第二の事件

 年が明けた。2025年の始まりだ。今年は大阪の方で万国博覧会が開かれるようだが、行ってみようか。前回の万国博覧会が開催されたころ私は初光を浴びた。

 ある頃、彼に出会った。彼と会っていたのは保育園、もしくは鮮やかで素朴で澄明な公園だった。

彼とは幼馴染だった。無邪気に微笑む彼の笑顔は、一筋の陽光に包まれたような素朴で愛しい光を宿しているようで、私の心にまでその清澄さがにじんできたようだった。

小学校5年生になった時から途中で別れたこともあったが大学4年生の時まで付き合っていた。二人の仲は万劫のものだとばかり思っていた。

 大学4年生の時、彼から婚約の申し出があり、社会人になってからプロポーズされた。2人の指輪は同じだ。

 今、私の指にはティファニーの指輪がはまっている。医者の彼は初任給の3倍と少しだった50万円(今でいう150万円ほどの価値)のものだ。この指輪には思い出が詰まっている。

 その指輪に刻まれた文字は“Liebe”だ。しかし、あの日あの時あの瞬間。

 それから、お盆とお正月以外、会社を休んだことがない。

 毎日会社に行き、働く。会社でも高く評価され、4月からは東海地区のエリア責任者から、東京本社の販売局販売第二課長への栄転が決まっている。

 仕事に打ち込むことで、私は慟哭さを埋めてきた。

 販売局販売第二課長では売り上げの低下を増加に転換させることが私に課せられたノルマだった。

非常に難しい。

 私が勤めている「法正道新聞」は他の新聞社に比べると歴史が浅いが、バブル期から現在まで四十年間ほどで急成長を遂げている。

 しかし、昨今の新聞離れから売上、購読者数が減少している傾向にある。それをここで止めるということがわたしの任務だ。

 私はエリア責任者になった時から決めていた一つのノルマがあった。この会社では異動についての暗黙の了解がある。

 それは、同じポストに就くのは約2年であるということだ。2年というスパンは意外と短いためそれぞれで人が入れ替わるようにして代わる代わる異動をしている。

 出世をすればするほど、正しいルートで進んでいけば同じような階級のポストが少なくなっていくため、ルートがドンドン狭まっていく。

そのため少しずつ出世コースから振り落とされていくが、実績さえあれば出世コースに乗りどんどん階級を上げていくことができる。この仕組みは社会の仕組みと同じだ。

中学生になるとイギリスで二つの革命、ピューリタン革命と名誉革命がおこったということを習う。ピラミッド構造を壊すという話を熱く語る壮年の男性教師の姿が朧に思い出される。

しかし社会はピラミッドの中身が固体になっていたか、液体になっていたかの違いだと思う。今の社会ではピラミッドの上が渋滞しているもののそこだけが固体になっているようにも感じる。

新聞社に入社したものの記者にはならなかった私は営業畑を歩んできたものの、社会のことは新聞社に入っている以上、多くの人と話す以上わかっているつもりだ。

 多くの人と話す原因となったのが自分で勝手に定めたノルマだ。2年間で異動になることを考えると2年間=600日弱働くと考えて600人営業を取るということを目標にしてきた。これは、別にやりたかったわけではない。目的があったからだ。

 いろんな人と話した。1番やばかったのは、最初の方でまだ50軒も回っていなかったころ。あの時にたまたま訪れた「山田」さんという人はやばかった。灼陽が肌を焦がさんとするような夏だったのだが半袖のTシャツから露出した肌には紅焔の竜の刺青が彫ってあった。 

 明らかに暴力団関係者だったのだが、神経を逆撫でしないように細心の注意を施した。この日は一日の中でずっと一つのトラブルに対応していたため、ろくに下調べをすることができないまま焦って訪問してしまったことが過誤を生んでしまったことは間違いない。

