第2話 時は流れて


「ふぁ~」


 僕は柔らかいベッドの上で目を覚まし、欠伸をしながらゆっくりと体を起き上がらせた。


 窓の外からは朝日が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえて来る。



「なんで、あの時の夢なんか見たんだろ」


 目を擦りながらベッドから降りて、近くに置いていてある鏡台の前に立つ。


 鏡に映っているのは、寝癖のついた黒髪に深い青色の目をしたパジャマ姿の青年。


 少し長い髪に幼さの残る顔も相まって、やや中性的な見た目。背は高い方だが体は細く、筋肉もあまりついていない。


 それが僕、ユーラス・ソノーロと言う名前の人間だ。



「もう怪我の痕は、ほとんど消えてるんだけどなぁ~」


 僕が冒険者を休業してから既に4年の月日が経ち、かつて体に負っていた深い傷はほぼ完治していた。


 服をまくり怪我のあった場所を確認するが、傷跡は綺麗に無くなり、痩せ気味な事以外は健康体そのものである。



「はぁ、さっさと着替えよう」


 昨日、寝る前に机の上へ置いていた着替えを手に取り、長袖のシャツとズボンに着替え、仕事着として愛用しているポケットが沢山付いた黒いローブを最後に羽織る。



「よし、寝ぐせは直ったね。今日も頑張ろう、ユーラス」


 机の引き出しから取り出した木製の櫛で、寝癖のついた髪を整えると、鏡に映る自分に向かって微笑み、僕は自分の部屋を出た。



 僕が今住んでいるのは、フィリア共和国という様々な種族と文化が共存している場所で、20年以上前に起きた厄災を打ち払った自警団が中心となり、新たに作り上げた国だ。


 フィリア共和国の南東の端にあるフロックス村が、僕が幼い頃から冒険者になるまで住んでいた故郷の小さな村で、村の周囲には草花の生い茂る草原が広がり、少し離れた場所に2つの森と小さな山がある。


 村の奥には大きな湖があり、自然に囲まれた住み心地の良い場所なのだが、国の中心部である都市と比べると人通りが少ないので、新しく開発された道具や豊富な食材は手に入りにくい。


 名物と呼べるものも豊かな自然くらいしか無かったので、僕が帰郷した頃の村はだいぶ寂れていたが、村を繁栄させる為に村長が色々と画策した結果。村の状況が大きく好転した。


 僕が経営している魔法道具の店も、最初は村に必要なものを作るだけだったが、今では立派なお店として繁盛しており、村の外から店の商品を求めてやって来るお客も増えている。



 僕の家は、4年前に村長が用意してくれた店と一体型になっている家だが、 村に人が少ない時期だったこともあり、土地が沢山余っていたからと、勝手に大きくて広い3階建ての一軒家が建てられてしまった。


 1階がお店と作業場、3階は客間と荷物置き、そして2階が普段生活するための自室や居間、台所など色々と完備された快適な家なのだが……流石に1人で住みには広すぎる。



「ぐお~zzz!」


 僕が自分の部屋を出ると、2階のリビングに置いてある仮眠用のベッドから、大きな寝息が聞こえて来た。


 ベッドには獅子獣人の男性が大の字で寝ころび、気持ちよさそうにいびきを搔いている。


「クロム~、朝だよ~」


 ベッドで横になっている白い毛並みの獅子獣人。彼の名前はクロム・ディールー。


 僕の店に住み込みで働いている鍛冶師の青年だ。


「う~ん、もうちょっと寝かせてくれ~」


 僕が声を掛けるとクロムは僅かに目を開け、赤い瞳でこっちを見るが、すぐに寝返りを打って背中を向ける。


 クロムと出会ったのは、魔法道具の店を開くために商品を作る職人を探している時だった。


 僕が魔法道具のお店を開くためには、魔法を込める道具やその部品を作れる鍛冶師が必要だったので、店を開く提案した村長と2人で村を数日離れ、冒険者組合の本部まで探しに行く事になり。


