らした後。
「オホオオオオオオオオオオオオ!!!」
奇声を上げた。
「ま、ま、ま、まさか! ユドル様の中で働けるなんて!! 働きますわ! いいえ、是が非でも、ここで働かせてくださいまし!」
こうしてまた一人、新たな仲間がこの旅館に加わった。
「吐き気がするくらいキモいドル……でも、たらふく金貨を食べるためドル! 我慢するドル!」
ユドルの尊い犠牲のもとに、ではあったが。
※―※―※
「ぐへへ……ここがユドル様の中……じゅるり」
「言っておくが、接客中に涎垂らしたら、即刻クビにするからな」
「わ、分かっていますわ!」
リアを伴って従業員用の休憩室へと戻ってきた俺たちが、テーブルを挟んで座った直後。
ドーン
「またか」
またもや、外から轟音が聞こえた。
※―※―※
外に出てみると。
「余は、ただお主を料理して食べたいだけじゃ」
「そんなこと言われて、大人しく喰われる奴なんていないドル!」
白いコック帽を被り、両手に包丁を持った、ショートヘアも翼も爬虫類のような太い尻尾も服も全て燃えるような赤色の若い美女が、夜空を飛びながらユドルと戦っていた。
「死ねドル!」
ユドルが世界樹の巨大な枝を左右から猛スピードで動かし、まるで蚊を仕留めるがごとく、空中に浮かぶ女性を叩き潰さんとする。
しかし。
「この枝も、なかなか食い応えがありそうじゃな」
「!」
二つの枝は、見事に一刀両断されて落下。
どうやら、枝が触れる直前に、女性は両手の包丁を素早く振るっていたらしい。
勇者の
っていうか、最高硬度の癖に、さっきもド変態――もとい、リアの突撃によって、枝にクレーターが出来ていたけどな。
間違いなく異世界最強レベルの人材が立て続けに来てるんだが。
どうなってるんだ?
「
「いや、お前もさっき思いっきり傷付けてただろうが」
殺気立ち身体中から膨大な魔力を
「はうっ!
「気付いてなかったのかよ」
「こうなったら、せめてユドル様に、この首を差し出しますわ! どうぞこれで御勘弁を!」
つくづく面倒臭い女だなおい。
「メグル! コイツは我に任せろ! 貴様はあのドラゴン娘を何とかしろ!」
「ありがとう」
「え、お礼に結婚しよう? そ、そんな……まだ心の準備が……」
「お前も
右手を鋭い木製刃に変えて自身の喉元に突き刺そうとするリアの腕を、背後からガシッと掴んで防ぎつつ頬を朱に染める魔王。
そんな彼女に突っ込みつつ、俺は夜空を見上げる。
「『看破』」
空飛ぶ女性のステータスを盗み見ると、魔王が言った通り、彼女はドラゴン娘であり、しかも、とある特技を持っていることが分かった。
「まぁ、見た目通りっちゃ見た目通りだが……」
俺は、空中に静止するドラゴン娘に声を掛ける。
「クーク。俺の話を聞いてくれないか?」
「ほう。余の名を知っておるとはのう」
「俺はメグル。この温泉旅館世界樹の経営者だ。お前にこの旅館で、住み込みで料理人として働いて欲しい。給料として月に金貨十枚払う。どうだ?」
そこに、先程斬り落とされた二本の枝が何事も無かったかのように元に戻っているユドルから、待ったが掛かる。
「何考えてるドル!? さっきから変態ばっか雇おうとしてるドル!」
「優秀な人材を採ろうしているだけだ」
まぁ、変態という点は否定しないが。
「絶対嫌ドル! 断固拒否するドル!」
「まぁまぁ。金貨を大量に食わせてやるから」
「もう、それだけじゃ嫌ドル!」
先刻切ったカードは、もう使えないらしい。
仕方が無い。
頑ななユドルに対して、俺はもう一つの奥の手を財布から出す。
「これを食わせてやるよ」
「ま、まさか! こ、これは!? ドルドル!!!」
何ともややこしいが、それは、俺が前世で、死ぬ少し前に、何となく大手銀行で円を交換して入手した一ドル紙幣だった。
「珍味ドル! しかも美味いドル! しょうがないから変態ドラゴン娘を雇うのを許してやるドル! それにしても、この紙幣、美味い珍味ドル! 美味い珍味珍味ドル! 美味い珍珍ドル!」
「完全にアウトな食レポやめろ」
俺が巨大な口に突っ込んだ一ドル札の味にユドルが陥落した直後、クークが俺の目の前に舞い降りてきた。
「メグルとやら。お主はあまり美味くなさそうじゃのう。それに比べて、そちらの二人の
「頼むから初対面の相手を食おうとしないでくれ」
クークが持つ二本の包丁が満月の光を反射、俺は思わず身震いする。
「で、どうだ? 働いてくれないか?」
「お断りじゃ。余は、ただ世界樹を料理して食したいと思っておっただけじゃ。お主の旅館で働いたところで、余には何の利益もないからのう」
なかなか手強そうだ。
そこで俺は、クークが欲するものを提示することにした。
「働いてくれたら、世界樹の葉・幹の皮・世界樹の華などを無料で食べさせてやるぞ。どうだ?」
「乗ったのじゃ!」
前言撤回。
ドラゴン娘も、案外チョロかった。
※―※―※
旅館の従業員用の休憩室へと、今度は四人で戻ってきた。
ちなみに、先程自殺寸前だったリアだが、魔王が強引に旅館の中に再び入れると、すぐに元気になった。
「ああ! ユドル様の中! ユドル様に
という、身の毛もよだつ程のおぞましいコメントと共に。
テーブルにつくと、クークが身の上話をしてくれた。
「余は元々、他の追随を許さない程に不器用だったのじゃ。食べたはずのステーキが丸ごと残っていて、おかしいなと思って良く見たら、ステーキではなく、自分の左手を全てナイフで切って食べてしまっていたことに気付いた程に」
「それはもう病気だろ」
もしかしたら、ヤバい人物を採用してしまったかもしれない。
不器用過ぎて、ステーキと間違えて自分の左手を食べてしまったことがあるクーク。
っていうか、今眼前にいるクークは左手がちゃんとあるので、トカゲの尻尾みたいに、ドラゴン娘の手足は、失ってもまた生えてくるのだろうか?
「そんな余は、料理など全く出来なかったのじゃ。そもそも、興味も無かったからのう。じゃが、ある転生者の人間と知り合って、そやつが作った料理を食べたら、滅茶苦茶美味しくて、感動したのじゃ。それ以降、自分でも作ろうと試行錯誤して、二千年掛けて料理をマスターしたのじゃ」
「ながっ」
千年引きこもりとか二千年修業とか三千年振りに再会とか。
お前らみんな、スケールがでか過ぎだろ。
「最初に出会った転生者は、『あの仔牛たちは、全部牡だ』とやたらと指摘したり、『女将を呼べ!』が口癖の初老の男性だったのじゃ。その後も、この二千年で、様々な転生者たちに会ったのじゃ。
チュウカ料理を作る、ちょっと魔王っぽい名前の少年や、手足を使って、まるでナイフやフォークのような鋭い切れ味を持つ技を繰り出す青年や、やたら顎のでかい料理上手なパパ。
それに、美味い料理を食べさせることで相手の衣服を破る異能力を持った少年や、華麗にカレーを料理する青年、美味い料理を食べると『美味いぞ!』と叫びながら口から光線を吐く老人などにのう」
「料理作品の有名どころのキャラは大体会ってるんだな。ただ、主人公じゃないのも交じってるが。最初のは主人公じゃなくてその父親だし、最後のは主人公の肉親ですらないし」
いずれにせよ、クークの技術と知識は、十分のようだった。
※―※―※
一通り話を聞いた後。
グゥ
「あっ……」
魔王の腹が鳴った。
「我は魔王だからな。別に食事を取らなくとも、死ぬことは無い。事実、この千年間、ほとんど何も食べなかった。だが、貴様らが料理の話なんかするから、身体が反応してしまったではないか! そうだ! 貴様らのせいだ!」
真っ赤な顔で立ち上がり、ビシッと俺を指差す魔王。
ちょっと可愛い。
「そうだな。俺も腹が空いて来た。何か食べよう。クーク、早速で悪いが、料理してくれるか?」
「ああ、問題ないのじゃ。何を作ろうかのう?」
「刺身は作れるか?」
「誰に訊ねておるのじゃ? 余に作れない料理などないのじゃ」
このドラゴン娘、格好良いなおい。
「決まりだな。じゃあ、まずは食材を獲って来る。ちょっと待っててくれ。と言っても、俺一人じゃ無理があるから、魔王、力を貸してくれ」
「名字を変えてくれ? そんな、結婚だなんて……でも、どうしてもって言うなら……」
「取り敢えず言ってる意味が分からないが、さっさと漁に行くぞ」
また訳の分からない勘違いをしながら身体をくねらせる魔王と共に、俺は北の海へと飛んだ。
※―※―※
「て、手を握るだなんて……! こんなのデートじゃないか!」
「いや、あくまで飛ぶためだからな。っていうか、飛行魔法って、手を握る必要があるんだな。知らなかった」
どうやら飛行魔法で共に飛ぶには、身体の一部に接触している必要があるらしく、魔王と俺は手を繋いで、世界樹のすぐ北にある海へと飛翔した。
「本当は触れる必要なんて無いけど、我が触れていたいから――」
「ん? 何て?」
「な、何でもない!」
夜空を飛んだ俺たちは、すぐに沿岸上空へと辿り着いた。
静止しながら、眼下を見下ろす。
「適当に魚を何匹か獲れるか? 取り敢えず、今夜の俺たち全員分の食事が出来るくらいの量を。あと、出来れば周囲の海水も一緒に取って、海水ごと持ち帰りたい」
「分かった! 我に任せよ! はぁ!」
俺と繋いでいない方の手を翳すと、ザパァッという音と共に、海中から何匹もの魚が、周囲の海水ごと浮き上がって来た。
世界樹が近くに出現した影響か、遠洋漁業でしか獲れないはずの魚も交じっている。
「おお、すごいな。さすが魔王だ」
「フフフ……そうだろうそうだろう」
空中で豊かな胸を張りつつ、魔王がドヤ顔を浮かべる。
「よし、帰ろう」
「ああ、任せよ!」
※―※―※
旅館に戻ってきた後、魔王が海水ごと捕まえた魚たちを、厨房にある大きめの水槽へと入れた。
「じゃあ、クーク。早速調理を頼めるか?」
「心得たのじゃ」
厨房内は、現代日本のような、近代的なものとなっており、蛇口をひねれば水が出る。
調味料・香辛料も揃っている。
今は使わないが、炊飯器もあり、ご飯も炊ける。
ただ、電源は魔力を有する魔石を用いており、外見は電化製品だが、中身は魔石によって動く魔導具だ。
「あ、あと、刺身を作る前に、魚は全て、一度この世界樹温泉に浸けて欲しい。一瞬で良いから。そしたら、浄化されて、体内の寄生虫も毒素も全て消滅させることが出来るからさ」
「うむ、分かったのじゃ」
厨房の隅に<温泉>と上に書かれた蛇口があり、ここからは、冷ました世界樹温泉が流れ出す仕組みとなっている。
※―※―※
「出来たのじゃ」
さすが二千年の修業は伊達じゃないらしく、クークはあっと言う間に調理してみせた。
食堂で待ち構えていた俺たちは、歓声と共に彼女と彼女が手に持つ大皿を迎え入れる。
「なっ!? 生の魚だと!? 本気か、メグル!?」
「そんな物を食べて、本当に大丈夫ですの!?」
ごく自然な反応だ。
っていうか、魔王と精霊でも、そこ気にするんだな。
「大丈夫だ。刺身って言うんだが、転生する前に俺がいた異世界の国では、普通にみんなが食べていた。あと、世界樹温泉に浸けたおかげで、寄生虫もいないし、何よりクークの料理の腕が素晴らしい! 安心して食べてくれ」
「そうじゃのう。まぁ、それ程でも……あるのじゃ」
得意顔でクークが胸を張る。
っていうか、俺が『看破』で盗み見たステータスの特技に料理って書いてあったんだから、そんな彼女が作る料理がマズい訳がないんだよな。
「これは……という魚で、食べ方は、このしょう油につけて……」
魚の名前と食べ方を俺が説明した後。
「まぁ、そこまで言うなら……」
「それに、もし食あたりで死んでも、ここはユドル様の胎内。むしろ本望ですわ!」
木の精霊が刺身食って食あたりで死亡って、どんなギャグだよ?
魔王とリアが、恐る恐るフォークで突き刺した刺身を、口に運ぶ。
すると。
「ん!」
「これは!」
「美味い!」
「美味しいですわ!」
不安で陰っていた二人の顔が、パァッと明るくなる。
「このチュウトロとかいうマグロ! これは、本当に魚か!? こんな魚、食べたことが無い! 物凄く脂が乗っていて、美味だ! 噛んだ瞬間に、上等な脂の旨味が広がって行く! そして、口の中でとろけていく!」
「このサーモンも、程よく脂が乗っていて、甘くて美味しいですわ! マイルドな味わいですわね! あと、このショウユという名の黒いソースが調味料として完璧ですわ! サーモンの良さを余すところなく引き出していますわ!」
思わず口許を綻ばせる二人に、俺も嬉しくなる。
「じゃあ、俺も頂こうかな。……うん、美味い! 甘エビって、普通のエビに比べて小さいけど、その分柔らかくて、その名の通り甘くて美味しいよな! それに、獲れたてで新鮮だし!」
見ると、クークも席について、自分が作った料理に舌鼓を打っていた。
さすが名立たる料理人たちに教えを乞うて来ただけあって、箸を使って食べている。
「うむ、なかなかじゃな。あと、ワサビがあれば完璧じゃな」
ドラゴン娘が刺身にワサビを所望て。
すごいなおい。
※―※―※
空腹だったこともあり、四人で一気に平らげてしまった。
「ご馳走さま! 美味しかったぞ! なかなかやるな、貴様!」
「本当に美味でしたわ! ご馳走さまでしたわ!」
「美味しい料理をありがとうな、クーク」
「なぁに、これしきのこと。朝飯前じゃ」
笑みを浮かべたクークだったが、ふと真顔になると、魔王とリアに対して鋭い眼光を放つ。
「食材には、事前に最高品質の餌を与えて十分に太らせておく。これは、料理の基本じゃからのう」
「だから、同僚を食材として見るなって言ってるだろうが」
「良いか。今後は、一緒に働いている仲間も、もちろんお客さんも、食材として見るのは禁止だ。破ったらクビだからな。世界樹の葉とかもやらんからな」
「分かったのじゃ。肝に銘じておくのじゃ」
魔王とリアを食材として料理しようとしていたクークに釘を刺すと、彼女は神妙に頷いた。
っていうか、相手が人型の知的生物であろうが、容赦なく料理して食おうとするあたり、ヤバいなコイツは。
※―※―※
初めての賄いとなった夕食後は、温泉を見せて、入り方を教えて、実際に入ってもらうことにした。
「温泉っていうのは、簡単に言うと、特別な効能がある風呂だ。異世界には無いのか?」
「聞いたことがないな。まぁ、我は千年間引きこもっていたしな」
「右に同じじゃ。まぁ、余は二千年間の間、料理の修業しかしておらんかったからのう」
「恐らくないと思いますわ。ただ、まぁ、私は基本的に、ユドル様以外には興味がありませんので」
「聞く相手をミスったな」
うん、異世界の標準から著しく離れたメンツしかいないな。
まずは、男女に分かれている入口まで行く。
女湯は入り辛いので、男湯で説明しようとしたのだが。
「な、何だこれは!?」
「入れませんわ!」
「小癪な真似をするのう。たたっ斬るかのう」
俺以外の三人が、透明な壁に阻まれているかのように、暖簾より先に進むことが出来なかった。
っていうか、クークよ、温泉施設すらも料理しようというのか。
あと、どう考えても温泉に包丁は要らないから、厨房に置いてきなさい。
「もしかして……」
嫌な予感がしつつ、今度は俺が女湯に入ろうとするが。
「がはっ」
ゴン、と、見えない壁のようなものに頭がぶつかって、尻餅をついてしまった。
「大丈夫か、メグル!? よし、人工呼吸だな! 人工呼吸が必要なんだな!! んちゅ~」
「要らん。あと、『んちゅ~』はおかしいだろ」
どさくさに紛れて唇を近付けてくる魔王の顔を手で押し返しながら、俺は立ち上がる。
どうやら、予感は的中してしまったようだ。
「旅館世界樹は、身体的性別とは違う方の露天風呂エリアに入ることを固く禁じているようだ」
「なっ!? それでは、メグルと一緒に温泉に入れないではないか!」
「いや、入らなくて良いから」
相変わらず良く分からないことを言う魔王を、軽くあしらう。
「じゃあ、こうしよう」
仕方が無いので、一旦俺が男湯エリアに入って、中の設備や様子を確認した上で、女性陣に入り方を説明して、自分たちで入ってもらう、というやり方に変更することにした。
「じゃあ、ちょっと待っててくれ」
「分かった! 待ってるからな、メグル! 貴様の帰りを、いつまでも!」
「何で今生の別れみたいになってるんだよ」
男湯エリアに入って、まずは脱衣所を確認する。
全体的に、木の温かみを感じられる空間だ。
盗難防止用に無料ロッカーを使い、ロックした後は、リストバンドタイプの鍵を手首につけて温泉に入る、という形にしてある。
個人的には、棚があってカゴが置いてあるタイプの脱衣所の方が、風情があって良いなと思うのだが、善良な客を守ることと、経営者としてトラブルを出来るだけ避けるためには、個人的な好みがどうだ等とは言っていられないからな。
「早速、見てみるか」
お待ちかねの、温泉を見てみるとしよう。
すりガラスの扉をガラガラと開けると。
「あっ」
「……へ?」
真っ白なワンピースに身を包んだ、青色セミロングヘアで透明感がすごい少女がいた。
「何で男湯に女が? っていうか、誰だお前? どこから入――」
「きゃあああああああああ!」
少女は、悲鳴を上げると。
「はわわわわ! ごめんなさいいいいいい! ちょっと入らせて下さいいいいいい!」
ワタワタと動揺した。
「いやまぁ、温泉に入りたいだけっていうなら、宿泊に比べて格安で提供しているぞ」
相手が少女だろうが、商売は商売だ。
ちゃんと正規料金を貰わないとな。
「はわわわわ! じゃあ、入っても良いっていうことですよね?」
「ああ」
俺は頷いた後、大事なことを伝え忘れていたことに気付いた。
「でも、ここは男湯だから、女湯に入ってくれ。あと、うちは先払い制だから、まずは金貨一枚を払って――」
「では、失礼しまあああああああああああす! とうっ!」
少女は俺の言葉を遮ると、俺の身体の中に入って来た。
「そういう入るかよっ」
と同時に、俺の全身が変化。
背が低くなると同時に、胸が大きくなり、腰がくびれて、たちまち女性化していく。
そう。
彼女は、透明感がすごい少女じゃなかった。
透明な少女(物理)だったのだ。
「お前は一体何者なんだ!?」
透明な少女に身体の中に入られて肉体が完全に女性化するという、未曽有の事件直後。
俺は、甲高い声で自身の中の少女に問い掛ける。
「って、身体が動かない!?」
何と、自分の身体を一ミリも動かせなかった。
意識があるのが不幸中の幸いではあるが。
『はわわわわ! 身体を乗っ取ってごめんなさいぃ!』
「コイツ、今乗っ取ったって言ったぞ。下手に出て謝罪してるように見せ掛けて、完全に確信犯じゃないか」
何て恐ろしい奴だ。
俺の身体を通して、同じ声で、しかし明らかに違う口調でいけしゃあしゃあと自白する少女に、俺は戦慄を覚える。
『あたしは見た通り、幽霊のスゥスゥですぅ』
「いや、幽霊って言うなら、もっと分かりやすい見た目をしておけよ。足が無いとかさ」
『ちゃんと足は無いですよぉ!』
「いや、ちゃんとて」
どうやら、いきなり至近距離に現れたのと、真っ白なワンピース姿が印象的だったことから、俺は見落としていたようだ。
「で、何のためにこんなことしたんだ? これから一生俺の身体を乗っ取り続けるってんなら、俺にも考えがあるが」
『えっとぉ、それはぁ――』
と、その時。
突如女性化した俺に戸惑ったのか、一つの身体に二つの魂が入ったことで多少エラーを起こしていたのか分からないが、ようやく男湯エリアに女の身体が存在することを感知したシステムが、俺(とスゥスゥ)を排除し始めた。
「うわっ!」
『きゃあああああああああ!』
抗うことなど許されない、圧倒的な暴風。
局地的かつ指向性を持ったそれにより、周囲を一切破壊せずに、俺の身体のみが、速やかに男湯エリアの外まで排除された。
「ぶべっ」
『きゃあっ!』
床をゴロンゴロンゴロンと三回転してやっと止まった俺に対して、俺の帰りを待っていた女性陣が驚愕の眼差しを向ける。
「な、何ですの貴方は!? ユドル様の胎内――つまりユドル様と
「
ただ変態なだけであるリアはともかく、両手に持った包丁をここぞとばかりに交差させて構えるクークに、俺は慌てて声を上げる。
「待て、クーク! 俺だよ! 俺!」
『そうですぅ! あたしですぅ! スゥスゥですぅ!』
「頼むからちょっと黙っててくれるかお前!」
女体化だけでも厄介なのに、同じ身体に二つの魂となると、ややこしいことこの上ない。
服は同じでも、明らかに性別変わってるし、これは誰も信じてくれないかもしれない……
絶望的な状況だったが、ただ一人、真実を見抜いた者がいた。
「違うぞ、みんな。彼女――いや、彼は、メグルだ!」
リアとクークが警戒心を露わにしている最中、ずっと俯いて思考していた魔王は、そう断言した。
「なっ!? 何を言っていますの!? あの野獣とこんな美女を、どうしたら見間違えられますの!?」
「こやつがメグルじゃと? あやつがこんな整った顔立ちをしておる訳がなかろう」
「お前ら言いたい放題だな。後で覚えておけよ」
悪かったな、顔が整っていない野獣で。
いや、元は俺であって、女体化しただけだから、俺も色々頑張れば、ワンチャンイケメンになれるのか?
それはともかく。
今は、一人でも味方がいることに感謝しよう。
「魔王、分かってくれたのか。お前だけだ、そう言ってくれるのは」
鋭い洞察力故か、はたまた魔王には、何か特別な力があるのかは分からない。
いずれにしても、ようやく一筋の光が見えたと、素直に感動する俺だったが。
「ど、どうするんだ、貴様! これでは、結婚出来ないじゃないか! ……いや、別に式を挙げずとも、事実婚で良いのか……!? それに、一緒に女物の服を買いにショッピングにも行けるし、これはこれでアリかも……!」
「何の話をしてるんだお前は? 俺の感動を返せ」
すぐまた、いつもの意味が分からない会話に移行してしまった。
※―※―※
リアとクークが少し落ち着いたので、俺は事情を説明した。
「そんなことがありましたのね……まさか、身体を乗っ取る幽霊と遭遇していただなんて……」
「奇妙
コック帽を被り両手に包丁を持ったドラゴン娘には、言われたくは無いと思うが。
「余に任せるのじゃ。幽霊など、瞬きする間に成仏させてやるのじゃ」
「待て待て。それ、俺も一緒に真っ二つになるよな?」
包丁をギラリと光らせるクークに、俺は待ったを掛ける。
「安心して下さいまし。痛みは一瞬ですわ!」
「だからお前も、俺ごと殺そうとしてるよな?」
両手を巨大な食虫植物ならぬ食人植物へと変化させたリアを、俺は必死に止める。
「メグル。我なら、貴様は生かしたまま、中の幽霊だけを消滅させることも可能だぞ?」
珍しくまともな提案をする魔王に、俺は、「いや、ありがたいけど、それもちょっと待ってくれ」と答えた。
「なぁ、スゥスゥ。何か理由があるんだろ? 何でこんなことをしたんだ?」
すると彼女は、俺の唇を動かして答えた。
『実はあたし、生まれてからずっと、病気で寝たきりだったんですぅ。食事も麦を水で煮込んだだけのお粥のような消化に良い物ばかり食べていて、そのまま死んじゃったから、豪華な料理を食べてみたいなって思っていてぇ。
あと、両親に身体を拭いてもらうことはあっても、お風呂に入ったことなんて無かったから、特別な効能がある温泉っていうのに、すごく興味があってぇ。
でも、霊体の状態のままだと、全て
お願いですぅ! どうか、この状態で温泉に入らせて下さいぃ! あたしにも、お湯の温もりを感じさせて下さいぃ!』
そんなことがあったのか。
それはさぞかし辛かっただろう。
「分かった。お前の望みを叶えてやる」
俺がそう言うと、スゥスゥは顔を輝かせた。
『ありがとうございますぅ! 恩に着ますぅ!』
「まぁ、良いってことよ」
身体を動かせたならば、鼻の下をこすっていたところだ。
しかし。
『あ! あと、美味しい料理も食べたいですぅ! 出来れば最高級の料理が良いですぅ! それも、見たこともない料理がたらふく食べたいですぅ!』
「お前図々しいな、少しは遠慮しろよ」
大人しいと見せ掛けて、意外といい性格をしているなコイツ。
※―※―※
そんな経緯を経て。
数分後。俺は。
「いやいやいや。何でだよ?」
仲間たち全員と、女湯に入っていた。
「露天風呂というのは、おつなものじゃのう。目でも楽しめる温泉とは。それに、単純に気持ち良いしのう」
「ええ。本当にいいお湯だこと。疲労が全て溶けていきますわ。それに、ユドル様の体液に浸かっているかと思うと……ああ! 堪りませんわ!」
満月が照らす夜空の下。
少し熱めの虹色をした温泉に
っていうか、ユドルの体液ではないけどな。
まぁ、地下の温泉が、世界樹の中を通って吸い上げられた結果、特別な効能を持った虹色の温泉となっている訳で、少なからずユドルの体内は関係してるっちゃしてるが。
なお、クークは裸体にコック帽のみを被り包丁二本を持っており、はたから見たら変態そのもの。
そんな彼女は、女体化した俺を見てポツリと呟いた。
「今のお主は、普段よりも脂肪が多く柔らかくて美味そうじゃのう……おっと。ではなく、柔軟体操が上手そうじゃのう」
「それで誤魔化せると思うなよ? 前半で全部言ってるんだよ」
お客さんのみならず従業員仲間に対しても食材として見るなと釘を刺してはあるが、本音を吐いた後で何とかフォローしようとするのが、このドラゴン娘の精一杯なのかもしれない。
今俺たちがいるのは、世界樹の幹から出てすぐの場所。
つまり、幹から直接生えている巨大な葉の上に出来た露天風呂だ。
女湯の脱衣所が世界樹の外皮ギリギリに位置しており、すりガラスの扉を開けると、ここに辿り着くのだ。
ちなみに、端が反り上がった巨大葉が壁となり、男女の湯舟は仕切られており、なおかつ透明な結界も展開されているため、上空・壁のどちらからも、他方の湯舟へと侵入することは不可能だ。
話を戻すと、女体化したために、今の俺は女湯しか入れない。
それはまぁ仕方が無いのだが、温泉には入らず、口頭で説明して後は自分で入ってもらおうとしたら、クークとリアに押し切られた。
「どうせなら
「良いですわね! 入り方も分かって、実際にみんなで入ることも出来て、一石二鳥ですわ!」
と言われて。
マナーとして教えた掛け湯を、二人は素直に木製の風呂桶を使ってした上で、湯船に浸かった。
本当は身体も洗ってから、と言いたい所だが、二人とも早く温泉に入りたくてうずうずしていたし、まぁ良いだろう。
あと、最低限の礼儀として、タオルは湯船につけない、ということは教えたしな。
それにしても、女体化しているとはいえ、中身である俺の心は男のままなのだが、二人は全く気にした様子が無い。
魔王の胸が大きいのは分かっていたが、クークもかなりでかい。
それに比べて、リアは、その……
二人を見ていて思うのは、何と言うか、恥じらいって大事なんだなということ。
どこからどう見ても美人な二人だが、見せ付けているのかと思わせるくらい、全く隠さずに堂々としているので、あまりエロく感じない。
ただ、最後の一人は、どうやら様子が違っているようだ。
「メグル! 絶対にこっちを向くなよ! 絶対だぞ!」
湯船の端っこで、大切な部分を両腕で必死に隠す魔王。
タオルは湯船につけないことと俺が言った際には、裸体を隠すアイテムの使用を禁じられたことで、泣きそうな表情を浮かべたものだ。
魔王よ。
あんまり恥じらいを見せないでくれ。
グッと来てしまうから。
「そんなに嫌なら、一緒に入らなきゃ良かったのに」
当然の感想を俺は述べたのだが、魔王は羞恥に顔を真っ赤にしながら、答えた。
「貴様と他の女が一緒に温泉に入っているのを、ただ悶々と想像しながら外で待っているような地獄よりかは、我も一緒に入る方が百倍マシだと思っただけだ!」
そんな魔王だが、俺がそちらを向く度に、抗議の声を上げる。
「こっちを向くなと言っているだろうが!」
「いや、無茶言うなよ。今の俺の身体の主導権は、スゥスゥにあるんだぞ?」
そう。
相変わらず、意識はあり喋ることは出来るが、身体は動かせない状態は続行中なのだ。
俺の身体を乗っ取っている当人であるスゥスゥは、先程からずっと、歓声を上げ続けている。
『わぁ~! すご~いぃ! 生まれて初めて入ったけど、これがお風呂なんですねぇ~! しかも、それが温泉だなんてぇ~! しかも露天風呂だしぃ~! 気持ち良いぃ~!』
確かに気持ち良い。
身体を共有している俺もしみじみとそう感じる。
しかし、湯船の中で身体を激しく動かしたり、ましてや泳いだりすることは厳禁だ。
事前にそう伝えてあったからか、興奮して身体の動きが大きくなりがちなスゥスゥは、ハッと気付いて、わちゃわちゃ動いていた手足をピタッと止める。
のだが、生まれて初めての温泉体験による興奮は押し止めることが難しいようで、またすぐにわちゃわちゃ動き出してしまう。
まぁ、ずっと病気がちで寝たきり生活だったみたいだし、そりゃそうなるか。
そんな、興奮を隠し切れない少女の言動を、俺は微笑ましく見守っていた。
※―※―※
温泉に入った後は、食堂でスゥスゥに料理を食べさせることにした。
「悪いな、クーク」
「なぁに、御安い御用じゃ」
余っていた魚を水槽の中から取り出して、再び調理してくれたクークが、笑みを浮かべる。
中トロをフォークで刺して、しょう油をつけて食べたスゥスゥは、俺の予想と違い、全くはしゃがなかった。
代わりに、彼女は肩を震わせる。
『……こんなに美味しい食べ物が、この世にあったんですねぇ……。……美味しいですぅ。すごく……すごく……美味しいですぅ……』
涙を拭いながら、一口、また一口と食べていくスゥスゥ。
うん、美味しいよな。確かに美味しい。
「何だか、我もまた腹が減って来たぞ!」
「
「では、皆で食べるとするかのう」
「だな、みんなで食おう」
そうして、身体を共有する俺とスゥスゥ、魔王、リア、そしてクークで、食卓を囲んだのだった。
※―※―※
食事を終えた後。
「あっ」
スゥスゥの霊体が、俺の身体から出ていった。
思わず立ち上がる俺。
と同時に、ふわふわと宙に浮かぶ白ワンピースの少女を目の前で見る俺の身体が、男性化。
「おおっ」
元に戻った。
そして。
「……そろそろ、時間みたいですぅ……」
スゥスゥの身体が光り輝き出した。
「色々と、ありがとうございましたぁ。未練が無くなったので、これで成仏出来そうですぅ」
深々とお辞儀をするスゥスゥに、皆が声を掛ける。
「心残りが無くなったならば、良かったのじゃ」
「ほんの少しの間でしたが、貴方と共に過ごした時間、忘れませんわ」
クークは、穏やかな表情で。
リアは、目に涙を浮かべて。
「消えるのか、貴様!? もう少しここにいれば良いだろうが! ぐすっ」
魔王は、流れる涙を止められず、拭っても拭っても溢れ出してくるようだ。
「皆さん……。そんな風に言ってくれて、本当にありがとうございますぅ」
スゥスゥもまた、涙を浮かべる。
「メグルさん……。こんなこと言うの変ですが、あたしが入ったのが、貴方で良かったですぅ」
「そうか。俺もまぁ、最初は驚いたが、お前との身体の共有は、そんなに嫌じゃなかった」
スゥスゥは、泣き笑いの表情で言葉を続けた。
「お会いできて良かったですぅ」
「俺もだ」
目を閉じ、満足そうな表情で微笑んだスゥスゥは、別れを告げる。
「では、皆さん。お元気でぇ」
一際眩く光り輝くスゥスゥ。
思わず、俺は目を閉じた。
良かった……のか?
いや、これで良かったんだ。
成仏出来たってことは、それだけ幸せな経験が出来たってことだ。
なら、良いじゃないか。
一瞬、切ない思いが込み上げたが、俺は何とか自分を納得させた。
光が消えて、俺が目を開けると。
「いや、何でまだいるんだよ」
スゥスゥは、何故か消えていなかった。
「あ、なんか、あまりにも温泉が気持ち良くて、あまりにもご飯が美味しかったから、それをもっと何度も味わいたいぃ! という気持ちがふつふつと湧き上がって来てぇ。それが新たな未練になったみたいですぅ」
「んなアホな」
突っ込む俺に、彼女は、あっけらかんと言ってのけた。
「ということで、あたしもここで働かせてくださいぃ! 直接は触れないけど、念力を使って扉を開けて、お客さんを案内したりも出来ますのでぇ!」
ぴょこんと空中で頭を下げる幽霊少女の青色セミロングヘアが、サラリと揺れる。
ということでて。
まぁ、良いか。
「分かった。良いぞ」
「わぁ~いぃ! やったぁ~! ありがとうございますぅ! 定期的にメグルさんの身体に乗り移らせもらえるだなんて、嬉しいですぅ!」
「いや、そんなことは言ってない」
「やったやったぁ~!」
「人の話聞けよ」
こうして、新たな仲間が、この異世界温泉旅館世界樹に加わった。
※―※―※
「いえ~いぃ!」
「遺影て。幽霊ジョークか?」
魔王たちと同じ条件で従業員仲間となったスゥスゥが、喜びのあまり空中で踊り狂っている中。
「メグルよ。結構増えたな、従業員」
「ああ。でも、あと三~四人くらいいても良いけどな。旅館の仕事なんて、山ほどあるからな。今度こそ、従業員を募集しなきゃだな」
魔王と俺がそんな会話をしていると。
突然、リアが俺に向けて、両手を
すると、
リアが不敵な笑みを浮かべると。
「リア! 貴様何をして――」
魔王が止める間もなく、魔法陣から、俺に向けて光が放たれた。
俺が、眩い光の奔流に飲み込まれた直後。
「メグル! ……くそっ! 許さんぞ、リア!」
怒りに燃える魔王の叫び声が聞こえてきたため、俺は慌てて制止した。
「待て、魔王」
「! 無事なのか、メグル!?」
「ああ、俺は大丈夫だ。だから、落ち着け」
光が消えて、目を開けた俺が見たのは。
「旦那さっま、はじめましてでっす」
「旦那様に、ご挨拶に、
「旦那さ~ま、はじめましてで~す」
黄緑色のボブヘアと瞳と服、そしてまるで木の幹のような褐色の肌を持った、木娘とでも表現出来そうな三人の少女が、前と左右から俺に抱き着いているという光景だった。
頭部にあるのは、それぞれ違う種類の綺麗な花の髪飾りかと思いきや、よく見ると繋がっており、どうやら髪から花が咲いているようだ。
いやまぁ、何か甘い花の香りがする複数の誰かに抱き締められている感覚はあったんだが、この子たちか。
「っていうか、誰だ、お前ら?」
俺の問いにその子たちが答える前に。
「くそっ! 許さんぞ、リア!」
「いやだから、俺は無事だって言ってるだろ」
先程と同じ台詞を、何故か先程とはどこか違ったニュアンスで吐く魔王。
「そんなことより! いつまで抱き着いているつもりだ、貴様ら! メグルから離れろ!」
「あっん」
「あん。すぐに、引き剥がされたです」
「あ~ん」
木娘を、魔王が素早く引き剥がした。
※―※―※
「で、この子たちは何なんだ?」
少し落ち着いた後。
俺の問いに、リアが慎ましい胸を張り、長い緑髪をなびかせながら答える。
「その子たちは、木娘ですわ!」
あ、本当に木娘って言うんだな。
俺の勘、すごいなおい。
「先程『あと三~四人従業員が欲しい』と仰っていたので、私が彼女たちを生み出したのですわ! そう、新たな命を!」
「マジか」
命って、そんな簡単に創れるものなのか?