 その中で印象的だったのは、この会話だ。何を話すべきなのかがわからず少しの沈黙を経た後、口を開いたのはもちろん私だった。営業なのに自分から口を開けなかったのには自分の営業としての技術の至らなさと相手の逼塞にあったのだろう。

「刺青素敵ですね、」といったことに少し間違えたかもしれないと思いつつも顔色一つ変えなかった山田さんは

「俺は、組の跡取りなんだよ、ま、跡取りじゃなくてもこの刺青は組全員、彫ってるがな。かっこいいなんて言ってくれたのはおまえさんが初めてだ。」と機嫌よく言っていた。「おまえさん」という話し方にはおじさんのようなものを感じたが見た目は若く耳から耳にかけて肌がピンと張っているような顔で、釣り目が印象的だった。

 私は勉強には全く自信がなかったのだが、容姿にはある程度の自信があった。現在は重労働により体には疲弊の色、憂愁の色、老衰の色がそれぞれの影を出しながら顔にスティッピングしている。

 そんなことを懐かしんだのはリストに書いてあり、今日回る3軒の中に入っているリストの名前の中に「山田」という名前の人がいたからだ。

 「山田」という苗字は全国的に珍しい苗字ではないが、その名前にわたしの中で重要な意味があった。

 しかし、表札を見て驚いた。なかなか珍しいケースだ。今まで580軒あまりの家を回ってきたが、リストと表札の名前が違うなんてことは両手で数え切れるほどの回数しかなかったと思う。

 このリストはとある企業から買い取ったものだ。この企業はうちと契約を結んでおり契約に基づいて情報を提供してもらっている。

 しかしこの情報は今私が持っている紙の左二行だけで、最も右の列にあるものは私と私の部下たちからの情報がまとめられたものだった。

 「営業マンは商品を売るのではなく解決策を提案する人だ」という名言がある。この名言は私の座右の銘ともいえるような名言だ。

 私はこの名言を知ったのが営業に移動になった時に読んだ本に書いてあった言葉だった。その頃の私は何が正義なのか、報道とは何か私一人でどうなるのか。そんなことを煩悶と考えていた時期だった。

 抗うことのできない巨像はピラミッドの上位を占めているのだと、鎮座しているのだと。

 表札に書いてあった名前は「伊藤」だ。下の名前は「和宏」こちらも多くある名前だが、自分にとってはこれもまた感慨深い苗字である。また名前はもっと重要な意味を持っていた。しかし、それに動じることはない。

 インターホンを押す手は力が入り、少し黄色くなっている。

 なぜなら、奇跡なんて言うものは存在しないから。これは悪い意味で言っているのではない。いい意味で言っているのだ。

 出てきたのは元夫だった。わたしがこうして回っているのは自分も仕事を終えた時にしている。

 その理由は二つだ。一つ、これはわたしがすべき仕事ではないということ。二つ、昼間に行ってもいない人が多いということ。

 これらが理由となって仕事を終えた時にしているのだが、仕事終わりのはずの人はとても仕事をしているようには見えない。

 なぜなら、髪はボサボサでスマホをいじっており、パジャマのままだったからだ。

 この様子を見たとき、言葉を発することができる状態ではあったものの、発する必要性を感じるような言葉がなかったために発することはなかった。

 しかし、汗をかいており全身は筋肉質であり、その筋肉が上半身の半分ほどが露出していた。

 この季節なのによくそんな格好でいるなと思った刹那、わかっていたのだが雷のような衝撃が脳裏を走った。

 彼はわたしの元夫だ。やはり腕には刺青が入っており、それは3年前に、最初の方に山田さんが見せてくれたものと同じだった。

 そういうことか。全てが繋がった。確認したかったことがわかると自分の中の脳内の糸と糸が結ばれたようになる。結ばれることによって遠くと遠くを頭の中でつないでくれるような気がする。