 冒険者組合から紹介された鍛冶場へ向かい、貫禄のある厳つい虎獣人の工房長に村の状況を説明して相談したところ。


『丁度一人前になったばかりの若手が居る。お互い良い修行になるだろう』と言われ、紹介されたのがクロムだ。


 自分よりも圧倒的に体格が大きい獅子獣人を紹介されて少し身構えたが、工房長に呼び出されたクロムも僕を見て驚いている様子だった。

工房長から詳しい事情を聴いたクロムは慌てて断ろうとしていたが、鍛冶師の師匠でもある工房長に修行の一環だと説得されて、クロムは半ば強引にフロックス村へやって来ることに。


 僕はてっきり、村に新しい家を建ててクロムをそこに住まわせると思っていたのだが、村長が僕と鍛冶師を探しに行っている間に、何故か村の資金を使って僕とクロムが今住んでいる家を建てていたのだ。


 村長は『いや~、すまんのう。つい張り切ってしまってな』と謝っていたが、家を取り壊して新しく建てるわけにもいかないので、仕方なく2人で暮らすことになり、店を開業する前に色々と相談しながら生活する事に。


 幸いなことに家の部屋は何処も広く、人間の僕と獣人のクロムが2人で暮らしても広すぎるくらいで、クロムとの生活も意外に上手く行っており、無事に店を開店する事が出来た。


 後で知った話だが、村長は僕が帰って来るよりも先に、村の復興について色んな所に相談をしていたらしい。


 クロムの師匠にも実は相談済みで、僕が村に帰ってきたら年齢が近いクロムを村に住まわせて仲良く店を運営させたかったらしく、冒険者組合にも上手く誘導して貰う様に話を通していたようだ。


 何故そんなことをしたのかは教えてくれなかったが、クロムと一緒に生活して1年ほど経った頃。

鍛冶師の師匠と村長が祝いと称して開いた飲み会で、その計画を初めて聞かされた。僕は呆れて何も言えなかったが、当時のクロムは村長と鍛冶師の師匠に酷く怒っていた。


 激怒したクロムは散々文句を言っていたので、そのまま村から出て行きそうな雰囲気だったが、この村での生活を気に入ってくれたらしく、今も僕と店を経営しながらこの家に住んでいる。


 普段の生活ではガサツな所もあるが、仕事では慎重で繊細な作業をしてくれるので、クロムが作る道具や部品はどれも一級品だ。


 今では仕事としてだけではなく、同じ村に住む仲間としても信頼している。


 僕の両親は既に他界しているので、冒険者の仲間と離れて村に一人で暮らしていた時期と比べると、お互いに意見が言いやすいクロムとの生活は、苦労も多かったが、正直なところ嬉しかった。


 偶に揉める事はあるけれど、いつも最後には仲直り出来ている。



 「ぐぉ~zzz」


 昨日の夜、クロムはやりたい事があると言って店の工房に籠っていた。自分の部屋ではなく仮眠用のベッドで寝ているという事は、夜遅くまで仕事をしていたのだろう。


 休憩のつもりでそのまま寝てしまったのかと思ったが、昨日まで着ていた作業着が洗濯籠に入っているので、ちゃんと風呂には入ってから寝たようだ。


 おそらく、その後に自分の部屋まで行く気力は無かったのだろう。


 寝転がるクロムの服装は、黒い半袖のシャツにハーフパンツといった涼しそうな格好をしている。


 クロムの様な獣人は体毛がある分熱がこもりやすいので、寝る時は薄着になる人や服を脱いで寝る人が多い。


 リビングに置いてある仮眠用のベッドは、僕とクロムが共用で使っているが、クロムが夜遅くまで仕事をした時は、休憩のつもりで仮眠用のベッドで寝てしまう事も偶にあるので、どちらかと言うと、クロム専用の仮眠ベッドになりつつある。



 「わかった、また後で起こしに来るからね」






 懐かしい夢を見た影響だろうか、ここ数年の思い出を振り返りながら僕は台所に立ちエプロンを身に着ける。


 トントントン。ゴポポポ。


 簡単なサンドイッチとコーヒーを用意して、食卓のテーブルに二人分の朝食を並べていく。



  ~♪~♫! ~♪~♫!