恐るべし、木の精霊ドリアード。
「でも、正直助かった。これで、従業員問題は全て解決だ。ありがとう」
「フフッ。どういたしましてですわ」
リアは、口許に手を当てて上品に微笑んだ。
ユドル狂いという欠点に目をつぶれば、ただの品が良い美人なんだけどなぁ。
「メグルよりかは余程調理しがいがありそうな娘たちじゃな……ではなくて、生命力溢れる女子たちじゃな」
「だから、誤魔化してるつもりだろうが、全部言っちゃってるんだって」
二刀流の包丁を怪しく光らせるクークに、俺は半眼を向ける。
「それで、その子たちの名前は何て言うんですかぁ?」
先程の光の奔流を危険だと判断してとっさに距離を取ったのか、天井近くで静止するスゥスゥが、問いを投げかける。
「名前はまだ無い、ですわ!」
「某文豪かよ」
そうなると……俺がやるしかないな。
木娘たちの髪からそれぞれ咲いている花の名が、クロッカス、ニッコウキスゲ、そしてネモフィラであることを『看破』で見抜いた俺は、腹を決めた。
「じゃあ、俺が名前をつけてやる。ロッカ、ニコ、ネーモだ。あと、お前らも他の仲間たちと同じ条件で雇うからな。給料とか、全部」
手で指し示しながら名付けると同時に、雇用条件を伝える。
彼女たちは、驚いて目を見開いた後、パァッと明るい笑顔になった。
「ロッカは、旦那さっまが好きでっす」
「ニコは、旦那様に、好意を抱くに、至りました」
「ネーモは、旦那さ~まが、好きで~す」
そして、再び俺にギュッと抱き着いた。
「だから! メグルに抱き着くなと言っているだろうが、貴様ら!」
それを見た魔王が、顔を真っ赤にして再度怒号を上げるのだった。
※―※―※
「『ウインドウ』」
俺の声に呼応して、ウインドウが、テーブルの上に浮き上がって来た。
どこにでも出現する優れものだが、やはり血管のような見た目で、ちょっとグロい。
<メニュー>という文字をタップする。
「よし、思った通りだ。これでもう一部屋作れるな」
一ドル紙幣を食べさせたおかげで、また新たに部屋を作れるようになっていた。
俺は、従業員用の宿泊室(四人用、女性用)をタップして選んだ。
従業員が増えてきたので、一部屋では足りなくなっていたからな。
「みんな。明日明後日は色々と開業準備をして、三日後からオープンしようと思う。宜しく頼む」
「うむ、我に任せろ!」
「任せて下さいまし! ユドル様の胎内で働けるのですから、それはもう馬車馬のごとく働きますわ!」
「客どもを料理して……ではなくて、様々な食材を料理して、もてなしてやろうかのう」
「あたし、頑張りますぅ!」
「ロッカは、頑張りまっす」
「ニコは、旦那様に、喜んでもらうために、頑張ります」
「ネーモは、頑張りま~す」
相変わらず言動が怪しい者もいたが、まぁ良い。
頼もしい仲間たちと共に、この異世界温泉旅館を盛り上げていこう。
なんせ、世界樹温泉に入れば、怪我や病気のみならず、毒・呪い・麻痺すらも治るからな。
是非とも、色んな人に利用して欲しいし、喜んで欲しい。
※―※―※
「よし、じゃあ集客だ」
従業員が揃ったところで、満を持して、集客のための手を打った。
それが、世界樹の華の香による集客である。
世界の樹――つまりこの星そのものの樹とも言える世界樹には、人智をはるかに超える力がある。
その力を使えば、世界樹の華の香りを音速を超えるスピードで世界中に飛ばして、任意の人間やモンスターのみを、任意のタイミングで自分のもとに来させることが出来るのだ。
「やっぱり、ある程度お金を持っているお客さん、という条件は譲れないな」
具体的には、まず、異世界温泉旅館世界樹に興味がある富豪のみに、この旅館に関する情報を載せ|華の香りを飛ばして、この旅館の存在を知らせる。
そして、同日に客室数(と収容人数)以上は来ないように、客室数丁度の組かつ一組四人以下の客が来るようにタイミングを調整した上で、ここへと来させる、というものだ。
もちろん、馬車での移動速度なども全て計算した上で、である。
「仕事を続ける上で、休みは本当に大事だよな。俺も休みたいし」
それにより、週休二日制を実現して、残り五日間のみに客に来させることが可能になる。
それが、毎月金貨一枚をユドルに食わせるだけで出来る。
正直、滅茶苦茶お得だ。
しかも、今月分に関しては、例の一ドル札が
「せいぜい感謝することドル! てめぇはユドルがいなきゃ、な~んにも出来ねぇドル!」
こんな憎まれ口を叩かれても、全然許せてしまう。
あの一ドル札を食わせたおかげで、実は客室をもう一つ追加することも出来て、他にも色々買えた。
一ドル札さまさまだ。
※―※―※
ちなみに、特別な効能を持つ世界樹温泉であるが故に、他の旅館や公衆浴場以外にも競合相手がいる。
「どこの世界でもどの業界でも、そりゃいるよな、競合相手」
それが、司教たち――つまり教会と、ハイポーションを販売している道具屋だ。
例えば、教会は、祈祷によって瀕死の怪我を金貨十枚で治し、道具屋も、同様の効果があるハイポーションを金貨十枚で売っている。
なお、冒険者パーティーで重宝する僧侶も回復魔法を使えるが、教会に睨まれるのを恐れて、それで商売をしたりはしない。
「となると、ライバルは――」
従って、怪我の回復に関するライバルは、教会と道具屋となる訳だ。
そこで俺は、訴求力を高めるために、どれだけ瀕死の怪我だろうが病気だろうが、浸かれば一瞬で治るという世界樹温泉での滞在一泊を金貨五枚(夕食と翌日の朝食の二食付き。素泊まりなら、金貨三枚)とした。
更に、泊まらずに温泉のみの利用なら、金貨一枚に設定した。
「自分で言うのもなんだが、滅茶苦茶安いな」
そう。
何と、教会の十分の一という破格である。
「それだけじゃないんだな、これが」
しかも、この異世界では、祈祷であろうが、ハイポーションであろうが、最上級回復魔法であろうが、欠損部位は取り戻せないのだ。
出来るのは、瀕死の傷を治すことのみ。つまり、止血や、貫かれた心臓の修復などだけだ。
もちろん、すぐ傍に切断した四肢があればくっつけることは出来るので、話は別だ。
が、既にその欠損部位が失われている場合は不可能。
その点でも、世界樹温泉は特別であり、有利であると言える。
※―※―※
そして、開業当日。
着物を全員に着用してもらった。
あの一ドル札をユドルに食わせて買ったものだ。
クークは、この二千年の間に、異世界からやって来た料理人たちから着付けも学んだらしい。
そのテクニックを
「本来、かなり複雑なはずなんだがな……すごいな……」
料理担当のクーク自身も着物を着ているのだが、
かく言う俺も、男物の着物を身にまとっている。
準備万端で迎えた、記念すべき最初の客は、
当然、左腕を取り戻すために、すぐにでも温泉に入るものだとばかり思っていたのだが。
「えっと……温泉に入るのは、俺っちはちょっと遠慮しておきます……」
彼は、何故か、頑なに温泉に入ろうとしなかった。
この日、狙い通りこの旅館の現在の客室数と同じ二組のお客さんが来たのだが、もう一組のお客さんは、世界樹から見て南東にあるカプティワード帝国の貴族である中年の御婦人二人組だった。
御者の男性が一人いたようだが、馬車内で明日の朝まで待機するとのことだった。
ちなみに、世界樹温泉旅館に繋がる階段の脇には、
水と飼い葉があり、追加料金無しで使用出来るのだ。
これも、例の一ドル札をユドルに食わせて購入したものだ。
御婦人たちは、温泉は勿論、客室に運んだ夕食も堪能してくれた。
「このエビのテンプラとかいう料理! サクサクとした衣の食感に、プリプリとした歯応え! エビの旨みを存分に味わえるわ!」
「そうね。それと、甘いソースが掛かっていて、それが食材の旨味を更に高みへと押し上げているわ!」
俺と魔王が朝一で獲って来た魚介類を使った天ぷらも、刺身も、寿司も、うな丼も、世界樹の華・葉・皮・根を使った炊き込みご飯と野菜炒めと味噌汁(日本の旅館で見掛けた欧米の人たちが、赤よりも白の方を好んでいたので、白味噌)も全て絶賛してくれた。
あと、世界樹の葉を用いたお茶と、何より世界樹の華の花酵母を使った日本酒を、かなり気に入ってくれたようだ。
「甘い香りとフルーティーな味わい! 美味しい! すごく飲みやすいわ!」
なお、酒に関しては、クークが日本から来た例の異世界転生者たちによって、この二千年の間に作り方を学び、それを魔法で再現出来るようになっていたので、問題なかった。
「さすがだな、クーク。二千年の努力は裏切らないな」
「あの二人組の女性、肉付きが良くて食べ応えがありそうじゃのう……ではなく、余の料理と酒を楽しんでもらえているようで、良かったのじゃ」
「だから、一ミリも誤魔化せていないし、全部言っちゃってるんだってば」
ちなみに、米は、世界樹の力によって、水田を必要としない陸稲なのに水稲と同じくらい美味しい稲が周囲の森の中――少し開けた場所に自然に群生、
一日で稲穂が実り、稲刈り後は新たに種まきをせずとも、切られた箇所からまた生えて来て稲穂が実る、という不思議な稲を木娘たちが刈ってくれた。
それを、クークにやり方を学んだ魔王が、その膨大な魔力を用いて、一瞬で乾燥させ、脱穀し、もみ殻を取り除いて玄米にし、精米したのだ。
付け加えて言うと、これも世界樹の影響か、どれだけ頻繁に同じ土地で穀物を収穫しようと、土地が痩せることは一切ない。
※―※―※
話を戻そう。
本日最初に来たお客さんは、二十代半ばくらいで隻腕の人間の男性冒険者だった。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」
「すいません。あの……俺っちみたいな冒険者でも、大丈夫ですか?」
「もちろん大歓迎ですよ」
貴族しか来てはいけない場所だと思っていたのだろうか?
やけに腰が低い彼の名は、ロスレフ。
世界樹から見て南西の国であるマルティクルーズ王国から、馬に乗って一人で来たとのことだった。
ちなみに、冒険者と言っても、モンスターとの戦闘で怪我したという訳ではない。
そもそも、この異世界では、モンスターと人間は仲良く共存しているため、モンスターと戦うことなど無いのだ(ただ、両方とも、ある種族とは仲が悪いようだが)。
では、冒険者である彼は何をして生活費を稼いでいるかと言うと、薬草採取だ。
彼は、薬草採取を極限まで究めた男であり、世界的に有名な薬草ハンターらしい。
そんな彼だが、左腕がないにもかかわらず、何故か温泉に入ろうとしない。
なお、世界樹の華・葉・皮・根を食べても、瀕死の重傷を完全回復させたり、欠損部位を取り戻すことは出来る。
その説明を聞いた彼は、うつむき、何事かを思案すると。
「悪いですが、その……料理ですが、世界樹関連の食材以外のものを使った料理って、出してもらえませんか?」
理由は分からないが、決して食べようとはしなかった。
「余の料理が気に食わんなどと、万死に値するのじゃ! たたっ斬ってくれるわ!」
「落ち着け。別にクークの料理に文句がある訳じゃなくて、食材に対する要望ってだけだからさ」
あろうことか、二刀流の包丁をお客さんに向けようとするクークを、厨房で何とかなだめる俺。
その後。
プリプリ怒りながらもしっかりと作ってくれたクーク。
そんな彼女の料理を完食したロスレフさんに対して、俺は皿を下げながら、注意事項を告げた。
「温泉ですが、夜中は入浴禁止となります。ですが、また明日の朝から入れますので、宜しければ、是非とも入ってみて下さい」
「……分かりました」
「では、失礼いたします」
これは入りそうもないな。
まぁ、あんな事情があれば、仕方が無いとは思うけど……
そんなことを思いながら、俺は客室から出ていった。
「ちょっと心配だな……」
俺が歩きながらそう呟いていると。
「あの冒険者の男のことか?」
通路で、魔王とばったり出くわした。
「ああ。深い事情があるようだ。せっかくうちの旅館に来てくれたんだから、温泉に入るにせよ入らないにせよ、ここでの一時を楽しんで欲しいし、元気になって欲しい」
「だが、どうも何かがあるようだな、あの客は」
「そうなんだよ。実は『
曖昧な言い方で悪いが、個人情報だし、これ以上は言えないんだが……うーん……どうしたもんか……」
「……そうか、悩ましいな」
俺の言葉に魔王もうつむき、思考していた。
※―※―※
時間は少し
ロスレフは、従業員たちに温泉を勧められる度に、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「そりゃそうだよな……。だって、ここは温泉旅館世界樹だし……。温泉に入らないなら、何しに来たんだって話だよな……」
不思議な香りがした三日前から、どうしてもここに来たくなって、来てしまったのだ。
まるで、何かに導かれるかのように。
「普通に考えれば、俺っちみたいな奴には、うってつけの温泉だよな……」
先程、丁度食事を終えた頃に、男性従業員がやって来た。
皿を全て片付けてもらいつつ、翌朝の温泉入浴を勧められたロスレフは、一瞬返答に詰まった。
「……分かりました」
そう返すのがやっとだった。
「では、失礼いたします」
男性従業員が退室した後。
一人になったロスレフは、右手で、肘辺りから失われている左腕に触れつつ、ポツリと呟く。
「でも……俺っちは、左腕を元に戻しちゃいけないんだ……」
※―※―※
就寝後。
ロスレフは、夢を見た。
ああ……またいつもの夢だ……。
そう思う彼だったが。
何年経とうが、決して慣れることなどない。
決して、平常心ではいられない。
何故なら、それは。
「父ちゃん!!! 母ちゃん!!! うわあああああああああああ!!!」
目の前で両親が死ぬ光景だったからだ。
ロスレフは、西海岸沿いにある小さな港町で生まれ育った。
筋骨隆々で言動は多少荒っぽいが男気溢れる漁師の父親と、サバサバしているが愛情たっぷりで優しい母親の一人息子として。
彼は、両親のことが大好きだった。
将来は、父親のような立派な漁師になろうと決めていた。
「俺っち、父ちゃんみたいなカッコ良い漁師になる!」
「わはははは! そうか、じゃあ、お前もたくさん食べてたくさん筋肉つけないとな!」
「うん! 父ちゃん、母ちゃん、見てて! うおおおおおおおお!」
「フフフッ。あんた、そんだけ一生懸命筋トレやったら、きっとすぐに筋肉つくさね」
温かい家庭で過ごした日々は、彼にとって、何にも代えがたい宝物だった。
※―※―※
そんなロスレフが、十歳になったある日。
いつものように、彼は両親と一緒に夕食を食べていた。
父親が漁師であり朝が早いので、他の職業の家庭に比べて大分早めの時間帯に。
談笑しながら幸せな時間を過ごしていた彼だったが。
「「「!?」」」
突如、大地が大きく揺れた。
少しして。
「止まった……?」
「大きかったねぇ」
テーブルに必死にしがみつくロスレフと母親が、ポツリとそう漏らすと。
外から轟音が聞こえてきて。
「! お前たち、いますぐ逃げ――」
何かを察した父親が立ち上がり、必死に家族に訴え掛けようとするが。
「「「!」」」
時すでに遅く、窓が割れ、大量の海水が一瞬で浸入。
為す術もなく、彼らは、家ごと巨大な津波に呑み込まれた。
※―※―※
津波で家が押しつぶされ、崩壊。
「ぐっ!」
その瓦礫によって、ロスレフは左腕をつぶされた。
完全に崩壊した家の中から外へ流され、そのまま沈んでいきそうになる彼だったが。
「ロスレフ!」
「しっかりしな!」
その右腕と肩を父親と母親がつかむ。
「ここに乗るんだ」
「良いかい、じっとしているんだよ」
彼らの手で、海面に浮かぶ屋根の上に押し上げられたロスレフは、微かな意識の中で、両親に問い掛ける。
「……父ちゃんと母ちゃんは?」
「俺たちは、町の人たちを助けにいく」
「必ず戻るからね。あんたはここで大人しくしてな。良いね?」
「……うん、分かった。待ってる」
漁師の父親だけでなく、港で生まれ育った母親も泳ぎが得意だった。
彼らは、荒れ狂う波の中、懸命に泳いで、流されていた小さな子どもたちやお年寄りを次々と助けていく。
そして。
永遠にも感じられる時間が経過。
彼ら彼女らを全員助けた後。
「くっ……もう、身体が動かな――」
「……父ちゃん!」
力尽きた父親が、海に沈んで。
「――――ッ」
「母ちゃん!」
遠くの方に見える母親が、震える手を、ロスレフに向けて伸ばした。
その目が大きく見開かれたかと思うと。
「――――ッ」
顔が歪んで。
生まれて初めて見る、母親の表情に。
ロスレフの心は、恐怖で満たされて。
やがて、母親もまた沈んでいって。
「父ちゃん!!! 母ちゃん!!! うわあああああああああああ!!!」
二人は死んだ。
※―※―※
その後。
ロスレフは、救助されて助かった。
彼の左腕はつぶれていたため、そのままにしておくと、
そのため、彼の両親の救助活動で家族が救われた町の人々によって、ロスレフは治療のために王都に連れて行かれた。
そして、
津波がトラウマになった彼は、それ以降、もう故郷には戻らず、王都の孤児院で暮らした。
そして、海ではなく山の方へと気持ちが向いた。
その結果、漁師ではなく、薬草採取のプロ――薬草ハンターになった。
そして、希少な薬草採取と販売によって生計を立てる冒険者として、成功した。
そうだ。
あの時、海に沈む直前に、母さんは、俺っちを見詰めた。
きっと、こう言いたかったんだ。
あたしたちの犠牲を決して忘れるな
あんたが生きていられるのは、あたしたちのおかげだ
あんたは、これから一生、両親の命を犠牲にして生き延びたということを常に意識しながら生きていけ
だから、俺っちは、左腕を治しちゃいけないんだ。
これは、両親の犠牲の上に生きているということを、決して忘れないための
俺っちは楽しんじゃいけないし、幸せになるなんて、もっての他なんだ。
何度も繰り返し見るこの夢も、俺っちに対して、絶対に忘れるなよって、釘を刺しているんだ。
そう思っていた。
だけど。
この日の夢は、いつもと少し違っていた。
再び、母親が海へと沈む直前の場面へと切り替わって。
遠くに見える母親から。
決して声が聞こえないはずの距離なのに。
「ロスレフ」
「!?」
そう聞こえてきた。
小さく、でもはっきりと。
そして。
「ロスレフ。あんたは、幸せになりな」
「!!」
思ってもみなかった言葉が、投げかけられた。
「あたしもあの人も、願っているから。あんたがずっと元気でいることを。そして、幸せに暮らすことを。あんたが毎日笑顔でいてくれたら、それだけで良いからさ」
そう呟くと、母親は。
「!!!」
朗らかに笑った。
それは、ロスレフが大好きな。
いつもの母親の笑顔だった。
その時、彼は思い出した。
そうだ。
父さんも母さんも、いつも俺っちのことを気に掛けてくれた。
元気かって。
腹は減ってないかって。
一杯食べなって。
温かくして寝なって。
大きくなれって。
ずっと健康でいろよって。
お前のことをいつも思ってるって。
あんたのことを、いつも思ってるって。
幸せになれって。
何で忘れてたんだろう?
あんなにも、俺っちのことを想ってくれていたのに。
俺っちの幸せを願ってくれていたのに。
※―※―※
翌朝。
夢から覚めたロスレフは、部屋の異変に気付いた。
「……何だか、甘い香りがするな……これは……」
が、彼は「まぁ良いか」と、特に気にせず温泉に入った。
そして。
「……うん、これで良いんだ。これで……」
十年振りに、左腕を取り戻した。
※―※―※
彼を見た従業員たちは、みんな、左腕のことを祝福してくれた。
※―※―※
食堂にて。
「お客様の分ですが、今作っておりまして。大変申し訳ございませんが、少々お待ち頂けますでしょうか?」
「あ、そうなんですね。分かりました」
そんなやり取りをした後。
待っている間に、ロスレフはトイレに行くことにした。
すると、角を曲がる直前に、あの男性従業員と女性従業員の声が聞こえてきて、思わず立ち止まってしまった。
何故なら、それが驚くべき内容だったからだ。
「魔王。お前は、サキュバスだな?」
「!」
時間は少し遡って。
今朝、俺が食堂で会ったロスレフさんは、初めて笑顔を見せてくれた。
「おはようございます、ロスレフさん。って、その腕……」
「はい、温泉に入らせてもらいました」
「……そうですか、いかがでしたか?」
「とても気持ちが良かったです!」
「それは良かったです」
失った腕を取り戻せたこともめでたいが、まるで憑き物でも落ちたかのようにすっきりとした表情をしているのが、何よりも素晴らしい。
つられて笑みを浮かべる俺に、ロスレフさんは、「実は……」と、今までの
とある港町で生まれ育ったこと。
地震、そして津波のこと。
両親が亡くなったこと。
左腕を失ったこと。
死の間際に両親がどんな想いだったかを、勝手に想像して、頑なに思い込んでいたこと。
それが、夕べ夢を見たことがきっかけで、単なる自分の思い込みであり、決め付けていただけだということに気付けたこと。
両親はいつも自分に元気でいて欲しい、幸せでいて欲しいと願っていたと思い出せたこと。
「世界樹という非日常を経験できるこの旅館に泊まったことが、良いきっかけになって、あのような夢を見ることが出来たのかもしれません。ありがとうございました」
「そんな風に言って頂けると、嬉しいです。こちらこそありがとうございます」
※―※―※
厨房にいるクークにロスレフさんのことを伝えると、彼女は、「ああ、あやつか」と言った後、ポツリと言葉を続けた。
「まぁ、色々あったようじゃし、仕方が無いから、夕べの無礼は許してやるのじゃ。全く、仕方が無い男じゃ」
いつものコック帽を被ったクークは、両手の包丁をクルクルと回し、尻尾もブンブンと振り回している。
クークよ。
身体の動きから本音がダダ
どうやら、ロスレフさんが身体のみならず心も元気になったことを、喜んでいるようだった。
※―※―※
「お客様の分ですが、今作っておりまして。大変申し訳ございませんが、少々お待ち頂けますでしょうか?」
「あ、そうなんですね。分かりました」
食堂にて、ロスレフさんとそんなやり取りをした後。
「「あっ」」
俺は、通路で魔王とばったり会った。
「お疲れさん」
「……ああ」
どこか疲れた様子の魔王が、スッと目を逸らす。
実は、今朝最初に顔を合わせた時から魔王はずっと疲労の色が濃いのだが、何故か俺と目を合わせてくれない。
何度も考えたのだが、理由は分からない。
仕方ない。
それは一旦おいておこう。
代わりに、もう一つの気になること――というか、ほぼ確信していることを確認しよう。
先程、ロスレフさんは、俺にこう言った。
『夢を見た』と。
そして、その夢のおかげで、悩みが解決したのだと。
夕べ偶然夢を見て、その夢が偶然良い夢であり、その内容が偶然悩みを解決するようなものだった。
そんなことが有り得るだろうか?
もしも、だが。
もしそれが、人為的に為されたことだとしたら?
そこから導き出される結論は一つだった。
「魔王。お前は、サキュバスだな?」
「!」
彼女は、モンスターたちの頂点に立つ魔王ではあるが、種族としてはサキュバス。
恐らく、そういうことなのだろう。
確信をもって発せられた俺の言葉に、魔王が目を見開く。
「……何故そう思う?」
問い掛ける彼女に対して、俺は順に指を立てていく。
「理由は四つある。一つ目は、ロスレフさんが夕べ、悩みを解決するような都合の良い夢を見たこと。
二つ目は、お前の容姿だ。背中の上の方ではなく、腰辺りから漆黒の翼が生えていて、スペード形――つまり、上下逆さまにして見ると、ハート形の黒尻尾を持っていること。
三つめは、どう対応すれば分からないほどに複雑な事情をロスレフさんが抱えていることと、それに対して俺が思い悩んでいることを知っていたのは、お前だけだ、ということだ。
最後の四つ目だが、今日のお前は、ずっと疲れている。何か特別な魔法でも使ったのかとも思ったが、膨大な魔力を誇るお前が疲れるなんて、異常事態だ。とすると、夕べ、普段しない特別なことをした、と考えるのが自然だ」
俺が説明をし終わると、魔王は、観念したかのように、小さく息を吐いた。
「貴様の言う通りだ。だが、何故我に対して『看破』を使わなかったんだ? 推測なんていうまどろっこしいことをしなくても、我の記憶を読み取れば、一瞬で分かっただろうに」
「そう言われてみると、そうだな。何でだろう?」
顎に手をやり、うつむいて思考した後。
俺は、顔を上げた。
「お前に対してだけは、何故か『看破』を使いたくないんだ」
「なっ!? 貴様はまたそういうことを!」
「ん? そういうこと?」
何故だか、魔王が頬を紅潮させている。
うーん、謎だ。
魔王は、「コホン」と仕切り直した。
「確かに我は、
「ああ、分かっている。だからそんなに疲れているんだろうしな」
「それと、今まで一度も吸ったことないからな! だから、男に、エ……エッチな夢を見せたことなんて、一度もないんだからな!」
「ああ、分かった」
顔を真っ赤にして訴える魔王。
何でそんなに必死なんだろうか?
魔王いわく、本来サキュバスは、淫らな夢を見せて精気を吸い取るモンスターであり、普通は精気を吸わないと生きていけない。
しかし、並のサキュバスと違い、魔王は魔力量が桁違いに多いので、精気を吸わずとも何の問題も無く生きていけるらしい。
あと、並のサキュバスなら寿命はもっと短いのだが、魔王はかなり稀な体質らしく、滅茶苦茶寿命が長いとのことだった。
「それにしても、魔王がサキュバスだったなんてな。今回みたいな出来事が無ければ、多分気付かなかった」
何気無くそう言った俺に対して、魔王は顔を曇らせた。
「……やはり貴様も、サキュバスはハレンチな種族だと思うか……?」
予想外の言葉に、俺は目をパチクリさせた。
「ハレンチ? 何言ってるんだ。サキュバスだって立派なモンスターだろうが」
「!」
「人間の種族に上も下も無いのと同じように、モンスターだって、種族に上も下も無いだろう」
「……そうか。うん、そうだな! その通りだ!」
魔王は、噛み締めるように何度もうなずくと、満面の笑みを浮かべた。
※―※―※
食堂にて。
「お客様。大変長らくお待たせいたしました」
そう言って、俺が運んで来た料理を見たロスレフさんは、目を見開き、一瞬言葉を失った。
「え……何で……?」
そう。
それは、ロスレフさんの生まれ故郷である港町ファーベネットの郷土料理の数々だった。
焼き魚、煮魚、魚介スープ、魚の燻製、などなど。
素朴だが、ボリュームたっぷりな食べ応えのあるメニューだ。
「何で俺っちの故郷が、ファーベネットって知ってるんですか?」
「お客様。ここは、温泉旅館世界樹ですよ?」
「! ……なるほど、さすが世界樹ですね。俺っちの出身地なんて、お見通しなんですね」
そして。
「では、いただきます」
魚介スープを、一口飲んだロスレフさんは。
「懐かしい……この味……。……ありがとうございます……!」
涙を浮かべながら、笑みを浮かべた。
喜んでもらえて良かった。
クークは、二千年の料理修行の間に、異世界の料理は全て作れるようになっているのだ。
なので、俺がロスレフさんの情報を伝えただけで、郷土料理を作ってくれた。
まぁ、お客さんの個人情報を勝手に伝えてしまった訳だが……
喜んでもらうためだ。今回は良しとしよう。
※―※―※
「とても良かったわ」
「また来るわね」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
貴婦人二人が帰った後。
「本当にありがとうございました!」
ロスレフさんが、俺たち一同に対して、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
俺も頭を下げる。
すると、顔を上げたロスレフさんは、魔王に視線を向けた。
そして。
「ありがとうございました」
改めて、魔王に対して頭を下げる。
「ああ。こちらこそ礼を言う」
魔王は笑みを浮かべ、うなずいた。
この反応……もしかしたら……
魔王が
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
こうして、営業日初日は無事に終わった。
ちなみに、うちの旅館では、接客中の敬語を強要していない。
世界樹の華の香りを飛ばして集客する際に、魔王たちが接客するので、敬語は使えないということは、香りに情報を載せた上で伝えてあるため、クレームもない。
まぁ、魔王に敬語を期待するような人もいないだろうしな。
それも、この異世界温泉旅館世界樹の特色の一つだ。
※―※―※
チェックアウトの十一時からチェックインの十五時までは、営業二日目の準備となる。
色々と仕事はあるが、まず大切なのは、料理の仕込みだ。
これは、クークが相変わらず凄まじいスピードで行ってくれている。
そして、もう一つ大きな仕事が、客室の掃除だ。
が、実は。
「『
様々な魔法が使える魔王は、一瞬で客室を綺麗にしてしまうのだ。
シーツもその下の布団も全て完璧に綺麗にしてしまうので、シーツ交換の必要も無く、とても助かる。
「まぁ、我は魔王だからな」
ドヤ顔で豊満な胸を張る魔王。
いや、冗談抜きで、本当にすごいと思うぞ。
※―※―※
この日の夕方――つまり、営業二日目。
営業日初日は、世界樹温泉の力によって、お客さんの左腕を元に戻すことに成功したが。
客室を三つに増やして受け入れた営業二日目。
その中で、三組目の夫婦のお客さんは、予想外だった。
世界樹温泉は、肉体的な傷であれば、完全に回復させる力を持っているのだが。
「せっかくの温泉でしたが……残念ながら、主人の記憶は戻りませんでした」
記憶喪失の男性を、元に戻すことは出来なかった。
時は少し遡って。
営業日二日目は、順調な滑り出しだった。
きっと今日は、昨日と違い、何の問題も起きないのだ。
三組目のお客さん迎えるまでは、俺はそう思っていた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」
「こんばんは」
三十歳くらいの夫婦だった。
俺たちと会話するのは、全て奥さん。
……旦那さんは、一言も発しなかった。
気難しいとか、そういう雰囲気ではない。
ただ、ボーッと、意味もなく虚空を見詰めている。
俺たちの微妙な反応を感じ取ったのだろう。
奥さんは、穏やかに、しかし隠し切れない悲しみを瞳に
「主人は、記憶喪失なんです」
※―※―※
彼女の名前はリーマで、旦那さんはマジェク。
客室に案内した後。
「実は……」
と、リーマさんは、詳しい事情を教えてくれた。
マジェクさんは、元冒険者で、現在は魔石を発掘する大きな商会の代表をしているらしい。
十年前、そんな彼がまだ駆け出しの冒険者だった頃に、二人は出会ったという。
出会いから間も無く、恋に落ち、リーマさんたちは結婚した。
「とても……とても幸せな日々でした。でも……」
三年前のある日。
悲劇が起きた。
魔石を採掘している炭鉱をマジェクさんが視察しに行った際に、崩落事故が起こった。
落石が頭部に当たり、彼は意識を失った。
幸い一命は取り留めたものの、彼はそれまでの記憶を失ってしまった。
「それからというもの、夫はずっとこの調子です……」
食事を出せば、きちんと食べて、トイレも自分で行き、風呂も自分で入る。
だが、妻とのコミュニケーションは、一切取れない。
記憶喪失……か。
俺は、話を聞きながら思考を重ねる。
もしかしたらこれは……単なる記憶喪失ではないかもしれないな……
リーマさんは、話を続けた。
「お医者様によるどんな治療も、道具屋さんのアイテムも、僧侶の方々の回復魔法や治癒魔法も、司教様の祈祷も効果がありませんでした」
俺は、心の中で『
確かに、彼の記憶はすっかり失われてしまっている。
そして、ステータスを見るに、そのことによって、脳が大きな影響を受けているようだ。
記憶を元に戻すことが出来れば、この男性自身も元に戻る可能性が十分にあることが判明した。
「事情を教えて頂きましてありがとうございます。うちの世界樹温泉に入れば、どんな怪我でも完治しますし、病気も治ります。麻痺・呪い・毒などの状態異常も治せます。ただ……正直、記憶喪失を治せるかどうかは、自信がありません」
俺は、リーマさんに正直に伝えた。
彼女は、「ええ、分かっています」とうなずいた。
「ただ、手段があるのならば、何でも試してみたいのです。可能性がゼロでなければ、どんなものであろうとも」
※―※―※
「では、まずは温泉をお楽しみくださいませ。一応、私も後から男湯に行き、旦那様のフォローをさせて頂きます」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
俺が「失礼いたします」と、客室から出ようとして引き戸を開けると。
「きゃっ!」
「ですわ!」
「はわわわわ!」
魔王、リア、そしてスゥスゥが、折り重なるようにして倒れ込んできた。
どうやら、聞き耳を立てていたらしい。
「お前らなぁ。っていうか、スゥスゥは幽霊だろうが。触れないのにドミノ倒しに巻き込まれるなよ」
慌ててバッと立ち上がった彼女らに対して、引き戸を閉めた俺は、呆れて声を掛けた。
「えっとぉ、あたしもなんだかつられちゃってぇ」
青色セミロングヘアをフワフワと揺らす彼女は、真っ白なワンピースではなく、魔王の魔法によって、着物――を着ているように見える。
物体に触れない彼女は、実際に着てはいないようだが、幻術魔法の一種を用いることで、そのように見せているらしい。
「真面目に働いているのは、クークとロッカ、ニコ、ネーモだけか。まぁ、お客さんが心配で気になるのは分かるけどな」
「あら、
働きつつも、情報を共有していたらしい。
「メグル。何とかあの男を救えないだろうか? その……我がまたあの力を使っても良いからな!」
「私が出来ることがあれば、何でも言って下さいまし」
「メグルさん、あの人を助けてあげて欲しいですぅ。あたし、発光しましょうかぁ?」
「いや、お前が発光してもただ眩しいだけだから、やめてくれ」
以前成仏しかけた際に発光する能力を獲得したスゥスゥが、やめろと言ったのに眩く輝き、俺は思わず目を細める。
「みんな、ありがとう。でも、まずは温泉に入ってもらおうと思う。それが駄目だった時は、また改めて考えるとしよう」
※―※―※
そして、リーマさんたち夫婦は、それぞれ女湯と男湯へと分かれて、露天風呂に入った。
俺は、マジェクさんと共に入った。
色々フォローしようと思ったのだが。
大きな商会の代表をしてきた、その精神力
記憶を失い本来の自分ではないという、このような状況下でも、取るべき最適な行動を無意識に取っており、俺が何かする必要は無かった。
※―※―※
温泉に入った後。
「せっかくの温泉でしたが……残念ながら、主人の記憶は戻りませんでした」
客室で、リーマさんが静かにそう呟いた。
きっとこうなるであろうことは分かっていた、というような気持ちと、それでも諦め切れない気持ちと、二つが入り混じったような、複雑な表情を浮かべながら。
「では、世界樹の食材を使った料理を、食べて頂けますか?」
「……はい、お願いいたします」
温泉が駄目ならば、次は料理だ。
「お待たせいたしました」
世界樹の華・葉・皮・根を使った炊き込みご飯、野菜炒め、そして味噌汁を食べて貰ったが。
「とても美味しいです……が……」
マジェクさんの記憶は、戻らなかった。
俺は、リーマさんに対して密かに『
マジェクさんの故郷が、世界樹から見て南東にあるカプティワード帝国の帝都であることが分かった。
クークに頼んで、マジェクさんの郷土料理を作ってもらった。
それを食べてもらったのだが。
「こちらの料理も美味しいですが……」
それでも、マジェクさんの様子に変化は起こらなかった。
これも駄目か……
どうしたら良いんだ……?
俺は、わらにも
すると。
あれ?
