7. 愛と陽だまりの出会い I meet the Sunny Spot.
――マドレーヌの味がしない。
◇◆◇
「元々この世界には、寿命も性別も……神も存在しなかった……?そしてお母様が、お母様が――」
「
「……な、なんでそんなことを……?」
先ほどまで感じていた暖かさが
「なんで?……ぁあ〜そうだなぁ。その方が都合が良かったから……だなぁ……。
まぁ彼奴等の
そうだ、パンドラ文献を
なんせこっちの世界のやつはそんなに非道な方法は思いつかねぇからなぁ、初めて俺がこの世界でやったら効果的なモンばっかだったぜぇ。差別はいい!とくに分割統治はなぁ。
「分割統治……
「流石に
俺がやったのは単純だ。
おれは
まぁ……晴れてアニムス・アニムスになったらおれの軍に入ってムカつく公王周りの貴族とファンタジア王国の奴らをブチ殺してもらうが……。
まぁ
――はるひちゃんを犠牲にして?はるちゃんをそんな立場に追いやって?それで、それで何が得られる――?
得られるものは、“おかあさまの愛”――。
◇◆◇
身体の右側のソファが沈み込んだのを感じた。気がつけばエレクトラはアイの横に座っていた。それをただ遠くから眺めていた。
「アイ……瞳を見せろ……。」
アイが
――お母様の顔こんなに近くで見るのは初めてだ。
……そうか、抱きしめてもらったことがないからだ――
「オマエの瞳の色は本当に
――それ以外はあの
「……。」
――おかあさまが、
――こいつの
「アイ……。」
エレクトラが両手を広げる。アイは何が起こったのか理解できなかった。これまで自分の前でお母様が身体を動かすのは自分に暴力を振るうときだけだったからだ。アイが動けずにいると、エレクトラは
――こいつ……こんなに小さくて、やわっこかったのか。
「お……お母様……お母様ぁ!」
生まれてこの方人前で決して涙を見せようとしなかったアイが泣いてしまった。冷たい夜の中で独り
……しかし、今回はそうはならなかった。
「泣くな泣くなめんどくせぇ。
口調はいつもと変わらないが声に
「ちが……ぢがいます……うれじくて……。」
「あーあーわかったわかった、もう泣いててもいいから、ほらマドレーヌ食え。」
アイを抱いて左手が塞がっているので、今度は
母の胸の中でほおばったその“泪味のマドレーヌ”のことは一生涯忘れることはないだろうと……そう、思った。
◇◆◇
泣きつかれて寝てしまったアイを見やりながらエレクトラは考える。
――泣きつかれて寝るとか
それにしても……さっきはこいつの姿を見ているのに耐えられなくて、ついこいつを抱きしめたが……やっぱり気に食わねぇな。目以外あのクソビッチと瓜二つとコイツが、
だからコイツのことは好きになれねぇんだ。同じ
……まぁいい、コイツが計画通りにアニムス・アニムスになったら、俺は
――あいしてるぜぇ、俺の
◇◆◇
アイは雨のそぼ降るベンチに座ってある人を待っていた。雨の音を聞いているとなんだか思考が深きに沈んでいく気がする。なにをかんがえようとしてたんだっけ――?そうだ――
「……アイくん。」
雨音の中でも誰かはすぐに分かった。アイをそう呼ぶのは
「はるひ……ちゃん。」
お互いに何も言わずに、隣に座って空を見ていた。アイは
「雲間から差す光ってね、
アイがふわふわとした雲のような口調で話す。
「地獄の人が天使のことを言うなんて
はるひも日だまりのようなまとまりのなさで返す。
「この雨ってアイくんのこころー?」
「ちがうよ〜。はるひちゃんー。」
「んー?」
「はるひちゃんのおとーさんとおかーさんに会いたくてねー?」
「うんー?」
「今日お家に言ってもいい?」
「……いいよ。」
「じゃあいこー」
「そうしよー」
「「あははっ!」」
2人は
◇◆◇
春日邸は不知火陽炎連合本部のすぐ近くにあった。なんでも連合の下っ
あと、家が遠かったときは貴族の妻集まりで、お母さんが毎回マウントをとられて大変だったそうだ。なんでもすぐ近くに住んでないの真の貴族ではないとか、ここまでは貴族だけどここより外側に住んでたらダメだとか、住んでる場所ぐらいでばかみたいにマウンティングしてくるらしい。
◇◆◇
「ただいまー」
「おじゃま……します。」
堂々と帰宅するはるひの後をおっかなびっくりついていく。扉を開けた途端に、ふわりと香る他人の家の匂い、金曜日の昼の生活感がそこにはあった。
「おかえりなさい。はるひ?今日はお外でアイ様と遊ぶって言ってなかった?」
「お母様お初にお目にかかります。アイ……エレク……いえ、
「あらあらあら!家に連れてくるなら言ってよー!おもてなしの準備もあるんだから!アイ様、私ははるひの母、春日ひまりでございます。
「ひまり様!わたくしは今は唯のアイでございます。はるひちゃんの友人の。ですからどうかそのように……!」