 すると、店がある下の階から陽気な音が聞こえて来た。


「うん? 誰かな」


 僕はテーブルの上に置いた朝食を蝿帳で覆うと、エプロンを外して階段を下りる。


 音の発信源は、店にあるカウンターの側に備え付けられた通話用の魔法道具。


「はい、こちら魔法道具専門店【夜空の星屑】です」


『あっ、おはようユウ。もうすぐ子供たちが出発するけど、準備できてる?』


 僕が魔法道具の受話器を取って通話を繋ぐと、魔法道具から聞こえて来たのは良く知っている女性の明るい声だった。


「ああ、おはようユミト。お店はこれから開けるから、大丈夫だよ」


 通話相手の名前は、ユミト・アベリア。


 村で運営している宿舎の管理人補佐をしている人間の女性で、僕とは幼馴染だ。


 幼い頃にユミトが家の事情で村から引っ越したので、ずっと疎遠になっていたが、4年前に僕が療養で村に帰って来た数日後に再会した。


 元々村長に声を掛けられて、村の復興を手伝うために帰郷した村人の1人だったのだが、村長から何も聞いていなかった僕とユミトは、久々の再会でその時はぎこちない話しか出来なかったが、今では同じ村の住民として協力しながら生活している。


『ありがとう、子供たちにはゆっくり向かう様に言っておくね。それから、クロムは起きてる?』


「クロム? まだ寝てるよ。昨日は遅くまで仕事してたみたいだから」


『そっかぁ。子供たちの為にも同席して欲しかったんだけど』


 クロムは鍛冶師として僕に雇われているが、村人たちから手伝い(主に力仕事)を頼まれることも多いので、村の宿舎に住んでいる子供たちとも交流があり、良く懐かれている。


「あ~、起こしてみるけど、間に合うかな?」


 僕はクロムが寝ている理由を思い出し、少し間を開けて返事をする。


『クロムには悪いけど、お願い。頑張って!』


「分かった、頑張ってみる」


 だが、その理由を考えるのであれば、クロムにとっても起こした方が良いだろう。


『うん、ありがとう。それじゃあ、また後で』


「了解。そっちも、お仕事頑張って」


 ガチャン!


 そう結論付けて、僕はユミトとの通話を終えると魔法道具の受話器を置いた。


「はぁ~、すんなり起きてくれたら良いけど」


 僕は深いため息をつきながら階段を上り、クロムが寝ている2階へと戻った。





 フロックス村の奥にある森林に囲まれた大きな湖は、村ができる前から精霊の頂点であるドラゴンが住んでいる神聖な場所とされていたそうだ。


 元々は、湖を大切に管理していた魔法使いの一族が住んでいた村だったが、今の村長がその役目を引き継ぎ、村人たちと一緒に森や湖の管理をしている。


 森林に囲まれた湖には、魚や鳥など様々な生物が生息しているので、のどかな村の観光名所としてはピッタリな場所。


 しかし、大勢の人が宿泊する施設も、対応する人手も足りない小さな村では、名物として売り出すには難しく、宝の持ち腐れだった。


 けれども、村長は諦めなかった。村を繁栄させる為に村の資金と自分の個人資産を使って、ユーラスやクロムなど、村に在住している全ての技術者と外部の信頼できる職人たちに協力して貰い、大胆にも湖の側に大きな旅館を建てたのだ。


 村人達からは無謀だと思われていた計画だったが、建設中に温泉が噴き出した事で状況が大きく変わり、今では温泉付きの豪華で大きな旅館が湖の側に聳え立っている。


 どんな種族ひとでも利用できる。巨大な宿泊施設として作られた憩いの旅館【カランコエ】。


 この旅館こそ、フロックス村が活気を取り戻した最大の要因である。

宿泊費は泊まる部屋に応じて値段が振り分けられており、仕事で疲れた村民から旅好きの貴族まで、気軽に何度も来訪できる旅館として、国内でも有名になりつつある。


 そしてもう1つ、村長が村のためにと用意した建物がある。それは旅館から湖を挟んで反対側にあるのだが、旅館とは遠い完全に外から隠れた場所に建てられており、旅館の従業員が利用する宿舎として記録されている。