もしかして……
あることに気付いた。
俺は、リーマさんにある提案をした。
「リーマさん。厨房をお貸ししますので、旦那様のために、料理を作って頂けませんか?」
「え? それは良いですけど……でも、私の手料理なんて、毎日作って食べさせていますし、それで主人の記憶が戻るとは思えませんが……」
「それでも、もし宜しければ、お願いいたします」
俺は、頭を下げる。
「……分かりました。そこまで
「ありがとうございます」
当惑しながらも、リーマさんは了承してくれた。
※―※―※
厨房に行き、クークに事情を説明した後。
俺は、リーマさんに問い掛けた。
「失礼ですが、リーマさんは料理は得意ですか?」
「はい、それなりに作れます。結婚してから十年間、毎日作っていますので。得意料理を作れば良いんですね?」
心得たとばかりに腕まくりをするリーマさんに対して、俺は首を横に振った。
「いえ。リーマさんの一番苦手な料理を作って下さい」
「!?」
「え……? 一番苦手な料理ですか?」
敢えて苦手な料理を作って欲しいと言われたリーマさんが、戸惑って瞳を揺らす。
「はい」
「良いですが……大体どの料理もそこそこの味になりますよ? 先程も言いましたが、この十年間、毎日作っていますから」
「でも、最初に何度か作ったきり、この十年間ほとんど作っていない料理が、一つだけありますよね?」
「! 何でそれを……!」
驚愕に目を見開くリーマさん。
「……分かりました。作ってみます」
当惑しつつもうなずく彼女に対して俺は、「ありがとうございます。材料はこちらにありますので」と伝えた。
食材に関して言うと、米と同様に世界樹周辺の森の中には、一日で実がなり、収穫後、翌日にはまた刈った切断面から再び伸びて実をつけるという特殊な野生の小麦が群生している。
木娘たちが収穫してくれるそれを用いて、小麦粉を作っているのだ。
また、森には開けた場所があり、牛や豚、鶏、更には羊も棲息、川には鰻もおり、食材の宝庫となっている。
ちなみに、意外にもお客さんが厨房を使うことに寛大な態度を見せたクークに対して、「もしかしたら色々とフォローしたくなるかもしれないけど、口出しも手助けも禁止だからな」と、俺は釘を刺す。
「分かっておるのじゃ」と、クークは興味深そうな様子で見守っていた。
※―※―※
その後、客室にて。
リーマさんが一時間以上掛けて作った料理は、オーブンで焼いたキッシュだった。
それも、パイ生地やタルト生地ではなく、中世ヨーロッパで発明された当初のように、パン生地で作られたものだ。
ホウレン草、ベーコン、玉ねぎ、チーズを使ったそれは、本来ならば、見た目も香りも味も最高の一品であるはずだったが。
「……これで気が済みましたか?」
リーマさんが、顔を真っ赤にして、消え入りそうな声でそう呟く。
皿の上に乗っていたのは、真っ黒な物体だった。
焦げている――というレベルを遥かに超えている。
もはや、料理と呼んで良いのかどうかも怪しい。
「羞恥プレイとは頂けないぞ、貴様!」
「淑女を
「二千年以上生きてきたが、お主のような
「はわわわわ! 鬼畜の所業ですぅ!」
「ロッカは、旦那さっまはドSだと思いまっす」
「ニコは、ドSな旦那様に、恐れおののくに、至りました」
「ネーモは、ドSな旦那さ~まが、恐怖で~す」
「お前ら言いたい放題だなおい」
魔王たち一同の罵詈雑言に、俺は何とか耐える。
「とにかく、マジェクさんに食べてもらいましょう」
俺の声に、リーマさんが、諦めたかのように溜息をつきながら、皿を載せた盆をテーブルに置き、皿をマジェクさんの目の前に置く。
「えっと……あなた。久し振りにキッシュを焼いてみたの。でも、見ての通り、また焦がしちゃったの。あれからもう何年も経ってるのに。だから、無理して食べなくて良いからね?」
気まずそうに目を逸らすリーマさん。
マジェクさんは、焦点の定まらない目で眼前の黒きキッシュを見つめると、ナイフとフォークを使って切り分けて、口許に運んだ。
すると。
「!」
その瞳が見開かれ。
涙が溢れ出てくる。
リーマさんは、恥ずかしさと気まずさが限界を迎えたのか、それまでのおしとやかなイメージとは違い、早口でまくし立てる。
「ほら、やっぱりマズいんですよ! こんなの料理ですらないですよ! 昔主人が食べた時も、こうやって泣かれたんですから! 今も昔も、それくらいマズいんですよ! だって……おえっ! こんなに苦いんですから!」
自分自身でもさっと食べて、感想を述べるリーマさん。
しかし。
「だから、こんな茶番は早く終わりにして下さ――」
その言葉は。
「リーマ。やはり君の料理は美味しいね」
「!!!」
数年振りに発せられた愛しい者の声によって、遮られた。
見ると、マジェクさんの両目に光が宿り、それまで感じられなかった知性のきらめきと確かな意志がにじみ出ていて。
真っ直ぐに見詰めてくる彼に、今度はリーマさんが驚き、目を丸くして。
「あなた……私が分かるのね……? 分かるのよね……?」
信じられないように、声を震わせながらそう繰り返す彼女に。
「もちろんだよ。世界で一番美しくて聡明な、僕の自慢の奥さんだ」
「!!! ああ! マジェク!! マジェクうううううううう!!!」
マジェクさんは穏やかな笑みを向け、リーマさんは泣きながら抱き着いた。
※―※―※
しばらくして。
「……嬉しいけど……でも、何でこの料理だったの?」
少し落ち着いたリーマさんは、マジェクさんから身体を離し、目元を拭いながら首を傾げる。
「そりゃあ、美味しかったからさ」
即座に返された答えに、リーマさんは眉根を寄せる。
「冗談はやめて! 怒るわよ!」
だが、マジェクさんは穏やかな表情のままだった。
「本気だよ。本当に……。本当に、美味しかったんだ」
「……? それって、どういう……?」
混乱した様子のリーマさんに、マジェクさんは語り始めた。
※―※―※
幼少時代。
マジェクさんは、両親に捨てられた孤児だった。
住む場所も無く、帝都内をさまよいながら、毎日、レストランのゴミ箱を
そんな彼は、十代後半になって、一念発起して、冒険者になる。
冒険者ギルドで見た依頼を請け負った彼は、そこで初めて、魔石が高値で売れることを知った。
彼はすぐに、魔石を採掘する商会を立ち上げた。
そして、大成功して、今に至る。
そんな彼が、冒険者になったばかりの頃に出会ったのが。
「君だったんだよ、リーマ」
「!」
中流階級の家に生まれ育った彼女は、まだ駆け出しの冒険者だったマジェクさんが、「商会を立ち上げて成功してみせる!」と目を輝かせるのを見て、「良いじゃない! 私、応援するわ」と言ってくれた。
そして、両親がいない時に家に呼んで、キッシュを振る舞った。
が、まだ料理が得意では無かった彼女は、焦がしてしまった。
そして、そんな彼女の料理を食べた彼は、涙を流した。
「どうやら君は誤解していたみたいだけど、あの時の僕は、マズいだなんて少しも思っていなかった。むしろ、美味しいって、感動していたんだ」
「!!」
両親に捨てられた孤児だったマジェクさんは、生まれて初めて、誰かが自分のために作ってくれた食べ物を食べて、感動した。
そして、自分に優しくしてくれて、料理まで振る舞ってくれた彼女に惚れた。
間違いなく思い出の一品であるその料理が、世界樹ですら取り戻せなかった彼の記憶を、深い闇の中から救い出したのだ。
「何よそれ……! よりによって、なんでキッシュなのよ! どうせなら、もっと私が得意な料理で感動してよ……!」
「ごめんな」
思わず口許を両手で覆ったリーマさんの頬を、再び涙が伝った。
※―※―※
翌日の朝。
「皆さん、本当にありがとうございました。お手数をおかけしましました」
「主人が記憶を取り戻せたのは、皆さんのおかげです! 本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げるマジェクさんとリーマさんに、俺もまた頭を下げる。
「嬉しいお言葉を頂きましてありがとうございます。いえ、微力ながらお力になれたならば幸いです」
二人が寄り添いながら笑顔で去って行く、仲睦まじい後ろ姿を見送りながら。
「てっきり淑女に、しかも人妻に羞恥プレイを
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
魔王の言葉に、心底心外だと俺は半眼で突っ込んだ。
とにもかくにも、こうして営業日二日目は終了した。
※―※―※
そして、その日の夕方、営業日三日目。
客室を更に一つ増やして、四つにしたこの日。
二組目に来た客は。
「きゃぴるーん♪ ここが温泉旅館世界樹ちゃん?」
「!」
人間の身長くらいの大きさの巨大な目玉で、上下左右更には斜めへと無数の手足が生えているというパンチの効いた見た目と裏腹に、可愛い声で喋る不思議なモンスターだった。
「はい仰る通り、ここは温泉旅館世界樹です。ようこそお越し下さいました」
受付のリアが驚いている中、俺は本日二組目のお客さんである巨大目玉モンスターに御辞儀する。
まぁ、色んなモンスターがいるだろうと思っていたから、これくらいで言葉を失ったりはしない。
っていうか、リアよ。
魔王を少しは見習ったらどうだ?
ほら、全然動揺していないだろ?
と、俺は思ったのだが。
「よ、よよよよよよく、き、きききききき来たな!」
「めっちゃ動揺しとるやんけ」
魔王は、局地的に地震でも起きたのかってくらい、全身をプルプルと震わせていた。
ちなみに、つい先程来た本日最初のお客さんの接客を、スゥスゥ、ロッカ、ニコ、そしてネーモに任せているため、彼女たちはここにはいない。
魔王と相対した巨大目玉モンスターは。
「ブーブー!」
不満気に声を上げた。
「ヒッ」
その声に、魔王が過剰に反応する。
目玉モンスターは、もしかしたら、魔王に何か恨みでもあるのか?
いや、でも、恨みて。
確かにコイツは魔王だが、千年間ずっと引きこもっていたような奴だぞ?
そんな奴に恨みを抱くことがあるか? しかも、モンスターで。
しかし、実際こうして魔王は
少なくとも、面識はありそうだ。
俺が思考を重ねる中、巨大目玉モンスターは、リアの案内により、受付で名前を書いていく。
無数に生えている手足の一つを使って。
書き終わり、改めて魔王と向き合った目玉モンスターは、数多の手の内の一つで指差した。
「魔王ちゃん♪」
「な、ななななな何だ?」
「ううん。べっつに~♪ ちょっと話したかっただけ~♪」
先程と同じく、見た目と違って可愛い声でそう言った目玉モンスターは、何でもないというように、スキップしながらひらひらと手を振った。
と、そこに、一組目のお客さんの接客をしていたスゥスゥがフワフワと飛んで戻ってきて、目玉モンスターに声を掛けた。
「あたしがご案内しますぅ」
「本当!? ありがと~♪」
うん、一組のお客さんの接客に四人は多いと思ったんだよな。
よくぞ戻って来てくれた、スゥスゥよ。
まぁ、元々俺はただの温泉旅館巡りが趣味というだけの奴だから、まだ人員配置とか、従業員への指示とか慣れてないんだよなぁ。
目玉モンスターは、スゥスゥによって客室へと案内されていった。
二人を見送った後。
「あのモンスターだが……」
魔王が、ポツリとつぶやく。
もしかして、何か恨まれるような心当たりがあるのだろうか?
魔王は言葉を続けた。
「口も無いのに、どうやって喋っているんだ?」
「いや、そっちかよ。確かに気になってはいたけど」
が、全然関係ないことだった。
「もしかして、貴様……我のことを心配していたのか? 心配していた、ということは、結婚したい、ということだな? 何!? そんな、ま、まさか子どもまで!? まだ早いと言っているだろうが!」
「いやだから何言ってるんだお前は?」
何か良からぬ因縁がありそうなお客さんが来たにもかかわらず、魔王は金髪を揺らし頬を紅潮させて身をよじり、通常運転だった。
……いや、もしかしたら、誤魔化すために、わざとそうしているのかもしれないが……
※―※―※
四組のお客さんを迎えて、厨房で料理の出来具合の確認をした後。
まぁ、考え過ぎかもな。
別に、魔王に対して不満があった訳じゃないかもしれないし。
例えば、急に車に乗りたくなって、「ブーブー!」と言っただけ、とか。
いや、異世界で自動車て。しかも、赤ちゃん言葉て。
などと、俺が心の中で、一人ボケ突っ込みをしながら通路を歩いていると。
「た、大変ですわ! すぐに来て下さいまし!」
リアが慌てて走ってやって来た。
「どうした? ユドルと同化する方法でも思い付いたか?」
「ああ! ユドル様と!? そんなのもう幸せ過ぎて毎秒昇天してしまいますわ! って、そうではなくて!」
一瞬恍惚とした表情を浮かべ涎を垂らしノリ突っ込みをしつつ、リアが、「本当に大変ですの! 早く!」と、俺についてくるように促す。
「分かった」
一体何が起きたんだって言うんだ?
とにかく俺がついていくと。
「先程の目玉のお客さんが! ユドル様の体液に入った後、光り輝いて!」
「うん、温泉な」
相変わらずおぞましいことこの上ない表現をするリアに、げんなりしながら走り続けると、目玉モンスターの客室へと到着した。
リアが引き戸を開けると。
「え?」
そこには、目玉モンスターはおらず。
「千年振りだね、デレカちゃん♪」
「……アイジェ……」
代わりに、ピンク色のツーサイドアップと病的なまでに白い肌を持つ、ポップな印象の虹色の衣装に身を包んだ美少女モンスターが、両拳をアゴに当てるぶりっ子ポーズで、魔王と
状況から察するに、世界樹温泉に入った巨大目玉モンスターが、本来の姿である、尖った耳・牙・黒翼・黒尻尾を持つあのピンク色ツーサイドアップ美少女――アイジェさんへと戻ったということなのだろう。
ということは。
「……呪い……解けたんだな……」
「うん♪ ほら、元通り♪」
アイジェさんがクルクルと回り、ピンク色ツーサイドアップがフワリと揺れる。
どうやら彼女は、つい先程まで呪いに掛かっていたらしい。
それが、世界樹温泉のおかげで解けたのだ。
アイジェさん自身も楽しそうにしているし、何ら問題ない。
――と言いたい所だが、そう単純な問題ではないかもしれない。
アイジェさんは、受付の前で魔王と会った際、「ブーブー!」と、不満気に声を上げたのだ。
何かしらの因縁がある可能性もある。
「ブーブー!」
「!」
図らずも、
と同時に、魔王の顔が真っ青になる。
そこからの魔王の行動は、早かった。
「すまなかったああああああああああ!」
土下座!?
魔王は華麗に跳躍したかと思うと、アイジェさんの目の前に着地すると同時に土下座した。
「貴様が千年間苦しみ続けたのは、我が呪術魔法を使ったせいだ! 本当にすまなかったああああああああああ!」
畳に頭をこすり付ける魔王に、しかしアイジェさんは、意外な反応を示した。
「もう! デレカちゃんったら、全然遊んでくれないんだもん! アイジェ、寂しかった! ブーブー!」
「そうだよな、孤独だったよな、絶望したよな……それも全て、我のせいだ! 申し訳ないいいいいいい!」
「もっとデレカちゃんと遊びたかったな~。そしたら、たくさん思い出も作れたのに!」
「そうだよな、悲しく苦しい思い出しかないもんな、我を恨むのも無理はない! 本当に申し訳ないいいいいいい!」
ん?
何か、おかしい。
会話が全然かみ合っていない。
ひょっとしたら、これって――
「『
アイジェさんのステータスと記憶を盗み見てみる。
………………
マジか……
そう言うことか……
魔王が千年前に引きこもった原因が分かった。
「魔王、顔を上げろ」
「メグル。悪いが、これは我の罪だ。我は断罪されなければいけない」
「いや、お前は悪くない。もちろん、アイジェさんも悪くない」
「? 貴様は何を言って――」
戸惑いながら見上げる魔王に、俺は告げた。
「巨大目玉モンスターにする呪いだが、あれはお前の魔法じゃない」
「!?」
「アイジェさん。誠に勝手ながら、スキルで記憶を拝見させて頂きました」
そう断ってから、俺は魔王に対して、千年前に何があったのかを説明し始めた。
※―※―※
千年前。
見た目のみならず年齢的にも
二人はとても仲良しで、いつも一緒に遊んでいた。
まるで姉妹のようで、微笑ましい姿は周囲の者たちを笑顔にした。
だが、ある時。
言葉を省略するのがオシャレだと思って、一人遊びをする際にハマっていたアイジェさんは、大好きなデレカが実は二千年振りに生まれた魔王であると判明したことが嬉しくて、テンションが上がっていた。
そして、デレカを褒めて、褒めて、褒めちぎった。
それまで一度もデレカの前では使った事が無かったオリジナル省略言葉を使いまくって。
「デレカちゃんの髪の毛、とっても
「さ、サイコ!? サイコパスみたいな髪の毛ってこと!? 我が癖っ毛だからだ……我の見た目は、そんなにヤバいんだ……」
「デレカちゃんったら、本当、
「うわ~って、引いちゃうくらいヤバいんだ、我は……」
「デレカちゃん、
「赤子がビイビイ泣いちゃうくらい、我は醜いんだ……」
「デレカちゃん、
「見た人を苦しめちゃうくらい、我は
「デレカちゃん、
「敵だと思われるくらい、我は
「デレカちゃん、
「我はサキュバスだから、すごくハレンチな感じがして最低って思われているんだ……」
激しくけなされたと勘違いした魔王は。
「うわああああああああああああああああああ!!! 『カース』うううううううううううううううううう!!!」
大きなショックを受けて、『呪術魔法』を発動してしまった。
しかし、この時点では、事態はそれ程深刻ではなかった。
何故なら、悪魔族であるアイジェさんと違って、魔王は呪術魔法は専門ではなかったからだ。
もしも魔王の『
そのまま受けていれば、何の問題もなかったはずなのだ。
が。
「『
呪術魔法がいかに恐ろしいかを知っている悪魔族のアイジェさんは、とっさに、魔王の呪術魔法を防ごうとして、自分も呪術魔法を使ってしまった。
折り重なる二つの呪術魔法。
それが、事態を急激に悪化させた。
呪術魔法は専門ではない魔王だが、圧倒的な魔力量と天性のセンスにより、アイジェさんの呪術魔法を呑み込んでしまったのだ。
その結果。
「そんな……!」
呪いが変化するとともに、強化されてしまった。
アイジェさんは、無数の手足が生えた巨大目玉モンスターへと変貌し、術者が生きている間はその状態が永遠に続くという恐ろしい効果を持った呪術魔法を、食らってしまった。
醜く変貌してしまった親友の姿に、魔王は。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
再びショックを受けて、魔王城に認識阻害魔法と
と同時に毒魔法が発動。
無意識に放ってしまった毒が周辺一帯を汚染したため、魔王は慌てて、この土地に住んでいたモンスター全員を、空間転移魔法で毒エリア外へと避難させた。
一方、アイジェさんに掛けられた呪いだが、二人の呪術魔法が合体したためか、決して解呪出来ない強力なものとなってしまった。
その後。
千年が経過した。
そして、ここ世界樹旅館を訪れたアイジェさんは、世界樹温泉の力で何とか元の姿に戻ったのだ。
※―※―※
「……そうだったのか……」
愕然とする魔王が、アイジェさんを見上げる。
「じゃあ……我のことを、怒ってないのか……?」
「え? なんで? だって、あの呪いはアイジェが自分で掛けちゃったものだし」
「でも、我が呪術魔法なんて発動しなければ、あんな事には――」
「それを言ったら、アイジェが変な風に言葉を省略しなければ、デレカちゃんもショックを受けたりしなかったでしょ?」
「それは……そうだが……」
戸惑う魔王の手を取り。
「あっ」
アイジェさんが引っ張って、立ち上がらせる。
「それにね、魔王のデレカちゃんと違って、アイジェは普通のモンスターだから、本当は寿命だってそんなに長くない。
それが、ちょっと個性的な見た目にはなっちゃったけど、これだけ長生きできたんだもん。むしろ、ラッキーだよ♪」
アイジェさんは、想いを馳せるかのように目を閉じた、
「色んな所を旅して、色んな人に会ったんだ♪ みんな初めはビックリするけど、中身が普通の女の子だって分かったら、仲良くしてくれるんだよ?
あと、色んな物を見たのも、楽しかった♪ ……けど、その度に思ったんだ。デレカちゃんと一緒に見たいなって」
「!」
「だからね、お仕事がない時に、また一緒に遊んでくれる?」
「ああ……勿論だ!」
「やったー♪ 近頃フェニーチェっていうグループがすごく可愛くて格好良くて素敵なんだ♪ 異世界だとアイドルって言うんだって♪ 一緒に見ようね♪」
満面の笑みで魔王に抱き着くアイジェさん。
目に涙を浮かべる魔王もまた、優しく抱き留めながら微笑んだ。
※―※―※
翌日、アイジェさんたちお客さんを全員見送った後。
夕刻になり、営業日四日目が始まった。
客室はもう増やさなかった。
最大で四人×四組で、十六人となるからだ。
うちの個性豊かな従業員たちは、みんな優秀だが、きめ細かく質の高いサービスを提供しようとすると、このくらいが限界だろうからな。
この日の最初に来たお客さんは、珍しく、クークに会いたい、とのことだった。
「この旅館には凄腕の料理人がいるって聞いたんだけど、合ってるかい?」
「はい、確かにいます」
「あたいは、そいつに会いに来たのさ!」
もう噂になってるとはな。
いつも通り受付にて記名と料金の支払いを先に済ませてもらった後。
厨房の近くまで連れて行って、クークを呼んで来ると。
その妙齢のお客さんは。
「あたいを料理しておくれ!」
水色のウェーブが掛かった長い髪の毛により辛うじて胸が隠れるという半裸姿で、魚の下半身をピチピチさせながら、そう告げた。
「そうか。では、遠慮なく、
「いやまて。
両手に持った包丁を嬉々として振り上げるクークを、俺は慌てて止める。
「さぁ! ズバッと! 一思いにやっておくれ!」
「あなたも
クークを見上げながら両手を広げ、魚の下半身をピチピチさせる
「メグル! き、貴様! 裸の女性を床に転がして、何をしているんのだ!?」
「話がややこしくなるから、お前は入って来るな。むしろ俺は止めてるし。それと、人魚は初めからこの格好だし。転がってるんじゃなくて、足が無いからこれが普通なんだよ」
背後からやって来てよく分からない勘違いをする魔王に対して、俺はげんなりとする。
「とにかく、何があったのか話してもらえますか?」
「ハッ! 仕方が無いねぇ」
そう言うと、サクリラさんは経緯を説明し始めた。
※―※―※
サクリラさんは、この世界樹から見て南東にあるカプティワード帝国の東の海に住んでいるらしい。
姉御肌っぽい言動の彼女だが、ある日、うっかりと漁師たちの魚網に捕まってしまった。
「彼らは、あたいを見て口々に言ったのさ。『これは大きな魚だな。刺身にしてみんなで食おう』って」
「この世界そんな奴らばかりかよ。上半身が人間の相手を簡単に殺そうとするな」
思わず口を挟み突っ込む俺。
「それで、あたいは刺身になる覚悟を決めたのさ」
「いや、あなたも諦めるの早過ぎでしょ。会話出来るんだから、もう少し粘りましょうよ」
「でも、そんな彼らを止めてくれた男が、一人だけいたのさ。『みんな、やめろ! 彼女は人魚だ! こんな美しい女性を傷つけようだとか、何考えてるんだ!』ってね」
サクリラさんは頬を紅潮させ、うっとりと胸の前で両手を組む。
「それがあの人……ライだったのさ」
そんな運命的な出会いを経て、二人は付き合い出した。
サクリラさんは、現代日本人が抱いている印象とは違って、陸上でも下半身は足に変化したりせずそのままだが、ピチピチと跳ねるようにしながら、器用に歩ける。
だから、陸上でライさんと共にデートをした。
また、ライさんが泳ぎが得意だったこともあり、二人で海の中を泳いでデートをすることもあった。
「幸せだった。本当に幸せだったんだ、あたい……でも……そんな夢のような時間は、長くは続かなかったのさ」
サクリラさんがうつむき、顔を曇らせる。
「ある日。待ち合わせまで少し時間があったあたいは、時間を潰そうと、港町の酒場に寄ったんだ。そしたら、数人の男たちと一緒にいるライを目撃してさ。
声を掛けようとしたんだけど、何かいつもと雰囲気が違う彼に、戸惑っちまって。声を掛けられなかったんだ。
何を話してるんだろうって思いながら、あたいは物陰に隠れて、こっそり会話を聞くことにしたのさ。そしたら……
ライが、『人魚の肉を食えば、不老不死になれる』って言った後に、仲間たちに向かって、こう続けたんだ」
顔を上げた彼女は、俺たちに向かって告げた。
「みんなで、あたいを襲おうって」
「!」
「あれはショックだったねぇ……さすがにその日はデートする気分にはなれなくて、すっぽかしちまった」
それはそうだろう。
不老不死になるために、自分を襲ってその肉を食べる。
愛する男がそんな企みを話しているのを聞いてしまって、平常心を保てる者などいない。
「別れようとは思わなかったんですか?」
「そりゃ思ったさ。でもねぇ。海の中で、一人でずっと考えていたのさ。そしたらねぇ……気付いちまった。それでも、あたいはあの人のことが好きなんだって……」
そう言って苦笑するサクリラさんの顔からは、悲しみがにじみ出ていた。
ここまでは、分かる。
ショックだし悲しいことだが、経緯は分かった。
だが。
「だから、あたいを料理して欲しいのさ!」
「いや、それが分からないんですってば」
そこに結び付かない。
話が飛躍し過ぎだ。
「本来あたいは、うじうじ考えるのが苦手なタイプでね。どうせライに対する想いを断ち切れないんだったら、こっちからこの身を差し出そうと思ったってわけさ!
それも、中途半端にちょろっと肉を切るとかじゃなくて、あたいを丸ごと食べてもらおうってね!」
「それで、料理して欲しい、となったわけですか」
「そうさ。あたいの肉をただ切り落として食べさせるだけじゃ、もしかしたら不十分で不老不死の効果が無いかもしれないからねぇ。すごい料理人にちゃんと料理してもらったら、きっと効果があるだろうからさ。
それに、どうせあの人に食べられるなら、出来るだけ美味しく食べて欲しいんだよ。分かるだろ、このいじらしい乙女心?」
「いや全く分かりませんけど? そのために命を捨てるとか、正気とは思えないですよ」
いじらしい?
おぞましいの間違いでは?
「だって、それであの人の望みが叶うんだよ? あの人の夢が実現するんだよ? あたいの命で長生き出来るんなら、それで良いじゃないか。
あたいは死なない。好きな人の身体の一部になって、永遠に生きるのさ!」
「何故だろう。明らかに被害者側なのに、サイコパスっぽい雰囲気を感じてしまうんですけど……」
紛れもなく愛情だとは思う。
思うのだが、重過ぎて背筋がぞわっと冷たくなる。
「ただ、一つだけ条件があってね。あたいを食べて良いのはライだけ、ってことにしたいのさ。愛する男以外に食べられるのは、ごめんだからね。あたいを料理した後は、それをライだけに出して欲しいんだ」
うーん。
何ともリアクションに困る会話だ。
「そうなんですね」
「ああ。だから今日、二人で来たのさ」
「え?」
サクリラさんがそう言いながら、俺の背後に目をやると。
「先に来てたんだね、サクリラ。いきなり森の中に突っ走っていっちゃうから、心配したよ」
「ごめんね、あんた。珍しい鳥がいてさ。追っ掛けてたら、はぐれちゃって。森の外には出られたから、入れ違いになるといけないと思って、先に宿に来ていたのさ」
どうやらサクリラさんは、先に来てクークに直談判するために、周囲を森で囲まれたこの世界樹の
サクリラさんに寄り添い、優しく語り掛けるのは、いかにも海の男という見た目の、日焼けした好青年。爽やかな笑顔が印象的だ。
「いらっしゃいませ。ライさんですね?」
「ああ、そうだよ」
「お話はサクリラさんからうかがっております」
「そっか。二人で旅行に来たんだ。おいらも、受付は済ませたから」
十人中十人が好印象を抱くであろうこの青年を、俺は試してみることにした。
「ライさん。失礼ですが、『人魚の肉を食べれば、不老不死になれる』という伝承を知っていますか?」
「!」
一瞬。
ほんの一瞬だが、ライさんは、目を大きく見開いた。
が、すぐに表情を修正した。
穏やかだが怒りを感じている、という絶妙な表情に。
「いや、聞いたことがないな。でも、冗談でもそんなことは言わないで欲しい。サクリラが嫌な気分になるだろ?」
「あんたったら……! もう! あたいのために! またそんなこと言って!」
サクリラさんがうっとりとしながら、ライさんを見詰める。
いやいやいや。
何「惚れ直したよ」みたいな顔してるの?
ここは、「しらばっくれるんじゃないよ!」って怒るところだから。
『人魚の肉を食えば、不老不死になれる』って言った張本人に聞いたんだからさ。
本当、恋は盲目とはよく言ったもんだな。
「大変失礼いたしました」と頭を下げた俺を
「それじゃあ、行こうか」
「あいよ」
サクリラさんは、一旦俺とクークに近寄ると、「さっきの話、考えといておくれよ」と、ささやいた。
「どうかした?」
「夕食楽しみにしてるよって、シェフに伝えただけさ」
「あ、なるほど。確かに、楽しみだね!」
そんなやり取りをして、ピチピチと跳ねながら、彼女はライさんと共に客室へと向かっていった。
※―※―※
後に残された俺たちは、厨房の中に入って話し合った。
「こうなったらもう、人魚を解体するしかないのう」
「何が『こうなったら』だよ? 簡単に殺そうとするな」
至高の食材が手に入ったとばかりに包丁を持った両手を掲げ、うずうずしているクークに、俺は突っ込む。
「究極の愛の形だな! ただ、我ならば、その選択はしないがな。……何? メグル。貴様、我を食べたいだと? しかも、性的に……? 何てことを言うんだ! だが……どうしてもと言うなら、我もやぶさかではないがな!」
「いや、俺何も言ってないし。大丈夫かお前?」
恋愛脳の魔王が頬を紅潮、腰をくねくねさせてまた暴走しているのを、俺は半眼で見る。
すると、クークが珍しく真剣な表情で告げた。
「あの者の心は既に定まっておる。幸不幸は本人次第。他者がどうこう言う問題ではないと思うがのう」
その言葉に、俺は考え込んでしまった。
一理ある、と思ってしまったのだ。
「確かに、覚悟ガンギマリなんだよな……本人がそれで幸せって言うなら、止めるのも違う……のか……」
心が、揺れた。
※―※―※
しばらくの間、サクリラさんとライさんの様子を見た後。
「よし……」
俺も、ようやく覚悟を決めた。
※―※―※
人魚、サクリラ。
種族名と名前。
それが、彼女の全てだった。
しかし、ある日そこに。
ライの恋人という項目が増えた。
たった一つ増えただけ。
なのに、こんなにも毎日が彩られるものなのかと思った。
見慣れていたはずの海の景色さえ、輝いて見えた。
会いたい。
彼のことを思うだけで、胸が締め付けられて。
会えた。
その瞬間に、寂しさも一人ぼっちの時間も、全てが満たされ報われた。
楽しさをくれた。
喜びをくれた。
幸せをくれた。
愛してくれた。
いっぱい、いっぱいくれた。
あふれる程に。
お返しなんて出来ないくらいに。
だから。
良いかなって思ったんだ。
食べられても。
もう、あの人は寝てしまった。
美味しい夕食を食べて、珍しい世界樹のお酒に歓声を上げ酔っぱらって。
暖かい布団で、ぐっすりと。
その寝顔は、つい微笑んでしまう程に幸せそうだった。
「ありがとう、ライ。あたいを愛してくれて」
そっと呟いて、愛しい相手の頬に口付ける。
夜も
通路に出たあたいを照らすキノコは、今は足下のやつしか光っていない。
世界樹の中ということもあって、どことなく幻想的な雰囲気を感じる。
あたいは、夕食後に皿を片付けに来た男の従業員から密かに渡された紙を握り締めながら、出来るだけピチピチと音がしないように気を付けつつ、厨房へ向かう。
約束通り辿り着いた場所には、シェフが待っていた。
両手に、鈍く光る包丁を持って。
「願いを聞き入れてくれて、感謝するよ。さぁ、一思いにやっておくれ」
シェフがうなずき。
右手に持った包丁を、振り上げる。
ライ。
今までありがとう。
愛してるよ……
さようなら……
包丁が振り下ろされて。
あたいが、目を閉じた。
直後。
「がはっ!」
胸を貫かれて、吐血――
「……大丈……夫……か……? ……サク……リ……ラ……」
「いやああああああああああああああああああああああああ!!!」
――したライが。
あたいの目の前で。
両手を広げたまま、倒れた。
「どう……して!? あたいを食べるって、言ってたのに……?」
「……やっぱり……おいらたちの話……聞こえちゃって……たんだね……」
「……君への……サプライズ……だったんだ……サクリラ……」
「え?」
「……仲間たちが……君を……襲って……おいらが……君を……助ける……そんな……サプライズの……打ち合わせ……だったんだよ……。……君に……格好良いって……思って……もらい……たくてさ……」
ライが告げたのは、予想外の言葉だった。
「なんでそんなことを……? そんなことしなくたって、あんたは誰よりも格好良いのに!」
「……ありがとう……でも……その日……だけは……その瞬間……だけは……どうしても……格好……つけたかったんだ……だって……君に……こう……伝えたかった……から……」
ライが、震える手をあたいに伸ばす。
あたいが、その手を両手でつかむと。
「……サクリラ……おいらは……君のことを……世界一……愛している……おいらと……結婚……してくれ……!」
「!」
「……でも……こんなことに……なっちゃって……きっと……バチが……当たったんだろうね……サプライズでも……君に……自分の愛する……女性に……怖い思いを……させようと……したんだから……」
必死に声を絞り出すライ。
「……不安に……させて……ごめんね……サクリラ……」
あたいは、ブンブンと首を横に振る。
ライは、苦しそうに息を一つすると。
「……サクリラ……どうか……幸せに……なって……欲しい……」
「何言ってるんだい!?」
「……おいらは……もう……君と……一緒には……いられそうに……ないから……」
「! そんなこと言うんじゃないよ! ここは世界樹なんだよ! 温泉に入れば、そんな怪我、すぐに治っちまうさ!」
「……ハハ……でも……ちょっと……もう……遅い……かも……」
ライの瞳に宿る命の光が、徐々に消えて行く。
「諦めるんじゃないよ! 漁師たちに殺されそうになっていたあたいを助けて、つい今さっきもあたいを救ったあんたが、勝手に一人で死のうとしてんじゃないよ!」
泣き叫ぶあたいに、ライが申し訳なさそうに微笑んだ。
「……ごめんね……でも……最後に……一つ……お願いが……あるんだ……」
「……お願い?」
「……プロポーズの……返事を……聞かせて……くれない……かな……?」
あたいは、ライの手を握る両手に力を込める。
「そんなの、答えはイエスに決まってるじゃないか! あたいもあんたのことを愛しているよ! 世界一愛しているよ!」
ライは、満面の笑みを浮かべると。
「……良かった……おいらは……幸せだ……世界一……幸せな……男だよ……」
その手から、少しずつ力が抜けていき。
「……サクリラ……おいらと……出会って……くれて……あり……が……と……う……」
ライは、
「ライ……? ライ……? 嘘……だよね……? 嘘だと言っておくれ……!」
どこか満足そうな笑みを浮かべたその顔に。
あたいは――
「いやああああああああああああああああああああああああ!!!」
ただ、彼の
と、その時。
「!?」
ライの身体が、
そして。
「……あれ? おいら、生きてる……? なんで……?」
「ライ! ライ!! ライいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
光が消えると同時にライは目を開き、上体を起こした。
抱き着くあたいを、戸惑いながら彼が抱き留める。
「ライ! ライ!! 生きてるんだね! 大丈夫なんだね!」
「ああ、生きてるよ。なんでか知らないけど、傷も治ってるし」
少し身体を離して顔を覗き込むあたいに、自身の胸に手を当てたライがうなずく。
「一体何が……? これも、世界樹の力なのかな?」
当惑するライ。
すると。
「いや、それは世界樹の力なんかじゃないですよ」
シェフの後ろから、男性従業員が現れて。
「だって、ライさんは、怪我なんてしていなかったんですから」
「「!?」」
事も無げに、そう告げた。
俺の言葉に、人魚のお客さん――サクリラさんは、困惑しているようだった。
「一体、何を言って……!?」
ライさんに寄り添う彼女とライさん自身に、俺は声を掛ける。
「全部、彼女の魔法だったんですよ」
俺の背後から魔王が出てきて、俺とクークの隣に並ぶ。
「悪いが、貴様らに掛けさせてもらった。幻術魔法を」
「「!」」
俺は、二人に対して経緯を説明した。
※―※―※
最初にサクリラさんの話を聞いて俺が抱いた疑問。
それは、「ライさんが不老不死になるために人魚であるサクリラさんの肉を食べたがっているというのは、本当だろうか?」ということだった。
世の中には、色んなカップルがいて、様々な愛の形が存在する。
「二人で自殺するのが究極の幸せなんです」
中には、そんな者たちもいるかもしれない。
悲しいことだし、目の前でしようとしたら、もちろん止めるけど。
もしサクリラさんの肉を食べて不老不死になることがライさんの幸せであり、彼にそうさせてあげることがサクリラさんの幸せであるならば、口出しすべきことではないのかもしれない。
まぁ、サクリラさんは肉どころか命まであげようとしていたから、さすがにそれは止めなきゃとは思っていたけど。
そこで、俺はライさんに対して密かにスキルを発動して、記憶を確認してみた。
「『
すると、ライさんはサプライズをしようとしているだけで、サクリラさんは誤解しているだけだということが分かった。
そのままサクリラさんに伝えることも出来たけど、俺はそうしなかった。
その代わりに、俺は魔王に幻術魔法を使ってもらうことにした。
しかも、痛みすら感じる、現実と区別がつかない高度な幻術魔法を。
「うちの
俺がそう言った瞬間に、クークが両手に持っていた包丁がフッと消える。
「しばらく触ることを禁じられて、寂しかったのじゃ。眠りにつく時ですら肌身離さずが
「うん、それは頭おかしい。寝る時くらいは離せよ、この包丁狂いが」
クークは背中に手を回すと、改めて自分が愛用している包丁を取り出し、その腹に
「コホン」
咳払いをして、仕切り直す。
二人を――つまりお客さんを
何故なら。
「いかに愛する人のためとはいえ、簡単に死んで欲しくないと思ったからです」
「!」
自分が命を投げ出すことで愛する人が喜ぶ等ということは、有り得ないからな。
「そう……だね……。あんたの言う通りさ。身に染みたよ。痛い程に」
サクリラさんは、ライさんを見詰める。
先程までその瞳から
「もうこれからは、ライのためだからって、自分を犠牲にしたりしない。二人で一緒に幸せになるのさ!」
「ああ、そうだね、サクリラ。おいらたち二人で幸せになろう!」
抱き合う二人に、俺は安堵の溜息をついた。
「メグルよ。我も幸せになりたいな~。誰かプロポーズしてくれないかな~。チラッ」
「何のアピールだそれは?」
何故か魔王が、頬を赤らめながら上目遣いで見て来たが、俺は華麗にスルーした。
※―※―※
次の日。
サクリラさんとライさんを含むお客さんを全員見送った後。
夕刻になり、営業日五日目が始まった。
今日が終われば、最初の一週間が終了。
二連休となる。
仲間たちと共に、もうひと踏ん張りしよう。
「……本当にこうしなければ、飛べないんだな?」
「無論だ! 仕方なく、だ!」
いつものように、早朝に北の海へと食材を獲りに行く俺と魔王だったが。
最初は片手で、握るというよりも触れる感じだったのが、途中から指を
シュールなことこの上ないが、とにもかくにも、俺たちは今日も、無事にたくさん海の幸を手に入れることが出来た。
※―※―※
世界樹旅館の玄関の目の前に舞い降りた瞬間。
「!」
俺は、ある異変に気付いた。
「何枚か若葉を摘んでいくから、先に旅館に戻っていてくれ」
「ああ、分かった」
海水ごと大量の魚介類を旅館内に運んで行く魔王を見送った後。
俺は一人で、反時計回りに世界樹の幹をぐるりと回って歩いていく。
先程、一瞬だったが、向こうの方から俺に対して強引に自分のステータスを見せる者がいた。
間違いなく世界最強レベルの戦闘能力を誇るうちの魔王たちですら、そんな芸当は出来ない。あまりにも時間が短くてステータスの内容までは把握できなかったが。
一体どうやって俺に見せたんだ?
固有スキルだろうか? それとも、何か特殊な種族だろうか?
そのまま少し歩き続けた後。
俺の目に飛び込んで来たのは、地面に倒れている少女。
プラチナブロンドの長髪に、
「……助け……て……! ……地上……息……出来……ない……の……!」
必死にそう訴え掛ける瀕死の彼女は、純白の翼が生えた天使だった。
「待ってろ。今すぐ助けてやる」
俺は倒れていた天使をお姫様抱っこすると、来た道を走って戻っていく。
と同時に、心の中で「『
天使の名はファティル。
現在の状態は
確かに、
先程の発言から察するに、どうやら天使は地上では呼吸が出来ないらしい。
「……触ら……ない……で……! ……エッチ……なの……!」
「じゃあどうしろと?」
助けを求めて来たのは、彼女の方だ。
触れずに救助とか、ただの人間にはハードルが高過ぎる。
あ、まぁ、
それに、もし「ただ働きはゴメンドル!
