第19話 雨後のタケノコ
今は巨大なラジオ局の建設に取り掛かっている。
場所はフランスの街、ランス。
ベルギーとの国境も近く、馴染みのある街だ。
この案件は、父が古いパトロンから取り付けてきたもので、契約額もなかなかのものだった。
工房に帰ってきた父は、珍しく胸を張って「よく取れたもんだろう」と少し誇らしげだった。
ランスは、現在のシメイの放送圏内にはない。
だが電離層の反射の関係で、夕方から夜にかけては微かに届くこともあるらしい。
国境地帯における、いわば「非公式な放送圏」だ。
今回のラジオ局は、僕たちの会社も出資者の一つとして名を連ねることになった。
ラジオ塔の建築費は6万フラン。日本円だと3億円。
今まで使ってきたのとは違う、現代でも通用するような本格的なラジオ局だ。
我が社が出資するのは全体の5分の1、資金と技術面だけの協力だ。人手を出す余裕はなかったが、資金には少し余裕があった。
新会社は、ランスの商工関係者と合同で設立された有限責任会社(SARL)で、僕の手元にはちゃんと株券もある。
正式な合弁事業だ。シメイの放送局で試したかったことを、ここでやってみようと思っている。
まず、丘の上にAM波の波長の1/2――つまり150メートルのアンテナ塔を建てる予定だ。
これは、シメイのアンテナの10倍の長さだ。
さらに、これに接続される発電機も別格。
僕たちの工房が使っている発電機の5倍の出力を持つジーメンス社製・50kWクラスの発電機が予定されている。
計算上では、鉱石ラジオでも40〜50km圏内で受信できるはずだ。
これが完成すれば、シメイからでも受信できるフランスのラジオ局が誕生することになる。
もちろん、音が少し小さくなったり、天気によっては聞こえづらくなる日もあるだろうけれど。
しかし、このラジオ局の最大の利点は、その電波の届く先にある。
受信圏の端が、パリの近郊――イル=ド=フランスの一部にかかっているのだ。
これから売り出すトランジスタラジオなら、パリ中心部でも十分に電波を拾える。
市場規模は、数十倍……いや、数百倍も見込める。
その可能性に賭けて、僕は会社の口座の半分を使ってこの事業に出資した。
賭けというより、確信だった。
いずれこのラジオは、国境を越えて人々の生活を変えていくはずなのだ。
ーーーーーーーーーー
僕はランスの建築現場で監督をしている。
……といっても、建築に関してはまったくの素人なので、現場の管理は合弁会社が雇った専門の建築士に任せている。僕はただ、送信設備まわりの技術的な立ち合いをするだけだ。
それにしても、高さ150メートルの鉄塔。
さすがにこれは、シメイに建てた初代の塔――ほぼロープで固定された簡素な構造とは比べものにならない。
今回は、土台からしっかりと基礎を組んだ本格的な建築物だ。
この塔は、完成すれば世界一高い建造物になる予定だ。
今のところ、その称号を持つのは同じフランスのルーアン大聖堂。
その尖塔の高さは150メートル。
当初の設計では、それにやや届かない予定だったが、合弁会社の会議でこんな意見が出た。
「せっかくだから世界一にしようじゃないか」
そして、塔の基礎部分を5メートルだけかさ上げすることが決まり、最終的な高さは155メートルに変更された。
もちろん、建築としての難易度では、大聖堂には及ばない。
こちらは鉄骨の塊にすぎない。
けれど、それでも僕はこの塔が持つ意味を誇りに思っている。
それは、「技術が新しい時代を切り拓く象徴」としての存在だ。
工期は半年ほどを予定しており、今のところ大きな遅れは出ていない。
あと、数ヶ月で試運転ができる見込みだ。
設計を担当したのは、フランスでも指折りの高層建築物のエキスパートだ。
塔の構造、風荷重の計算、落雷対策に至るまで、まさにプロの仕事という印象だった。
そして、塔に取り付けられる送信設備も本格的なものだ。
すでにシメイで使っているものの5倍近い出力を持つジーメンス製の発電機を確保してあり、搬入のタイミングを待っている状態。
出力は50キロワット――これはラジオ送信所としても限界に近い破格の性能で、半径40〜50キロ圏で鉱石ラジオでも安定した受信が期待できる。