 絶対的な巨像は今、揺らぎつつあるのかもしれない。

 これまでずっと胸の中に引っかかってきた真実とはこれなのだ。

 「久しぶりだね、」わたしは元夫に少し声を振るわせながら、少し汗をかきながら、しかし久しぶりに会えたことに少し内心喜びながら言った。相手は警戒心を見せたまま、

 「何しにきたんだ」と不躾に言い放った。少し汗の量が増えたが、ハンカチで首元をふいて

 「今日は仕事できたの、て言っても強制とかじゃなくて、買ってくれないかなーってお願いの形なんだけど、」と少し冷静になって言うことができた。そんな自分を自分で褒めている時、彼は筋肉質な上半身の血管を少し隆起させてから

 「見え透いた嘘をつくな、取材にでもきたのか。そういうふうにしてまた俺のことを陥れるのか」と言われてしまった。少しショックでありつつ、自分を反省した。

 「違うんだ、あの時から部署が変わって、今は東海地区の販売エリア責任者っていう肩書に変わってるんだ、ほら」と言って社員証を見せた。彼は目を細めて、

 「あっそ。」と言い放った。そんな彼の不器用さを思い出すと久しぶりに会った今と初めて会った時のことが重なって少し口元が緩む。口元が緩むような感覚があっただけだったのかもしれない。

 「入れよ、少し話さないか」少し嬉しかった。彼が住んでいるのはすごく綺麗な洋式の家だった。しかし誰かと同居しているような雰囲気や女を呼んでいたりしそうな華やかさはなかったことに少し安堵した。

 見たかったのはそこだけだった。年齢は重ねているのだが、好きな人への恋心というのは生涯忘れられるものではないのだ。

 いつか、どこかのテレビで見たのだが、恋愛とは人の原動力になるのだ。確かに、自分を磨くことは恋のために行われることだし、周りとコミュニケーションをとることに繋がることだってある。

 この言葉が私は好きだ。

 「わたしもちょっと話したいこととかあったんだよね」そう言うと彼は珍しく笑顔を作った。実はここに彼が住んでいることは事前に知っていた。

 今まで回ってきた600軒から多くの人脈ができた。その中には社会的に「反社」と言われるような人々もいた。しかしそのような人たちが一概に悪い人なわけではない。

 中には会話できる人が3割ぐらいいた。もちろん「反社」にはちょうど両手で数えられるほどしか会ったことがない。

 その中の1人が、ちょうど和宏が最後に金を借りて消えた闇金、「山田組」の幹部だったのだ。その人は城島雅治という人だ。

 なぜ私が回って言うところにはこのような人しかいないのか。それもすべてこの男、伊藤和宏の現在地を確認するためだ。

 伊藤和宏が一方的に離婚届に署名し黒くすさんだテーブルの上に置いてあった紙を見つけたときから、このことは始まっていたのだ。

 もちろんシンプルに単純に営業に回った人がいることも確かだ。しかし、このような目的が陰にあったといえる。

 質素にして卑しき白くなくなっている壁紙に囲まれた狭隘な部屋から始まった。

 最初の和宏の行方は簡単に分かった。なぜなら、初めに親の家に寄っていたからだ。和宏の母親と私は元から仲が良く、その家がどこにあったかわかっていたので和宏の後を追うようにして家に行った。

 しかし、家に行った時には和宏はすでにいなかった。

 そこから和宏の消息は途絶えたままになっていたのだが、最近になってスマホで検索をしてみると山田組が関係しているということが分かったのだ。これは私たちが離婚するに至った原因にもつながっている。

 「山田組」と言うのは3年前にあった「山田」さんの組だ。山田さんは今、組の頭になっているようでその人も「あの刺青」があった。

 幹部というのは2人しかいないのだという。それが奇跡だった。

 城島さんは、優しく応対してくれた。城島さんはわたしに向かって

「あんた、さっきから思ってたんやけど〈祥子〉さんやないか?人違いやったら申し訳ないけど」

「はい、そうですが。。」わたしは名刺を見たから名前を知っているのか、だからと言って聞いてくるのは少し違和感はあるけどと思っていた。でもありえない、名刺には今、苗字しか印刷されていないはずだ。