※―※―※
……よし、取り敢えず旅館には辿り着いた。
「どうしたんですの、メグルさん?」
「話は後だ」
受付のリアが目を丸くしているが、俺はその横を素通りしていく。
「貴様! いたいけな少女の
「取り敢えずお前はその口を閉じろ」
獲った魚を厨房の巨大水槽に入れた後らしい魔王と、素早く通路で擦れ違う。
※―※―※
「よしっ」
息を切らしながら、温泉入口に到着。
一度入ったとはいえ、やはり女湯はマズい――というか、俺は入れないので男湯に入る。
「ぐっ」
――つもりが、入口で弾き飛ばされる。
たたらを踏みつつバランスを取り、何とかファティルを落とさずに済んだ。
そうか。
こっちだと逆に、ファティルが入れないのか。
彼女を抱えている俺ごと、弾かれてしまうみたいだ。
「スゥスゥ。今すぐ来てくれ」
声を張り上げる。
が、反応は無い。
仕方が無いので、とても言いたくはない台詞ではあるが、ボソッとつぶやいてみる。
「俺の身体を乗っ取っても良いぞ」
「お呼びですかぁ?」
目の前の床からスーッと現れたのは、我が旅館が誇る、身体の乗っ取りに生きがいを感じる青色セミロングヘア幽霊少女だ。
本当、どこまでも現金なやつだ。
「非常事態だ。今すぐ俺の身体を乗っ取って、この子を温泉に入れてくれ」
「分かりましたぁ!」
スゥスゥが俺の身体に入って来て。
「うっ」
俺の身体が一気に女体化、一時的にスゥスゥの支配下に置かれる。
『もう大丈夫ですよぉ、お嬢さん~。あんな悪い男には、もう指一本触れさせませんからねぇ』
「人聞きの悪いことを言ってないで、さっさと運べ」
『幽霊遣いが荒いですよぉ』と女体化した俺の口を尖らせながら、スゥスゥはファティルを女湯の方へと連れて行く。
入り口と脱衣所、そして。
「一分一秒が惜しい。このまま入れてくれ」
『分かりましたぁ!』
すりガラスの扉の向こうへ。
着替える間も無く、俺の身体を操るスゥスゥは。
『はわわわわ!』
ザブーン
ツルっと滑って、ファティルと共に露天風呂に頭からダイブした。
『「ぷはぁっ」』
スゥスゥ(と俺)が水面から顔を出すと。
「っぷはぁっ! ふっかーつ! 危なかったの! 死ぬかと思ったの!」
ファティルが立ち上がった。
見ると、顔色が良くなっている。
良かった。
……しかし。
「うっ! ……また……なの……!?」
治りはしたものの、未だに呼吸は出来ないようで、苦し気に顔を歪める。
「……がぁ……あ……ぁ……ッ!」
限界を迎えて、倒れるファティル。
そして。
「っぷはぁっ! 再びふっかーつ! 今度こそ終わったかと思ったの!」
再度立ち上がったファティルだが。
「うっ! ぐぁ……! ……もう……やめ……て……なの……ッ!」
「……これ……何の……罰ゲーム……なの……!?」
生かさず殺さずという地獄絵図が、その後しばらく繰り返された。
「……これ以上はごめんなの……!」
散々地獄を味わいつくしたファティルが、何度目か分からぬ瀕死からの復活後、その白翼を広げた。
そして。
「……上――は無理そうなの……! ……それなら、こっちなの……!」
『きゃああああ! さらわれちゃいますぅ!』
「うわっ」
露天風呂の上空からの脱出は、魔法障壁により不可能だと判断、俺の身体を乗っ取って女体化させているスゥスゥ(俺)の手をつかんで、強引に脱衣所、そして入口へと飛んでいく。
「メグル!」
「……コイツの命が惜しければ……邪魔しないの……!」
通路で魔王とすれ違う。
どうやら、素早く外に脱出するための人質として、俺(とスゥスゥ)は連れて行かれているらしい。
いや、別に人質なんかいなくとも、高速で外へ飛んで行く天使なんて、誰も邪魔しないと思うんだが。
まぁ、クークあたりは、自慢の包丁でいきなり斬り掛かる可能性も無きにしも非ず、か。
「メグルさん!?」
受付のリアが目を見開く中、入口から一気に外へ出る。
先程から何度も扉が勝手に開いているのは、きっとファティルが操る魔法によるものだろう。
「……あと少し……なの……!」
そこから、ファティルは俺(とスゥスゥ)を道連れにしたまま、猛スピードで空へと急上昇していった。
高く。
高く。
高く。
「っぷはぁ! やっとまともに呼吸が出来るの!」
ホクホクのファティルとは対照的に。
『……がぁ……ぁ……』
「……ぁ……あぁ……」
スゥスゥと俺は呼吸困難に陥った。
人間は、二千メートルから三千メートルあたりまで行くと、空気が薄くなって、呼吸が難しくなる。
しかも、今回のような急激な上昇であれば、なおさらだ。
「メグルさん、あとは任せましたぁ!」
「……お前……逃げやがって……」
苦しさに耐え切れなくなったスゥスゥが身体から出ていく。
と同時に、女体化していた俺の身体が、元に戻る。
「あたしは先に旅館に帰っていますねぇ! 死なないように頑張って下さいねぇ。あ、もし死んだら、幽霊仲間が出来るから、別にそっちルートでも良いですよぉ」
満面の笑みでひらひらと手を振りながら、地上へと舞い降りていく幽霊少女。
「……あいつ……ふざけやがって……」
と、その時。
「この辺りで良いの」
ようやくファティルが、止まった。
もはやどのくらいの高度か分からない程の、高空に。
「……ぐっ……ううっ……俺を……地上に……戻せ……」
もがき苦しみながら必死に訴える俺だが、聞こえているのかいないのか、ファティルは無視して、笑顔で語り掛ける。
「あ、さっきは助けてくれてありがとうなの! お願いを聞いてくれて嬉しかったの!」
「……そんな……ことより……地上に……」
「お願いついでに、もう一つ頼まれて欲しいの!」
どうやら、とことんこちらの俺の話は聞かないようだ。
「このくらいの高さに、温泉を作って欲しいの!」
「……ここに……温泉……?」
やたら高い空の上だが、実はこんな高空まで、世界樹の幹は届いており、葉も生い茂っている。
よって、作ろうと思えば、作れる。
地上だと天使は呼吸が出来ず、入れないから、高空で入りたいのだろう。
今高空で呼吸困難という逆の立場に置かれた俺としては、その気持ちは分かる。
ただ、正直、こんな状況下でのお願いは脅迫に他ならず、本当は受けたくはない。
だが、選択肢はない。
承諾しなければ、このまま酸欠で死ぬだけだ。
俺は、渋々、了承することにした。
「分かっ――」
が、その直前に。
「仕方ないから助けてやるドル!」
見ると、幹から例の大きな口が出現している。
「くっ!」
慌てて彼女は回避した。
「わはははははは! この超有能なユドルに感謝するドル! おかげで低能なてめぇは命拾いしたドル!」
恩着せがましいユドルだったが、攻撃を避けたファティルに手を離された俺は。
「……うわあああああああああああああッ……」
「あっ……あちゃ~ドル……」
眼下へと、真っ逆さまに落ちて行った。
気まずそうなユドルの声を最後に聞きながら。
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい。
マジで死ぬ。
俺が本気で死を覚悟した。
次の瞬間。
「大丈夫か?」
俺を柔らかく受け止めたのは、魔王の両腕だった。
「『
魔王の声に呼応して、俺の全身を球形の地上の空気が包み込み、呼吸を可能にする。
「ッぷはぁッ。魔王、ありがとう。助かった。本気で死ぬかと思った」
「な!? ほ、本気で好きだと思っただと!? こんな空の上で、そんな熱烈な告白をするなどと! 何を考えているんだ貴様は!」
「助けてもらっておいて何だが、お前こそ何を言ってるんだ?」
頬を紅潮させた魔王は、「コホン」と咳払いして仕切り直すと、虚空に静止した状態で俺の足を下ろし、いつものように俺と恋人繋ぎで手を握る形に体勢を変えた。片手だけだが。
「あの者に話がある」
魔王はそう言うと、漆黒の翼で俺と共に急上昇していく。
さすが魔王だけあって、人間と違い強靭な肉体を持っている彼女は、俺と違って『
※―※―※
すぐに先程の高度まで舞い戻って来ると、ファティルが待ち構えていた。
「それで、どうなの? この辺に温泉を作ってくれるの?」
マジか、コイツ?
先刻俺を殺し掛けた張本人とは思えないほど、あっけらかんとしている彼女に、俺は呆然とした。
そんな俺の様子には気付かず、ファティルは事情を説明する。
「ファティルたち天使は、雲の上の天界で働いてるんだけど、すっごく疲れるの! クソ――じゃなくて、神様に命じられて、常に『天使らしくしろ』って言われて!」
「クソと神を間違えるな」
どうやら、相当ストレスが溜まっているようだ。
「歩いてできる作業とかも、全部『優雅に飛びながらやれ』とか言われるの! 意味不明なの!」
彼女の話によると、魔王をはじめとするモンスターたちよりも、天使は肉体強度が低いらしくて、飛行のために翼を動かし続けると、すぐに筋肉が疲れてしまうらしい。
しかし、神の命令なので、常に飛びながら仕事をしなければならない。
神聖なる宮殿の掃除も、世界の歴史を記した本棚の整理も、天界にしか咲かない花々の水やりも。
そんな日々を続けていく内に、本日。
限界が訪れてふらついた彼女は、雲の端から下界へと落ちた。
筋肉疲労が限界で、飛び上がることも出来ず、俺たちの旅館近くの地面(世界樹の枝の上)に激突――する寸前に、何とかほんの少しだけ翼を動かして、死ぬことだけは防いだ。
が、それが精一杯で、あとは呼吸困難に陥りながら助けを求めることしか出来なかったようだ。
「でも、あの温泉はすごいの! 呼吸困難――は、一時的にしか治らなかったけど、筋肉痛は完全に無くなって、身体の疲れが吹き飛んだの!」
興奮しながら、胸の前でうっとりと両手を組むファティル。
地上では呼吸が出来ないというのは、一見すると呪いのように見える。
天界の者は、汚れた地上の空気を吸うべからずみたいな。
そのため、世界樹温泉で解呪できそうなものだが――残念ながら、出来なかった。
「もしかしたら……」
ファティルたちの上司である神と、俺に固有スキルを与えた上で転生させた女神は別の神なのかもしれない。
そして、同格であるが故に、呪いのような片方の能力をもう片方の能力で完全に消してしまうことは不可能、ということなのかもな。
いやまぁ、単純に天使の身体が地上に適していないっていうだけかもしれないけど。
「だから、お願いなの! ここにあの温泉を作って欲しいの! そしたら、あのクズ――じゃなくて、神様の無茶振りにも何とか耐えられると思うの! 迷える天使に愛の手を!」
「迷える子羊みたいに言うな。どっちかって言うと、お前らは迷える子羊を救う側だろ」
両手を合わせて拝むファティルに、俺は思考する。
普通に考えれば、天使のためだけに、こんな高さに温泉を作るのは、手間もコストも掛かり過ぎるため、無しだ。
だが、木の精霊であるリアによると、リアは、植物の中であれば、どこでも一瞬で移動出来るらしい。
つまり、世界樹の中を、瞬時に移動出来るのだ。
更に、リアが生み出した
付け加えるならば、リアもしくは
であれば、移動の労力もタイムロスも、ほぼないと考えて良い。
温泉を新たに作るのも、
しかし、それでも、普段使っている温泉に比べれば、作製にコストは掛かるし、労力も完全なゼロではないので、余分に金をもらう必要はある。
「温泉のみの利用で、通常の三倍。つまり、金貨三枚となる。それでも良いか?」
「問題ないの! 給料だけは良いの! あのカス――じゃなくて神様は、金払いだけは良いの!」
「よし、交渉成立だな」
話がまとまった。
と思ったのだが。
「待て、メグル」
魔王から待ったが掛かった。
「コイツのためにわざわざ新しく温泉を作るなんて、我は賛同できない」
「俺が殺され掛けたからか? 確かに俺もどうかと思ったが、商売だからな。結果的に儲け話に繋がったし、俺はもう気にしてないぞ?」
「いや、それも万死に値するが」
「値するんだ」
魔王は、俺たち同様に高空に静止するファティルを、鋭くにらみつけると。
「我らモンスターも、人間たちも、決して忘れてはいないぞ! かつて、貴様ら天界の者たちによって、モンスターと人間は一度、共に滅ぼされたことを!」
「!」
激しい憎悪を露わにした。
「どういうことだ?」
戸惑う俺を、手を繋ぎ空中に静止したままの魔王が、チラリと一瞥する。
「そのままの意味だ。奴ら天界の者たちは、かつて、モンスターと人間を皆殺しにした」
同じく高空に浮かぶファティルと対峙しながら、魔王は、太古の昔に何があったかを説明した。
※―※―※
二千五百年前。
この異世界には、今とは比べ物にならないほどの、超巨大大陸があった。
そして、その超巨大大陸に、国家が点在していた。
モンスターと人間たちは皆、穏やかな気質の者ばかりだった。
だが、もし国境を接したりすれば、さすがに国家間に緊張が走るだろうと思い、お互いに気を遣って、どれだけ領土を広げようと、国境だけは接しないようにと、極力注意していた。
そのお陰で、モンスターも人間も、平和に暮らしていた。
しかし。
ある日のこと。
「パパー! お空が落ちてくるー!」
「はっはっは~。それは大変だな……って、え?」
突如、空と同じ大きさの水の塊が、天から落下した。
「きゃあああああああああああああ!」
「うわあああああああああああああ!」
「逃げろおおおおおおおおおおおお!」
逃げ惑うモンスターと人間たちだったが。
大陸全てを覆う程の超巨大水塊から逃れる術などなく。
「「「「「!!!」」」」」
超巨大水塊が、大陸を破壊し。
運よく即死しなかった者たちも、大洪水によって溺れ、水底へと沈み。
たった一日で、モンスターと人間たちは絶滅した。
実は、彼ら彼女らは、天災が起こる直前に、天から降り注ぐこんな声を聞いていた。
<はっくしょん! ちくしょう! って、あ。ヤベー。俺のくしゃみのせいで。……ごめんちゃい♪>
巨大な音声なのに、何故か脳内に直接響く声。
声の主は、天に住む者。
くしゃみ一つで――飛び散った鼻水でモンスターと人間を滅ぼし得る存在。
それらから、モンスターと人間たちは、死の間際に、犯人はモンスターとも人間とも違う、完全なる超越者――つまり、神であると断定した。
※―※―※
<ま、これで許してちょんまげ♪>
神はそう言いながら、モンスターと人間たちを全員生き返らせた。
が、大陸を元に戻すことを忘れてしまった。
その結果、辛うじて鼻水の海に沈まなかった現在の小さな大陸に、六カ国全てが集中する事態となった。
つまり、あれだけ皆が注意深く回避していた国境が接する形になってしまったのだ。
幸い、争いを好まないこの世界の住人たちの外交努力によって、長い歴史の中で、戦争は一度も起きていない。
だが、何度も危機は訪れた。
その度に、彼ら彼女らは、込み上げる激情を必死に抑え。
声を揃えてある言葉を呟いた。
「これも全て、天界のせいだ」
と。
全て天界が悪いのだ。
地上に生きる自分たちのせいじゃない。
私は何も悪くない。
勿論貴方も、何も悪くない。
だから、私たちが争うことほど、不毛なことは無い。
兄弟よ、グッと我慢して、この狭い大陸で共に暮らそうではないか。
怒りは、全てアイツらに向けよう。
そう。我慢するのだ。
いつか、天界に復讐が出来るその日まで――
※―※―※
「その復讐の対象が、今、目の前にいるんだ!」
魔王がその瞳に宿す暗い光が、鋭さを増す。
しかし。
「あんた、何言ってんの?」
「なっ!?」
呆れたように、ファティルは溜息をついた。
「今あんたが言った通りなの。悪いのは全部、あのゴミ……じゃなくて、神様なの。ファティルたち天使には関係ないの」
やれやれと肩をすくめるファティルに、魔王が噛み付く。
「貴様ら天使も天界の者であることに変わりは無いだろうが!」
「そうだけど、でも、ファティルたちは、あのボケ……じゃなくて、神様じゃないの」
「貴様らの上司が犯した愚行だろうが! 連帯責任だ!」
「そんなの横暴なの! ファティルたちには、一切罪は無いの!」
魔王……のみならず、ファティルまでも、ヒートアップしていき。
「もう我慢ならん! 戦争だ!」
「望むところなの! 見た目と違ってえげつない攻撃力を持つ天使の恐ろしさ、とくと味わうの!」
とうとう、物騒な言葉まで飛び出してきた。
出来れば、仲間である魔王に肩入れしてやりたいところだが。
正直、上司が悪いことしたから、部下も同罪だというのは、いささか乱暴過ぎだ。
しかもこれ、神が悪巧みをしているのを知っていて、でも見て見ぬ振りをしたとか、神が虐殺を繰り返しているのを、見過ごしたとかじゃないんだよな。
神がうっかりくしゃみして、大量の鼻水を下界に落としてしまっただけなんだから、イレギュラーもイレギュラー。
天使たちにはどうしようも無かったことは、容易に想像できる。
「やめろ、二人とも。まずは一旦落ち着け」
「いかに伴侶の頼みでも、こればっかりは譲れないぞ、メグル!」
「誰が伴侶だ誰が」
発言内容はともかく、殺気立ったままの魔王に、出来るだけ穏やかに語り掛ける。
「長年、モンスターと人間たちは平和に暮らしてきた。そうだな?」
「ああ、そうだ。それがどうした?」
「想像してみてくれ。もしこれから天界を相手に戦争を始めたら、モンスターと人間たちは、どうなる?」
「……大勢死ぬだろうな。でも、天界への復讐は、この大陸に住まう者たち全員の悲願なんだ! 犠牲はやむを得ない!」
果たして、全員がそう思っているのか……?
特に、長い間引きこもっていた魔王は、千年前からこの時代へとタイムスリップしたも同然。
千年前と今とでは、価値観が違っていてもおかしくはない。
……が、それは言わないでおく。
その代わり。
ちょっとズルいが、切り札を使うか。
「俺は、誰にも傷付いて欲しくない。特にお前にはな、魔王」
「! メグル……」
険悪な表情が、一気に和らぐ。
「だ、だが! それでも――ッ!」
惜しい。
もう少しだな。
「じゃあ、こういうのはどうだ? 俺が提案する勝負を、人間とモンスターの代表者である魔王と、天使たちの代表者であるファティルにしてもらう」
「勝負だと?」
「何の勝負なの?」
怪訝な表情を浮かべる魔王とは対照的に、ファティルが食いつく。
可愛らしい顔に似合わず、負けず嫌いで、勝負事が好きなのかもしれない。
「温泉耐久だ!」
「「温泉耐久?」」
「ああ。どちらが、より長く温泉に入っていられるか、という勝負だ」
「くだらん! ふざけてるのか、メグル!? 我は、天使たちを叩きのめしたいんだ!」
「温泉に長く入ったからって、何になるの? 笑えない冗談なの!」
「あれ? 二人とも、もしかして、自信無いのか?」
「「!」」
我ながら、安い挑発だが。
「何言ってるんだ、そんな訳ないだろう!」
「温泉なんて、永遠に入っていられるの!」
二人はチョロかった。
最後に、これでチェックメイトだ。
「なら、勝負してみろ。勿論、ただの勝負じゃない。勝った方には、負けた方に対して、一つだけ何でも命令を出来る権利を与える」
「「!!!」」
魔王と天使が、同時に目を見開く。
「何でも……だな?」
「どんな命令でも良いの?」
「ああ、どんな命令でも問題ない」
俺がうなずくと、二人は不敵な笑みを浮かべた。
「だったら、やってやろうじゃないか!」
「今から吼え面欠かせるのが楽しみなの!」
「決まりだな」
こうして、両陣営による勝負が、今夜行われることとなった。
※―※―※
そして、決戦の時が来た。
新たに作った、高空に臨む露天風呂にて。
普通に考えれば、どれだけのぼせないかの勝負となるところだが、両者が入ったのは、ただの温泉ではなく世界樹温泉。
あらゆる怪我・病気を一瞬で治すこの温泉では、のぼせた状態に陥っても、瞬時に治ってしまう。
また、眠くなって寝てしまい、溺れて重体になっても、即座に復活してしまう。
従って、彼女たちが直面した問題は、のぼせるという状態異常ではなく、溺れることによる瀕死の状態でもなく。
「ああッ! くうッ! もう限界だッ!」
「で、出ちゃうのッ! いやあああああッ!」
時は少し遡って。
温泉耐久が始まる少し前。
まず俺は、金貨一枚を
魔王とファティルの勝負なので、女風呂のみだ。
そして、考えた。
二人きりにしておくと、マズいなと。
そこで、監督者を一人置こうと思った。
誰が良いだろうか。
リアとクークならば、どちらでも問題なく任せられる。
ただ、受付のリアはともかく、料理を作れるのはクークだけだから、残念ながら無理だな。
スゥスゥ……は無いな。
ロッカ、ニコ、ネーモ――
俺が思考を重ねていると。
「なんか面白そうなことしていますねぇ! あたしも一緒に空の温泉入りたいですぅ! とうっ!」
スゥスゥが再び俺の身体を乗っ取りやがった。
女体化する俺の身体。
「………………」
じゃあ、俺がやるか。
こうして、監督者(兼審判)は俺(スゥスゥに身体を乗っ取られてはいるが)に決まった。
まぁ、逆に良かったかもしれない。
どちらにしろ、クークは料理担当だし。
冷静に考えると、温泉に茹でられている二人を見て、「良い出汁が出たのう。あとは湯から出して、切り刻むのみじゃ」とか言って、自慢の包丁で二人を料理しかねないしな。
そして、よく考えたら、リアにはこの仕事は任せられないんだった。
何故なら、もし俺がやろうとしていることを知れば、彼女は、「神聖なるユドル様の体液を汚すだなんて! 万死に値しますわ!」とか言って、木の精霊の力を存分に発揮して殺戮を始めてしまう危険性が高い。
ということで、俺は魔王とファティルが行う温泉耐久勝負の監督兼審判をすることにした。
始める直前に、俺は一つ条件を付け加えた。
「ただの温泉耐久だと面白くない。大量に飲み食いしながら温泉耐久してもらう」
「メグル! 直前に何言ってるんだ!」
「そうなの! 話が違うの!」
「あれ~? 二人とも、人智を超えた力を持つ魔王と天使だよな? そんなことも出来ないのか? それとも、負けるのが怖いのか?」
「くっ! そんな訳ないだろう! 我は誇り高き魔王だ! それくらい出来る!」
「天使に不可能は無いの! 望むところなの! やってやるの!」
と、相変わらずのチョロさのおかげで、問題なく大食い勝負も、追加することが出来た。
普通に考えると、大食い勝負とは、どれだけたくさん食べられるかだが、今回の策においては、本質はそこにはない。
「よ~い、スタート!」
「勝負だ! 天使!」
「受けて立つの! こんなの、いくらでも食べてやるし、いくらでも入ってやるの!」
ファティルは堂々と真っ裸で温泉に入っており、同様に一糸まとわぬ魔王も、目の前の勝負に集中しているためか、前回のような恥じらいは見られない。
そのおかげで、俺も前回ほどはドキドキせずに済んでいる。
ちなみに。
『あぁ~! 気持ち良いぃ! 最高ですぅ!』
俺の身体を乗っ取っているスゥスゥも、二人と同様、早速温泉に入っている。
さて。
大量に飲み食いした後にどうなるかが、今回の計画の肝だ。
当初、酒を飲ませて二人ともべろんべろんに酔わせるということも考えたが、普段から見ていると、魔王はかなり酒に強く、『
そのため、違う作戦を練る必要があった。
そこで考え付いたのが、この作戦だった。
温泉耐久とは、温泉から出てはいけないというもの。
勝ちたければ、何があっても、どんな非常事態でも、決して湯船から出てはいけないのだ。
クークに頼んで、料理をガンガン作ってもらい、世界樹内を一瞬で移動出来る
魚介類を使った天ぷら、刺身、寿司、うな丼、世界樹の華・葉・皮・根を使った炊き込みご飯、野菜炒め、味噌汁、それに、世界樹の
「フッ。この程度か! 楽勝だ!」
「天使の力を甘く見過ぎなの! こんなの、赤子の手をひねるよりも簡単なの!」
運ばれてきた大量の料理と酒を、次々と平らげていく二人。
初日は、何の問題もなかった。
※―※―※
異変が起きたのは、二日目だった。
「うっ……」
「あっ……」
本来ならば、今日から二連休だ。
チェックアウトで、リアと
リアには、「特に頑張って働いてくれていたからな。せっかくの休みだし、羽根を伸ばしてくれ」と伝えておいた。
彼女は、「分かりましたわ! この二連休で、存分に堪能させて頂きますわ! ペロペロペロペロペロペロ!」と、羽根ではなく舌を伸ばしながら、さっそく自分が敬愛する
クークには、「本当に申し訳ない! 来週とその次は三連休にして、ちゃんと今日明日の分は休めるようにするから!」と、平謝りして、今日明日の二日間を、引き続き料理し続けてもらうことにした。しかも、夜通しで。
「仕方が無いのう。では、世界樹の果実を食べさせてもらおうかのう。それで引き受けてやるのじゃ」
クークはそう言って、うなずいた。
万が一の時に使えるカードとして、お客さんにすら食べさせないでおいたものだ。
やはり、いざと言う時のために、切り札は取っておくものだな。
そして、
ただ、相手は魔王とファティルの二人だけなので、三人で適宜交代で休憩して欲しい、と伝えておいた。
「ロッカは、旦那さっまがぎゅって抱き締めてくれるんだったら、いくらでも働けまっす」
「ニコも、余分に働く条件に、旦那様に抱擁して頂くという御褒美を付け加えるという考えに、至りました」
「ネーモも、旦那さ~まにぎゅ~して欲しいで~す」
なんて良い子たちなんだ。
俺のハグごときで良ければ、いくらでもあげよう。
……何となく魔王の反応が怖いから、彼女がいない場所で、だけどな。
※―※―※
ということで、初日に引き続き、料理をガンガン作って運んでもらっては、魔王とファティルに食べさせ続けた。
本来ならば、いかに気持ち良かろうと、温泉に入り続けるなど不可能だ。
のぼせてしまうし、皮膚がボロボロになり剥がれてしまうからだ。
しかし、世界樹温泉ならば、怪我や病気を一瞬で治す効能が常に得られるために、このような事態には陥らない。
睡眠不足になり、眠って溺れてしまい重体になったとしても、即座に回復させられるので、絶対に死ぬことはない。
であれば、何故魔王とファティルに異変が起きたのか?
それは、生物しての根源的な欲求であり、どうしようもない生理的現象だった。
「も、漏れる……!」
「ヤバ……いの……!」
そう。
排泄である。
食料がほとんどない魔王城の中で千年間も生き延びた魔王は、どうやら何も食べずとも、長期間生きていくことが可能であるらしい。
が、俺は知っている。
魔王がトイレに行くことを。
食事を取れば、他のモンスターや人間と同じく、トイレに行きたくなってしまうのだ。
更に、ファティルに対して『
つまり、食べずとも生きていけるが、食べてしまったが最後、必ずトイレにいかなくてはいけない、ということだ。
その結果。
「ううっ!」
「ああっ!」
二人は、眉根を寄せ、悩まし気な表情で、尿意と便意を同時に我慢することになった。
ただ、優しい俺は、両者に伝えてあげた。
「世界樹温泉には、汚れを一瞬で浄化する効力がある。だから、どんだけ漏らしても大丈夫だぞ。一瞬で浄化して、消滅させてくれるからな」
「そういう問題じゃない!」
「ふざけないで欲しいの!」
そう。
乙女にとって、そういう問題ではないのだ。
漏らした瞬間に、全てが終わる。
真剣にそう考え、それ故二人は苦悩しているのだ。
※―※―※
翌日。
勝負三日目となった、この日の朝。
「ううううううううううッ!」
「ああああああああああッ!」
限界が近づいていた。
だが、俺は容赦しない。
「ま、まだ食べさせるのか!」
「き、鬼畜なの!」
クークと
そして、同日の夜。
「も、もう無理……!」
「ゆ、許してなの……!」
「ん? 別に俺は良いが、それは負けを認めるってことか?」
「くっ! 我は認めんぞ! ……うううッ!」
「ファ、ファティルも、絶対に認めないの! ……あああッ!」
強がるも、どう見ても限界はすぐそこに迫っていた。
そして。
「ああッ! くうッ! もう限界だッ!」
「で、出ちゃうのッ! いやあああああッ!」
とうとう、その瞬間が訪れた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
二人は――決壊した。
※―※―※
「……うう……何で我がこんな目に……?」
「……ひ、酷過ぎるの……ぐすん……」
放心状態の二人の目からは、光が失われ、もはや戦う力は残っていなかった。
新たに運ばれてきた料理と酒に全く手を付けていないことから、俺は判断を下した。
「二人とも、アウト。どっちも失格だ」
両者揃って負けだと、宣言した。
「くっ」
「くすん」
目を閉じて唇を噛む魔王とファティルだったが。
「……ファティルだったな。貴様、なかなかやるじゃないか。こんなにも手強いとは思っていなかった。引き分けだ」
「……あんたも結構やるの。思った以上だったの。いい勝負だったの」
固い握手を交わす二人。
色んな意味で出し尽くした二人の間には、地獄の戦場を共に駆け抜けた者にしか築けない、掛け替えのない絆が結ばれたようだ。
こうして、モンスターと人間対天使という、世界を破滅へと誘う戦争は、無事に回避されたのだった。
そして、この日以来、ファティルの仲間の天使たちが、時々、(泊りではなく)高層にある温泉のみに入りに来るようになった(温泉のみの利用で金貨三枚と、うちの普通(下層)料金の三倍にもかかわらず)。
高層にある温泉の脇に、天使たち用に入口とベルを設置して、ベルを押せば、下層にある受付担当のリアが気付けるようにして、その都度
なお。
身体を乗っ取っとられているとはいえ、ただの人間である俺は、この三日間、どのようにして生理的欲求を乗り越えたかというと。
『ご飯美味しいですぅ!』
相変わらず温泉に浸かったままのスゥスゥが、運ばれてきた豪華な料理を勝手に食べて食欲を満たし。
『ぷはぁ! 五臓六腑にしみわたりますぅ!』
普段は全てが擦り抜ける五臓六腑に酒をしみわたらせ。
『すぴぃ~。すぴぃ~。……ゴボボボッ! ゲホゲホッ! 危なかったぁ! 死ぬかと思いましたぁ!』
眠くなり溺れかける度に、幽霊ジョークを飛ばしつつ睡眠欲を満たした。
ちなみに、もう一つの生理的欲求だが。
スゥスゥは、時と場所を気にしない質らしく。
その結果、どうなったかというと。
『ふぅ~。スッキリしましたぁ!』
……推して知るべし、である。
※―※―※
そして、翌日。
新たな一週間の初日営業日。
昨日からずっと、どこかよそよそしい魔王に俺が訊ねる。
「どうかしたのか?」
「なんで貴様はそんな平然としているんだ!」
「え?」
「だって、わ、我は……見られてしまったのだぞ! その……絶対に見られたくない、一番恥ずかしい場面を!」
「ああ、そういうことか」
「そういうことか、じゃない! 一大事だ!」
「そうか? だって、恥ずかしかったかもしれないが、あれを見られようが、お前が可愛くて美人なことには変わりないんだからさ」
「ひゃいっ!?」
「良い女ってのは、多少恥ずかしい場面を見られたくらいじゃ、何も変わらない。そんなことで、本物の魅力は失われないんだ。ほら。今日も着物が良く似合ってるぞ」
俺の言葉に顔を真っ赤にした魔王は、「そ……そうか……!」と呟くと、今度は満面の笑みを浮かべて、尻尾をぴょこぴょこと動かし、黒翼をバサバサと羽ばたかせた。
元気になったようで良かった。
うんうん。
「それと、もう戦争するとか言うなよ? 平和なのが一番なんだからさ」
「分かっている。我もそこまで愚かではない! 同じ轍は踏まない!」
力強くうなずく魔王だったが。
この日来た、一組目の四人組のお客さんは。
「魔王さま! さぁ、今こそ、世界征服を成し遂げるです!」
「!?」
世界征服を目論む、魔王直属の配下である四天王だった。
来て早々、世界征服という、物騒な単語を放った四天王たち。
「千年経ってようやくお会いできたです! ククスは、魔王さまと会えて感動してるです! 魔王さま! ご復活、本当におめでとうございますです!」
「いや、死んではいなかったがな」
一人目は、背筋がピンと伸びて、ハキハキとして明るく、しっかり者という感じの美少女だ。
「こ、これはとんだ失礼を……申し訳ありませんです……。てっきり、ククスと同じく、魔王さまも、何度も死んではその度に復活するという趣味があるのかと思っていたです……」
「我にそんな趣味があってたまるか!」
あ、もしかして、意外と天然っぽいところもあるのか?
ククスさんが頭を下げると、鮮やかなオレンジ色のポニーテールが揺れる。
翼と尾も同じくオレンジ色だが、何よりも一番印象的なのは、キラキラと輝くそのオレンジ色の瞳だ。
『
「わーい! レレムは、人間がたくさんいる場所を攻めたいのだ!」
うんうん、元気なのは良いことだ。
ぴょんぴょんと飛び跳ねる二人目は、長い青紫色の髪をツンツンと逆立てた、元気一杯で子どもっぽい美少女だった。
小柄な彼女だが、ゴーレム娘であり、どうやら巨大化出来るらしい。
「いえ。スララは、まずは着実に小さな村から落とすべきだと思うのだわ」
三人目は、おしとやかな印象の美少女で、白髪ロングヘアのサイドテールがふわりと揺れ動く。
グレイトスライム娘という、物理攻撃を完全に無効化するモンスターである彼女。
うん、強いタイプのスライム娘だな。
っていうか、物理攻撃を完全無効化って、正直チートと言っても良い。
「ううん。ガガオは、小さい子どもたちを標的にするのが良いと思うのら~」
最後は、一番背が高く、引き締まった身体をしている美少女。
オーガ娘の彼女は、茶色のベリーショートで、常にとろんとした眠そうな目をしている。
この子、まったりした表情とは裏腹に、ステータスが滅茶苦茶高い……戦闘能力えげつないな。
ん?
何だこのステータス?
重度のロリコン?
……見なかったことにしよう。
そんな四天王たちは、ククスさんが言うように、主である魔王をひたすら待ち続けていたらしく。
「魔王さま! ククスたち四天王と共に、今こそ世界征服を成し遂げるです!」
魔王に詰め寄る直属の部下たちに、魔王は、「引きこもっていた我を、千年間ずっと待っていたのか?」と問う。
「はいです! お待ちしておりましたです!」
「待っていたのだ!」
「ええ。待っていたのだわ!」
「うん。待っていたのら~」
どうやら初対面らしい彼女らだが、それにもかかわらず全身から忠誠心が滲み出ている。
そんな彼女たちに対して、魔王は顔を曇らせると、頭を下げた。
「すまない! 我を慕ってくれる貴様らの気持ちは嬉しいが、我はもう、戦争は起こさないと誓ったのだ。相手がたとえ天使であっても。ましてや、貴様らが戦おうとしている相手は、人間だろう? それならば、なおさらだ」
とても真摯かつ誠実だ。
素晴らしいぞ、魔王。
しかし、残念ながら、そういう話じゃないんだ。
臣下に頭を垂れる主君に対して、目をパチクリしていた四天王たちは、顔を見合わせると。
「魔王さま、頭を上げて下さいです! きっと魔王さまは何か勘違いしてるです!」
顔を上げ、訝し気な表情を浮かべる魔王に、リーダーのククスさんが告げた。
「ククスたちは、魔王さまにアイドルになって欲しいだけです!」
「!?」
「魔王さまはご存知ではないと思うですが、ククスたちは、フェニーチェというアイドルグループをやってるです。最近、やっと知名度が上がって、人気が出てきたです! 魔王さまが新リーダーとして加入して下されば、大人気になること間違いなしです!」
熱弁するククスさん。
先程、四天王たちが『人間がたくさんいる場所を攻める』『小さな村を落とす』『小さい子どもたちを標的にする』と言ったのは全て、アイドル活動をすることにより、人間たちをメロメロにさせて落とす、という意味だったらしい。
「そのアイドル……とは何だ?」
怪訝な表情を浮かべる魔王に、「よくぞ聞いて下さいましたです!」と、ククスさんが胸を張って答える。
「アイドルとは、聴衆を強制的に熱狂させることで精神操作する歌手のことです! 観客の精神状態を無理矢理高揚させ、
民衆は、気付けば多幸感を味わわさせられて、無意識にまたライブ――演奏会へと足を運んでしまうです!