 しかし、その宿舎に住んでいるのは、旅館の従業員だけではない。




「それじゃあ、今から点呼を取ります。みんな集まって!」

「「「「は~~い」」」」


 その宿舎の玄関には、まだ幼さが残る4人の少年少女がお揃いの作業着を着て、茶色の長い髪をしたエプロン姿の若い女性の前に集まっていた。


「まずは、テオ!」

「はいっ! 今日も頑張ります!」


 やんちゃそうな赤髪の少年が元気な声と共に、私の前に一歩踏み出すと大きく手を上げた。


 テオは人間と獣人のハーフで、犬獣人によく見られる耳と尻尾があり、その毛並みは髪よりも少し濃い紅毛をしている。テオのにかっと笑う口元には、人間よりも少し長く鋭い犬歯が見える。


「今日も元気だね。次は、フェイ!」

「はい、はいっ! 精一杯お仕事してきます!」


 今度は黒髪の少女が、テオと同じくらい大きな声を出し、手を上げながら何度もその場で飛び跳ねる。


 フェイは細身ながらも活発な子で、テオにも負けないくらい元気いっぱいな人間の女の子だ。


「ふふふ、フェイも頑張ってね。続けて、シュニ!」

「は、はい! 一生懸命頑張ります」


 真っ白な毛並みに長い垂れ耳をした兎獣人の少女が、片方の手で服の裾を握りながら小さな声を必死に絞り出し、もう片方の手を上げる。


 シュニは人の話をよく聞いてくれる素直な子なのだが、緊張しているのか体の動きがガチガチに固くなっていた。


「うん、焦らず落ち着いてね。皆も居るから大丈夫だよ。最後に、リリー!」

「はい! お使いもしっかりやり遂げます」


 返事と共にキリっとした表情で姿勢良く手を上げたのは、水色の長髪に長い耳が特徴的なエルフの少女。


 リリーは4人の中では一番年上で。面倒見の良い子だ。


「今日もみんなの事をよろしくね。忘れ物は無い?」



 私は元気に返事をする4人の表情を一人ずつ見ながら、子供たちに最後の確認をする様に促す。


「大丈夫! それに、俺たちの仕事道具は兄ちゃん達が用意してくれたから!」

「そうそう、僕たちはお届け物とお使いをするだけだよ!」


 テオとフェイは、今日がよほど待ち遠しかったのだろう。2人とも肩掛け鞄を両手に持って掲げたり、腕や足を大げさに動かして、今にも走り出しそうな勢いだ。


「え~と、これは持ったし、あれも入れておいたから——」

「うん、大丈夫だよシュニ。ちゃんと全部持ってるよ」


シュニとリリーは、肩から掛けた鞄をお互いに見せ合い、持ち物の確認をしている。


「一応、村の皆には知らせてあるけど、お祭りの準備で忙しいと思うから、危ない事はしない様に」


「「は~い!」」

「はい、ちゃんと気をつけます!」

「わたしも、がんばる!」


 テオとフェイは気楽に返事をしたが、リリーとシュニはまだ緊張しているのか表情が少し固い。


「初めての仕事だから、みんな大変かもしれないけど、大丈夫! 何かあれば、私たちが全力で手助けするし、4人で協力すればきっと上手く行くよ!」


 私は子供たちが安心できるように微笑みながら、勇気づける様に1人ずつ頭を撫でる。


「はい、これで大丈夫」


 子供たち全員の頭を撫で終えると宿舎の玄関へ向かい、私はポケットから鍵束を取り出した。


 私は鍵束の中から、小さな宝石が埋め込まれている銀色の鍵を手に取り、玄関の鍵穴へ差し込んで鍵を回す。


 すると、鍵に埋め込まれた宝石が淡い光が灯り、宝石の中に印が浮かび上がった。



 私がそっと玄関の扉を開けると、不思議な事に扉の先は宿舎の中ではなく、湖の反対側にある旅館の出入り口の1つに繋がっている。


「それじゃあ、みんな気をつけてね。行ってらっしゃい!」


「「「「行ってきま~す!!!」」」」


 私が笑顔で見送ると、子供たちは元気よくドアの向こう側へと駆け出した。

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