「失礼なのですが、なんで知ってみえるんですか?」率直な質問をぶつけた。この営業にはもう一つ大きなメリットがあった。それは時間外労働であるという点だ。そこから二つの効果が言える。まず、時間外労働をしてまで営業をしているという情熱に心を動かされているというようにも見える人が多くいたことから、情熱が伝わるということだ。そして、仕事ではないというように見えることからあの名言、営業マンは商品を売る人ではない、解決策を提案する人だ。という言葉にも近づいているように思った。

「いや、組の幹部、もう1人の人がカズヒロっていうやつなんだけど、そいつの元妻の人によく似ているなと思って。そいつは本当に元妻の人が好きでな、いつも自分の不甲斐なさを責めとるんや。」と教えてくれた。こんな話はあるのだろうか。こんな話にありつくためだったのではないだろうか。ここまですべてを尽くした。

 調査会社を使うこともあれば自分の足を使うこともあり、さらには金さえも惜しまなかった。もちろん、仕事をしているだけで養う必要のある家族はほとんどいなかった上に営業としての実績を積むことで出世していき、その艱難辛苦の分だけ金はたまっていっていたからかもしれない。

「え?」聞きたいことがたくさんありすぎて、どこから聞いたらいいのかわからなかった。

 そこからたくさん聞いていろんなことがわかった。

カズヒロは借金が嵩んだため、闇金と殴り合いになったが、下っ端達だと全員倒してしまった。この原因は、もちろん小さかったころからボクシングを習っていたということがあるだろう。

しかし、その実力も数の暴力と文明の利器にはかなわず、若中率いる部隊に完膚なきまでに叩きのめされ、しかしその筋の良さから、借金を帳消しにする代わりに薄給でも組で働くという条件を提示され、組に入ったそうだ。

そこからはそのまま。その筋の良さから変転極まりない人生を送ってきたようだ。

 これが1ヶ月前だった。そこから城島さんとは連絡先を交換し、住所を教えてもらった。

 そして今ここにいる。

「単刀直入にいうね、」わたしは一息、いや1.5息ほど置いてから

「再婚しない?」と言った。人生で一番くらい重要な台詞だったのに声は掠れてしまった。練習もしようかと思ったが、恥ずかしくてできなかった。なぜ、再婚したくなったのか。私の心の中では、私の領域が展開された。気分が高揚している私の中で投影されているのは、やすっぽいどこにでもありそうな30分くらいのドラマでありそうなワンシーンだった。多分これは10のうちの9か8話くらいだろう。

 主人公の女の子は一度両想いになった男の子がいた。しかし、男の子とけんかしてしまい二人の愛情は目に見えず強かったがために二つの思いはお互いの思いを見ることなく一ミリほどで触れることなくすれ違った。

 しかし、彼との思いが薄れてしまったわけではない。しかし、薄めたい。

 その時ある男性と仲良くなる。それを男の子が見てしまう。その時、女の子は忘れようとして捨てた写真が落ちてきて思い出してしまう。彼への愛を。

 そうして二人はもう一度結ばれる。

 いや、こんな内容ではない。もっと、違う何か

 私たちはこうなることが天理自然の摂理として己に課されたものだと。

心臓が3回くらい音を立てた時、和宏の言葉で自分の領域から目覚め

「一週間よく考えさせてくれ、、」と聞こえた。

「わかった。」と言った。2人には久しぶりの笑みが浮かんでいた。別れてからは10年ほどしか経っていないが、最後に笑い合った日からは13年ほど経っているのではないか。