あの歌手に会いたい。あの歌を聞きたい。その果てしない欲求は、市民の生活を侵食し、人生すらも大きく左右するです!」
「そんな恐ろしい力を持った歌手がいるのか! まるで精神操作系の最上級魔法ではないか!」
「はいです! アイドルは、正に世界征服をするに打ってつけの存在です!」
魔王が驚愕すると、ククスさんはドヤ顔になった。
うん。まぁ、なんだその。
言い方だよな。
確かに、カリスマアイドルともなると、大袈裟じゃなく「推しのために生きてるんだ!」という大勢のファンたちが存在するからな。
あれは、異世界の住人たちからすると、精神操作に見えなくもない、か。
ちなみに、四天王たちは皆、ちゃんとアイドルらしく、お揃いの衣装に身を包んでいる。
オレンジ色、黄色、そして赤を基調とした、恐らくは
「争う訳ではなく、密かに精神操作して世界を牛耳る……なるほど、誰も傷つけることない世界征服となるわけだ。悪くない案だな」
うつむき、顎に手を当てて思案する魔王だったが、「ただ……」と、顔を上げた。
「様々な魔法を操る我だが、正直精神操作系の魔法は苦手なのだが」
「大丈夫です! 魔法を使えるかどうかは関係ないです!」
「何だと!?」
「そうなんです! 魔法を用いずに、魔法のような効果を発動する。そこが、アイドルのすごいところです!」
「ふむ。なかなか奥深いな。で、我にもそれが出来ると?」
「もちろんです! だって、魔王さまはすごく良い声をしてるです! あと、魔王さまは、歌は得意ですか?」
「まぁ、それなりに歌えると思うぞ」
「それなら、完璧です! それに、魔王さまはお美しいですし!」
「よ、容姿が関係あるのか!?」
「はいです!」
戸惑う魔王とは対照的に、ククスさんは太鼓判を押すと、他の四天王たち――レレムさん、スララさん、ガガオさんも賛同する。
「魔王さまは綺麗なのだ!」
「それに、素晴らしいお声をしていらっしゃるのだわ!」
「うん。魔王さまは至高の存在なのら~」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるゴーレム娘、うっとりと魔王を見詰めるスライム娘、眠そうな目だがしっかり陶酔しているらしいオーガ娘、そして彼女らの言葉にうんうんとうなずくフェニックス娘を見る彼女たちの主君。
「そうか……うーん……」
突然の誘いとそれに伴う賛辞に、どうしたものかと思案する魔王は、「そう言えば」と、ククスさんたちに訊ねる。
「『最近知名度が上がり、人気が出てきた』と言ったが、アイドルを始めたのも最近なのか?」
その問いに、ククスさんは、「芽が出て来たのは最近ですが」と言うと、平然と続けた。
「アイドル活動を始めたのは、二千年前です」
「!?」
「二千年……だと……!?」
驚愕に目を見張る魔王に、「やっぱりご存知なかったですよね」とククスさんが反応する。
「では、この二千年の間にククスたちに何があったかを、三千年前からの歴史と共に、ご説明させて頂くです!」
そう言えば初めて会った時にリアが、『三千年振りのユドル様!』とか言っていたな……
俺がそんなことを思っていると、「事の発端は、ククスたちが生まれるよりずっと前――三千年前に、勇者が異世界から転生してきたことだったです」と、どこか遠くを見るような目をしたククスさんが、語り始めた。
※―※―※
三千年前。
ククスさんによると、当時の魔王(男)は、今の魔王と違い、邪悪な存在だったらしい。
モンスターの大軍を操って、人間を襲わせていたのだ。
このままでは人類は滅ぶ。
そう危惧した、とある人間の国王が、高名な魔法使いに勇者を召喚させた。
異世界から召喚された少年は、勇者として魔王に挑んだ。
が、返り討ちに遭った。
命からがら王都に逃げ帰って来た彼は、自分の力不足を補おうと、ある策を講じた。
「勇者は、世界中の冒険者たちを集めまくったです!」
そう。
いわゆる人海戦術――数の暴力である。
勇者は、世界各国の冒険者ギルドに頼んで大勢の冒険者たちを仲間にし、引き連れていった。
今に比べると大分小さかった当時の世界樹の葉を全て毟り取り、高価で数も限りがある
枝も全て斬り落として、加工して僧侶と魔法使いのための最高の杖を作り。
幹すらも斬って、最高硬度を誇る武具と防具を作って、剣士たちに装備させた。
その結果。
「勇者は、先代魔王さまを倒すことに成功してしまったです」
顔を曇らせるククスさん。
ちなみに、世界樹はそのせいで枯れてしまったようだ。
そのまま、三千年間の間、俺の固有スキルによって再び生み出されるまで、この世界から世界樹は失われたままだった。
一方、前魔王が倒されてからというもの、長い間新たな魔王は生まれなかった。
※―※―※
そんな中。
今から二千年と少し前――つまり、前魔王が倒されてから千年後に、ククスさんたち四天王は生まれた。
しかし、仕えるべき王は既に殺されていた。
「でも、きっとその内、次の魔王さまが誕生するです!」
彼女らは、いつか新たな魔王に出会えることを夢見ていた。
そして、先代魔王の仇を討つために、武力で人間たちに復讐しようとしていた。
人間社会に大打撃を与え、その数を大幅に減らしておけば、新魔王に出会った時に、きっと喜んでもらえるに違いない。
そんな思いもあった。
「やってやるです! 魔王さまの仇を討つです!」
ククスさんたち四天王は、吼えた。
その後、人間たちの国の中で、一番大きな国の王都を襲撃する計画を立てた。
※―※―※
王都襲撃の当日。
城門から少し離れた森の中に、覚悟を決めた四天王たちがいた。
「みんな、準備は良いですか?」
「わーい! お祭りなのだ!」
「計画通り、まずは着実に王城を攻め落とすべきだと思うのだわ」
「小さい子どもたちがたくさんいると良いのら~」
彼女たちが、拳を突き上げて気勢を上げた。
「それじゃあ、行くです!」
「「「おー」」」
直後。
「こんにちは~♪」
「「「「!!!!!!」」」」
突如背後から聴こえた挨拶に、四天王たちが一斉に振り返りつつ、素早く跳躍して距離を取る。
「誰ですッ!?」
先程歌うように為されたそれは、言葉だけ捉えれば、何の変哲もない挨拶だった。
しかし、実際に聞こえたそれは、大気を震わせており、ただの挨拶とは到底思えず。
ましてや、自分たち四天王が、知らず知らずのうちに、超至近距離まで接近を許してしまったのだ。
最大限の警戒と共に、彼女たちがにらみ付けた先にいたのは。
「何だ、ただの一般人ですか」
フリフリのドレスに身を包んだ人間――手ぶらの美少女だった。
輝きを秘めた瞳が印象的ではあったが、剣士でもなく、魔力を感じないことから、魔法使いでもない。
所詮はただの人間――しかも、戦闘能力を一切持たない、一般市民だ。
「丁度良いです! 手始めに、コイツを血祭りに上げるです!」
邪悪な笑みを浮かべたリーダーのククスさんが、四天王たちに号令を出す。
「みんな、やってしまうです!」
だが。
「身体が動かないのだ!」
「何が起こってるのだわ!?」
「おかしいのら~」
彼女たちは、攻撃を仕掛けることが出来なかった。
ふと、その時。
ククスさんは気付いた。
今もまだ、先程と同様に大気が震えていることに。
――否。
「これは……違うです!」
そう。
震えていたのは、大気ではなくククスさんたち自身だった。
目の前の少女の声は、それ程大きかったわけではない。
単純な声量であれば、自分たちの方が上。
それは間違いない。
しかし、何故かは分からないが、鳥のさえずりや風に揺れる木々のざわめきなど、常に雑音が満ちている森の中で、その透き通った少女の声は、どこまでもクリアに、ただ真っ直ぐに心に響いた。
そして。
「あれ?」
ククスさんの頬を、涙が伝っていた。
「な、何でです!?」
拭っても拭っても、次から次へと涙が溢れ出てくる。
見ると、他の四天王たちも、感極まっているようだ。
このような異常事態を引き起こした張本人はというと。
「みんな~♪ 感受性豊かで~♪ とっても素敵ね~♪」
「「「「!!!!!!」」」」
まるで女神のような、柔和な微笑を浮かべて、たたずんでいた。
その顔を目にし、声を耳にした四天王たちは。
「ああッ!」
一瞬で心が満たされ、あまりの多幸感に、膝から崩れ落ちた。
それが、異世界の地球という星で伝説のアイドルと呼ばれた美少女との出会いだった。
※―※―※
「ククスたちを、弟子にして欲しいです!」
四天王たちは、全員土下座して、弟子入りを願った。
「まぁ~♪ なんて素敵な申し出でしょう~♪ 喜んで~♪」
伝説のアイドルは、二つ返事で快諾した。
感銘を受けたことは確かだが、ククスさんたちには、下心もあった。
「アイドル……すごい力です! この力があればきっと、新たな魔王さまが生まれてきた時に、簡単に世界征服出来るです!」
「アイドル、楽しいのだ!」
「人間たちに比べて圧倒的な武力を持つスララたちが、もし精神操作能力までも手にしたら、着実に人類を滅ぼせるのだわ!」
「小さい子どもたちの心を操るのら~」
だが。
残念ながら。
「なんでです!?」
四天王たちは皆、壊滅的に歌とダンスが下手だった。
伝説のアイドルが歌えば、植えたばかりの種が瞬時に芽を出して花が咲く。
四天王たちが歌うと、咲いたばかりの花が、瞬時に萎れて枯れてしまった。
伝説のアイドルが踊れば、人々は熱狂し、感動し、涙した。
四天王たちが踊ると、人々は
「こんなんじゃ、アイドルになんてなれないです……」
弱音を吐くククスさんたち。
しかし。
伝説のアイドルは、彼女たちを決して見放さなかった。
「大丈夫~♪ きっと出来るから~♪」
四天王の心が折れそうになる度に、笑顔でそう励まし続けてくれた。
絶対に諦めようとはしなかった。
「昨日はこのトレーニングを試したわよね~♪ じゃあ、今日はこっちをやってみましょう~♪」
四天王たちに合ったものは無いかと、色々なトレーニングを試していった。
ある日。
伝説のアイドルの前で、ククスさんは、口を滑らせてしまった。
「アイドルになりたいのは、世界征服をするためだ」
と。
「あ、ヤバいです。バレてしまったです」と思ったククスさんだったが。
「アイドル活動で世界征服って、とっても素敵だと思うわ~♪ あたし、全力で応援するから~♪」
「!!!」
伝説のアイドルは、それまでと全く態度を変えず――否、それまで以上に熱心に指導してくれるようになった。
おかげで、ほんの少しずつ……本当に、ほんの僅かずつではあるが、四天王たちは、歌とダンスが上手くなっていった。
だが、一つ問題があった。
どう考えても、時間が足りないのだ。
その時点で、すでに数十年経っていた。
フェニックス娘であるククスさんは、死ぬ度に炎に包まれ、若返った姿で復活することが出来る。
しかし、レレムさん、スララさん、ガガオさんは違う。
彼女たちの寿命は、人間と同じ程度の長さだった。
そこで、ククスさんは、ある決断をした。
それを聞いた仲間たちは、愕然とした。
「楽しそうなのだ! でも、本当に良いのだ?」
「そりゃあスララたちにとっては願ったり叶ったりだわ。でも、ククスはそれで良いのだわ?」
「正気なのら~?」
ククスさんは、静かに、しかし力強くうなずいた。
「もちろんです! みんなでアイドルになるです!」
その言葉に、顔を見合わせた四天王の仲間たちは。
「分かったのだ! やるのだ!」
「本気みたいだわ! それなら、お言葉に甘えるのだわ!」
「うん。ガガオも、頑張るのら~」
やる気に満ち溢れた顔で、心を一つにした。
ククスさんの決断。
それは。
「立派なアイドルになるために、ククスの甦る能力を、みんなに分け与えるです! ククスが限界を迎えるまで、何度でも! この力を使って、四人でアイドルになるです! 何千年掛かろうとも!」
自分の能力を無理矢理仲間たちに分け与え続けることで寿命を延ばして、その間にトレーニングを重ねて歌とダンスを窮めて、アイドルになる、というものだった。
四天王に自分の
しかし。
「ありがとう~♪ でも、それはお断りさせてもらうわ~♪」
やんわりと、断られた。
「元々私たちは~♪ 一度死んでるから~♪」
伝説のアイドルは、穏やかに、笑顔で続ける。
「こうして異世界に転生出来て~♪ 熱い想いを持った、アイドル志望の素敵な子たちに会えて~♪ 指導までさせてもらえて~♪ もう十分幸せだから~♪」
ちなみに、彼女は何故私たちと言ったのか。
その理由は、それから数十年後に分かった。
「こんにちは♪♪♪」
「「「「!!!」」」」
また新たなアイドルが、異世界転生して来たからだ。
そうして、ククスさんたち四天王は、次々と異世界転生して来るアイドルたちに教えを請うことで、歌とダンスが少しずつ改善していった。
ただ、やはりカタツムリのごときゆっくりとしたペースで、ではあったが。
正真正銘の音痴であり、ダンスのセンスが皆無であった四人は、百年、二百年と、気の遠くなる程長い時間を掛けて、少しずつ上手くなっていった。
だが。
「次の魔王さまは、いつになったら生まれるです?」
どれだけ時間が経とうと、新魔王は現れなかった。
※―※―※
そして、四天王がアイドル活動を始めてから、千年後。
「本当ですか!? 新たな魔王さまが!?」
「スララは、毎日着実に情報収集を行っているのだわ! 間違いないのだわ!」
「わーい! 新しい魔王さまなのだ!」
「うん。ガガオも嬉しいのら~」
新魔王出現の一報がもたらされた。
が、どうやら新魔王が誕生してから既に十数年経っているとのことだった。
彼女はここ数年で急成長し、一気にその魔力量が増えたことで、古参のモンスターたちが気付いたらしい。スララは彼らから情報を仕入れたのだ。
「では、みんな! 早速お会いしにいくですよ!」
「「「おー」」」
謁見しにいった四天王たちだったが。
「……え!? 魔王さま!?」
魔王は、新たに住み始めた場所――前魔王が住んでいたという魔王城に引きこもってしまった。
しかも。
「くっ! さすがは魔王さまです!」
認識阻害魔法と
魔王よりも弱い四天王たちは、お手上げだった。
「どうするのだわ、リーダー?」
「……仕方ないです。アイドル活動をして世界征服の下ごしらえをしながら、魔王さまが出てきて下さるのを待つです」
そのような経緯を経て、また百年、二百年と、ククスさんたちは、アイドルとしてのトレーニングを積み、小さな村でのライブなど、アイドル活動も行いつつ、魔王を待ち続けた。
なお、ライブに関して、彼女たちは、アイドルたちに教わったマイクと呼ばれるものを魔導具で再現したものと、様々な楽器を弾けるモンスターたちのサポートを受けながら行った。
※―※―※
その後。
更に千年が経った、ある日。
「この魔力……! まさか……!」
「間違いないのだわ!」
魔王が魔王城から出て来たのを、四天王たちは感じ取った。
すぐにでも会いに行きたかったが。
「くっ! 魔王さま、申し訳ありません……ほんの少し、待っていて欲しいです!」
この二千年間で行った中で、最大規模のライブ――世界樹から見て南西の国であるマルティクルーズ王国の王都にて、
そのライブが、二千年間の努力が結実したものである、ということもあるが、その成否が、アイドル活動による世界征服の行く末すらも左右すると分かっていたからだ。
が、更にもう一つ、魔王に会いに来れなかった理由があったらしい。
「あと、ククスがちょっと死んだりしてたです!」
「いや、ちょっとて」
まさか幽霊ジョークならぬ
魔王が呆れている。
そして、大事なライブが終わったため、ようやく魔王に会いに来れたということだった。
※―※―※
「そうだったのか……長い間待たせてすまなかったな」
「いえ、とんでもないです!」
謝罪する魔王に、ククスさんがブンブンと首を振ると、オレンジ色のポニーテールも一緒にブンブンと揺れ動く。
「こちらこそ、馳せ参じるのが遅くなりまして申し訳ありませんでしたです。でも、おかげで、マルティクルーズ王国王都での
つきましては、魔王さまと共に、全世界六ヶ国全ての王都・帝都・皇都を回る初ツアーをやりたいです! どうか、お願いしますです!」
「レレムもお願いするのだ!」
「魔王さま、スララたちにはもう時間がないのだわ! お願いするのだわ!」
「うん。ガガオもお願いするのら~」
頭を下げる四天王たちの発言の中に、何か引っかかるものを感じたらしい魔王は、片方の眉を上げて、問い掛けた。
「もう時間がない、というのはどういうことだ?」
すると、リーダーのククスさんが、代表して答えた。
「何とか四人で生き長らえようとして仲間たちに分け与えてきたククスの不死の能力ですが、二千年間繰り返し分け与え過ぎたせいで、能力が弱体化してしまったです。
その結果、能力の限界を迎えてしまい、ククス自身ももうこれ以上復活出来なくなり、他の四天王たちにも能力を分け与えることも出来なくなったです。
ですので、次に死んだら、ククスたちは全員、完全に死ぬです」
「! ……そう……だったのか……」
ククスさんの発言の重さに、魔王が言葉を失う。
「ククス、本当に良かったのだ?」
「スララたちのせいで、本当なら永遠に生きられるはずだったリーダーが、死んじゃうのだわ……」
「後悔してないのら~?」
仲間たちのために自ら不老不死の能力を放棄したリーダーに、他の四天王たちが問い掛けた。
「何言ってるです! ククスは、みんなと一緒に魔王さまに仕えるんだって! そして、魔王さまと一緒にアイドルをやって、世界征服するんだって! それだけを夢見て、今まで生きて来たです!
みんながいたから、この二千年、頑張って来れたです! 気の遠くなる程長い間、何度も心が折れそうになっても、諦めずに立ち上がり、また前を向いて歩き続けて来れたのは、みんなのおかげです! 感謝こそすれ、後悔するなんてことはないです!」
万物を温かく照らす太陽のような瞳で、真っ直ぐに仲間たちを見つめながら笑うククスさん。
何の迷いもないその瞳を見た魔王は、苦しそうに自身の胸元をぎゅっとつかんだ。
「……正直、貴様らが我に抱いている忠誠心に報いられるほど、我は貴様らに対して、深い想いを持ってはいない。それどころか、今日まで、貴様らの存在すら知らなかった」
その言葉に、四天王が皆、うつむく。
「そりゃ、そう……ですよね……」
「スララたちが、一方的に魔王さまのことを慕っていただけなのだわ……」
彼女たちの瞳に、深い悲しみと寂しさが滲む。
「だが」と、魔王は、四天王に近付くと。
「これから、知ろうとすることは出来る」
「「「「!!!!!!」」」」
四天王一人一人の頬を両手で優しく包み、真っ直ぐに目を見て、語り掛けていく。
「貴様らが我のことを想ってくれるのと同じくらい、我も貴様らのことを考えたい。貴様らが我に対して誠実に向かってくれるのと同じくらい、我も貴様らに対して、真摯に向き合いたい。
二千年もの長き間、我のために、文字通り命を燃やして尽くしてくれた貴様らの忠誠心に報いられるとは決して思わん。
だが、我にはそのくらいしか出来ん。
それで良いだろうか?」
穏やかな表情で、精一杯想いを込めて語り掛ける魔王に、ククスさんたちは。
「もちろんです! あ、ありがたきお言葉です! うわああああああああああん!! 魔王さまああああああああああああああああ!!!」
「わーい! レレムは、魔王さまに知ってもらえるのだ!」
「ま、魔王さまが、スララたちのために、そこまで……! もう胸が一杯で、言葉にならないのだわ……!」
「うん。ガガオはとっても幸せなのら~」
泣き叫びながら魔王に抱き着くククスさん、ぴょんと飛び跳ねて抱き着くレレムさん、静かに涙をこぼしながら抱き着くスララさん、眠たそうな目でにへら~と笑みを浮かべつつ抱き着くガガオさん。
そんな四天王たち全員を、魔王は優しく抱き留めたのだった。
※―※―※
感動的な抱擁から、数日後。
温泉旅館世界樹が、休業日だったこの日。
世界樹から見て、南東の国であるカプティワード帝国の帝都の、
「ニャンニャン♪ みんニャも魔王ニャンと一緒に歌って欲しいニャン♪ ……って、なんじゃこりゃあああああああああああああ!!!??? こんなんやってられるかあああああああああああああ!!!!!!」
四天王を左右に従えてセンターにてフリフリのミニスカートタイプのアイドル衣装に身を包んだ魔王が、頭部と臀部につけていた猫耳と猫尻尾を、マイク形の魔導具と共に勢い良く地面に叩き付けた。
「こんな辱め、我はもう耐え切れんわああああああああ!!!」
「あ、魔王さま! 待って下さいです!」
顔を真っ赤にした魔王は、ククスさんの制止を振り切り、漆黒の翼をはためかせて、聴衆で埋め尽くされた
「もしかして、
「いや、そういう問題じゃない」
小首を傾げるククスさんに、俺は思わず舞台袖――中央の円形の舞台よりも数メートル高い客席の下にある出入口から、突っ込む。
ちなみに、本日の俺は、彼女たちアイドルグループフェニーチェのマネージャーみたいな位置づけだ。
さすが二千年間の間、次々と異世界から転生して来るアイドルたちからトレーニングを受けただけあって、四天王たちが持つコスプレなどの現代日本の知識は完璧なのだが……
「魔王にはコスプレを強制しておいて、自分たちはやらないって……意外と鬼畜だなおい」
ボソッと俺はつぶやく。
そう。
リーダーのククスさんを始めとする四天王たちは、可愛らしいフリフリのアイドル衣装に身を包むも、魔王と違い猫耳・尻尾などのコスプレ衣装の類は一切身に付けていない。
あくまで、どうしたら魔王の魅力を最も引き出せるかという魔王をプロデュースするという視点で思考を重ねて、魔王のみにコスプレをさせたのだ。
そして彼女に、この世界に普通に存在する獣人の一つ――
初めは、「
が、すぐにそれが効果的であることを思い知らされた。
「魔王さまが、
「きゃあああ! 可愛いいい!」
「魔王さまあああああ! あたしにも「ニャン」って言って下さいいいいい!」
人間・モンスターの女性の聴衆からの黄色い歓声と共に。
「ぐへへ。ま、魔王さまが、あんな格好をして……」
「ま、凛々しくて格好良い魔王さまが、あ、あんな可愛い格好で、可愛い喋り方をしてるだなんて……ぐふふ……」
人間・モンスター問わず、男連中からは、ねっちょりとした欲望まみれの視線が向けられていた。
本当なら、彼らを、ゲス・キモいと、蔑みたいところだが……
「残念ながら、分かっちゃうんだよなぁ……」
悲しいかな、男である俺は、「気の強い女性」や、「普段格好良い女性」が、可愛らしい格好で可愛らしい言動をすることによるギャップ萌えが、普通に理解出来た。
まぁ、普段の喋り方はともかく、中身は、そんなに気が強かったりしっかりしていたりする訳ではないのは、一緒に働いている俺は知っているのだが。
それでも、喋り方を始めとして、印象ってのはあるからな。
ちなみに、魔王に会った事がない者たちも、温泉旅館世界樹で働いている魔王の噂は聞いたことがあるらしい。
気が強く美しく格好良い魔王が、気高い喋り方で接客してくれる、という噂を。
……なんか、そう言うと、
いや、決してそういう店じゃないからな、うちは!
うん、すごく健全な旅館だから!
ただ、たまたまちょっと従業員が美人揃いっていうだけで!
何にせよ、魔王の似顔絵までが大量に出回っているらしく、その人気ぶりが窺(うかが)える。
「えっと、ちょっとハプニングがあって、ごめんなさいです!」
頭を下げたククスさんは、観客の反応を待たず、間髪入れずに続ける。
「でも、みんな! 魔王さまが恥ずかしがる姿を見て、どう思いましたですか?」
「「「「「可愛かった~!」」」」」
「ですよね! ククスも、すごく可愛かったと思ったです!」
上手いな……
思わず、俺は感嘆の溜息をつく。
今日のライブの目玉とも言える、魔王の突然の失踪。
普通に考えれば、一気に盛り下がりそうなところだが、ククスさんはきちんと謝罪した上で、それを魔王のレアな姿を見ることが出来たという、
二千年間のアイドルトレーニングと、小さな村からコツコツと積み上げてきたライブ経験。
このくらいのイレギュラーな事態では、彼女たちのパフォーマンスは、決して揺るがないのだ。
「ここからは、いつも通り四人でライブさせて頂きますです! では、聞いて下さい! 『
「「「「「きゃあああああああああ!」」」」」
「「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」」
そして、いつもならラストに持って来る、一番盛り上がる曲をここで投入。
文句のつけどころのない、惚れ惚れするほどの完璧なリカバリーだ。
むしろ、予想外の
ちなみに、俺は本日、一応マネージャーとしてここに参加する手前、彼女たちのライブのことを知っておかなければと思い、ビデオカメラのような魔導具で録画されたものを、事前に見せてもらっていた。
そのため、
印象的なギターのリフから始まる、この『
それにしても。
「可愛いアイドルの~♪ ラブがあれば~♪ 人間なんて~♪ イチコロ~♪ 精神操作して~♪ 世界征服~♪」
「「「「「世界征服~♪」」」」」
……相変わらずヒドい――じゃなくて、すごい歌詞だな……
だが、聴衆はめっちゃ盛り上がっている。
スピーカー形魔導具から放たれる大音量と聴衆の歓声が一つとなって、会場を揺らす。
男も女も。
老いも若きも。
人間もモンスターも獣人たちも。
性別も年齢も種族さえも超えて。
全員が声を揃えて。
叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
大袈裟ではなく、これは世界征服に近付いていると言えるのではないだろうか?
「世界征服~♪ ……あ」
何だかんだ言いながら、俺も気付いたら、身体を揺らしながら口ずさんでしまっているのだから。
恐るべし、『
恐るべし、
そして、恐るべし、彼女たちを支え続けているモンスターミュージシャンたち。
なお、彼女たちの背後で、ギター、ベース、ドラムにそっくりな魔導具を演奏しているのは、それぞれ、キマイラ(ライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つモンスター)、ゴブリン、そしてオーク(豚の半獣人のモンスター)だ(しかも可愛い少女たち)。
「いや、ゴブリンとオークはともかく、キマイラはどうやってあの超絶技巧演奏をしてるんだ?」
山羊の足で普通にギターソロとか弾いてるんだが。
しかも、速弾きとか、色々バグってるだろ。
ちなみに、モンスターミュージシャンたちは、二千年前からずっと、代々
もちろん、彼女たちに対する給料はしっかりと払われている。
ただ、金のため、というよりも、モンスターの中でも魔王直属の部下であり幹部である四天王に対する尊敬の念によるもの、という側面が強いだろう。
二千年前、まだアイドルトレーニングを始めたばかりの頃の四天王たちが、満足に給料を払えたとは到底思えないからだ。
「『
「「「「「きゃあああああああああ!」」」」」
「「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」」
俺が思考する間にも、ライブは進んでいく。
こうして、今日も
※―※―※
「大丈夫かな、魔王?」
温泉旅館世界樹に戻った後も、俺は魔王を案じていた。
よほど恥ずかしかったのだろう。
クークが作ってくれた夕食を、
ちなみに、「休みの日くらいは俺が作るよ」と言ったのだが、クークが、「余が好きでやってることじゃからのう。気にしなくて良いのじゃ」と、申し出てくれたのだ。
魔王とは別々に夕食を食べた結果、一度も顔を合わせることもなく、こうして俺は、男性従業員用の宿泊室にて、一人布団に横になっている。
「……傷付いていなければ良いが……明日は、ちゃんと話せると良いな……」
そんな風につぶやいた後、「オフ」と言葉を続けてキノコの光を消して、目を閉じた俺だったが。
魔王と話す機会は、予想よりも早く訪れることになった。
何故なら。
「……メグル。我だ。……起きてるか?」
「!」
パジャマ姿の魔王が、俺の部屋にやってきたからだ。
「魔王、どうしたんだ、こんな夜更けに?」
「………………」
慌てて飛び起きた俺が、部屋の入口に駆け寄る。
薄暗い部屋に、廊下の明かりが射し、逆光となったパジャマ姿の魔王の表情はよく見えない。
「………………」
無言のまま引き戸を閉じて魔王が部屋の中に入って来るのを確認した俺は、「慌ててたから、つけるの忘れてた」と頭を掻くと、「オン」とつぶやいて、部屋の明かり――キノコの光を灯した。
しかし。
「……オフ」
「!?」
俺がつけた部屋の明かりを、魔王がそっと消す。
「……このままで……」
「……分かった」
伏し目がちな魔王の、どこか縋るような声に、俺は抗えなかった。
俺は、座椅子に座ろうとするが。
「………………」
「!」
何故か魔王は、畳の上に敷いた布団の上に脚を折り曲げて座ったため、仕方なく、俺もその隣にあぐらをかく。
「………………」
「………………」
静かな時間が流れる。
俺の部屋は、女性従業員用の宿泊室と同じく、世界樹の幹の端――表皮近くにある。
そのため、窓から射し込む月光が、柔らかく俺たちを照らす。
「………………」
「………………」
月明かりのおかげで、先程はほとんど見えなかった魔王の表情が見える。
頬が紅潮している……のは、まだ温泉に入って間もない、ということだろうか?
「…………もうちょっと、近付いても良いか……?」
「へ!? ……ああ、良いぞ」
勢いでOKしちゃったが。
え? なんで?
混乱する俺を余所に、左隣に座っている魔王が少し腰を上げて、俺の方へと距離を詰める。
一度目は、おずおずと、躊躇いがちに。
「………………」
二度目は、意を決したように、少しだけ大胆に。
その結果。
近い近い近い近い!
少し身体が揺れただけで身体が触れそうな超至近距離に、魔王は座った。
くっ!
この距離になると、必然的に、色々な刺激が襲い掛かって来る。
一つは、香り。
男湯と女湯で使っているシャンプーの種類は変わらず、同じ香りのはずなのに、何故魔王の香りだとこんなにもドキドキするのだろうか。
一つは、超至近距離で囁かれる声。
「……手を……握っても良いか……?」
「なっ!?」
一つは、すべすべとした肌触りと、体温。
俺の返事を待たず、布団の上に置かれた俺の左手に、魔王の右手が重なる。
「……実はな、発散したいんだ……」
「えっ!?」
発散!?
何が溜まってるんだ!?
さっきから、胸の鼓動がヤバい。
俺、全力疾走した? ってくらい、ドクドクいってる。
魔王の種族はサキュバス。
普段は全く意識していないのに、そんな言葉が脳裏を過ぎる。
「……メグル……」
「ッ! ……な、何だ?」
不意に耳元で囁かれて、思わず声が上擦ってしまう。
魔王の甘い吐息と声が、俺の耳を優しくくすぐる。
「……発散……させてくれるか……?」
「……お、俺が?」
「……貴様しか頼れないんだ……」
「………………」
いつもと雰囲気が違い過ぎる。
このまま耳元で囁かれ続けると、本当にマズい。
そう思って、甘美な刺激から耳を遠ざけようとして、左耳を後ろに反らしてしまった。
必然的に、俺の顔が、魔王の方を向いてしまって。
「……メグル……」
「……あ」
魔王と目が合う。
憂いを帯びた、サファイアのように美しい瞳。
月光に煌めく金髪は、まだしっとりと濡れていて。
シャンプーの香りが鼻腔をくすぐり。
いつもと違って少し掠れた甘い声が、鼓膜を優しく震わせる。
触れた手からは、少し高めの体温が伝わって来て。
「……メグル……」
いけない。
このまま見つめ続けたら――吸い込まれてしまう。
分かっているのに、目を離せない。
甘い囁きが、俺を誘う。
そのまま、お互いの顔が近付いて――
顔が近付いて――
近付いて――
「アイドルグループへの加入の件だが、貴様はどうすべきだと思う?」
「………………へ?」
予想外の魔王の発言に、数秒間、俺の思考が停止した。
「……え? その話?」
「当たり前だろうが! 今一番発散したいものと言えば、その悩みに決まっている。それ以外に何がある?」
「………………ですよねー」
うわあああああああ!
ヤバい! 思いっ切り勘違いしてた! 恥ずっ!
「お前……悩み相談だったなら、なんでこんな至近距離で、手まで触ってるんだ?」
「え? だって、その方が落ち着いて話せるだろ? 貴様も我も」
「こんなんで落ち着けるかああああああああ! あと、悩みは発散じゃなくて解決・解消するものだろうがああああああああ!」
深夜の旅館内に、俺の絶叫が響き渡った。
※―※―※
少しして。
手を離して、距離も少し離れて座り直し、明かりもつけた後。
「ふぅ。これでやっとまともに話せる」
ようやく落ち着いた俺は、左に座る魔王を改めて見た。
「アイドルグループについてだが、俺の意見の前に、魔王はどうしたいんだ?」
すると、魔王は、うつむいて言葉を紡いだ。
「実は、四天王たちから、脳内にメッセージが届いたんだ」
「脳内に?」
「ああ、魔王である我と四天王たちは、互いが魔力のパスで繋がっているからな」
「スゲー便利だなおい」
まるでSNSみたいだ。
「四天王たちは、アイドルグループフェニーチェの主役として我に入って欲しいと言ってくれている。我があんな風に逃げ出したにも関わらず、な」
「だが」と、魔王は表情を曇らせた。
「我は、フェニーチェの主役として適当ではない。あのグループは、既に完成されている!」
魔王の言うことは、一理ある。
ククスさんたちは、「まだまだです。もっとよく出来るですから!」と言ってはいるが、素人の俺から見れば、彼女たち一人一人が、既にものすごく高い技術を持ち、十分レベルの高いパフォーマンスを発揮している。
魔王も俺と一緒に、ビデオカメラ形魔導具で録画されたフェニーチェの過去のライブ動画を事前に見たから、彼女たちのクオリティの高さは嫌という程分かっているはずだ。
「でも、もしも、フェニーチェに主役として入れる可能性があるとすれば――」
顔を上げた魔王は、力強く告げた。
「それは、貴様だ、メグル!」
「まさかの俺!?」
「いやいやいやいや、どう考えてもおかしいだろ。女の子のアイドルグループに野郎を入れてどうするんだよ?」
「いや、適任者は貴様しかいない」
真剣な表情でそう言い切る魔王。
……うーん。
もしかして、
「取り敢えず、何でその結論に至ったのか、教えてくれ」
「分かった」
布団から立ち上がった彼女は、ビシッと俺を指差した。
「貴様が、この旅館の主役だからだ!」
「?」
※―※―※
魔王いわく、この旅館の所有者も代表も俺だから、俺がこの旅館の主役、となるらしい。
確かに、この温泉旅館は、俺が固有スキルで作ったものだ。
代表も俺だ。
「それで、旅館の主役であるなら、フェニーチェの主役の座も相応しいと考えた、ってことか?」
「ああ、そうだ」
「滅茶苦茶だなおい」
なんちゅう論理だよ。
その考えでいったら、花屋の可憐な女性代表が、ムキムキマッチョ野郎たちのボディビルグループの代表にもなれるし、正義のヒーロー団体の代表が、悪の組織の代表にもなれちゃうじゃないか。
「それに、俺はこの旅館の代表であって、主役じゃない」
「何か違うのか?」
「大違いだ」
座り直した魔王に対して、俺は、一緒に働いてくれている仲間たち一人一人の顔を思い浮かべながら、語り掛けた。
「主役ってのは、メインってことだと思う。その人がいないと、上手く物事が進まないとか、上手く運営できないとかとか。
でも、俺はクークみたいなプロの料理人じゃない。魔王がいなきゃ、魚を獲りにいくことも運ぶことも出来ない。
リアや、ロッカ、ニコ、ネーモがいなきゃ、天使のお客さんの対応をするために、世界樹の中を通って、高層にある温泉に一瞬で移動するなんてことは出来ない。
そもそも、もしみんながいなきゃ、俺一人じゃこの旅館を回すなんて不可能だしな」
本当、恵まれてるよな。
こんなに素晴らしい人材が揃ってるんだから。
「だから、もし主役という言葉を使うなら、この旅館で働いている全員が主役だ。それぞれの役割を全うしている、掛け替えのない主役なんだよ」
「!」
目を見開く魔王。
「我もか?」
「当たり前だろうが。どれだけお前に救われていることか」
「そうか……そうか……!」
魔王は、噛み締めるようにそう重ねて呟くと、笑みを浮かべた。
「メグル。フェニーチェも同じだと思うか?」
「そうだな。確かにククスさんは四天王のリーダーで、MCも担当しているけど、フェニーチェの主役じゃないと思う。四人全員が主役だ」
「そして、それぞれの役割がある、ということだな?」
「ああ、そうだ」
俺はうなずく。
魔王は、「全員が主役……それぞれの役割がある……」とつぶやくと、立ち上がった。
「メグル、感謝する。貴様のおかげで、どうすれば良いのか――いや、我はどうしたいのかが分かった」
「そうか、それは良かった」
すっきりした表情、魔王は、「おやすみ」と、女性従業員用の宿泊室へと戻っていった。
「魔王の悩み発散ならぬ、悩み解消が出来て、良かった……んだが……」
一人になった俺は。
「こんな状態で眠れるかあああああああ!」
先程の、やたらと色っぽかった魔王の記憶と残り香に、悶々としながら眠れない夜を過ごしたのだった。
※―※―※
次の週の、休業日。
俺たちのいる大陸中央の国――ウォアストーン皇国の皇都にある
「では、次の曲に行くです! 『ラブ
「「「「「きゃあああああああああ!」」」」」
「「「「「うおおおおおおおおおお!」」」」」
今日も
いつも通り、満員のお客さんの前で、彼女たちのライブは進んで行く。
ただ一つ、通常とは違う点があるとすれば、それは。
「「「「「デレカさあああああん!」」」」」
ライブのために伊達メガネを掛けてイメチェンした魔王が、本名で参加している、という点だ。
前回センターにいた魔王は、今日は右端で歌っている。
代わりに、センターを務めるのは、ククスさんだ。
俺との会話を経た後、魔王は、下手したらグループ名すらも変える勢いだったククスさんたちに待ったをかけた。
そして、フェニーチェのリーダーはククスさんのままで、センターもククスさんに譲ること、魔王は魔王とは名乗らず、デレカと名乗ること、魔王はあくまで一メンバーとして加入するということを伝えた。
ククスさんたちにも、観客たちにも、特別扱いして欲しくなかったのだろう。
更に、魔王は、「全員が主役で、それぞれの役割があるからな!」と彼女たちに告げた。
今、目の前にある舞台で、フリフリの衣装(コスプレは無し)で歌って踊っている魔王は、その声質を活かして、低音を支え、ハモっている。
その結果、音に厚みが出て、元々完成度の高かったハーモニーが、更に美しくなっていた。
これが、魔王が考える、彼女の役割だった。
※―※―※
この日のライブは、いつも以上に大盛り上がりで、大成功だった。
「すごい! すごいです! 魔王さ――デレカさん、本当にすごいです!」
「わーい! すっごく楽しかったのだ!」
「あんな美しいハモリ、生まれて初めて聞いたのだわ!」
「うん。ガガオは、もっと一緒に歌いたいのら~」
四天王たちから大好評で、興奮冷めやらぬ彼女らは、魔王に抱き着いていた。
「そ、そうか? なら良かった」
照れてはにかむ魔王に、俺も口許が緩んだ。
※―※―※
魔王と手を繋いで、一緒に飛行しつつ、世界樹へと戻る途中。
「そういや、お前、確か本名がバレるの嫌じゃなかったか? 良いのか?」
俺は、ふと疑問に思って、問い掛けた。
「別に偽名でも良かったんじゃないか?」
「いや……二千年も待たせてしまったんだ。これくらいは良いさ」
「それに」と、俺をチラリと一瞥した魔王は。
「ククスやファンたちにデレカと呼んでもらえれば、その内、本当に呼んで欲しい者にも呼んでもらえるようになるかもしれないしな」
「本当に呼んで欲しい者?」
「いや、何でもない!」
よく分からないが、まぁ、取り敢えず、魔王自身が納得できる形で、無理なくアイドル活動を出来るようになって良かった。
よく分からないと言えば、魔王がククスさんたちにアイドル活動に誘われた際も、謎だったな。
俺は、「もしそっちに専念したければ、それでも良いからな。無理してうちの旅館で働き続けなくても」と伝えたのだが、「なんでそんなこと言うんだ! そんなことする訳ないだろうが!」と、何故か怒られてしまったんだよな。
うーん、謎だ。
※―※―※
温泉旅館世界樹の営業を始めて、一ヶ月が経った。
異世界の宿としてはかなり高額な値段設定であるため、リピーターは全く期待していなかったのだが、二回目や、中には三回目の来館、というお客さんもいて、嬉しい限りだ。
料理・酒・温泉、そして接客と、全てのサービスに対して、多種多様なお客さんが満足して下さり、本当にありがたいなぁと思う。
そして、仲間たちに対して、無事に給料も払うことが出来た(ちなみに、俺の給料もみんなと同じで金貨十枚だ。余った金は、何かあった時の保険の意味も含め、取っておいてある)。
「こうやって自分の努力が形になって返って来ると、頑張って良かったと思えるな」
「案外嬉しいものですわね」
魔王は黒翼をパタパタと羽ばたかせて尻尾を振り、長い緑髪を優雅に揺らすリアは、翠色の瞳を細めて。
「余は、給金なんぞよりも、お主らを料理して食べたい……ではなくて、ありがたくもらっておくのじゃ」
「いやだから、全部言っちゃってるんだってば」
両手に包丁を持ちコック帽を被った
「はわわわわ! 本当にあたしも貰えるんですねぇ! 嬉しいですぅ!」
身体乗っ取らせろ妖怪――もとい、幽霊少女のスゥスゥは、触れないため念力でフワフワと金貨を操り顔に近付け、目を輝かせる。
そして、ロッカ、ニコ、ネーモの、
「ロッカは、旦那さっまが大好きでっす」
「ニコは、旦那様に、ますます好意を抱くに、至りました」
「ネーモは、旦那さ~まが、大好きで~す」
「貴様ら! 抱き着くなと言っているだろうが!」
ギュッと俺に抱き着いて来て、また魔王に引き剥がされた。
※―※―※
まだ一ヶ月しか経っていないが、経営が軌道に乗ったと言って差し支えないだろう。
「きっとこのまま、みんなに愛される旅館になっていくんだ。そうに違いない」
未来は順風満帆だ。
……そう思っていたのだが。
一ヶ月が経った直後の、この日。
「皆さん、はじめまして」
世界樹から見て南西にある国――マルティクルーズ王国の大司教がやって来て。
「突然ですが、本日より、アナタたちの旅館を、営業停止させて頂きます」
「!?」
クイッと眼鏡の位置を直しながら口角を上げると、そう告げた。
「なっ。いきなり何ですか? どういう事ですか?」
青天の霹靂とは正にこのことだ。
慌てて聞き返す俺に、長身瘦躯で中年男性は、「これは失礼いたしました」と、あまり失礼したとは思っていなさそうな表情でつぶやく。
「ワタシはショプチーと申します。マルティクルーズ王国の大司教です。
見るからに高そうな、黄金の刺繍が入った祭服を身に纏ったショプチーさんは、クイッと眼鏡の位置を直した。
「アナタたちの旅館は、どの国にも属さないこの土地で、無許可で旅館の営業を行っている。しかも、一ヶ月もの間。そのため、本日付けで、アナタたちの旅館を営業停止させて頂くと申し上げているのです」
丁寧な口調ではあるが、その表情からは、こちらを見下しているのが分かる。
……っていうか、話している内容が内容だしな。
こっちを舐めているとしか思えん。
……が。
「………………」
『
心の中で密かにそうつぶやいて発動してみたところ。
本物、か……
残念ながら、目の前の男は、マルティクルーズ王国の大司教で間違いなかった。
大司教――つまり、王国における教会のナンバーワンだ。
そして、その事実は、中世ヨーロッパと同じで教会がかなり大きな力を持っているこの異世界において、重要な意味を持つ。
この男に対して下手な対応をすると、一国を敵に回すことになりかねないのだ。
「………………」
……甘かった。
瀕死の怪我を治すのに、教会は金貨十枚取るところ、うちの旅館は、泊まらずに温泉のみの利用なら、金貨一枚。教会の十分の一という破格だ。
そんなうちに対して、教会から何かしらの嫌がらせを受けることもあるかもしれないなと覚悟はしていたが、まさかこんな露骨な営業妨害を仕掛けてくるとは……
俺は、頭をフル回転させながら、慎重に言葉を選ぶ。
「私はこの旅館の代表者である、メグルと申します。大変失礼ですが、どの国にも属さない土地に対して、マルティクルーズ王国の方が発言する権利はあるのでしょうか?」
「我が国だけではありません。この大陸に存在する六ヶ国全ての国々が、アナタたちの行動を問題としているのです」
他の国々も巻き込んでいたか……厄介だな。
「お言葉ですが、この土地は、私が六ヶ国の国王さまたち全員と直接拝謁させて頂き、所有する権利を戴いたものです」
「ほう。証拠はありますか?」
「あります」
「リア」と、俺が後ろの受付を振り返ると、「分かりましたわ」と、彼女がうなずいた。
「『
受付の引き出しの鍵を魔法で開けたリアが、丸められた六枚の書類を取り出し、その内の一枚を俺に渡す。
「これがマルティクルーズ王国国王さまから頂いた許可証です」
俺が差し出した許可証を受け取り、広げたショプチーさんは、素早く内容を目を走らせた。
「確かに、署名がありますね。ですが、これは本当に国王さまのものでしょうか?」
「……どういう意味ですか?」
「この署名は、偽物ではないか、と申し上げているのです」
……そう来たか。
「本物ですよ。私の目の前で、国王さまが直々に書いて下さったのですから」
「ですが、それはアナタがそう主張しているだけですよね?」
「大司教さまは、国王さまのことをよくご存知のはずです。大司教さまなら、一目ご覧になれば、お分かりいただけると思うのですが」
「そうですねぇ。確かによく似てはいますが、本物ではありませんねぇ、これは」
いやらしい所をついてくるな。
こちらは、本物の証明をしなければならない。
だが、先方は、偽物である証明をする必要はない。
いや、本当は、「偽物だ」と言うのであれば、偽物である証明もしなければならないのだが、俺がいくらそう訴えた所で、この男は、のらりくらりとかわしてしまうだろう。
そして、既定路線である旅館の営業停止へと、ひたすら突き進むのだ。
「本物ですよ。どうか信じて下さい」
「そうは言いましてもねぇ。それに、万が一本物だったとしても、この書類には不備があるのです」
「と仰いますと?」
「国王さまのものだけでなく、大司教であるワタシの署名も必要なのですよ、許可証には」
「!」
思わず言葉を失う。
「……そのようなことは、国王さまは仰っていなかったのですが」
「それはそうでしょう。法律が変わったのですよ、つい最近」
「!? 一体いつ変わったのですか?」
「昨日です」
「!?」
「そして、新法は、二ヶ月前までさかのぼって適用されます。つまり、アナタの持つ許可証は、何の意味もないということです」
滅茶苦茶だ。
そんなことがまかり通るなら、やりたい放題じゃないか。
とにかく、ここは何としてでも、凌がなければならない。
「それは大変失礼いたしました。では、改めて許可証を頂きに、至急、マルティクルーズ王国王都へと参ります」
冷や汗を掻きながらそう答える俺に。
「話はそう単純ではないのですよ、メグルさん」
ショプチーさんが、クイッと眼鏡の位置を直し、下卑た笑みを浮かべると。
「アナタに出来ますか? 本日中に、我々六ヶ国全てで、許可証を新たに取得するなどということが?」
「!?」
その背後から、更に五人の大司教たちが現れた。
「まさか!?」
「はい」
「そのまさかです」
「我々」
「全員が」
「世界各国の」
「
「「「「「です」」」」」
全員が、一斉にクイッと眼鏡の位置を直した。
いや、わざわざ台詞を区切るなよ。
最後バッチリ揃ってるし。
仲良しか。
新たに現れた五人の中年男性に対して密かに『
この異世界において、宗教は一種類しかない。
それ故、彼らの結束は固く、対立させて――といった策を用い辛い。
「……ということは、六ヶ国全てで法律を変えた、ということですか?」
嫌な予感しかしないが、確認せずにはいられなかった。
「その通りです」
「昨日、それぞれの国で」
「法律を変えて」
「国王さまのものだけでなく」
「大司教の署名も必要になりました」
「そして、マルティクルーズ王国同様、新法は、二ヶ月前までさかのぼって適用されるということ」
「「「「「です」」」」」
再び、六人全員が、クイッと眼鏡の位置を直す。
兄弟か何かかな? それとも分身?
