『深夜の奇術師』ー アルゴマジック ー

Algo Lighter アルゴライター

第1話 メンタルマジックの罠

静まり返ったバーの奥、薄暗いランプの下に一人の男が座っていた。


スーツの襟元は少しだけ崩れていて、だが不思議とそれが似合う。

その男――名をシオン。

職業はメンタリスト。人の心を読み、言葉と数字で思考を操る男だ。


今夜、彼が目をつけたのは、カウンターで一人グラスを傾けていた青年・タクヤだった。


「君、数字には不思議な力があるって信じるか?」


不意にかけられた声。

タクヤが振り返ると、シオンがグラスの氷をコトンと鳴らしながら、微笑んでいた。


「数字の力?……いや、あまり考えたことないですね」


「なら、少しだけ試してみよう。退屈しのぎに」


誘うように、シオンはタクヤに手を差し出すことなく、ただ視線を向けた。


「まず、1から9の間で、好きな数字を一つ思い浮かべてくれ。口には出さず、心の中だけでな」


タクヤはしばらく考え、静かにうなずいた。


「……決めました」


「よし。ではその数字に、9をかけてみてくれ」


シオンはその間、何も言わず、グラスの縁を指でなぞっていた。

小さな沈黙が、どこか神聖な儀式のようにも思えた。


「できたかい?」


「はい」


「その数字は、1桁か2桁のはずだ。2桁だった場合は、十の位と一の位を足してくれ」


シオンはわざと一例を挟む。


「たとえば25なら2+5で7、38なら3+8で11……そんなふうに」


タクヤは一瞬戸惑いながらも、指で数をなぞりながら計算した。


「……できました」


「OK。じゃあ今、その数字を強く思い浮かべて……」


再び、沈黙。


シオンの眼差しが、静かにタクヤを貫く。

まるで、脳の奥を覗き込むかのように。


「……今、君の頭の中にある数字は――」


目を閉じ、低い声でささやいた。


「――9だね?」


タクヤは思わず息を呑んだ。


「えっ……なんで……?」


「フフッ。驚いたか?」


シオンはニヤリと笑い、グラスの酒をひと口すする。


「でも、本当に不思議なのは――」


と、彼は一歩身を乗り出し、低く囁くように言った。


「今、自分がどんな計算をしていたか……ちゃんと覚えているかい?」


タクヤは混乱した表情を浮かべた。


そう、たしかに何かを計算していたはずだ。だが、気づけば数字の流れが曖昧になっている。


「……え? あれ……?」


「俺は“数字”を読んだんじゃない。君の“思考”を操っただけさ」


――実は、どんな数字を選んでも、9をかけてできる数字の各位を足せば、必ず“9”になる。

それは単純な算数のロジックにすぎない。


だが、シオンは巧妙にタクヤの思考を誘導し、複雑に感じさせた。

人は、仕組みではなく“演出”に騙される。


それこそが、メンタルマジックの真髄――。


シオンはグラスを置き、ゆっくりと立ち上がる。


「またどこかで会おう。次は……君の名前でも当ててみようか?」


そう言って、彼は煙のように夜の闇に溶けていった。


タクヤは、その背中をただ呆然と見送るしかなかった。


――数字は嘘をつかない。

  だが、人の心は、いとも簡単に騙される。


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