送信設備そのものの試験はすでに終えており、残るは塔の完成と据え付けを待つばかり。
僕はシメイに帰った後も、本格的なラジオ局の完成を心待ちにしていた。
ーーーーーーーーーー
ベルギーでは今、ラジオ局の建設がちょっとしたブームになっている。
ワロン地方には、僕たちの局を含めてすでに3局が稼働中で、フランドル地方にも2局、さらに建設中の局を合わせれば、全国であと4局が新たに開設される予定だ。
ラジオという技術がここまで急速に広まるとは、僕自身も思っていなかった。
それもそのはず、ラジオ局の建設にはそれほど専門知識は必要とされない。必要なのは、送信機、発電機、アンテナ塔、そして放送する人間。それさえ揃えば、今のところ誰でも開局できるのだから。
僕たちはその中でも中核となる送信回路を提供している。
ベルギーに建っているのは、フランスで建設中の巨大なラジオ局とは異なり、いずれもシメイのラジオ局をベースにした、コンパクトなモデルだ。アンテナ塔は高さ16メートル、熟練の職人ならば10日ほどで建てられるシンプルな構造。
送信回路そのものは、ライセンス料込みで2000フラン(約1000万円)。
原価を考えると高すぎる気もするが、独占的に提供しているし、それなりの技術料も含まれている。今のところ、文句を言う人はいない。
ありがたいことに、今のところ全ての送信機を僕たちが一手に担っているため、周波数の割り当ても管理できている。
とはいえ、ベルギー政府が電波の使用にまったく無関心というのも考えものだ。
通産省の役人に問合せてみたが、「うーん、まぁそのうち考えるんじゃない?」といった調子で、まるで他人事。
記憶の世界でもラジオ放送初期のアメリカの電波行政はかなり適当だったと聞いた事がある。十年くらい放置された後に、混信が大問題なって規制機関が設立された。
AMラジオの周波数帯は110局分しか空きがない。
特に国境付近では、今後、周波数の重複による混信が起これば大きな問題になるはずだ。
僕たちが自分で送信機を管理しているうちはいいが、他の技術者が独自に送信回路を作り始めれば、収拾がつかなくなるのは目に見えている。
その前に政府に動いてもらわねば、と議員を通じて陳情を出しているところだ。
ともかく、すでにシメイで聴けるラジオ局に、近隣のシャルルロワのものが新たに加わっている。
これでシメイで聞けるチャンネルは2局になったのだが――正直なところ、ちょっと悔しい。
新聞社が経営しているこのラジオ局は、番組がきっちり構成されていて、番組と番組の間にはしっかりと大商会のCMも挟まれている。CMの出稿に大きな苦労をしていた僕らとは違い、広告の営業は彼らにとって本業だ。きっと経営もうまくいっているのだろう。
一方、僕たちの放送はというと、番組の多くが割と適当で、近所の人に来てもらって楽器や豆知識を披露してもらっているだけだ。
昨日のコマーシャルは、殆どがタダ同然で流しているもので、正規の料金でCMを流したのは、近くの床屋さんの1件だけだった。
しかもその店主は先輩の番組の熱狂的リスナーで、ほぼお布施感覚でお金を払ってくれている。
ラジオ局の運営コストはずっと持ち出しで、本業である受信機や送信機の販売で稼いだ収益を、そのまま放送局の維持費に注ぎ込んでいる。
もともとラジオそのものを広めるための「デモ機」として始めたラジオ局だから、それも覚悟のうえだった。
でも競合が増えたいま、そろそろラジオ局自体も黒字化を考えなければいけない時期に来ているのかもしれない。
先輩に番組制作を完全に任せて、ラジオ局のコンテンツ強化に注力すれば、きっとすぐにでも黒字化できるだろう。
でも、先輩がいなくなったら、自慢ではないが本業の錬金術・半導体開発が回らなくなる自信がある。
一応とりあえずの対策は取っていて、翌月の頭から事務作業をしてくれる人を二人、先輩の下に付けれることになっている。
これで、色々歪みが出ている会社が立ち直れればいいけども。
経営をほぼ丸投げしている自分に原因があることを分かっていながら、僕はそう願わずにはいられなかった。
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