年齢も近く、服装も容姿も似てるし。
「これで、世界各国において、これら許可証は、何の意味もないということです」
ショプチーさんから返してもらった許可証に目を落とす。
後ろの受付でリアが持ってくれている他の五枚の許可証も、これで意味が無くなったということに。
……って、ちょっと待て、リア!
右手を木製の刃に変えて、左手を食獣植物に変えて、どうするもりだ!?
「恐れ多くもユドル様の胎内に足を踏み入れた下賤な虫けらどもに、天罰を下しますわ」
何か怖いことつぶやいてるし!
……って、ふと左斜め後ろを見たら! 魔王、お前もか!?
「腸を焼き、脳髄を焦がし、悪しき愚者ども死の灰となれ。『
上に向けた手の平から、何かどす黒い炎が膨れ上がってるし!
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
「と、取り敢えず! 皆さん! 奥で詳しくお話を聞かせてください! 大したおもてなしは出来ませんが、お料理とお酒もお出ししますので! もちろん、無料です!」
慌ててそう言った俺は、振り返ると、空気を読んで控えていてくれたあの三人に声を掛けた。
「ロッカ、ニコ、ネーモ! お客さまを、大司教の皆さまを、食堂にご案内して!」
「ロッカは、了解でっす」
「ニコは、旦那様の言葉に、了承するに、至りました」
「ネーモは、分~かりましたで~す」
ショプチーさんたちは、「何と、無料ですか。これにはワタシも驚きました」「では、せっかくですので、ワタシもお言葉に甘えることにしましょう」「まぁ、断るのも悪いですからね。ワタシも行きましょう」と、同時にクイッと眼鏡の位置を直しながら、ついていった。
※―※―※
ショプチーさんたちの姿が見えなくなった後。
「ふぅ~。危なかった」
俺が冷や汗を拭うと、魔王とリアは、怒りを爆発させた。
「我が、アイツらを殺してやる!」
「食獣植物のエサにしてやりますわ!」
「まぁまぁ、二人とも。殺すのはマズい」
俺は、二人を必死になだめた。
「何故だ!? 腹が立たないのか、メグル!」
「あんなにバカにされて! 我慢の限界ですわ!」
「もちろん、俺もムカついてる。でも、ここで六ヶ国全てと敵対するのは、出来れば避けたい」
「問題ないぞ。どれだけ敵が攻めて来ようが、我が全て蹴散らしてやる」
「ええ、そうですわ。全部叩き潰せば、問題ありませんわ」
本当に出来ちゃいそうなんだよな~。
うちの従業員、戦闘力がおかしいのがゴロゴロいるからな~。
「多分、俺たちなら負けないとは思う。けど、俺は、出来れば人殺しはしたくないんだ。俺たちは、善良な市民だ。アイツらとは違うだろ? 悪しき愚者でもないし、下賤な虫けらでもないだろ?」
「……まぁ、そうだな」
「……当然ですわ。
先程二人が吐き捨てた煽り文句を使った説得が、何とか功を奏する。
「じゃあ、どうするんだ?」
魔王の問いに、俺は、うつむいて思考する。
「そこなんだよなぁ。戦わずに、何とか穏便に済ませたい……けど、ちゃんと今まで通り営業出来るようにはしたいし。うーん……」
ショプチーさんたちにこの場で署名を求めても、国に来いと言われるだろうし、行ったら行ったで、何だかんだ言って署名を断るだろうし。
そもそも、転生直後に女神によって世界各国に連れて行ってもらった時と違って、今は、本日中に六ヶ国に行ける手段がない。
「うーん……」
受付の前で考える俺だったが、他のお客さんは誰も来ない。
あ。
そう言えば、次の月の集客のために改めて
まぁ、逆に良かったかもな。
正直、今日はショプチーさんたちへの対応で一杯一杯だから。
それは良いとして。
「どうすれば良いんだ……」
俺が頭を抱えていると。
「あ!」
リアが、何かを思い付いたらしい。
「それなら、
そう言ったリアは、受付から出て来て、魔王へと近付いて行く。
魔王の背中にそっと腕を回して。
元に戻った両腕で抱き締めて。
「な、何だ貴様!?」
頬を紅潮させながら戸惑う魔王に、顔を近付けて。
もっと近付けて。
更に近付けて。
二人の唇が触れ合う。
寸前に、リアの両腕が丸太のように巨大化。
「ふんぬっ! これですわ!」
「きゃあああああああああ!」
「!?」
リアが魔王の着物の上部分を一気に脱がし、魔王は半裸になってしまった。
「何するんだ貴様あああああああああ!」
「ぼぐへっ!」
左腕で胸を隠しながら魔王が放った右のアッパーカットにより、首から上が天井にめり込むリア。
「殴るぞ!」
「……もう……殴って……いますわ……」
めり込んだまま、くぐもったうめき声を上げる
「あ! でも、
「スゲーなお前。変態もそこまで行くと、ちょっと尊敬するわ」
思わず俺は、半眼でそうつぶやいた。
※―※―※
「死ぬかと思いましたわ……幸せ過ぎて」
天井から抜けて着地したリアが、ポツンとつぶやく。
さすがは
「コホン」
咳払いをして仕切り直したリアが、薄い胸を張った。
「ということですわ!」
「どういうことだよ?」
「もう! 鈍いですわね!」
人差し指を立てて、リアはドヤ顔をする。
「酒池肉林で骨抜き大作戦ですわ!」
彼女いわく、「美味い飯と酒、それに色仕掛けで、あの男どもを籠絡するのですわ!」とのことだった。
「それで、何故我の服を脱がす必要があったんだ!」
「え、分かりやすかなと思ったのですわ」
「それなら貴様が脱げば良かっただろうが!」
「なっ!? 貴方がそれを言いますの!? 持たざる者の気持ちなんて、貴方には分かりませんわ!」
リアの視線が、魔王の胸に突き刺さる。
「大丈夫だぞ、リア。俺が元々いた世界では、小さいのが好きな男たちが大勢いたんだから」
「何の慰めにもなりませんわ!」
口を尖らせるリアを放置して、俺はうつむき、思考する。
「でも、確かに良いかもな……」
「メグル!? 貴様、本気か!?」
「ああ。もちろん、無理強いはしない。が、少なくとも、提案者であり、魔王に不要な恥をかかせたリアには、やってもらう」
「胸なんてなくても、人間の男をたぶらかすなんて、造作もないですわ!」
問題ないだろう。
※―※―※
その後、食事や酒を運ぶ
その上で、酒池肉林で骨抜き大作戦という無料での接待の注意事項五点も告げた。
1.もし出来れば頼みたいが、無理にやる必要は無いこと。
2.胸(武器)を見せる(使う)際は、多少はだける程度で止めておき、本当に大事な部分を見せたりはしないこと。
3.お触りは厳禁であること(上手くあしらうこと)。
4.上手くあしらえない時は、俺に助けを求めること。
5.この旅館の営業を続けたいとは思っているが、仲間を犠牲にしてまでやろうとは思っていないので、もし嫌がってるのにセクハラを続けて来るようなことがあれば、我慢せずにブチ切れて良いこと。
ただ、こんな作戦をやって欲しいって、男の俺が頼んでるんだよな。
ふざけるなと、俺に対して怒る仲間がいてもおかしくはない。
そう思っていたのだが。
「ロッカは、旦那さっまのためなら、一肌脱ぎまっす」
「ニコは、旦那様に、恩を売るために、やることに、決めました」
「ネーモは、旦那さ~まのためなら、全然やるで~す」
「なかなか面白いことを思い付くのう。途中までは手が離せんが、ある程度料理を作ったら、余も顔を出しにいくのじゃ」
俺が魔王を見ると、彼女はピクッと肩を震わせる。
「メグル……すまんが、我はちょっと――」
「魔王はやらなくて良いからな。給仕に専念してくれ」
「え?」
何故か驚いた様子で魔王が目を丸くするが、俺は気にせず続ける。
「お前は、リアによって服を半分脱がされて、十分辱めを受けたからな」
そこまで説明した後で、俺は、「いや、違うな」と、自身の発言に違和感を感じて、訂正した。
「何かお前にだけは、他の男の接待なんてやって欲しくないんだ」
「! そういうところだぞ、貴様!」
「え?」
よく分からないが、魔王が顔を赤らめている。
うーん、謎だ。
っていうか、本当は、はだけた胸元すら他の男に見せたくない。
が、そこは我慢する。
魔王の豊満な胸は、男性客に対する接客において、ものすごく有効な武器であることが分かっているからな。
それに、あの慎ましい胸を持つリアですら、頑張ろうとしているのだから。
あの大きさじゃ、見えちゃいけないものが見えそうになるにもかかわらず、な。
まぁ、彼女のことだ、その辺は上手く立ち回るんだろうけど。
あと、もしかしたら、さっきの言葉通り、全く胸元をはだけずに男たちを落とすつもりなのかもしれないしな。
ちなみに、幽霊少女スゥスゥはというと。
「また面白そうなことをしていますねぇ! あたしもやってみたいですぅ! とうっ!」
面白がって俺の身体を乗っ取って来て女体化させたので、丁度良いとばかりに、彼女にも、ショプチーさんたち大司教の接待をやらせることにした。
まぁ、女体化しているとはいえ、これは俺の身体であり、俺は動かせないが、感覚は共有してしまっている。
そのため、野郎に対するちょっといかがわしい接待、という一部始終を目撃することになってしまうが、魔王にやるなと言った手前、誰かがその穴は埋めなければならないからな。これも魔王を守るためだ。仕方ない。
そんな打ち合わせをしたて臨んだ酒池肉林で骨抜き大作戦だったが。
初めは、ショプチーさんたちは、不敵な態度だった。
「大方酔い潰れさせて、許可証に強引に署名をさせようって魂胆なんでしょうが、そうはいきませんよ?
実は我々は皆、酒場界隈では名の知れた酒豪でして。今まで一度も酔ったことがないほどの、ね。ですから、一晩中でも飲み続けられますよ?」
聖職者とは思えぬ物言いで口角を上げるショプチーさんたちだったが。
※―※―※
数時間後。
「ああ! リアさま! その美しいつるで、ワタシをもっとキツく縛って下さい!」
「ああ! クークさま! そのたくましい尻尾で、もっとぶって下さい! 包丁で捌いて下さい!」
「ああ! スゥスゥさま! もう一度ワタシの身体を乗っ取って、息を止めて強制的に陸で溺れさせて下さい!」
「ああ! ロッカさま!」
「ニコさま!」
「ネーモさま!」
「是非とももう一回、世界樹の幹の中を移動している最中に、中に置き去りにして、生き埋めにして下さい!」
ショプチーさんたち六人が、恍惚とした表情で、涎を垂らしながら、我が旅館が誇る美女たちにご褒美を欲しがるという地獄絵図が繰り広げられていた。
数時間前。
まずはショプチーさんたちに、通常の料理と酒を提供した。
色々と難癖をつけられるだろうな。
と、正直、そのように思っていたのだが。
「ほほう。
「はい。大きな骨は取り除いてありますが、細かい骨はあるので、よく噛んで食べて下さい」
まずは、スゥスゥには女体化した俺の身体だけ動かしてもらって、俺が説明をしていく。
テーブルについた彼ら六人の大司教たちの反応は、意外なものだった。
「おお! これは!」
「
「熱々の
「高級な炭で焼かれたために、まるで煙で燻されたかのような上品かつ香ばしい香りのする
「食べやすいようにと切り分けられたその身を、一切れ、二切れと食べた後、ふと山椒を加えてみると、独特な風味が加わり、更に味わい深くなりますよ!」
「いえいえ、まだ終わりませんよ! そこに、初めから掛かっている甘辛いタレを更に追加で掛けながら食べるのです!」
「ああ! 白い米が進みます!」
「
「あまりの美味しさに、手が止まりません!」
めっちゃ食レポしてくれるじゃん。
意外過ぎてビビるわ。
これ、映像魔導具を使って録画して、そのまま各国王都・帝都・皇都で街中ででかでかと空中に映写してもらえば、それだけで滅茶苦茶集客出来るのでは?
そんな風に考える俺だったが、ショプチーさんたちの食レポはまだまだ続く。
「これが世界樹の葉、華、幹の皮、それらを使ったサラダですか!」
「植物特有の青臭さが全くありませんね!」
「それどころか、甘いです!」
「シャキシャキ感を楽しめます!」
「一口サイズが大きくて!」
「肉厚! 食べ応えもあって、美味しいです!」
俺たちの提供するデザートも、絶賛してくれた。
「ほう! 世界樹の葉のヨウカンというのですね、この料理は!」
「なるほど! 白小豆を原材料とする白あんを用いて、世界樹の葉で作ったお茶を混ぜて作ったのですね!」
「ふむ。新緑を思わせる緑色が目でも楽しめますね!」
「おお! これは! 美味しい!」
「甘い……けれども、決して甘過ぎず、絶妙なバランス!」
「ほほう、寒天の原材料であるテングサという海藻を、世界樹のすぐ北側にある海で採り、それと、この周辺に自然に群生しているサトウキビから得た砂糖と使っていると!」
「自然を感じられる、深い甘みが美味ですね!!」
「世界樹茶の風味も白あんとよく合っていて、絶妙なハーモニーを奏でていますね!」
ヤバい……嬉しい……。
ここまでべた褒めしてくれたんだから、もう許可証への署名なんか貰えなくても、良いんじゃないか?
……って、いかんいかん!
予想外過ぎる褒め言葉の連続に、動揺してしまった!
あくまでもこれは、酒池肉林で骨抜き大作戦の一環だ!
その後、酒に関しても、「飲みやすい」とか、「深い味わいがある」とか、「初めて飲んだ新鮮な風味」だとか、色々と褒めてくれたのだが。
「確かに美味しいですし、アルコール度数も高いようですが、この程度でしたら、ワタシたちは永遠に飲み続けられますよ? クックック……」
「「「「「クックック……」」」」」
との事だったので、アレを使うことにした。
「皆さま。実は、デザートはもう一品ありまして。宜しければ、こちらもどうぞ」
「ほう。見た事ないですね、これは」
「では、早速頂きましょうか。ただ、酒から遠ざかると、ますますワタシたちは酔いが醒めてしまいますが、良かったのでしょうか? クックック……」
「「「「「クックック……」」」」」
余裕綽々といった様子で、乾いた笑い声を上げる彼らだったが。
それを一口食べた途端に。
「なんれすかこれぇ~!?」
「すっごく、おいひいれすぅ~!」
「こんなのたべたことないれふぅ~!」
泥酔した。
それは、世界樹の果実だった。
今までお客さんには一度も食べさせたことがなかった食材だ。
そして、営業を始めて最初の週末に、休み返上でクークに朝から晩まで料理を作ってもらうために、あげたものだ。
実は、世界樹の果実は、食べた者を必ず酔わせる果実だったのだ。
俺もよく分かっていなかったのだが、それまで二千年間で一度も酔ったことがないという大酒飲みのクークが、「生まれて初めて酔ったのじゃ……」と、驚愕に目を見開いているのを見て、やっと気付いた。
「くっ! い、意識をしっかり保つのです! 皆さん!」
「そ、そうです! こ、これしきのことで!」
必死に酔いに抗うショプチーさんたちだったが。
「ほら、口調も戻って来ました~あはん♪」
「そうそう、もう何も問題ないですよ~うふん♪」
完全に酔っていた。
彼らは、先程こう言った。
「酒豪で、今まで一度も酔ったことがない」
と。
だが、それが仇となった。
それこそが、彼らの弱点だったのだ。
今まで一度も酔ったことがない人間が、もし、べろんべろんに酔っぱらったら、どうなるか?
心のガードが全て取っ払われて、無防備になるのだ。
その結果。
「ん~? 許可証に署名ですか~? しちゃうしちゃう~♪」
「あれ~? 何か、今、ワタシ、しちゃ駄目なことをしちゃった気がしますけど~?」
「まぁ、いっか~♪ あはは~♪」
簡単に許可証に署名をしてしまい。
酔っぱらう前は、「女の色香で惑わせようなどと、ワタシたちを誰だと思っているのですか?」と、クイッと眼鏡の位置を直す彼らだったのだが。
「おっぱい~♪」
「パイパイ~♪」
魔王がはだけた胸元に、鼻の下を伸ばして。
「所詮は男ですわね! さぁ、
ふぁさっと髪をなびかせるリアを見て。
「おっぱ……あれ? 無い……」
「うん……パイパイ~無い無い……」
頑張ってリアがはだけた慎ましい胸元に、男たちが、がっかりと肩を落とすと。
「ケンカ売ってるんですのおおおおおおおおおおお!?」
怒号を上げたリアが、両腕を無数のつるに変化させ、ショプチーさんの全身を縛り上げた。
「くぅ! な、何ですか、この感覚は!? は、初めてです! こんな……こんな快感!」
恍惚とした表情で涎を垂らすショプチーさん。
するとそこに、一通り料理を作り終えたクークが、両手の包丁を光らせながらやって来た。
「面白そうなことをしておるのう。どれ。余も一つ、大司教とやらを料理して……と思ったが、あまり美味しくなさそうじゃのう、お主たち」
「おお! 包丁持った爆乳ちゃん♪」
「では、しょうがないのう。料理以外で、少々遊んでやるとするかのう」
代わりに、クークがそのドラゴン尻尾を軽く振り、男たちの一人を吹っ飛ばすと。
「ぐはっ! ああ! この全身を突き抜ける甘く切なく狂おしい衝撃! た、堪りません!」
鼻血を垂らし、軽く吐血しながらも、男は目を爛々と輝かせ、頬を紅潮させて。
「すごく面白そうですぅ! あたしも何かやってみたいですぅ! とうっ!」
更に、俺の身体から抜け出したスゥスゥが、大司教の一人の身体に入り込み、乗っ取ると。
「ワ、ワタシの身体が女体化ですと!? うっ!?」
身体の変化に戸惑う暇もなく。
『今身体の主導権はあたしにありますからぁ! もしあたしが息を吐くばかりで、吸わなければ、どうなるでしょう~?』
「い……息が出来な……い…… く……苦しい……けど……ア……アヘェ……♪」
呼吸困難に陥りながらも、男は顔を赤らめ目を潤ませ笑みを浮かべて。
「ロッカについて来て欲しいでっす」
「ニコは、お客さまに、天国に、ご案内することに、いたしました」
「ネーモは、未知の快ら~くを、あげま~す」
それぞれ男たちの手を一人ずつ引っ張って、食堂の壁まで連れて行った
「おお!?」
「これは!?」
「何と!?」
彼らを世界樹の幹の内部――旅館の空間ではなく、樹木としての本来の幹の部分で、
ただし、今回は、ゆっくりとその内部を移動しつつ。
彼らの手を、途中で離して。
「ここでしばらくお楽しみ下さいでっす」
「天に、昇る気分に、なれるに、違いない、です」
「心地良~く、なれま~す」
幹の中に置き去りにされ、生き埋めとされた男たちは。
「……く……苦し……い……で……す……」
「……か……身体が……押し……潰され……ま……す……」
「……で……でも……」
「「「……き……気持ち……良い……です……!」」」
生死の境目にありつつも、快感に上擦った声を上げた。
一応、殺さないようにと俺が釘を刺しておいたので、誰一人として命を奪う者はおらず、途中でちょっぴり
死なない代わりに、彼らは。
「ああ! リアさま!」
「ああ! クークさま!」
「ああ! スゥスゥさま!」
「ああ! ロッカさま!」
「ああ! ニコさま!」
「ああ! ネーモさま!」
「「「「「もっと! もっとワタシを苛めて欲しいです!! どうか!!! どうかもっとおおおおおお!!!!!!」」」」」
一人一人バラバラに推しが出来ると同時に、完全にドMに調教されたのだった。
※―※―※
翌日の朝。
「まぁ、その……ワタシたちが許可証に署名をしてしまったのは確かですので……」
「誠に遺憾ですが、今後の営業を許可します」
「全然気持ち良くなんかなかったですし、全くハマってなんかいませんからね」
そうか、ハマったのか。
どこかスッキリとした表情の彼らは、肌がツヤツヤとしており、何故酔っぱらった際の署名を無効にしなかったのかを、如実に語っていた。
よし、次来た時には、ちゃんと金を取ろう。
指名料金も取って。
特別プレイ料金も追加で請求して。
※―※―※
ショプチーさんたちを見送った後。
「ふぅ。みんな、本当にありがとう! 本当によくぞ乗り越えてくれた! みんなのおかげで、これからも営業を続けることが出来るよ!」
俺は、仲間たちに頭を下げた。
笑みを浮かべる彼女たちと対照的に。
胸元をしっかりと閉じた魔王が、みんなの後ろから、おずおずと現れた。
「今回、我は特に何も出来なかったな……」
うつむいて顔を曇らせる彼女に、俺はきょとんとする。
「何言ってるんだ、しっかり給仕してくれたじゃないか!」
「そ、そうか? でも、それだけじゃ、みんなの頑張りと釣り合わんだろ?」
「それだけじゃない。魔王が男たちを悩殺してくれたおかげで、その後の流れが決定づけられたんだ。リアがブチ切れてドS攻めをして、男たちが悦び、他のみんなも追随する、という完璧な流れがな!
ってことだからさ、魔王。お前も立派に役目を果たしてくれたんだ。胸を張ってくれ」
「……そうか、なら良かった」
ようやく笑顔が戻った魔王に、俺も安堵する。
良く分からんけど、魔王が元気が無いと、俺まで悲しくなるんだよな。
で、魔王が笑顔だと、俺まで嬉しくなるんだ。
何でだろう……?
うーん、分からん。
※―※―※
世界樹の華の香りによる新たな集客をやっていなかったため、その日の夕方は客が来なかった。
改めて、「ちゃんと忘れずに、余裕を持って事前に食わせろドル!」と悪態をつく
これでまた集客が出来るが、二日ほど待つことになる。
ただ、先日のショプチーさんたちのように、イレギュラーが起こる可能性もゼロではないので、念のために、温泉旅館は開けてはある(もちろん、出来るだけ仲間たちには休んでもらっている)。
万が一休業日に厄介な奴が来て、旅館が閉まっているのを見て、改めてお客さんがいる営業日にでも来られたら、目も当てられないからだ。
それなら、お客さんのいない休業日に処理した方がずっと良い。
「まぁ、あんな酷い営業妨害をする奴は、もう現れないだろうけどな」
確率としては、かなり低いし。
そう思っていたのだが。
翌日。
ある男がやって来てしまった。
それは。
「出て来い魔王! この勇者さまがぶっ殺してやる!」
RPGでは、魔王を倒して世界を救う者として、あまりにも有名な勇者だった。
「お客さん、残念ながら、今日は魔王は休みなんですよ」
「何!? そうか……」
ヤバい奴が来たなと思った俺は、とっさに嘘をつく。
こういう輩は、相手にしないのが一番だ。
「ちくしょう! 何で俺様はいつもこうなんだ!」
地団太を踏む男を観察する。
恐らくは銀髪だと思うのだが、色がくすんでおり、銀色には見えない男。
二十代後半であろう彼は、年齢の割に、やたらとくたびれた印象だ。
ボロボロの布の服を着て、剣――
更に、
「……くそう! ……ちくしょう!」
悪態をつきながら、トボトボと歩き去ろうとする勇者だったが。
「我が魔王だ。それがどうかしたのか、勇者とやら?」
「!」
俺の後ろに控えていた魔王が、ポツリとつぶやいた。
バッと振り返った勇者が、目を血走らせる!
「いるじぇねぇか! このクソ野郎! 嘘つきやがって!」
あーあ。
せっかくウザい危険人物を排除できると思ったのに、魔王の奴め……
いや、でも、明日以降、他のお客さんがいる時にまた来られたら、そっちの方が百倍マズいしな。これはこれで良かった、ということにしておこう。
「すいません。どうやら私の勘違いだったみたいです」
頭を下げる俺だったが、勇者の怒りは静まらない。
「ふざけやがって! てめぇもぶっ殺してやる!」
勇者が、腰の剣に手を掛ける。
が、俺は焦らない。
何故なら。
「くそっ! 抜けろ! 抜けろよ!」
勇者のステータスには、クソザコ。アリにも負けると書かれていたからだ。
案の定、目の前の男は、力が無さすぎて、鞘から剣を抜くことさえ出来ない。
そして。
「貴様。今、メグルに対して、殺すと言ったか?」
「ヒッ!」
蟀谷に血管を浮き立たせた魔王が、全身からどす黒い魔力を滲ませ、上に向けられた手の平からは、漆黒の炎が膨れ上がる。
少しでも触れれば塵と化すであろうことを本能で察知した勇者が、青ざめた。
「我に対する暴言ならば、愚者の戯言と笑って許そうかとも思った。だが、メグルに対しても同様の態度を取ると言うならば、話は別だ。その罪、万死に値する」
魔王が発動する漆黒の炎が、世界樹旅館すらも燃やし尽くさんとする勢いで、更に膨張した。
うん、このままじゃヤバいな。
「まぁ待て。魔王」
「何故だ! コイツにあんなこと言われて、平気なのか貴様は!」
「平気じゃない」
「だったら――」
「でも、お前が俺の代わりに怒ってくれた。嬉しかった。そのお陰で、冷静になれた。ありがとうな」
「! ……だから、そういうところだぞ!」
魔王が頬を朱に染め、どす黒い魔力も、漆黒の炎も霧散する。
まぁ、このままだと勇者どころか、温泉旅館そのものが灰燼に帰す、なんてことになりかねんからな。
「こ、怖くなんかねぇぞ! 俺様は勇者だからな!」
魔王が戦闘モードを解除したと言うのに、先程の光景がトラウマになったのか、まだ勇者は、生まれたての小鹿のように、恐怖でプルプルと震えている。
「魔王に復讐するって、俺様はずっと決めてたんだ! それだけを心の拠り所にして、転生してから十年間ずっと、この異世界で生きてきたんだ!」
ヤバい奴ではある……んだろうけど、一応、何か事情がありそうだな。
「勇者さん。うちの魔王は、人類の敵なんかじゃないです。それどころか、誰かを傷付けたことすらない、優しい奴です。それに、俺にとってすごく大切な仲間なんです」
「わ、我が、貴様にとってすごく大切な存在だから、結婚したいだと!?」
「うん、言ってない。あと、話の途中だから、ちょっと黙っててな」
「コホン」と咳払いして、俺は仕切り直す。
「と言っても、あなたはきっと、納得しないでしょう。もしよかったら、何があったか、聞かせてもらえませんか?」
俺の言葉に、「良いだろう」と、腕組みをした勇者は、説明を始めた。
※―※―※
勇者は、現代日本で事故死した。
しかも、「トラックの前に飛び出した子どもを助けようとしたが、間に合わず、ただトラック運転手がハンドルを切ったおかげで、奇跡的に子どもは助かり、自分だけ轢かれた」という状況で。
その後、彼は異世界転生した。
異世界転生させた女神が言うには、「魔王が人類を滅亡させんと、毎日モンスター軍団によって世界各国に攻撃を仕掛けている」という、一刻を争うような、酷い状況の異世界だった。
そのため、「特別な固有スキルを与える」と女神が言った。
勇者は、やる気に満ち溢れていた。
「今までの人生では、一回も上手く行ったことが無かった人助けだけど、今度こそ、俺様の手で、ピンチの人々を救ってみせる!」
だが、異世界転生直前、女神の放つ光に包まれた、丁度その時。
「あれ? あ……異世界転生先、間違えちゃった」
「……へ?」
「ごめんね、てへぺろ。あと、今から行く所、めっちゃ平和な世界みたいだから、戦闘系の固有スキルはもう要らないよね? じゃあ、平和な世界でも使えるような固有スキルに変えとくね! じゃ、頑張って♪」
「いや、ちょっと待――」
そして、勇者は異世界転生させられた。
※―※―※
異世界転生後の人生は、彼いわく、それはそれは酷いものだったらしい。
チートスキルもなく、レベル1の彼は、十年前から今まで、ずっとアリ以下の戦闘能力のままとのことだ。
魔王はおらず、モンスターと人間は敵対しておらず、冒険者ギルドに登録したものの、野生の獣にすら負けるので、薬草採取すら出来ず。
十年間ずっと、失踪した猫の捜索や家の掃除など、雑用と言って差し支えないような依頼をこなして何とか食いつないできた。
「これも全部、てめぇのせいだ、魔王!」
……は?
「いや……我ではなく、女神のせいではないのか?」
これには、さすがの魔王も困惑気味だった。
「うるさい! てめぇが人類の敵だったら、話は早かったんだ! それなのに、行方不明になって千年経ってるとか、最近やっと姿を現したと思ったら、全然人間に敵意を向けないとか! 舐めてんのかてめぇ! 魔王たるもの、もっと悪逆非道を尽くせよ!」
滅茶苦茶だなおい……
「さっき、人助けしたいって言っていましたが、猫の捜索や家の掃除じゃ駄目なんですか? それも立派な人助けだと思うんですが」
「駄目に決まってるだろ! 男たるもの、剣一本で世界を救ってなんぼよ!」
うーん、その剣すら筋力不足で抜けないんだけどね……
でも、同じ男として、その気持ちは少し分かる。
ロマンがあるんだよな。勇者として悪を打ち倒し、世界を救うって。
まぁ、俺の場合は、温泉旅館の方がより大きなロマンを感じるってだけで。
「誰がなんと言おうと、俺様は世界を救うんだ! 救うんだったら、救うんだ!」
再び地団太を踏む勇者。
子どもか。
そんな彼を、俺は冷静に観察する。
多分、この男は、今まで現代日本と異世界で生きて来て、成功体験が皆無なんだろうな。
猫の捜索や家の掃除でも立派な成功体験になると思うんだが、彼にとってはそうじゃない。
何か、世間から見て一目で分かるような、分かりやすい成功体験が必要なんだ。
と言っても、うーん、どうすれば。
そこまで俺が思考した直後。
「弱過ぎて気付かなかったけど、勇者ドル! ここで会ったが三千年目ドル!」
「! ……がぁ……ぁッ……!」
「今すぐ死ねドル!」
「……ヒッ……!」
最後に伸ばしたつるの先端を巨大な木製刃へと変化させると、勇者に向かって勢い良く振り下ろした。
「待て、ユドル!」
「! 何で止めるドル!?」
俺の声に反応した魔王が、俺の代わりに、防御魔法でユドルの凶刃を止めてくれた。「別に止めなくても良いのでは?」という思いを、ありありとその顔に滲ませながら。
壁から生えた真っ赤な口で、ユドルは積年の怒りをぶちまける。
「コイツは勇者ドル! 三千年前、コイツが魔王討伐の際に、自分の力不足を補おうとして、ユドルのもとにやって来たドル!