「ん、……んー。……よしっ、わかったわアイちゃん!あなたもそんなに
「あ、ありがとうございます。」
アイはなんだか陽だまりのベンチに座っているような、ぽかぽかとした気持ちになる。
「ほらほら、お昼ごはんはまだ?だったら食べていってよ!」
「いえ!……あ、ありがとう……ございます。」
「ほらはるひ!早く手伝って!あいちゃんは何かジュース飲む?」
「うるさいなぁ!おかーさん!」
「あ、いえわたくしもお手伝いさせて頂ければと……。」
「
「あ……えっとあいも……あいも!てつだいたい!……です。」
「よ~し、じゃあ2人とも手を洗っちゃって!」
「はーい!」
「は、は〜い……!」
はるひが自分の踏み台を使っているので、アイが水に手が届かずにアワアワしているのに、ひまりが気づいてアイを持ち上げる。
「わっわぁ!」
抱きしめられるような格好になってまたアイはぽかぽかとした気持ちになる。それがなんだかわからない。
「アイちゃん、軽いわね〜、はるひより軽いんじゃない?ちゃんとご飯食べさせてもらってるの?」
「おかーさんデリカシー!」
「さ、最近は……はい。」
「……。なるほどね~。これは腕によりをかけてお料理しないとね〜。」
「お!お料理ならわたくしも!」
「お、アイちゃん料理できるの!?私は平民の出だから自分で料理するけど……ミルヒシュトラーセ家もそうなの?」
「えっと……いえ使用人の方が作って下さるのですが……。わたくしもよくお菓子やお料理を作ります……お母様に食べて頂けたら、仲良くなれるかなって……思って。
そもそもは使用人に食事に細工されて体調が悪くなるから自分で作り始めたのだった。それが転じて料理や菓子作りが好きになった。そして好きが高じてお母様に食べて欲しくなった。結局お母様は一度も食べて下さらなかったが、兄姉たちはおいしいおいしいと食べてくれた。そのたびにぽかぽかと心があたたかくなるのだった。
そういえば、とアイは思った。さっき感じた気持ちと似ているなぁと、独りごちるのであった。
「へぇーアイちゃんはえらいねぇ!子供に作ってもらえるなんて、お母さんだったらみんなうれしいと思う!アイちゃんのお母さん喜んでくれたでしょ?」
アイはちくりと胸が痛んだが嘘をついた。
「はい!おかあさまはとても喜んで
うつ向いて服のすそを掴んで話すアイをみたひまりは、膝をつき目線を合わせ、アイの両の手を握りながら話す。
「……。そうなんだ。アイちゃんのお母さんは幸せ者だね。こんなかわいい子にそんなに思ってもらえるなんてさ。」
「……そう、でしょうか?」
不安げな上目づかいで見やる。
「うん……。そうだよ、我が子に思ってもらってうれしくない母親なんていないんだから!ね、じゃあ今日お料理教えてあげるからさ。一緒に作ってさ。それで、アイちゃんのお母さんを驚かせてあげようよ!ね!」
「は……はい!おかあさまに喜んでほしいです!」
今日一番のアイの笑顔。その子供らしい無邪気な笑顔に照らされたひまりは、きゅぅうっと胸が締め付けられた。その笑顔の中におおよそ子供のものとは思えない、深い
――ああ、この子は……この子は――。
「ほら!アイちゃんいこ!だっこしたげる!はるひはどうする?」
「ん~あんまり興味ないからアイくんがご飯作るの眺めててもいい?」
「はぁ……あんたは、ホントにアイちゃん大好きね~、まぁいいでしょう!」
ひまりがパンッと手を合わせた音に、アイがビクッと大きく身体を震わせてしまう。そのまま
「アイちゃん!?ごめんね……びっくりさせちゃったね。」
「ぁ……ぃえ……こちらこそ申し訳ありません。取り乱してしまって……。」
アイは身体中の古傷が痛むのを、一番うしろの席で映画のスクリーンを見るように遠く感じていた。そんなことより、ひまりの気分を害していないかが気にかかるのだった。
◇◆◇
「アイちゃんの得意料理はなに?それを一緒に作りましょうか?」
「オムライス……と最近はマドレーヌ……も練習していて……。」
浅ましくも褒めて欲しくて聞かれていない得意なお菓子まで答えてしまう。
「マドレーヌ!アイちゃんはお菓子も得意なのねー!こんなに小さいのに、すごいのね〜!」
「え……えへへ。」
ひまりはアイが望んだ言葉をくれる。それが心地よくて、もっともっとと欲張ってしまう。
「でも……今日はできたらはるひちゃんの、好きなものが作りたい……です。」
「まあまあまあ!はるひ聞いた?!ラブラブね〜。アイちゃんと結婚したら幸せよ〜絶対逃さないようにね!」
「えへ……。」
「聞いてるし!アイくんの前でそんなこと言わないで!デリカシー!!」
「んー、そうねぇ、じゃあ今日ははるひの大好物のハンバーグの作り方を教えてあげるね。胃袋掴んじゃって!」
「おかーさん!!」
「はい!