 そんな風に懐かしんでいると、彼との会話はすごく弾んだ。

 そして一週間後にオアシス21に一緒に行くことになった。

 2002年の完成当時、そこに当時、私たちの住んでいた岐阜県から彼と行ったことがある。そして彼は事前に予約していた、高級ホテルの名古屋マリオットアソシアホテルにわたしと一緒に行った。

 そこで少し寒い布団の中で彼と身体を合わせた。

 そんないい思い出の詰まったところをあえて選んでくれたところに、回答が良い方向であることが表れているのではないかと思い、少し嬉しくなった。

 一週間後、彼に言われたように6時にオアシス21に行った。そしていろんな話をした。わたしは仕事の話もしたが、わたしはもちろん和宏にその話をふらなかった。

 私たちの恋愛はこうしてとんとん拍子に進んだ。しかし、自分の心は赤い箱に入った水のように、色が入っているように見えて実は透明でどこから出てきているかわからないような欺瞞の気持ちではなかったのではないのだろうか。

 私はすでに55歳になっている。離婚を経験したのは45歳の時だ。その時には色のあった水もすでに透明になっていた。

 離婚を経験する原因となったのはもちろん私のせいかもしれない。あの時の私は形の変わった箱に入っていた赤の色水だった時から、徐々に丸くなっていきどこにもはまるような水として社会を生きていた。

 それだから、私はギミックのネジくらいにはなっていたのだろう。

 この時私は報道マンだった。

 「我々が真実を語らねば誰が語るのか」という名言がある。この名言は報道マンとしてのことを示した名言だ。

 報道マンは人のためではない、社会のためでもないのかもしれない。もしかしたら自分のためかもしれない。それでも真実を追求する。

 真実を追求しないことが正しいことであることはない。

 真実を追求することによって社会の役に立つこと、人々のメリットとなることは多くある。例えば人々に体験を与えるということだ。

アインシュタインの名言で「何かを学ぶためには、自分で体験すること以上の方法はない」というものがある。

 これは、体験することでしか人は効果的に学ぶことはできないということがわかる。裏を返せば体験することがないものについては効果的に知ること、学ぶことはできない。

つまり、体験の伴わない内容は効果的に脳に入っていかない。それなのに報道というものはある。

それを踏まえて考えると、報道というのは一見無意味で無為なものなのかもしれないということかもしれない。

しかしながら事実だけでも知ることはとても重要なことで、それだけでも報道の役割と言えるのではないかと思う。

そして私は公共に体験として、報道の役割を果たしたい。

よく、海外のサービスを提供するような会社のキャッチフレーズで「最高のエクスピリエンスを」というようなものがあるが、私はそれを目指したい。そう思って、真実を追求してきたつもりだった。

私はただ、真実を追求したかったわけではない。私の中での報道というものが極致に達するようにしたかったのだ。

 真実を追求することも、何か行動を起こすことも誰かにとってはよいことであっても、誰かにとっては最悪のことである。そんなことはいつでもある。

 それが離婚につながることになるとまでは思わない。なぜならそれは私が仕事中心の人間だったからかもしれない。

 それは、最近の女性というものを意識してしまったのだろうか。女性の権利というものについて考え始めていたからかもしれないし、それを報道の題材にしていた時もあった。

 女性として仕事をするという当然の権利を行使していることには異論がないだろうと思っていたのだろうか。私は和宏が当時勤めていた会社の取引先であった大企業のスクープを出した。

 それによって和宏が困ったことは間違いない。和宏は男尊女卑、パターナリズムな男性だった。

 私はもしかしたら和宏よりも報道マンとしての矜持だったのかもしれない。報道マンとしての色のほうが私の中で濃く混ざっていたのだろう。

 だから私の心の中には純粋に報道マンとしての色のみが残ったんだろう。

 和宏はどこか店に入ろうかと言ってくれたが、わたしはそんな無理はさせたくなかったので、ファストフードチェーン店に行こうといった。

 実際わたしはファストフードやコンビニの弁当がおいしければ何でも好きだし、フレンチに行ってもあまり味の違いがわからない。

 食べ方の作法のようなものとかも覚えられないし、何より堅苦しくて好きじゃない。

 外に出てベンチに座った時、今まで盛んだった会話は終わり、静かになった。

 そして彼の面持ちが真剣なものに変わり、

「今日まで、必死に先週の話のことを考えてきた。俺はまた結婚しても祥子を幸せにできるかどうか心配だった。でも、そんなのではダメだな、って思ったんだ。悩んだし、よく考えた。その上で受け止めてほしい。先週の話はなかったことにしてほしい。」