世界中の冒険者たちを引き連れたコイツは、普通の大木サイズだった
そのせいでユドルは枯れたドル! 今こそ復讐の時ドル! 地獄の苦しみを味わわせた上でぶっ殺してやるドル!」
「落ち着けって。お前が辛かったのは分かった。でも、コイツはお前の命を奪った勇者じゃない」
「同じことドル! 勇者の末裔も同罪ドル!」
「いや、末裔ですらないんだ。コイツは、ただの異世界転生者。一ミリも血は繋がってないんだよ」
「ドル!?」
余程予想外の言葉だったのか、ユドルは素っ頓狂な声を上げる。
勇者を縛り上げているつるをボゥッと淡く光らせたユドルは、どうやら俺の『
「……本当だドル……」
「な? 分かったら、もう殺すのは止めてくれ」
「でも、ストレス発散したいから、殺すドル!」
「何でだよ!? 滅茶苦茶やんのマジでやめろ。それに、見てみろよ。全く無関係にもかかわらず、既に半殺しにしたんだぞ、コイツのこと? 何の罪もないのに。もう十分だろ」
見ると、勇者は呼吸困難で白目を剥き、泡を吹いており、ピクピクと痙攣している。辛うじて生きている、という状態だ。
「……仕方ないから、このくらいで勘弁してやるドル……山よりも高く海よりも深いユドルの寛大な心を、ありがたく思うドル!」
ユドルは、真っ赤な口を壁の中に引っ込めると、勇者を捕縛していた無数のつるも、壁・天井・床の中へと消えた。
※―※―※
「ハッ!」
「気がつきましたね」
「……俺様は、生きてるのか……?」
残念ながら、と言いそうになって、グッと堪える。
「はい。ちなみに、もしこの温泉旅館内で暴れようとしたら、うちのやたらと強い戦闘能力を有する従業員たちだけでなく、先程の世界樹自身も排除しに掛かります。今度は、止めません。そのまま死ぬことになると思いますので、覚悟しておいて下さい」
「うっ……お、おう……」
またもや青褪める勇者。
勇者のゆの字もないな、この男。
「ちくしょう! 俺様に戦闘系の固有スキルがあれば! あのクソ女神が俺様にチート能力をよこしていれば! 魔王や世界樹ごときに後れを取ったりしねぇのに!」
おうおうおう。
弱い犬ほどよく吠えるとは、よく言ったもんだなおい。
だけど、そのくらいにしとかないと、知らないぞ?
魔王や
悲しいほどに三下臭が全身から漂っている勇者を、改めて冷静に観察する。
「………………」
ステータスと記憶を見るに、足りないのは能力というよりも、頭の方だ。
魔力感知が出来ないから誰が魔王かすら分からず。
それならば、出回っていた似顔絵を覚えておけば良いだけの話なのだが、情報収集を全くしない彼は、似顔絵が出回っていたことすら知らなかった。
固有スキル云々以前に、もう少し生活の仕方を工夫した方が良いんじゃないか?
そんなことを思いながら、『
「あ」
俺は、あることに気付いた。
これって、上手く使えば、もしかして……
そうすれば、彼に一番足りていない成功体験にも繋がるのでは……?
一方、勇者は、なおも不平不満を吐き出し続ける。
「剣技も駄目、魔法も使えない。頼みの綱の固有スキルが、ショボい炎と氷の能力なんとか、本気で舐めくさってるだろ! 人間やモンスターに対して使えないだけじゃない!
自分よりもレベルが低い相手にしか使えないから、レベル1の俺様は、動物に対してすら発動できやしねぇ。そんな力、誰が欲しがるってんだ!」
そんな勇者に対して、俺は、静かに語り掛けた。
「勇者さん。世界を救う勇者にはなれないかもしれませんが、世界を驚かすような大商人にはなれるかもしれませんよ」
「!?」
「どういうことだ? ガセネタだったら、ただじゃおかねぇぞ!」
あれだけ酷い目に遭わされたというのに、勇者は再びクソガキムーブをかます。
結構タフだなおい。
まぁ、それだけのタフネスがあれば、成功出来るかもな。
「私は『
俺は魔王に、「魚を一匹、厨房の水槽から持って来てくれるか?」と、頼んだ。
「心得た!」
手を翳して、物体操作魔法を発動しようとする魔王だったが。
「……我ら以外にも、予想外の客人に興味を持つ者がいたようだ」
「?」
手を下ろした。
と同時に。
「余も交ぜてもらうとするかのう」
「クーク!」
片手に二本の包丁を持ちコック棒を被ったドラゴン娘が現れた。
もう片方の手に、ピチピチと身をよじる魚を持って。
「では、勇者さん、氷の能力で魚を凍らせてもらえますか?」
「無駄だって言ってんだろうが! 何で俺様がそんなことを――」
「『
「ヒィッ! わ、分かった! やるよ! やれば良いんだろ!」
魔王が再び漆黒の炎を手の平から膨張させて、勇者は慌てて手を翳した。
「『
だが。
「ほらな。駄目なもんは駄目なんだよ!」
肩を落とす勇者。
しかし、俺の狙いはここからだ。
「よし、クーク。その活きのいいのを殺してくれ」
「おお! 任せるのじゃ! いやぁ、勇者ともなると、レア度が高いからのう。さぞかし美味いんじゃろうな」
「勇者さんじゃねぇよ! 魚の方だよ!」
クークは残念そうに、口を尖らせた。
「仕方が無いのう」
魚を上に放り投げると、両手に持ち替えた包丁を一閃。
頭を見事に切り落とされてクークの手に戻って来た魚は、今の一瞬で内臓を引き抜かれ、血抜きまで済ませてある。相変わらず、常軌を逸する包丁さばきだ。
「さぁ、勇者さん!」
「ええい、ままよ! 『
物体操作魔法でプカプカと内臓と血を浮遊させているクークの手中にある魚に向けて、勇者は固有スキルを発動した。
すると。
「おお! ちゃんと冷たいのじゃ! 冷凍されておるぞ!」
「なっ!?」
成功した。思わず目を丸くする勇者。
「何でだよ!? 今まで一度も成功したことなかったのに!」
俺は、何が起きたかを説明する。
「自分よりもレベルが低い相手にしか使えないっていうのは、あくまでも相手が生きている場合限定なんですよ。死んだら、レベルも何もあったもんじゃないですからね。ただの肉塊です」
「そんな……!」
勇者は、愕然とする。
『
「ここからは、勇者さんもご存知の通りです。その固有スキルは、魔力を使いますか?」
「いや、一切使わない」
「ですよね。体力も精神力も使わない。そして、その効果の持続時間ですが、それはどうやって決まりますか?」
「俺様が任意で指定できる。永遠に効果が途切れない、という風にも出来るし、この魚なら、荷馬車で運んで、王都に入った瞬間とか、露店に並んだ瞬間とか、客が買った瞬間とか、客が買って家に帰宅した瞬間とか、細かく指定可能だ」
勇者さんも、俺の言わんとすることが徐々に分かって来たようだ。
「この異世界では、魚や肉の保存方法が限られています。塩漬け、燻製、干物、干し肉などなど。科学が未発達で、冷凍技術がないため、勇者さんの固有スキルが滅茶苦茶役立つんですよ」
「で、でも、氷魔法使えるやつなんて、いくらでもいるだろうが!」
「彼らの魔法は魔力を使います」
「!」
「しかも、いつ魔法の効果が切れるかを、指定したり出来ません。もし遠くの地方から魚や肉を運ぼうとして、長い間鮮度を落とさないようにしようと思ったら、せいぜい、めっちゃ大きな氷の中に入れるとかしか出来ないんですよ。
でも、勇者さんの固有スキルは、ご覧の通り、魚そのものが冷凍されているから、氷を入れる分のスペースを考える必要が無いんです。はっきり言って、チートですよ、こんなの」
そこまで話を聞いた勇者は、目を輝かせた。
「俺様、すご過ぎだな! さすが俺様だぜ!」
「そうですよ。炎の能力に関しても、永遠に消えない炎とか生み出せるから、松明要らず・魔力要らずで、王都の照明に最適です。王都の商人ギルドとかに売り込めば、良い商売になると思いますよ!
万が一人間やモンスターに触れたり家に触れたりしたら、炎が消える、というような条件付けをしておけば、保険にもなりますし」
「おおお! 良いじゃねぇかそれも! こうしちゃいられねぇ、早速王都に帰って、商人ギルドに登録して、事業を始めるんだ! 世話になったなてめぇら! アバよ!」
勇者は、そそくさと帰っていった。
※―※―※
「休業日だってのに、魔王もクークも、本当にありがとうな!」
「気にするな。我が好きでやったことだ。……ちなみに、この好きっていうのは、そういう好きじゃないからな!」
「惜しかったのう。貴重な肉だったんじゃが……」
相変わらずよく分からない理由で頬を紅潮させる魔王と、目の前の相手を料理することしか考えていないクークに、俺は苦笑する。
特に魔王は、本来休業日は四天王とのアイドル活動もあるはずなのに、こっちを優先してくれて、ありがたい限りだ。
「とにかく、何とかなって良かった」
俺は、ヤベーやつへの対処を終えたことへの安堵感から、息を一つ吐いたのだった。
※―※―※
この日は、もうそれ以上の来訪者はいなかった。
リアやスゥスゥ、それにロッカ、ニコ、ネーモの
そんなことを考えながら、温泉旅館世界樹の入口を閉めていると。
「たたたたた、大変ですわ!」
リアが慌てふためき、走って来た。
「どうした?」
「ユドル様の胎内をペロペロと舐め回していたら、宝箱が出て来ましたの!」
「!?」
相も変わらず木の
「宝箱だと? そんなものが、この世界樹の中に……?」
半信半疑と言った様子の俺に、「百聞は一見に如かずですわ!」と、リアが俺の手を引っ張って、温泉旅館内をズンズンと、奥に向かって歩き始めた。
その途中で。
「き、貴様! 何メグルの手を握っているのだ! 離せ!」
突発的な来訪者に備えるための入口での待機を終えて、先に女性従業員用の宿泊室へと戻って休んでいたはずの魔王が姿を現して。
「宝箱じゃと? そう言えば、余の知り合いにも、金銀財宝を集めるのが趣味のドラゴンがいたのう」
「宝箱ですかぁ! きっと中には金貨がたっぷりですよぉ!」
「ロッカは、旦那さっまが財宝で喜ぶ顔が見たいでっす」
「ニコは、旦那様に、幸運が訪れるという事実に、喜ばしく感じています」
「ネーモは、旦那さ~まが、喜んでくれ~ると、嬉しいで~す」
期せずして大所帯になった俺たちは、旅館の最奥――袋小路部分までやって来た。
すると、左側の壁の下部にて、凹んだ小さな空間内に。
「! 本当にあった……」
ピカピカと光り輝く小さな宝箱があった。
「
リアが、経緯を説明し始めた。
初っ端から不安しかない内容だが、そのまま話を続けてもらう。
「ユドル様の
ま、まさか性感帯ですの!?
「「「「「………………」」」」」
俺たちは一体何を見せられているんだ?
当時の快感を思い出して恍惚とした表情を浮かべ涎を垂らすリアは、半眼になった俺たちには気付かず、涎を拭いつつ話を続ける。
「そうやって夢中になって舐め回していると、少しずつ壁が崩れていったのですわ! そして現れたのが、この小さな空間であり、この宝箱だったのですわ!」
そこまで聞いた俺は、ふと、疑問を抱いた。
「意外だな。
「もちろん、本当は独り占めしたかったですわ! だって、
でも、奥ゆかしいユドル様は、自分がはしたなくも絶頂したことを恥ずかしがっていらっしゃるのか、見えない魔法障壁のようなものを展開されていて、触れられないんですの」
リアいわく、ありとあらゆる魔法を試したが、取れなかったらしい。
う~ん。
予想通り経緯すらも虫唾が走るものだったが、それは置いておいて。
罠……という可能性は、無いか?
まぁ、本来、
さすがにその中に罠を張るなんて芸当が出来る奴なんて、いないか。
……いや、異世界転生者なら、その滅茶苦茶をやってのけるかも。
そのための固有スキルだからな。
「みんな、気を付けろ。もしかしたら罠かも――」
「嘘ではないようだな、我にも触れられん」
「余の力でも無理じゃのう。もしかしたら美味かもしれんのう、コレ。まぁ、宝箱自体を料理した事は流石の余でもないがのう」
「もう触ってるー」
いや、正確には触ってはいなかったんだけどな。
触れなかったから。
「あたしも触りたいですぅ! とうっ!」
「『とうっ!』じゃねぇよ」
乗っ取ろうとして俺の身体に飛び込んで来ようとしたスゥスゥを華麗にかわした後。
「俺がやる。だから、みんなは手を出さないでくれ。その代わり、何か異変があったら、対処を頼む」
最初からこうすれば良かったのだ。
近付き、ドキドキしながら屈み、手を伸ばす。
ずば抜けた戦闘能力を誇るうちの従業員たちが誰も触れられなかった宝箱は。
「……あれ?」
次の瞬間、呆気なく、俺の手中に収まっていた。
丁度片手に乗るサイズだ。
「おお! さすがメグル! やる時はやる男だな!」
「何であれ、手に取った者が所有するのが筋じゃ。仕方が無いから、料理するのは諦めてやるのじゃ」
そのような仲間たちの声の中で、一つだけ異質なものが交じっていた。
「ズルいですわ! 見付けたのは
「誰が誰の赤ちゃんだおい。まず赤ん坊じゃないしお前と
分かってるのか? 俺が固有スキルで生み出さなきゃ、三千年どころか、永遠に
「うっ……それはそうですけど……」
下唇を噛み、悔しそうにしながら、リアはしぶしぶ諦めた。
「分かりましたわ……
「まだ赤ちゃん呼ばわりするのか……」
しかも、誰がおじさんだ誰が!
こちとらまだ二十八歳だ!
三千年生きてる奴にだけは言われたくないんだよ!
……と反論しようとしたが、千年生きている魔王のことが何となく気になって、止めてしまった。
「さて、開けるぞ」
みんなが固唾を呑んで見守る中。
満を持して俺が開けると。
「……紙?」
綺麗に折り畳まれた古い紙が二枚入っていた。
何かが書かれたものだろうか、宝箱から取り出して、それぞれ広げてみると。
「!」
あまりにも予想外過ぎて――俺は言葉を失くす。
「ププッ! 何ですの、その絵? 下手くそにも程がありますわ!」
「そうじゃろうか? これはこれで味があるように、余には見えるがのう」
と、そこに、しばらく黙っていた魔王が口を挟んだ。
「それって……子どもが描いた絵じゃないのか? しかも、メグル。貴様自身が幼少時代に」
「「「「「!?」」」」」
魔王の指摘に、皆が俺の方を一斉に向く。
「……そうだ。俺が幼い頃に描いた、両親の絵だ」
ちなみに、二枚とも、両親の絵の右側――少し離れた場所に、真っ赤な口のような形の花を咲かせる草花が描かれているが、小さく描かれており目立たないためか、特に誰も突っ込まない。
俺はうなずくと、遠い過去に思いを寄せた。
「俺が生まれたこことは違う世界の国では、母の日と父の日っていうのがあってな。それぞれ、母親と父親に感謝することを目的としているんだ。
で、幼稚園――っていう、小さな子どもたちが行く学校で、母の日と父の日に『お母さんの絵を描きましょう』『お父さんの絵を描きましょう』と先生に言われたんだ。
けど、どうしても二人とも描きたくて、どちらの日も、二人が並んでニコニコ笑っている絵を描いたんだよ。
多分、俺は欲張りなんだろうな。俺みたいなやつは、少なくとも俺の周りには誰もいなかったから」
あと、持病が悪化した際も、仕事を辞めず、ライフワークである温泉旅館めぐりも止めなかったし。まぁ、仕事は辞めたら生きていけないってのはあったけど、それでも、どちらも諦めなかったんだよな。
「それにしても……何で俺の幼少時代の絵が、こんな所にあったんだろう?」
首をひねる俺に、魔王が何か言おうとして、一瞬躊躇った後、意を決して訊ねた。
「元いた世界に帰りたい、という貴様の気持ちの表れなんじゃないか?」
「!」
思わず俺は目を見開いた。
そうだ。
であるならば、俺の精神状態が何らかの形で反映されても何もおかしくはない。
「貴様、やはり家族に会いたいか?」
「そりゃ会いたいさ。会えるものならな……って、え?」
瞬間。
何故か目の前の壁にウインドウが現れる。
俺は『ウインドウ』と言っていないのに。
そこには、メニューが表示されていて。
「! 新たに、『元いた世界の家族との通信』っていうメニューが増えてる!」
だが……高い!
金貨八百枚て。
まぁ、切りが良い千枚とかだったらもっと絶望的だったから、これでもまだマシな方か。
日本だと
いや、それだと八百万だし、洒落にならんな……
じゃあ、八百屋とか? 八百屋に特別な思い入れは無いけど。
「まぁ、少しずつ金を貯めていくよ。何年も掛ければ、きっと通信出来るようになるだろうし」
「そうか。きっと『次元を超えた映像魔法』みたいなものなんだろうな。その願いが叶うと良いな」
「ああ」
こうして、宝箱事件は幕を下ろした。
※―※―※
翌日からは、例の世界樹の華の香による集客のおかげで、お客さんで賑わった。
忙しい日々を送っている内に。
ふと、俺は、あることに気付いた。
「何か、最近、アイジェさんが来る事が多いないか?」
アイジェさんとは、魔王の幼馴染であり、魔王によって呪いを掛けられてから千年間、巨大な目玉のモンスターの姿で世界中を旅していた女性だ。
この旅館の力で、今は無事に元の姿に戻った彼女だが、最近、頻繁にうちに来ている気がする。
「まぁ、仲良きことは美しきかな。休業日の魔王はアイドル活動があるから、こうやって営業日に客として来れば、会って多少なりとも話が出来る、ということなのかもしれないしな」
※―※―※
そんなことを考えている間に、休業日になった。
その日のお客さんを、朝見送った後。
「……メグル」
「ん? どうした?」
「休みの日に悪いが、今日、我は王都へと、アイジェの誕生日プレゼントを買いにいくのだが、良かったら、つ、付き合ってくれないか?」
「別に良いぞ」
「やったー! ……じゃなくて、感謝する。改めて我が掛けた呪いに対する謝罪の意味も込めて、もう直ぐ誕生日のアイジェにサプライズで渡したいんだ」
「素敵じゃないか。俺で良ければ、全然付き合うぞ」
「よしっ!」
ガッツポーズをする魔王。
余程気合いを入れているらしい。
紆余曲折はあったけど、何だかんだ親友って言って良いんじゃないか、この二人?
こんなに相手のことを想ってくれる友人なんて、本当に貴重だと思う。
※―※―※
そのような経緯を経て、南西にあるマルティクルーズ王国の王都まで、魔王と手をつないで飛んで行ったのだが。
色んな店を回り、小休憩とばかりに、少し遅めの昼食を食べている最中に、ふと魔王が俺に放った言葉は、全く想定していないものだった。
「あの夜のことだが……貴様は……その……我にドキドキしたか?」
「!?」
時は少し遡って。
王都に到着した俺たちは、アクセサリー店と服屋を中心に、色んな店を見て回った。
楽し気にはしゃぐ魔王のウェーブ掛かっている長い金髪が、フワフワと揺れる。
「おお! これ、お洒落じゃないか!? どう思う、メグル?」
「良いと思うぞ。アイジェさんに似合いそうだ」
「そうか……うーん、でも、こっちも捨てがたいな……」
そんな風に、「良いものが見付かった!」「……と思ったけど、他にもっと良いのがあるかも」という繰り返しで、なかなかプレゼントは決まらなかった。
※―※―※
「腹が減ったな。ちょっと休憩しないか、魔王?」
「あ、ああ。そうだな」
適当に入ったレストランで、俺たちは小休憩を取ることにした。
まずはパンをかじりながら、疑問に思っていたことを聞いてみる。
「それにしても、今更だが、プレゼント選びの同行者が俺で良かったのか? 女性用の贈り物を選ぶなら、同じ女性の方が良いんじゃないか? うちには他にも女性従業員が何人もいるんだし」
「良いんだ。というか、女性は女性でも、世界樹狂いの木の精霊に料理狂いのドラゴン娘に幽霊少女、それに生まれて間もない
まぁ、スゥスゥなら良いアドバイスをくれる可能性も無くはないが、街中で身体を乗っ取られるという事態だけは避けたいしな……」
「なるほど。確かにな」
うなずきつつ、運ばれて来た熱々のポトフのジャガイモにフォークを突き刺して、口許に運ぼうとすると。
「……じゃなくて!」
「え?」
思わず俺は手を止めた。
「わ、我が、貴様が良いと思ったから、貴様に頼んだんだ!」
顔を赤らめた魔王が、バッと立ち上がる。
「……お、おう。そうか。なんか、めっちゃ信頼してくれてありがとうな。頑張るよ」
冷静になったのか、魔王は椅子に座り直した。
どことなく恥ずかしそうだ。
それにしても熱量がすごいな……
俺は、アクセサリーや服飾の専門家でも何でもないんだが、期待に応えられるだろうか?
語気を強める魔王に戸惑いながら、俺は宙ぶらりん状態だったジャガイモを、美味しく頂いたのだった。
※―※―※
その後も、食事を続けている最中に。
「そう言えば、メグル。我も貴様に聞きたいことがあったんだ」
「何だ?」
ふと魔王が、あの言葉を俺に放ったんだ。
「あの夜のことだが……貴様は……その……我にドキドキしたか?」
「!?」
どの夜などとは聞かない。
あの晩しか、ありえないからだ。
夜中に、パジャマ姿の魔王が、俺が寝ている男性従業員用の宿泊室に一人でやって来た時のことだ。
「えっと……それは……」
誤魔化そうとも思った――が、正直に答えることにした。
「……したよ、ドキドキ」
「! そうか……」
何故か肩を落とす魔王。
理由が分からない。
もしかして、あれか?
以前、魔王の口から『サキュバスはハレンチな種族』という言葉が出てきた事があった。
そういう風に言われたことがあるため、その当時もまだ心の傷が癒えておらず、それ故の発言だった。
だが、あれは勘違いだったことが後から判明したのだ。
それに、俺もあの場で『サキュバスはハレンチなんかじゃない、立派なモンスターだ』って言って、魔王も納得してくれたはずだ。
だから、それが原因じゃないと思う。
「………………」
……まぁ、そうなると、結局理由は分からないまま、となる訳なんだが。
その時。
ふと、魔王が、口の中だけでボソボソと何かをつぶやいた。
「近い内に必ず! 昼間に、我自身の意思で、我自身の力で! 振り向かせてみせる!」
「え?」
「な、何でもない!」
が、あまりにもか細過ぎて、俺の耳には届かなかった。
※―※―※
「よし! これに決めた! すごく可愛いからな!」
最終的に魔王が買ったのは、鮮やかな赤いリボンだった。
確かに、髪がピンク色のアイジェさんに良く似合うだろう。
「メグル。今日は付き合ってくれて感謝する」
再び手と手を取り、北東の世界樹(我が家)へと飛行中、魔王が改めて礼を言う。
「どういたしまして。これくらいで良ければ、いつでも言ってくれ」
「い、いつでも!? 本当にいつ言っても良いんだな!?」
「……いや、もちろん良いけど、お前、四天王たちとのアイドル活動もあるだろ?」
「あ」
余程悔しいのか、「くっ!」と、魔王は唇を噛んで顔を歪ませる。
「まぁ、お互い無理せずにな。また時間がある時に遊びに行こうぜ」
「そ、そうだな!」
それから帰宅するまで、魔王は機嫌よく、鼻歌交じりで飛翔し続けたのだった。
※―※―※
その後。
無事サプライズは成功したらしく、魔王が一生懸命吟味して買った赤いリボンは、アイジェさんに喜んでもらえたらしい。
良かった良かった。
まぁ、当のアイジェさんと俺が話した時は、「そんなことより、どうだった、デレカちゃんと二人きりでの王都へのお出掛けは? 楽しかった? 楽しかったよね♪」と、俺たちの買い物のことばかり聞いて来るのが、謎だったが。
※―※―※
それから一ヶ月後のある日。
温泉旅館の経営は順調だった。
今日も、仲間たちは皆、慌ただしく動き回ってくれている。
素晴らしい仲間たちがいて、お客さんもちゃんと来てくれる。
本当にありがたい限りだ。
……まぁ、今でもたまに変なお客さんが来てしまったりはするが。
「おお! 君、美人だね! おおお! 君も美人だね!」
ほら、あんな風に。
俺の視線の先――通路を徘徊しているのは、男性にしては少し長い、左右それぞれ青と赤のツートンカラーの美髪イケメンモンスターだ。
風もないのに何故か棚引くサラサラの髪がまず目を目を引く。
少しゆったりとした私服を身にまとっているが、髪の毛とは
髪と服のみならず、耳の尖り具合、口から覗く牙すらも美しい。
「そんな奴が、何であんな愚行を?」
ただ、普通にしていればそれだけで十分モテそうな彼は、うちの従業員一人一人に声を掛けながら、肩にそっと触れていくのだ。
「セクハラだよな……でも、ここは異世界……いや、でもセクハラだ。っていうか、異世界だろうが何だろうが、ここは俺の温泉旅館だ。この館内でセクハラを見逃して良い訳がない!」
あのスゥスゥですら、目を丸くしていたのだから。
触れることは出来ずとも、自分の身体の一部を、異性が故意に触れようとしてくるのは、きっと女性にとっては嫌なことなんだろう。
よし、次こそは絶対に止めよう。
そう思っていたら、そこに丁度魔王が通り掛かった。
「待って下さい! 従業員の身体に触るのは止めて下さい!」
「メグル?」
魔王が反応して、俺の方を見る。
「お止め下さい、ダイーマさん!」
「!?」
その名前に、魔王がピクッと反応する。
俺の説得に全く応じる気配を見せず、ダイーマさんは、背後から近づいて、魔王の肩に触れてしまった。
「貴様は――!」
振り返った魔王が、驚愕に目を見開いた。
直後。
「「「「「!?」」」」」
俺たちは、漆黒の城内――玉座の間へと、魔法で強制的に空間転移させられていた。
不気味な雰囲気の漂う、薄暗い玉座の間にて。
「僕の城へようこそ」
ダイーマさんは、玉座にゆったりと腰掛け、手を優雅に伸ばしてくる。
そして、彼の目の前には、うちの仲間たち七人全員が背中を向けた状態でたたずんでおり、魔王たちを挟んで、ダイーマさんの対面に、俺は立っていた。
問題は。
「魔王! みんな!」
魔王たちが皆、触手によって束縛されていることだ。
「おっと、動いたら殺しちゃうよ?」
「!」
背筋に悪寒が走るほどの殺意に、彼女たちに駆け寄ろうとしていた俺は、思わず立ち止まる。
さっきはただのナンパ野郎という印象だったのに、今は冷酷な暴君のようだ。
「良い子だ。僕は、聞き分けが良い子は嫌いじゃないよ」
「………………」
マズい。
あれだけ高い戦闘能力を有する魔王、リア、そしてクークが、こうもあっさりと捕まるだなんて!
俺は、この状況を打開するための策を練ろうと、高速で思考を重ねる。
ここは世界樹から遠く離れた場所だと思った方が良いだろう。
だから、
そうだ、スゥスゥは?
彼女なら、触手なんて擦り抜けて、自由に行動できるのでは?
きっと今は、油断させるために、わざと捕まった振りをしているだけなんだ!
ダイーマさんの身体を乗っ取ってもらえば、肉体の主導権は彼女のもの!
そしたら、こっちの勝ちだ!
「スゥ――」
声を上げかけた俺は。
スゥスゥを見て、自分の勘違いにようやく気付いた。
「………………」
どういう訳か、スゥスゥまでもが、触手によってその肉体を束縛されていた。
先程スゥスゥが目を丸くしたのは、セクハラされたと思ったからじゃない。
決して触れることが出来ないはずの霊体の自分に、ごく自然に触れてくる者がいたことへの驚きだったのだ。
「………………」
ヤバい。
全然策が思い浮かばない。
それどころか、仲間たちの状態を観察すればするほど、絶望感が募って来る。
どのようなカラクリなのか、触手によって縛められている彼女たちは、指一本どころか、一ミリたりとも動かせない。
うめき声くらいは聞こえそうなものだが、声すら全く聞こえない。
そもそも彼女たちなら、魔法を使えばいくらでも自力で脱出出来そうなものだが、それをしていないということは、魔法そのものを封じられている可能性が高い。
同時にいくつの魔法を重ね掛けされているのか、俺には想像も出来ない。
「何が目的だ? 金なら、持ってるだけ全て渡す。もしもそれで足りないと言うなら、俺が出来ることなら、何だってやる! だから、頼む! 彼女たちを解放してくれ!」
こうなるともう、最後の手段は交渉だけだ。
突破口――と呼ぶにはあまりにも頼りないが、今俺に出来るのは、このくらいしかないからな。
「そうだね、金も良いけど……僕は、もっと面白いものが見たくてね。気が遠くなるほど長生きしていると、ちょっとやそっとのことじゃ感情を揺さぶられなくなっちゃって。つまり、刺激を求めているのさ」
ダイーマさんは、得意気に、ペラペラと勝手にしゃべり続ける。
「でも、さっき七人同時に無力化したのは、見事だっただろ? さすがの僕でも、これだけ戦闘能力が高い者たち相手に、同時に仕掛けて同時に仕留めるのは至難の業なんだ。
だから、念入りに下準備をしたって訳だ。それが、気付かれない程の小さな魔法陣を相手の肩に埋め込むっていうことだったのさ。
あとは、タイミングを見計らって相手の魔力を最小限に抑えつつ、同時に自分の魔力による干渉を最大限にまで膨張させれば良いって寸法だ」
その間に、ダイーマさんの弱点を探すべく、俺は密かに『
あまりにも焦り過ぎていて、今の今まで忘れていたのだ。
しかし。
「!?」
弾かれてしまい、ステータスも記憶も盗み見れなかった。
何者なんだ!?
女神の固有スキルを弾くとか、化け物にも程があるぞ!
ただ、逆にそのおかげで、何となく俺は、彼の正体がつかめた気がした。
こんなことが出来るようなモンスターなんて、恐らく世界に一人いるかいないかだ。
そして、もしいるなら、それは――そのモンスターの名前は――
「ってことで、君には彼女たちとは違って、特別にこれをプレゼントしよう。どうかな?」
「!?」
不意に、ダイーマさんが俺に向けて手を翳した瞬間――
「……あ……れ……?」
ぐにゃりと世界が歪み。
立っていられなくなり、俺は倒れた。
「さぁ、ここからが本番だよ?」
どこかから誰かがそんな風にほくそ笑む声が聞こえた気がする。
起き上がった時。俺は――
「ここは……どこだ? なんで俺はこんな場所に……?」
見たこともない場所で。
「それに……誰だ? なんで知らない人たちと一緒にいるんだ、俺は……?」
「「「「「!!!」」」」」
見知らぬ人たちと一緒にいた。
「初めまして。異世界へようこそ、転生者さん」
俺が混乱している中、奥の玉座に座っている髪の毛が青と赤のツートンカラーのイケメンが、薄暗い部屋とは対照的に明るく挨拶してきた。
異世界……転生者!?
あ、そういや俺、死んだんだ。
異世界転生したのか。
確かに、女神とのやり取りは、おぼろげだけど覚えている気がする。
「僕の名前はダイーマ。その辺によくいる魔法使いさ」
肩を竦めて謙遜するダイーマ。
その辺によくいる魔法使い?
玉座に座っているのに?
しかも、名前がダイーマ?
「あ、そうそう。ついでに言っておくと、この世界に来てからの君の記憶を奪ったのは、僕だ」
「!」
状況が全くつかめなかったが、一つだけ確定した。
コイツは敵だ。
まぁ、女性たちを触手で捕縛したのもきっとコイツなんだろうし、その時点で、味方の可能性は限りなく低かったけどな。
「お前の狙いは何だ?」
「そう怖い顔しないでおくれよ。僕はただ、君とちょっとしたゲームをしたいだけさ」
「ゲームだと?」
「そうさ。ちなみに、君の目の前にいる女性たちは、皆、君が異世界に来てから、少しずつ絆を深めてきた仲間たちだ。ゲームに君が勝てば、全員解放するし、君の記憶も元に戻すと約束しよう。どうだい? 悪くない条件だろ?」
「何が悪くない条件だ。強制的に俺を記憶喪失にさせて、女性たちを縛り上げた奴の言う台詞じゃないな。選択肢が他にないじゃないか」
「いやぁ、耳が痛いね」
言葉とは裏腹に、ダイーマは愉快そうに微笑む。
「でね。ゲームの具体的な内容だけど。この中から、君が一番仲が良かった女性を見付け出して欲しいんだ。簡単だろ?」
ダイーマは人差し指を立てた。
「君が彼女のことをどう思っていたかは知らないけどさ、少なくとも、憎からず思っていたはずだよ? 最初からずっと観察させてもらっていたけど、明らかに他の女性とは反応が違ったからね」
「………………」
「あと、ヒントをもう一つあげよう。出血大サービスだ。どうやら、その女性は、君のことが好きで好きで堪らなかったみたいでね。おっと。表情を読もうとしても無駄だよ。
彼女たちは、言葉を禁じられただけじゃない。泣くことも笑うことも怒ることも悲しむことも全て封じてあるから」
「………………」
「でね。彼女ったら、奥ゆかしくてね。もう少ししたら、玉砕覚悟で自分から君に告白する予定だったみたいなんだ。サキュバスの本能が完全に抑えられている昼間に、自分の意志で、ちゃんと真剣に。どうしても伝えたかったのさ。ほんと、可愛いよね。あははっ」
確かに触手で拘束された女性たちは誰も、表情を変化させない。
涙も流していない。微動だにしない。
でも……誰かが泣き叫ぶ声が聞こえた気がした。
……人の心を弄びやがって!
絶対に許せない! コイツだけは!
「あんた、確かダイーマとか言ったな」
「おや、覚えていてくれたんだね。これはこれは光栄なことで」
ダイーマは、玉座から立ち上がり、慇懃無礼に腰を折り、深々と御辞儀する。
「で、彼女たちは、この世界でどのくらい強いんだ?」
パッと見ただけで、女性たちには、色んな種族の者たちがいるのが分かった。
戦闘能力が結構高いんじゃないか、という子もいる。
玉座にゆったりと座り直したダイーマは、俺の問いに、天井を見上げながら思案する。
「んー。そうだなぁ。最強クラスが三人。残りの四人も、能力の使い方次第じゃ、かなり強い方だと思うよ」
「そんな彼女たちを拘束している訳だな、あんた一人で」
「そうなるね。あ、そうそう。言い忘れていたけど、もし君がゲームに負けたら、この場にいる全員、死んでもらうからね。よろしく」
「!」
これで、絶対に間違えることは出来なくなった。
まぁ、誰が相手だろうが、関係ないけどな。
ゲームに勝てば良いだけだ。
「俺が恋した女性は誰かって? そんなの簡単だ」
俺は、ある女性に向かって、歩き始める。
「だって、どうやら記憶を失くす前の俺は――」
ただ、まっすぐに。
「一目惚れしてたみたいだからな!」
その女性を束縛する触手に手を掛けた俺は、無理矢理引き剥がした。
すると、どうやら、彼女に掛けられていた種々様々な魔法も同時に解除されたようで。
「うああああああああああああああ!!!」
言葉にならない声を上げて、女性が抱き着いてくる。
「助けるのが遅くなってごめん」
その女性は、少し身体を離すと、フルフルと首を振って、泣きながら微笑んだ。
「助けてくれてありがとう……メグル……!」
俺は、彼女に微笑み返すと、改めてダイーマの方へと向き直った。
「記憶を奪って、それで勝ったつもりか、大魔王ごときが? 何度記憶を奪われようが、関係無い! また運命の人を見抜いて、恋すれば良いだけだ!」
「メグル……!」
と、その時。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
突如、ダイーマが大口を開けて笑い出した。
先程よりもずいぶん低い声で。
「この大魔王がちっぽけな人間ごときとの約束など、守るものか!」
ダイーマが上に向けた両手から、どす黒い輝きを放つ炎が膨れ上がる。
「この場にいる全員――いや、この異世界ごと、地獄の業火で焼き尽くしてやぶべはっ!」
が、その最中に、先程の女性によって殴られ、吹っ飛んだ。
壁にぶつかり、ズルズルと落ちるダイーマ。
女性は、深い溜息をつくと、俺に向かって言った。
「コイツは、大魔王なんかじゃない」
「!? 大魔王じゃない? それって――あ! 記憶が戻った! ありがとう、魔王!」
先程魔王がダイーマをぶっとばしてくれたおかげか、俺の記憶が元に戻った。
リア、クーク、スゥスゥ、
掛けられていた魔法もその内全て解けるだろう。
「いや、全然……というか、むしろうちの者がすまない……」
「?」
何故か魔王は、俺に頭を下げた。
「千年前、我が魔王になった直後に、空間転移魔法で挨拶に来たのが、コイツ――ダイーマだったのだ」
「! ってことは――」
「そうだ。最古参モンスターであるコイツは、魔王直属の部下とも呼べる男だ。四天王とはまた別の、な」
「魔王直属の部下、か……」
そんな奴が、何でこんな大掛かりなことをしでかしたんだ?
しかも、見方によっては魔王への反逆と取られてもおかしくないような、危ない橋をわざわざ渡ってまで。
「ゲホッ……ゲホゲホッ……」
壁際に倒れていたダイーマが、フラフラと立ち上がる。
「戯れが過ぎるぞ、ダイーマ」
さぁ、どうするんだ、ダイーマ?
土下座して謝罪でもするのか?