「まだちょっとかたいわねぇ……リラックスリラックス!……ここを自分のお家だと思っていいのよ?もっと気を抜いて。」
「じぶんのおうち……?」
アイにはその言葉の意味が分からなかった。自分の家と気を抜くという2つの概念が結びつかなかったからだ。アイにとっては家とは常に気を張って、何か叱りつけられることはないかと、ビクビクと家族の生活音におびえる場所だった。
「Make yourself at home!《くつろいでね!》よ」
「!……ありがとう……ございます。」
「ごめんね、アイくん、おかーさんミーハーで。最近
興味なさげにソファに寝そべり、胸の上で自分の
「あ、あいも!……わたくしも大好きです、
アイは初めて自分と同じ趣味の人に出会えた喜びでつい口調が崩れる。それどころか好きな作家を
「ウィリアム・シェイクスピアですか?それともルイス・キャロル?それともそれともっチャールズ・ディケンズ?ジョナサン・スウィフト!まさか……トマス・モア!?
……あっすっすみません……つい喋りすぎてしまいました、ふ、不快にさせなたら大変申し訳ありません……。」
いつもは殴られないように気を張って発言や行動に自分を出さないようにしているのに、この家にいると何故か気が緩んでしまう。その理由がまだ分からなかった。
「不快なんて!アイちゃんはいっぱい難しいことをしってて偉いね〜。なでなで〜。」
頭を撫でようと手を上げると、アイの身体はまたビクッと大袈裟に震えて、頭を庇うように両手を上げてしまう。来たるべき衝撃に備えて――。
「……。」
それをみたひまりは、瞳にかなしみと
そしてアイのその姿を見て、はるひの胸の上にある心がざわざわと形を変えていることにも気がつけなかった。
◇◆◇
「……?」
いつまでたっても予想した痛みが来ないので、不思議に思っていると、ふわりと頭に柔らかく触れるものがあった。思考と現実との
「……よしよし、この世界は、そんなにこわがらなくても大丈夫だよ……?」
抱きしめられながら、やさしく撫でられているのだと、理解した。理解したが、認めたくなかった。アイが最初に感じたのは喜びでも幸せでもなく、怒りだった。それも抑えきれない程の
あれほど
だって、じゃあ今まで耐え忍んできたのは、今まで頑張ってきたのは、あんなにも切望していたのは、なんだったのだ?みんなはこんなに簡単に愛情を与えられるのか?じゃあ自分は?なんで自分は?なんで自分だけが……自分だけが。
「なでなで、アイちゃん大丈夫だからね。はい、トントン……これをするとはるひはすぐに泣き止むんだよ?アイちゃんは今泣いてるわけじゃないけど、泣いてるように見える。泣いてるように聞こえるよ。」
◇◆◇
アイは決して泣かなかった、もっともっと小さい頃、
だからアイは決して人前では泣かないのだ、泣けないのだ。アイは今すぐこのさっき会ったばかりの友達の母親に抱きつきたかった。泣いて
まるで涙が『今まで自分を“恥ずべきもの”として扱ってきたのに手のひらを返すな』といっているように。今までひどい扱いをしてきたじゃないかと訴えるように。その時アイは気づいた。
自分はどこか自分が酷いことをされてきたのだと、“
でも自分は自分のかなしみに、涙に酷いことをしてきたのだ。親に『お前は見苦しいから、離れに一生隠れていろ』と、家に人が来るたびに言われていた。同じことをしていんだ。涙に。『
◇◆◇
「ぎゅー。アイちゃんは抱き心地がいいねぇ。こうやって抱きしめてさ。そうやって人は愛しさを分け合うんだよ?幸せな気持ちになってこない?」
幸せだった。あたたかかった。でも決してアイは抱きしめ返さなかった。その気持ちを認めなかった。だってそうすることに罪悪感があったから。もしここではるひのお母さんからの愛情を認めると、抱きしめ返してしまうと、お母様が悲しむ気がした。
