第13話(1)
父伯爵が午後から不在になった日のことだった。
来室したのは珍しく3人、上役とその下のリーダーである中堅、そしてさらにその下の女性職員だった。
上役としばしば、中堅とは前に何度か言葉を交わしたことがあるが、女性は初見だった。
男性2人は困った顔、女性はしょげ返っているようだった。
決裁ではないな、と察したアレクサンドラが用件を尋ねると、上役が
「公証長がご不在なのは承知しておりますが、至急ご相談したいことがございまして」
と恐縮を示した。
「分かりました。まず説明を聞きましょう」
アレクサンドラが肘掛け椅子を離れ、応接ソファに腰をかけると、続いて3人が向かい側に座り、状況説明を始めた。
F男爵家は各種商業活動により家名を維持しており、各種革製品、靴や鞄に始まり、衣服、家具や馬車など極めてさまざまなものの製造に、材料となる革を供給することを業としている。
生活の準必需品とも言える革の需要には波がないため、取引は活発に行われ、したがって契約の締結のため、頻繁に公証を利用する。
窓口を訪れるのは大体が男爵家の使用人だが、公証へ特別な要求がある場合は、男爵自身が来庁することもある。
特別な要求、それは例えば急いでいるから順番を飛び越して処理して欲しい、例えば添える必要がある書類を省略させて欲しい、そして今日は
「手続をもっと簡潔にすべきだ。職員から指示を受けて事前に準備をしても、別な職員から修正や追加を求められる。認証を受ける方に手続の知識がないと一回で処理を済ませられないのはおかしい」
という要求を、F男爵本人が言い置いていったと上役が述べた。
アレクサンドラは腕を組んで少し考える。
F男爵の要求は今日は要求ではない、苦情だ。
表面に出ているのは煩雑な手続の改善だが、その原因となったのは担当した職員の未熟さに対する苦情である。
今、暗い顔で向かいに座っている若い女性職員が、"今日の事件"の発端になったのだろう。
話をした記憶がないため、公証長に直接決裁を要請できない、まだ経験の浅い者だという推測はした。
ただ、F男爵が乗り込んで来たということは、不手際は何度も繰り返されたはずだ。
不手際が、全て目の前の若手によって行われたのであれば、教育体制や適性の話になるだろうが、何人かが同じことをして、最後を運悪くこの若手が拾ったということになれば話が変わってくる。
確認をしなければと思いながら、アレクサンドラは一旦、これまではどうしていたのかを尋ねることにした。
「貴方達はどう対応する、という考えはある?」
上役が応じて口を開く。
「はい、このような場合は公証長から、相手方にお詫びをしていただいておりました。もちろん、先程私からもお詫びは申し上げておりますが、貴族の方々の場合は、改めて伯爵、いえ公証長から」
「そうね、それは最低限だわ。それで、男爵の仰ったことへの対応はどうするの?」
「対応、と仰いますと」
「男爵からは、手続のための適切な指導を受けられない、というお話だったのでしょう。それに対してどうお答えするのか、ということです」
聞き返されたことを意外に思い、かつ微かな不快を飲み込んだアレクサンドラが努めて穏やかに尋ねる、上役は中堅の顔を探り、中堅が歯切れ悪く言った。
「そうでございますね……当面は、未熟な者は窓口に出さないことにいたしますが」
「出さないことにして、それで?」
「それで……ええと、そうでございますね、十分な対応ができるまで教育いたします」
特に考えていなかったのだな、とアレクサンドラは質問を打ち切ることにした。
今までは、貴族には公証長がただ謝罪だけをし、それだけで済ませていたのだろう。
庶民からの苦情は黙殺していたかもしれない、とアレクサンドラは懸命に顔を引き攣らせない努力をした。
その場しのぎでは同じようなケースの発生が防げない、そのせいでこうして運悪く、苦情の申し入れを引き当てた者がその都度苦労している。
アレクサンドラは切り替えて、末席の若手に眼差しを向けた。
「貴方は、公証に勤めてどのくらいになるの?」
若手は文字通り飛び上がりそうになったが、初めて間近に見る令嬢の、作り物のような美しさに見とれて一旦緊張が吹き飛んだが、今から会話をしなければならないことに気がつくと、別な緊張が冷や汗となって吹き出した。
「は、はい。来月で1年になるところでございます」
「そう。少しは慣れたかしら、今の仕事はどう、大変?」
「いっいいえ、滅相もない」
「いいのよ、思っているところを率直に教えてちょうだい、皆に同じことを聞いているのだから」
上の者2人がいるところでは言いづらいかと危惧したが、若手は意外にも勇気を奮った。
「あの、ふっ……複雑で、パターンが多くて、なかなか覚え切れないこともあって……足りない者で申し訳ございません……」
尻すぼみになっていく若手の意見は、しかし他の職員からも聞いたことがある内容であった。
決して間違ってはいけない、ゆえに誰もが懸命に職務内容を覚えようとするが、申請書にどのように記載をし、添える書類は何が必要で、申請する権利がある者は誰なのか、来客者を前にして捌くのは重圧を感じる、統合するとそういう主旨が、数は多くないが異口同音に述べられたことになる。
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