32匹目 乗馬試験 佳境!
絶対やだぁ。
フィオは内心で百回くらい叫んでから、しぶしぶ鞍にまたがった。あぶみを踏んで、身体をしっかりと安定させる。鞍は想定の百倍固い。手綱を握ると馬と意思疎通が始まる。馬は非常に頭のいい生き物なので、あとはこちらの意思を伝えさえすれば望んだ方へと進んでくれる。ただ、乗り主のお尻事情まで考慮はしてくれない。
「ん?」
少し歩かせてみて、フィオは違和感を覚えた。そして近くにいた試験官を呼び止めた。
「ちょっと、右足のあぶみがぐらつくので見てくださる?」
「はい、少々お待ちください」
そう言ったが、試験官はあぶみを直す様子はなく、どこかへ行ってしまった。そして戻ってきたかと思うと、馬を引いてスタート地点まで連れていく。
「申し訳ありません、時間がないのでこのまま出走していただけますか? 走れないほど違和感がありますか?」
「うーん、まぁ、そこまでではありませんけれど」
なんだか強引だな、と思ったが、走れないほどではないとフィオはそれ以上言及しなかった。
引率ありで馬がスタート地点まで連れていかれる。そして、そこで引率者がいなくなり、スタートの合図を待つ。何の待ち時間なのかわからない間が空いて、そうして、ようやく試験官が手をあげて、乗馬の試験が始まった。
馬の横腹を足で叩いて、スタートダッシュ、なんてことはしない。これはレースでもタイムトライアルでもない。
まずは歩く。
乗馬の試験で試されるのは、乗馬の技術。もちろん早く走ることも求められるが、それは馬の性能に寄ってしまう。ここでは、馬をどのくらい制御できるかが問われる。歩くべきところで歩き、走るべきところで走る。それが重要。
一定の速度で道なりに歩く。
しばらく行って、止まって反転し、来た道を引き返す。それから右に曲がって、左に曲がって、馬に細かい指示を出していく。
乗馬の際に大事なことは、あまり操作し過ぎないこと。乗り主としては最低限の目的だけを指示して、あとは馬にお任せ。右に行きたいのにいったん左にくるりと迂回したりすることもあるが、そういった無駄な動作はご愛敬と受け入れること。もちろん緊急の場合は鞭打つこともあるが、基本は馬にストレスを貯めさせないことが、乗馬のコツだ。あまり傲慢な乗り主は降りた後に後ろ足で蹴られる。
前半の歩くパートを終えて、広いコースに出る。ここからは、走って行く。フィオは馬の腹をかるく蹴って、走るんだよと伝える。すると、やっとか、といったふうに馬はぶるると鼻を鳴らした。
お尻痛いなぁ。
フィオは、お尻を何度も打ち付ける鞍の硬さを呪った。最近ではもう少し柔らかい鞍も出ているのに、こんな古いものを使うなんて。伝統とは、トレンドについていけなくなった老害共の言い訳ではないかとさすがに思わざるをえない。口には出さないけれども。
あとはコーナーを曲がって、障害物を跳び越えて終わり。馬が優秀だから、意外と早く済んだ。この馬の名前くらいは憶えてやってもいいかもしれない。
と、そのとき。
「痛っ!?」
フィオの視界が、がくんとぶれた。何が起こったのか一瞬わからなかったが、とっさの反射神経でなんとか落馬を防ぐ。
「あぶみが壊れたぁ!?」
あぶみから足が外れたのでもなく抜けたのでもない。乗りたての子供じゃあるまいし、そんなミスをフィオはしない。どこかの留め金が外れた。普通に整備していれば、そんなことありえない。ヴェルディモンテ家でそんな整備不良が起きたら、その整備師は一発でクビだ。ここの試験官は無能の集まりなのか?
倒れそうになったことで手綱に力が入る。その力が馬に伝わり、勘違いした馬は急に加速した。身体のうなりが躍動する。
今止まるのは危ない。馬の脚が想定以上にまわっている。止まるには少し距離がいるから、コースを外れなくてはならない。だとすればこのまま障害物を跳ぶ方がマシか。
片足があぶみから外れた状態で?
「冗談でしょ!?」
様々な苛立ちを胸に抱えつつ、フィオは直感的にもう片方の足もあぶみから外した。片足にだけ体重が乗っているのは危ないと感じたからだ。両足で馬を挟み込み、体幹で馬の背の上を維持する。
そして、跳んだ。
軽やかに。乗り主の困惑など素知らぬ様子で、馬はただ楽しそうに障害物を跳び超えた。
フィオは頭を下げ、馬に密着するように伏せる。馬から離れたら、衝突時に馬を傷つけるかもしれない。そもそも、フィオが痛い。
着地。
衝撃が身体に伝導する。そのまま、軽いフィオの身体は跳ね上がる。手綱を頼りに、フィオは鞍の上になんとか降りた。
「お尻っ!」
お尻から、勢いよく。
馬は意にも介さず、そのまますたすたと歩き続けた。フィオは、はぁ、と大きく息を吐く。そしてテンポよく歩く馬の背中に揺られつつ、しみじみと思った。
試験ってたいへんだなぁ。
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