この言葉を聞いた時、色は消えるものではないことに気付いた。それは何か言葉で表せるようなものではなかった。

 理由はわかってる。夢の中でも現実でも、この瞬間を何回もシュミレーションした。自分の考えたいことだから自分の望む結果にはなりやすいのだろうが、そうでもなくこうなる回数の方が多かったような気さえする。

「もしかして、仕事のこと?わたしはそんなの気にしてないし、対策も考えてある。だから和宏は自分のことだけ考えて、判断してくれればいいの。」必死になってそう言うわたしを見て、和宏は少し笑った。このように急激に関係が進捗していくことになったのはお互いが両思いであったことが大きな理由であるのだろう。私の心の中ではうれしい気持ちが表面部分を覆っているにも関わらず複雑な気持ちがまだ、心の中で混ざりきらずに残っていることにも気づいていた。

「やっぱり、知ってたのか、でどんな対策なの?」

「わたしが勤めてる〈報正堂新聞〉に入るんだよ、わたしは今度の人事で販売局販売第二課長になるって話したよね?その役職には特別な権限が与えられていて、各販売支部のエリアマネージャーなどを指名できるというものなんだけどそれを使ったら支部に入れれるかもしれないの。権限は全部わたしに一任されることになるから。」

「それは……」

「13年前のことはわたしなりに反省してるの、あの時、わたしが止めてれば」

 というのも私は13年前まで社会部にいた。そこで私以外の記者が「商大附属病院の不正」という記事を出した。

 そこで書かれていたのは政治家への多額の献金とそれにより試験結果の改竄を隠蔽するなどという便宜を図っていたという証拠だ。

 これが明るみになったことで商大附属病院は経営が苦しくなり、大規模なリストラが敢行された。

 その中でそこに勤めていた「彼」もリストラの対象になってしまい、職を失った末にそのストレスから、ギャンブルに没頭してしまった。しかしそのギャンブルというのは私がギャンブルと呼んでいるだけで世間的にはギャンブルではない。

 FXだ。せめて変動の少ないものの運用にしてほしかった。彼がやっていたドルと円の運用は最もオーソドックスであるが、変動が激しく、大きく損をするリスクもあったのだ。

 初心者だったのに、その時少しずつ有名になっていた投資に手を出してしまったのがミスだったのだろう。彼は賢いから3割も損をしてしまった時にはもうやらないと言った。

 しかし、それだけでは将来の生活費に不安を感じてしまう、でも医学しか勉強してこなかった彼はそれ以外のことがあまりよくわからないし、医者として高収入を保ってきた自分のプライドもあったのか、転職の話はなかなか前に進まないという状況で資産運用に手を出すしかなくなってしまった。

 そして損失を広げていった。一度借金をするともう止まらなくなる。そんなこと彼にはもちろん理解できただろうが、目先の生活費も怪しくなってくるとそんな冷静な判断はできなくなり、結局借金が嵩んでしまい今に至ったのだ。