そんなことはないと分かっているけど。でも、他人に抱きしめられて愛情感じているのが、申し訳なかった、お母様に。お母様に泣いて謝りたかった。認めると、お母様を裏切ってしまう気がした。
「……ありがとう、ございます。もう落ち着きました。すみませんでした。」
「いいんだよ?まだ小さい子供なんだしさ。それに子供じゃなくたって、大きな大人だって抱きしめられて泣いていいんだよ。だって人間なんだから。
はるひの目は一部始終を
「よしっじゃあお料理しよお料理!あっ、わたしが好きなのは“ブロンテ姉妹”でした!」
「『嵐が丘』『ジェイン・エア』ですね……!」
「おっ流石アイちゃん知ってるねー!元気も出てきたかな?じゃあまずは――」
◇◆◇
しばらくアイとひまりは
アイは幸せを感じそうになるたびにチクチクとお母様への罪悪感で胸が締め付けられるのだった。
◇◆◇
「できたー!」
「はい……!」
「いやーアイちゃんがここまで料理上手だとは思わなかったよ!すごく助けられちゃった!ありがとうね。」
――“助けられた”。
――“ありがとう”。
ずっとずっとお母様から欲しかった言葉だった。こんなに簡単に。……こんなにさらっと。
「い、いえ、
「――アイちゃん!」
「また、
「えっと、すっごくたのしかったです。……あ、ありがとう。」
「うんうん、こちらこそありがとうだよー。しめしめ……もう少しで敬語も無くせるなぁ。」
最後はアイに聞こえないように小声で、悪い顔を
◇◆◇
「ほら!はるひもみてみて!将来のこんなにかわいい旦那ちゃんが!は・る・ひ、のために!!はるひのためだけに!作ってくれたんだよ!ほらほらよく見て、なんかいってあげて!」
寝そべって何か暗い目で、アイの
「おかーさん!わかったから!ひっぱんないで!……えーとそうだね、私の大好物のハンバーグ、ほんとにおいしそうで……アイくん本当に料理上手だったんだね。貴族なのに自分で料理する人なんか
「ありがとうは!?本当に、“ありがとう言わない星人”だよこの子は!ほら!ありがとうは!『わたしに毎日オミソシルを作ってください』は!
耳元で、でも決して小さくない声でまくし立てる。
「おかーさん!!うるさいうるさい!えっと、私のためにありがとう。わたしはお料理はからっきしだから……アイちゃんさえよければ、これから私に毎日オミソシル?がなにか分かんないけど……
……私に“毎日オミソシルを作って”ください!
それで、私の“かわいい旦那ちゃん”になって下さい!!」
「……あはは!うふふっあはっあはははは!」
アイがこらえきれなくなったように、鈴の音がコロコロ転がるように笑い出す。親と子でこんな気安いやりとりを見たのが初めてだったからだ。
「「あ、アイ……くん(ちゃん)?」」
「うふふっ!はい、『ふつつか者ですが、こちらこそよろしくおねがいします!』あはっ!」
「「…………。」」
不快感を与えないための笑みではなく、初めてのアイの日が昇ったような笑みに照らさせて、親子は全く同じリアクションでポカーンとしてしまう。しかし、考えていること、感じていることは真逆であった――。
◇◆◇
――アイちゃんってこんなふうに笑える子だったのね!本当にかわいくて、花が咲いたように
――アイくんってこんなふうに笑える子だったんだ……。確かにかわいいけど、泣いた顔はもっともっと綺麗だった……。アイくんは本当は“かわいいじゃなくて綺麗”なのに。あの、
◇◆◇
……それに、アイくんはさっきから自分の軽はずみな言動が私のおかーさんを傷つけているということに、気がついていないんだ……お金持ちだから、偉いから……。
――なんで好きなのに嫌いな気持ちになるんだろう?もしかして、嫌いだけど好きなのかな?どっちが私の“ほんとうのこころ”なんだろう?
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