「ま、魔王さまが僕を殴るだなんて! 成長されましたね! 嬉しいです!」
「謝らないんかーい」
俺の予想に反して、ダイーマは目をキラキラ輝かせながら、魔王を褒めたたえた。
「何故こんなことをした? 理由によっては、我は貴様を断罪せねばならん」
いつになく威厳のある物言いの魔王に、ダイーマは、表情を引き締めると、「実は……」と、説明を始めた。
※―※―※
最古参モンスターであるダイーマは、肉弾戦はてんで駄目だが、魔法は文字通り最強。
そんな彼は。
「あらゆる魔法を駆使して、魔王さまのことをずっと見守っていたんだ」
そして、最近魔王が恋していることに気付いた。
そんな彼女の恋路もいつも通り温かく見守っていたのだが。
「告白する予定って仰っているけど、どうせ日和ってしまうに決まってる!
何たって、幼馴染みが発した言葉を勘違いして、それで千年引きこもってしまうくらい、繊細な心の持ち主だからだ。
魔王さまは、このままじゃ永遠に好きな人と恋仲になれない。
せっかく魔王さまが幸せになれるチャンスなのに……一体どうすれば……
あ! そうだ! 良いことを思い付いたぞ!
ただ見守るのではなく、今回は動くんだ!
魔王さまの幸せのためだ!
魔王さまのために、少しでも貢献しよう!」
※―※―※
「それが、魔王さまが、記憶を失った想い人から逆告白されちゃう!? ドキッ! 恋の仲人大作戦!だったのです!」
「余計な御世話だ。それと、そのネーミングセンスはどうにかした方が良いぞ、貴様」
いや、正直俺は、長いとは思うが、悪くないと思ってしまった。
特に、記憶を失った想い人からの逆告白というのは、悔しいが、結構ロマンティックだと思う。
もちろん、俺の記憶を奪ったのも、魔王を傷付けたのも、一生許す気はないけどな。
ちなみに、さすが最古参モンスターとでも言うべきか。天使に対する印象が最悪なせいで、何が何でもキューピッドとは言いたくないらしい。
まぁ、仲人と言えば伝わるから、それで十分っちゃ十分だが。
それにしても、俺が女神からもらった固有スキル(看破)さえ弾ける程の実力の持ち主であるダイーマの魔法が通じないとか、魔王が千年前に発動した認識阻害魔法と
「……いや、待てよ」
もしかして、破壊しようと思えば出来たのか?
先程、ダイーマは『魔王のことをずっと見守っていた』と言った。
文字通り、どんな状況でも、ただひたすら見守り続けていただけだとしたら?
つまり、我が子のように大切に想っていたがために、敢えて何も手出しせずに見守っていたって可能性もあるってことか。それも成長の一環だ、みたいに考えて。
……どんな教育方針だよ。『千年間の引きこもり生活のおかげで、とても健やかに成長出来ました!』とは、普通ならんだろ……
まぁ、その割には、今回は『主君の幸せのため』とかいう耳触りの良い言葉で、簡単に方針を変えている訳だが。
何はともあれ。
魔王は、ダイーマに対してきちんと罰を与えるようだ。
「本当ならば、あと千発くらい殴りたい所だが――」
「はい! 魔王さまの拳ながら、僕はいくらでも受け入れます!」
忠犬宜しく、殴りやすいようにと少し屈んで顔を差し出すダイーマの胸倉をつかんだ魔王は。
「いや、我はもう殴ったからな。あとは、彼女たちに任せるとしよう。しっかり殴られて来い」
「え? うわっ!」
放り投げた。
「ぐえっ!」
行き先は、当然、今回の残りの被害者である彼女たちの輪の中、だ。
「なんてことしてくれましたの! 最低ですわ! もし美しいユドル様の胎内であの汚らしい触手を出現させていたら、タコ殴りどころじゃ済まなかったですわよ!」
「どう料理すべきかのう? まずは散々殴って蹴って肉を柔らかくしてからじゃのう。下ごしらえは大事じゃからのう」
「幽霊を触るとか、非常識ですぅ! 一回死んで幽霊になってみてくださいぃ! そしたら、あたしの気持ちが少しは分かると思いますぅ! あ、触られるって、逆にこっちから触れることも出来るんですねぇ! じゃあ遠慮なく殴りますねぇ!」
「ロッカは、旦那さっま以外の男性にタッチされるのは嫌でっす」
「ニコは、旦那様以外に、触手の使用に、許可を出しません」
「ネーモは、旦那さ~まだけが、この身体を自由にして良~いと思うで~す」
「ぐはっ! ま、魔王さま以外の拳を食らうなどばべっ! でも『しっかり殴られて来い』とのご命令ぼがぶっ! ぼ、僕は、魔法は得意だけど、肉体は強くないから、本当に死んじゃがべばっ!」
リア、クーク、スゥスゥ、ロッカ、ニコ、ネーモに取り囲まれ殴る蹴るの暴行を受け、ダイーマが悲鳴を上げる。
※―※―※
鈍い打撃音と悲鳴が響く中。
「メグル。改めて告白させてくれ」
真剣な表情で、魔王が俺に告げた。
「我は、貴様が好きだ」
真っ直ぐ見つめてくる美しい碧眼は、だが今も現在進行形で、涙で濡れている。
無理もない。
他者によって勝手に自分の想いを打ち明けられてしまったのだ。
大切に、ずっと大切に育てていた想いを。
どれだけその心は傷付いたことだろう。
それでも、必死に自分の想いを伝えようとしてくれているんだ。
「ありがとう。俺も好きだ、魔王」
「!!! 本当か?」
「ああ、本当だ。言っただろ? 一目惚れだったんだって。まぁ、実は前世じゃ恋なんてしたことなかったから、自分でも戸惑ってたんだ。この気持ちは一体何なんだろうって」
「……嬉しい……」
思わず涙をこぼす魔王を、俺は抱き締める。
魔王の身体は小刻みに震えていた。
それは喜びだけじゃなくて、心の傷による部分も結構あると思う。
「アイツに言って、今回の件に関しての、俺とお前の記憶を全部失くさせるか?」
少し身体を離して、俺が問うと。
「いや、いい。悔しいが、恐らくダイーマの言う通りだっただろう。きっと我だけだったら、いつまで経っても勇気が出ずに、ズルズルと日にちばかりが過ぎていたと思うからな」
魔王は首を横に振った。
「そうか、お前がそう言うなら良いけどな。それと、俺がお前の気持ちに気付くのがもっと早ければ、こんなことにはならなかった。ごめんな」
「何を言う! それこそ貴様が謝ることじゃないぞ!」
「……そうか……」
俺は、少し思案した。
やっと自分の気持ちに気付けた。
魔王の気持ちも知ることが出来た。
その上で。
俺は、どうしたいんだろう?
俺は――
俺は、魔王に語り掛けた。
「あのさ。色々準備も要るし、あと、今は温泉旅館の経営でまだ手一杯な感じだし、少なくとも数ヶ月は先の話になると思うんだけど」
「ああ」
「俺と結婚してくれ、デレカ」
「!!!!!!」
目を大きく見開いたデレカが。
「はい!」
満面の笑みを浮かべると、その頬を涙が伝い。
自然とお互いの顔が近付き。
俺たちは、唇を重ねた。
気付くと。
「いよっ! 熱いね、御両人!」
「見せ付けてくれちゃって!」
「良いぞ! もっとやれー!」
俺たちは、温泉旅館世界樹の食堂へと空間転移されていた。
今日に限って、客室ではなく食堂での夕食を希望する人たちばかりだったのだ。
大盛り上がりとなっている中、慌てて身体を離した俺たちは、恐縮しきりだった。
あ。
あと、ついでに。
「……い、言い付け……通り……な、殴られ……い、言い付け……通り……な、殴られ……」
あとから見に行くと、ダイーマは、通路の最奥――目立たない場所に、ボロ雑巾のように捨てられていた。うわ言のように、同じ言葉を繰り返しながら。
※―※―※
温泉旅館の経営を始めてから、一年が経った。
この日。
「いよいよだな」
「ああ。わわわわわわ我は、ぜ、ぜぜぜぜぜぜ全然緊張していないぞ!」
「めっちゃしてるじゃん。大丈夫、俺も緊張してるからさ。それが普通だって」
「そ、そうか……うん、そうだな!」
俺とデレカの結婚パーティーを、俺たちの住まいであり職場でもある、温泉旅館世界樹で行うこととなっていた。
結婚パーティーは、高層にて行うこととした。
理由は単純。
「やっぱり、トイレを我慢せずに飲み食いできるのは、最高なの!」
天使の少女であるファティルを呼ぶためだ。
地上では上手く呼吸が出来ない彼女のために、大空に臨む場所を選んだ。
新たに男湯エリアを作り、客室も作った。
「っていうか、余程トラウマだったんだな、魔王との温泉耐久勝負……」
ファティルに聞こえない程度の小さな声で、俺はボソッとつぶやく。
以前、トイレをどれだけ我慢出来るかという勝負を俺がファティルと魔王に強制したのだが、両者とも温泉内で限界を迎えたことが、今でも尾を引いているようだ。
そんなファティルが幸せそうに料理を食べ、酒を飲んでいるこの部屋は、いつもの和風な食堂ではない。
「こればっかりは、俺もつくづく日本人だな、と思う。結婚パーティーだけは、何故か西洋風が良いんだよな」
白いテーブルクロスが掛けられた丸テーブルがいくつも並び、椅子まで白い。
光るキノコではなく、巨大なシャンデリア形魔導具が代わりに照明の役目を果たしている。
俺はずっと温泉旅館にしか興味が無い奴だったから、正直、結婚パーティーとかよく分からない。
けど、取り敢えず、白タキシードに身を包み
それだけで十分だ。
「どうした? 我の顔に何かついてるか?」
小首を傾げるデレカは、ウェーブ掛かった長い金髪をアップにしている。
うなじを露わにした彼女が、その美しい碧眼で俺を見つめる。
ただそれだけで、胸の奥から熱い何かが込み上げて来る。
「いや、見惚れていただけだ。めっちゃ綺麗だなって思って」
「なっ!? 貴様は、またそういうことを!」
バッと目を逸らした彼女は、顔が真っ赤だった。
みんなの前でさっきキスしたところなのだが、多少慣れたと思ったら、未だに褒め言葉一つで、この反応か。
うん、すごく可愛いぞ。
嫁の反応に幸せな気持ちで一杯になった俺は、食事をしつつ、会場内を見回す。
取り敢えず最初に挨拶は軽くしたし、誓いのキスもしたし、あとはみんな好き勝手飲み食いしてくれればそれで良いかなと。
もちろん、参加者から事前に費用はもらっている。
「そこは、ちゃんと商売だからな」
ただ、本来ならば温泉も宿泊費も食事代も全て低層の三倍設定の料金を、今日だけは、通常料金と同じにしてある。
「今日来てくれたお客さんへの感謝の気持ちを込めて、って感じだな」
ちなみに、誓いのキスの時には、ショプチーさんたち六ヶ国の大司教たちが、同時に神父役を申し出て、大変な目に遭った。
「ワタシが神父をやります」
「いえ、ワタシが神父をやります」
「いやいや、ワタシがやります」
「いやいやいや、ワタシが神父をやりますから」
「いえいえ、ワタシこそが神父をやるのに相応しいです」
「何をおっしゃる、ワタシこそが神父に適任です。ワタシがやります」
「「「「「どうぞどうぞ」」」」」
「コントか」
その後も、「命のある限り、愛することを誓いますか?」「誓いますよね?」「そりゃもう誓いますよね?」と、よってたかってウザいことこの上なかったのだが、祝福しようとしてくれているのはギリ伝わって来たので、まぁ良しとした。
本来ならば、一日に呼ぶお客さんは最大四組なのだが、今日は特別に九組呼んである。
今まで来てくれた人たちに、世界樹の華の香による集客を行ったのだ。
香りに、結婚パーティーをいつやるか、参加費用はどうなるかなどの情報を載せた上で。
その結果、今回の九組が集まった。
「俺っちの取り扱う薬草は、美容系のものがメインです。王族や貴族の奥様方からご好評でして」
「それは興味深い。僕の商会は、魔石発掘を柱としていてね。全く違う商売の話は面白いね。勇者さん、貴方の事業の噂も聞いていますよ」
「そうなんです! ありがたいことに、魚と肉の冷凍保存サービスが、既に評判となっていまして!」
薬草ハンターである元隻腕のロスレフさんと、魔石発掘の大商人のマジェクさん、それと、新参ながら今最も勢いのあり話題性もある勇者が、同じテーブルで盛り上がっており、マジェクさんの奥さんのリーマさんは、旦那さんの隣でニコニコと話を聞いている。
席次を決める際に、商人テーブルを作ろうと予め考えていたのだが、正解だった。
ちなみに、以前はその言動含め、ならず者にしか見えなかった勇者は、小綺麗な服を着て、喋り方もまともになっている。
男子、三日会わざれば刮目して見よって奴だな。
「おいら、天使に会ったのは初めてだよ!」
「ハッ! あたいもさ! まさか天使に会えるだなんてねぇ! なんか御利益ありそうだねぇ!」
「ファティルは天使の中でも超絶美少女なの! あんたたちは、超ラッキーなの! 存分に拝むと良いの!」
ドヤ顔で胸を張るファティルを、人魚のサクリラさんと漁師のライさんが拝む。
二人は結婚して、今は幸せに暮らしているそうだ。
ちなみに、このテーブルのテーマは、空と海だ。
うん、自分でつけといて何だが、なんか壮大だな……
「寿司ですが、まずはワタシが食べます」「いえ、まずはワタシが」「いえいえ、まずはワタシが」と、ワタシワタシとうるさいのは、先述のショプチーさんたち六人の大司教テーブルだ。
その隣は、デレカと仲良い者たちテーブルだ。
モンスターアイドルグループフェニーチェでもある四天王と、元巨大な目玉のモンスターという魔王の幼馴染であるアイジェさんの席なのだが。
「ククスは、
「レレムから、世界樹サラダのプレゼントなのだ!」
「スララは、世界樹の華の花酵母を使った日本酒を追加で持って来たのだわ!」
「うん。ガガオは、空いた皿を持って行くのら~」
四天王たちは、今まで積み上げてきた知名度と、コミュニケーション能力で、お客さんに対する給仕を完璧にこなして。
「きゃぴるーん♪ アイジェ特製テンプラをご賞味あれ~♪」
ピンク色ツーサイドアップ美少女モンスターであるアイジェさんも、満面の笑みで、配膳を手伝ってくれている。
まぁ、作っているのはクークだから、アイジェ特製ではないだろうとは思うが、あのくらいなら、特に問題にはならないだろう。
五人とも、本来ならばお客さんなのに、忙しそうなのを見て、自主的に仕事を手伝ってくれているのだ。ちなみに、彼女たちにも、従業員専用の着物を着てもらっている。
「本当、ありがたいよな。頭が上がらないよ」
俺とデレカは、申し訳ないけど、それぞれ新郎新婦としての役割に集中したいので、今日は働かない。そのため、どうしても普段よりも二人従業員の人数が減る。
にもかかわらず、普段の四組四人――マックス十六人に比べて、今日は十九人もいる。
だから、元々アイジェさんには、お願いしようと思っていた。
「まさか、四天王のみんなまで手伝ってくれるとは思わなかったな」
おかげで、ちゃんと滞りなく給仕を行うことが出来ている。
クークが超高速で料理するには、使い慣れた低層の厨房を使用するのが一番なので、出来上がった料理をリアと
それを受け取った四天王たちとアイジェさんが、各テーブルへと配膳してくれるのだ。
「お礼……と言っちゃあ、ショボいけど、みんな、『気にしないで』って言ってくれて、ありがたい限りだ」
そんな彼女たちに対しては、せめてものお礼にと、今日の夕食と明日の朝の食事代と宿泊費は無料、させてもらっている。
それと、普段から働いてくれているリアたちには、俺たち二人が抜けた分も頑張ってくれていることに対する感謝の気持ちを示して、今月の給料は金貨三枚を追加して、金貨十三枚とさせてもらうと伝えてある。
「あ」
そうそう。
お客さんだけど、もう一人いるのを忘れていた。
ポツンと一人、離れたテーブルで食事をしているのは。
「あれ~? なんか、僕の扱いだけ違わない? 気のせいかな?」
青と赤のツートンカラー髪のダイーマだ。
「あ、そうかそうか。僕は、魔王さまにとって最も大切な最古参モンスターだからね。特別扱いってことだよね。そうだよねそうだよね。うん、分かってるさ」
悲しい笑みを浮かべ、キラリと光る涙がその頬を伝った。
これでお客さんは、合計九組、十九人だ。
※―※―※
みんながほろ酔い気分になった頃。
「あともう少ししたら、お開きかな」
そんな風に、俺が思っていると。
「ま、魔王さま! 僕、もう我慢出来ません!」
突然バッと立ち上がったダイーマが、髪を掻きむしる。
「そんな、どこの馬の骨とも分からない奴に、大切な魔王さまが! 大切な魔王さまがあああ!」
「いや、ずっと見守ってたんだろ? しかも、もう出会ってから一年経ってるんだ。そろそろ俺のことも認めてくれよ」
俺が「とにかく、落ち着け」と、立ち上がってなだめようとするも、ダイーマの興奮は収まらず。
「魔王さまあああ! 魔王さまああああああ!! 魔王さまああああああああ!!!」
叫ぶダイーマが翳した両手に呼応して、俺とデレカの背後の壁が、眩く光り輝いた。
「デレカ!」
慌てて俺が、デレカの身体の上に覆い被さるが。
「大丈夫だ。これは攻撃魔法じゃない」
「!?」
やけに落ち着いているデレカが、穏やかに笑みを浮かべると。
「がははははは! その結婚パーティー、待てーい! 俺たちも参加するぞ!」
「あらあら~。
「と……父さん……!? 母さん……!?」
スクリーンのように光り輝く壁に映し出されたのは、現代日本にいるはずの、俺の両親だった。
「一体何が……!?」
戸惑う俺に、仲間たちの声が掛かる。
「
「あたしたちみんなでぇ、お給料を使わずにぃ、貯めましたぁ!」
「ロッカは、旦那さっまに喜んで欲しかったでっす」
「ニコは、旦那様に、驚いて欲しいという願望に、至りました」
「ネーモは、旦那さ~まに、幸せになって欲しいで~す」
「みんな……」
どうやら、以前『ウインドウ』の『メニュー』に追加された『元いた世界の家族との通信』を、金貨八百枚を貯めることで、実現してくれたらしい。
ダイーマがサプライズ開始の合図を行ったのは、そういうことを絶対にやりそうもない相手だったからだろう。だからこそ彼は頼まれて、しぶしぶ行ったのだ。もちろん、合図のみで、サプライズ用の金は一切払っていないだろうが。
「発案者は魔王じゃがのう。『映像でも何でも良い! どんな方法でも良いから、メグルを、両親と会わせてやりたいんだ! 頼む!』と、頭を下げて必死に頼むもんじゃから、余も首を縦に振らざるを得なかったのじゃ」
「!」
いつの間にか、クークまでやって来ている。
「みんな……ありがとう……!」
仲間たちに頭を下げる。
胸の奥から、温かい何かが込み上げてきた。
必死に堪えないと、涙が溢れてしまいそうだ。
「デレカ、ありがとう! 本当に、本当にありがとう!!」
「きゃっ! ……うむ。よ、喜んでもらえたなら良かった」
デレカを抱き締めると、頬を紅潮させた彼女は、はにかんだ。
スクリーンの向こうの両親に向き直ると、俺はデレカを紹介した。
「父さん、母さん、お久しぶり。彼女は、デレカ。俺の……奥さんだ」
デレカが立ち上がり、軽く会釈する。
「お初にお目に掛かる。我は、デレカだ」
「あらあら~。私は
「がははははは! 俺は
褒められたデレカは、気恥ずかしそうにしつつ、俺の両親に語り掛けた。
「父君、母君……実は、我は……その……」
が、途中で、何かを言い淀み、俯いた。
以前、デレカに、俺が元いた世界では、魔王に対して人々がどのようなイメージを持っていたのかを聞かれ、正直に答えた。
それが今、彼女の頭を過ぎっているのだろう。
「俺の両親なら、大丈夫だ」
俺が耳元でそう囁くと。
頷き、意を決した彼女は、顔を上げた。
「……我は……魔王だ……!」
一瞬の静寂の後。
「がははははは! なかなかロックな奥さんで良いじゃないか!」
「あらあら~。高貴な身分なのね~、デレカちゃ~ん。うちの子は平民だけど~、良い子だから~、仲良くしてあげてね~」
異世界において、人類の敵の代表格とも言える魔王の肩書があっさりと受け入れられたデレカは、拍子抜けし過ぎて、ふらついた。
「っと!」
俺が慌てて支えると、デレカは俺の腕にしがみ付きながら、感極まった様子でつぶやいた。
「父君、母君……感謝する……」
良かった。
まぁ、うちの両親だし、受け入れてもらえるだろうことは、最初から分かっていたけど。
俺は、心の底から安堵した。
「がははははは! それにしても、温泉旅館巡りにしか興味がなかったお前が、所帯を持つ日が来るだなんてなぁ!」
豪快に笑う父親のでかい声は、相変わらずだ。
と、その時。
「ん? あれは……」
よく見ると、父親が両手で掴んでいるスクリーンの端に、牙や赤い唇らしきものが映り込んでいる。
耳を澄ますと、「近いドル! そんなに近付かなくてもちゃんと映ってるドル! っていうか、ただの人間の癖になんでユドルのことを全然怖がらないドル!?」という、聞き慣れた声も聞こえる。
……え?
なんでユドルがそっちの世界にいるんだ?
「父さんと母さんの目の前にいるのって、
俺の問いに、両親は答えた。
「がははははは! コイツは、病死したお前の死体を喰ったんだ! 何度殴っても吐き出さなくてな!」
「あらあら~。そうだったわね~。それを見た私は~、
「!?」
少し小さめの
そんな場景を想像した瞬間。
実家の庭に生えている、人間の身長くらいの高さの
「あ……! そうだ……! そう言えば、そうじゃん……!」
そうだ。
なんで忘れていたんだろう?
元いた世界で、俺は幼少時代にユドルと会っていたんだ。
俺は、ユドルとの出会いを思い出した。
※―※―※
現代日本にて。
確か、俺が五歳だった時だ。
桜舞う四月のある日。
午後五時頃に、母親が幼稚園に迎えに来てくれた。
担任の先生と母親が立ち話をした後。
一緒に車で帰宅したのが、午後五時三十分。
「あら、
「あらあら~。そうなんです~」
駐車時は、自分の車で自分の子どもを轢く危険性が最も高い瞬間なので、きちんと駐車出来て気が抜けてしまったのか、俺を車から降ろした母親は、近所のママ友に話し掛けられて、俺から目を離した。
本来、幼い子ども一人で行動するのは危険であり、良くない。
が、幼かった俺には、そんなことは分からない。
「おんせんをみつけよう!」
幼いながらも、一度両親と共に行った温泉の素晴らしさに深く感動し、嵌まっていた俺は、突然、温泉を見つける冒険の旅に出た。
俺は、てくてくと右方向へと歩いて、T字路を右折。
更にてくてくと歩いていき、曲がり角を左に曲がった。
すると、左側の側溝の、コンクリートの蓋の隙間に、見たこともない小さな花が咲いていた。
「おんせん……じゃないけど……」
何故だろう。
妙に心惹かれた。
俺が温泉以外に心を動かすことなど、普段は全く無かったため、珍しかった。
真っ赤な、まるで唇のように見える花は、萎れており、今にも枯れてしまいそうだ。
俺は、しゃがんで話し掛けた。
「だいじょうぶ? げんきないね」
「……てめぇ、何見てんだドル……!」
何気無く声を掛けただけなのに反応が返って来たため、俺は驚いて目を丸くした。
「こえがきこえる!」
「! ……ひょっとして、てめぇ……ユドルの声が聞こえるドル……!?」
「うん、きこえるよ!」
「信じらんねードル……! たかが人間のくせにドル……!」
よく見ると、ユドルという名前の花は、喋っていた。
弱々しいけど、まるで本物の口のように、唇を動かして。
「でも、そうと分かりゃ、利用しない手はないドル……!」
ユドルは、ニヤリと笑った。
「おい、クソガキ! 見ての通り、このままじゃユドルは枯れるドル。そこで、異世界が誇る聖なる世界樹であるこのユドルを助ける栄誉を、てめぇに与えてやるドル……!」
「ヴィレヴァンがおごるゴチなるジュマンジ?」
「言ってねぇドル……! このクソガキ、ふざけてんのかドル!?」
ユドルが、プルプルと震える。
寒かったのだろうか?
「とにかく! ユドルは、女神のお気に入りドル! ユドルを助ければ、きっと、てめぇが困った時に良いことがあるドル! だから助けろドル!」
「よくわからんないけど、たすけるよ! そのかわり、ぼくとともだちになってよ!」
「友達……ドル?」
「うん! ぼく、ともだちいないから!」
まだ幼いのに、幼稚園で俺が話すことは温泉のことばかり。
更に悪いことには、他に何も興味を持たなかったため、他の子どもの話は一切聞かなかった。
そんな俺は、齢五にして、ぼっちだった。
「そんなことで良いなら、いくらでもなってやるドル!」
「ほんと!? やったー!」
思わず立ち上がり、ぴょんぴょんと飛び跳ねる俺。
「それで、どうやってたすければいいの?」
再び屈んで小首を傾げる俺に、ユドルは答えた。
「もっと土がたっぷりあって、栄養も豊富な場所へとユドルを連れて行き、植え替えるドル! そのために、まずはユドルを引き抜くドル! くれぐれも、そ~っと、優しく抜くドル! ユドルは弱ってるから、絶対に乱暴に扱っちゃ――」
「えいっ!」
「ぎゃああああああああああああああ!」
両手で持ったユドルを、俺は勢い良く引っこ抜いた。
元気一杯な声が響く。
「何してくれてやがる、このクソガキ!?」
「じゃあ、ぼくのうちにつれてくね!」
俺はユドルを手に持ったまま、とてとてと走って、家に帰った。
※―※―※
「あ! おとうさん! おかえりなさい!」
「がははははは! ただいま、
珍しく早く帰宅した父親と合流した俺は、事情を話した。
俺の手の中のユドルが、小さくつぶやく。
「父親の方は少しはまともだと良いドルが……」
「がははははは! 本当に喋ってんな! なかなかロックな花だな!」
「なんでてめぇまでユドルの声が聞こえてるドル!?」
何故か、驚愕するユドル。
「よごれててかわいそうだから、まずは、おふろにいれてあげるんだ! おんせんはないから、かわりにアツアツのおふろに! きもちいいから!」
ユドルが、「は? 何言ってる……ドル……?」と、声を震わせる。
「待てーい!」
「あ、良かったドル。どうやら、父親はまともだった――」
「まずは身体を洗ってから、っていつも言ってるだろ? ボディーソープでしっかり洗ってやろう! ピカピカにしてやるんだ!」
「うん、ピカピカにする!」
「マジでこの家、頭おかしい奴しかいないドル! え? 本当にやるドル!? ぎゃああああああああああ!」
※―※―※
その後。
ピカピカになったユドルを、俺たちは庭のど真ん中に植えた。
そして。
「おんせんは、いろんなせいぶんがあるけど、ただのおゆだとえいようがたりないから!」
ユドルに元気になって欲しい一心で、俺は、栄養のありそうなものを与え続けた。
「ホットミルク! コーラ! おみそしる! カレー!」
「ぎゃあああ! ぎゃああああああ!! ぎゃあああああああああ!!! ぎゃああああああああああああ!!!!」
その度に、ユドルはエネルギッシュに叫んだ。
※―※―※
俺たちが懸命に世話をしたことで、数年後には、ユドルはすっかり元気になった。
俺が成人して会社勤めを始めた頃には、大人の人間と同じくらいの高さまで成長していた。
※―※―※
そんなある日。
俺は、持病が悪化。
にもかかわらず、温泉旅館巡りも止めず、仕事も辞めず、無理を続けて。
倒れて、死んだ。
※―※―※
「
俺が死んだ後、何が起こったかを、母親が語り始めた。
実家にて通夜が終わり、弔問客が全員帰った後。
突如。
「「!?」」
俺の死体が、スーッと浮き上がったらしい。
慌てて両親が追い掛けていくと、何故か玄関が開き、死体は外へと飛んでいった。
庭まで追い掛けていった両親が見たのは。
「ゴクン。っぷはぁ! これで良し、ドル!」
庭に植えてあったユドルの一時的に巨大化した真っ赤な口によって、俺の死体が喰われる、という光景だった。
「待てーい! 俺の息子を返せー!」
父親が猪突猛進、勢いそのままにユドルに殴り掛かった。
「がはっ! ちょっと待ぐはっ! 話を聞ごぼっ!」
拳を食らう度に悲鳴を上げ、大きく揺れ動くユドル。
そこに、横から母親が口を挟む。
「あらあら~。どいて~、あなた~。切るわ~」
「嘘ドル!?」
バッと距離を取った父親と入れ替わりに、母親が間合いに入る。
こんなこともあろうかと、普段から用意しておいたチェンソーで、母親はユドルに切り掛かった。
「待て待て待て待ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
一気に半分くらい幹が削れるユドル。
「なんでユドルがアイツを喰ったか、その理由を言うから、一旦
更に幹が切られて、残り一割が辛うじて残っている状態になったユドルは。
「メグルは、たった今、異世界転生したドル!!!」
瀕死の状態で、必死に叫んだ。
「異世界転生だと……?」
「ユドルちゃ~ん、それってどういうこと~?」
母親が手に持つチェンソーによる命を刈り取る音と振動に心底怯えつつ、ユドルが答える。
「ユドルは、異世界の世界樹ドル! こっちの世界だと本来の力を発揮出来なくて、貨幣を食べてエネルギーに変換することすら出来ないけど、本当はすごい力を持ってるドル!
しかも、ユドルは女神のお気に入りだから、ユドルを助け……たって言いたくないけど、一応助けたメグルを、同じ身体で生き返らせて、異世界転生させたドル!」
「つまり」と、ユドルは言葉を続けた。
「簡単に言うと、てめぇらの息子は、生き返って、こことは違う世界で生きてるってことドル!」
「「!!!」」
※―※―※
「そのおかげで~、
「がははははは!
そうだったのか……
ちなみに、三千年前、当時の勇者と彼の引き連れてきた仲間たちのせいで、完全に枯れてしまった
現代日本にいるのは、ユドルの分身体であり、こちらのユドルと魔力も意識も全てが繋がっているとのことだ。
ユドルがお気に入りという女神――俺を転生させた女神とユドルも、魔力のパスが繋がっているみたいで、俺の死体の受け渡しがスムーズに出来たのも、そのためだろう。
「デレカちゃ~ん、是非とも一度~、こっちの世界に~、遊びに来て頂戴ね~」
「がははははは! 待っているぞ!」
「母君、父君……うむ、心得た!」
デレカが、弾けるような笑顔で頷く。
出来ると良いけどな、そんなことが。
まぁ、夢見るだけなら、自由だ。
人間もモンスターも、明日への希望があるから、生きていけるんだ。
実現の可能性はともかく、「こうなったら良いな」と思い描くことで日々の活力を得られるならば、とても素敵なことじゃないか。
と、その時。
突然、現在スクリーン代わりになっている背後の壁に、『ウインドウ』が現れた。
俺は呼び出していないのに、勝手に。
見ると、メニューが表示されている。
そこには。
「元いた世界と自由に行き来出来るフリーパス:金貨千六百枚!?」
新たな項目が追加されていた。
金貨千六百枚で、元いた世界と自由に行き来出来るようになる、か。
「今回の異世界との映像通信の丁度二倍だな……」
実は、一年経ったのを機に、俺はみんなの給料を二倍にしようと思っていた。
低層温泉に比べて割高であるにもかかわらず、天使たちが毎日複数で、高層の温泉に来てくれており、その分売り上げが伸びている。
また、ショプチーさんたち大司教たちも、時々バラバラにやって来ては、割高の指名+特別プレイを注文してくれるし。
「あと、お土産の売り上げもあるし」
更には、お土産として、どれだけ瀕死の重傷でも一瞬で治す力を持つ世界樹の葉を売るようにしたら、これまた結構売れてるし。
ということで、一年前に比べてかなり売り上げが上がっているので、俺も含めて、全従業員の給料を二倍――つまり、月に金貨二十枚にしようと思っていた。
正直、金貨千六百枚はかなり高い……けど、さすがにもう、仲間たちに頼る訳にはいかない。
「それに……正直、胡散臭いんだよな」
今回の映像通信と同じく、温泉旅館の経営状態を知る
そんなことをしなくても、俺とデレカで頑張って貯めていけば、四年もすれば、貯まるはずだ。
と思っていたら。
『ウインドウ』を覗き込んだ仲間たちが、声を上げた。
「異世界ですかぁ! あたしも行ってみたいですぅ!」
え?
時をかける少女ならぬ、時空を超える幽霊少女!?
「異世界に、ちょっぴり小さくて可愛らしいユドル様の分身体が!? これはもう、異世界に行って、小さくてかわゆいユドル様をペロペロするしかないですわあああああ!」
……俺の両親に一番見せてはいけない奴が決定したな。
「異世界の人間たちは、美味いのかのう? 料理してみたいのう」
……人類の敵が今、決定したな。
「ロッカは、旦那さっまの愛人でも良いので、ついて行きたいでっす」
「ニコは、旦那様に、二番目の女でも良いから愛して欲しいと思うに、至りました」
「ネーモは、旦那さ~まの妾でも、大丈夫で~す」
うん、何も大丈夫じゃない。
デレカがすごい目でにらんでるから、そういうこと言うの、マジでやめてー。
スゥスゥたちは皆、「そのためなら、金は出す」と、口を揃えて言う。
いや、ありがたいけど……
と思っていたら。
「ククスたちにも、協力させて欲しいです!」
「レレムたちは、最近かなり稼げているのだ! 金貨もたくさん持ってるのだ!」
「スララは、魔王さまの御力になりたいのだわ!」
「うん。ガガオも、魔王さまと異世界に行くのら~」
「きゃぴるーん♪ デレカちゃんとの異世界旅行、すっごく楽しみ♪ もちろん、アイジェも協力するよ♪ お金結構持ってるから♪」
四天王たちと、アイジェさんまで協力を申し出てくれた。
今回、仕事の手伝いをお願いした際に、リアたちから業務内容を聞いてもらったんだけど、恐らくその際に、今日のサプライズの内容と、
「マジか……」
予想外の事態に、俺は呆然とした。
まぁ、「ワタシたちの推しの特別プレイを、異世界で味わえるですって?」「甘美な響きですね……クックック……」と、六人揃ってクイッと眼鏡の位置を直しているが、もちろん、何がどうなっても、彼らは絶対に連れて行かない。
「魔王さま! 魔王さまが行くというなら、当然僕もついていきます!」
鼻息が荒いダイーマも、もちろん連れて行かない。
絶対暴走するし……危険過ぎるからな。
とまぁ、それは良いとして。
どうしよう……
俺が俯き、思案していると。
「メグル」
デレカが俺の腕に触れて、顔を覗き込んで来た。
「仲間たちに申し訳ないという貴様の気持ちも分かる。だが、良いではないか。皆、やりたくてやっているのだ。今回サプライズした際も、皆、楽しそうだった。無理して行った者など、誰一人としていない」
「それに、父君と母君に会いに行けるのが、大分早まるだろ?」と言ったデレカは、更に言葉を継いだ。
「あと……正直、二人きりで貴様の両親に会いに行くのは、緊張でどうにかなってしまいそうだったから、仲間たちと一緒に行けるのは、助かる」
まぁ、俺としては、二人きりで両親に挨拶、という、ベタで王道な里帰りの方が良かったんだが……
でも、どこか安堵した様子のデレカの微笑と、仲間たちの笑顔に、俺は心を決めた。
「分かった」
頷いた俺は、まずは、ユドルに確認することにした。
こっち側には、真っ赤な唇のアイツはいないが、現代日本の方には映っていて、どちらもアイツであるとのことだったから、スクリーンに向かって語り掛ける。
「ユドル。元いた世界と自由に行き来出来るフリーパスだが、俺とデレカの二人だけじゃなくて、みんな一緒でも大丈夫か?」
すると、ユドルは、映像の向こう側で、ため息と共に答えた。
「仕方ねぇドル。てめぇはガキの頃、母の日と父の日とやらに、両親だけじゃなくて、ユドルの絵も描いたからドル。出血大サービスドル! 人数制限は取っ払ってやるドル!」
珍しくデレたな。
どうやら、幼少時代の俺が絵に描いたことが、嬉しかったらしい。
俺は、改めて映像に映っている両親に向かって言葉を紡いだ。
「という訳だからさ。父さん、母さん。里帰りは、大所帯になると思う。しかも、多分、来年には行けると思うよ」
「がははははは! なかなかロックだな!」
「あらあら~。
そんな俺たちのやり取りを見ていた仲間たちは。
「「「「「わああああああああ!」」」」」
大盛り上がりだった。
「異世界のユドル様! 待っていて下さいまし! すぐにペロペロしに行きますわあああああ!」
「異世界旅行に向けて、余も包丁を研いでおくとしようかのう」
「異世界の温泉も楽しみですぅ! あ、もちろんその時は、メグルさんの身体を乗っ取りますぅ!」
「ロッカは、旦那さっまとの異世界旅行が、楽しみでっす」
「ニコは、旦那様に、異世界でもぎゅーして欲しいと思うに、至りました」
「ネーモは、旦那さ~まと、異世界でも楽しく過ごしたいで~す」
お客さんたちからも、「ハッ! 絶対に叶えなよ!」「おいらも応援してるよ!」「しょうがないから、ファティルもエールを送ってあげるの! 感謝するの!」と、拍手と共に、激励の言葉が投げられる。
俺は、デレカの手を握ると。
「デレカ。これからも、二人で……いや、みんなと一緒に、温泉旅館世界樹で頑張っていこうな! そして、両親に会いに行こう!」
「ああ! 我らの力を合わせれば、きっと大丈夫だ!」
互いに笑みを浮かべ、決意を新たにしたのだった。
―完―
※ ※ ※ ※ ※ ※
(※お読みいただきありがとうございました! お餅ミトコンドリアです。
新しく以下の作品を書き始めました。
【もしも世界一悪役ムーブが下手な男が悪役貴族に転生したら】
https://kakuyomu.jp/works/822139838006385105
もし宜しければ、こちらの作品も星と作品フォローで応援して頂けましたら嬉しいです。何卒宜しくお願いいたします!)
女魔王と旅館経営~世界樹の中に作った異世界温泉旅館で、濃い仲間たちと共にクセ強お客さんの悩みを解決する話~ お餅ミトコンドリア@悪役ムーブ下手が転生 @monukesokonukeyuyake
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。