「あの頃のことなんてもういいよ。大事なのは今。でも、また考えさせてほしい。次いつ会えるかわかんないから連絡先交換しよ。」

 そうして私たちはLINEを交換した。

 交換したLINEのアイコンは和宏がどこかに遊びに行った時の画像とも思われるものだった。背景から見るとどこか海がそばにあるところだろうか。

 しかし、対岸にが近く見えるから湖だろうか。それはわからない。

 LINEを交換してからは

 LINEで3日後に会おうと入ってきたのは連絡先を交換してから2日後だった。

 しかし、待ち合わせの時間になっても彼は現れない。

 さらに4日後に彼からメッセージが入ってきた。


‘このメッセージを君が見ているということは僕はもうこの世に存在しないか、君に会える状況ではないということなんだろう。僕はずっと君に会いたかったし、あの時のことを謝りたかった。でももうそれは叶わない。君が新聞記者であることは僕の誇りだった。でも僕のせいで記者を辞めてしまったというのならそれは悲しすぎるからもう一度やってほしい。やってくれる気があるなら、一緒に送ったファイルを見てくれ。パスワードは数字4桁だ。’


 ファイルをクリックした。0820と打つ。やっぱり違う。

 今度はもう少し強い力で1225と打った。開いたファイルにはメモのようなものの写真があった。

 ‘to G ¥10B to A ¥25B to M ¥100B to K ¥1T’

 簡単なものなのだが私は英語がすこぶる苦手だ。Bはなんなのか。GoogleのAIとして開発されたGeminiを使ってみる。Geminiからは次のような返答があった。

 ‘「B」が金額を表すときに、一般的に「billion」の略で、10億 を意味します。’

 つまり、10Bというのは100億円、25Bというのは250億円なのでGに100億円、Tに250億円というわかりづらいことを表していたということがわかる。

 Tはなんなのかこちらも同じくGeminiに聞いてみる。

 ‘「T」が金額を表すときに、一般的に「trillion」の略で、1兆を意味します。’

ということはKというところには一兆円という破格の金額が振り込まれていたということになる。

 今はアルファベットの意味がよくわからないので、1番大切なものを入れておく、からくり箱の中にしまっておいた。

 そうすることで、一度は歓喜に見舞われたような儚い思い出さえも一緒に箱の中にしまって置けるような気がした。

 刹那にして滅びるような燦爛たる時間が、手中に収まったかと思えば滴り落ちていった。

 

ヒトリゴト②

 そうか、和宏が。

 和宏は絶対に裏切らないと自分の中でタカを括ってしまっていたことが間違っていたのかもしれない。

 和宏が裏切った理由が元妻への愛だったのだという。そんな思いがあったことにさえも気付けず、信用をおいてしまったことを非常に反省している。

 和宏だって恋をするんだな。

 そう思うとかつて自分が経験したほろ苦い思い出が蘇る。


過去編①

 夏が深まっていく頃。中学一年生の僕は、2010年生まれで現在12歳。誕生日は9月13日だから、あと3ヶ月くらいで13歳になる。

 中学校に入る前、僕は7人しかいない学校のクラスという檻の中に入っていたとも言えるだろう。7人しかいないと檻の中に入っているような感覚で、ずっと苦しかった。

 だから、そんな自分は恋をしないだろうと思っていたのに、いつの間にか恋に落ちていたというのが正しい言い方だろう。

 中学校のメンバーも小学生の時からあらかじめわかっていた。なぜなら、小学6年生の卒業式の後に、中学校の校区の6年生全員で京都の太秦映画村に行ったからだ。

 この時、あの人には一目惚れしてしまったのだが、その頃の自分にそんな感情がわかるわけもなく、気づいたら恋に落ちていたというわけだ。

 僕がその子のことが好きだということはクラス中の全員が知っている。

 恋をしなさそうだった僕が恋をしたということで、学年中の話題になっているのだ。

 好きな女の子の名前は「蒼空」だ。その子は僕の友達と仲がいいのだが、その友達によると、僕のことをタイプと言っているらしい。

 ワンチャンあるかもしれないと思いつつ、毎日ワクワクして登校している。

 そんなことを考えていると、何もしていない時でも、口角が上がってしまうことを抑えることができなかったな。

 それすらも、今となってはほろ苦い思い出だ。

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