山田くんの就職活動
もも
パターンA:押したい。
大学にネームバリューがないせいか、なかなか内定をもらうことが出来ず、エントリーした企業は数知れず。面接に行けども行けども、次に進むための連絡が来ることはほとんどなかった。
そんな山田君が唯一最終面接まで残ったのが、大手消費者金融である『株式会社さわやか』。指定された面接時間の五分前に到着した山田君は、事前に説明されていた通り、最上階にある役員室へ。
室内には誰もおらず、社長デスク、窓、テレビ、そして山田君が座るためのパイプ椅子だけが用意されていて、社名を象徴するかのような真っ白な壁が目立つ。山田君はようやくこぎつけた最終面接を前に、緊張した面持ちでパイプ椅子に座った。
山田君に遅れること五分。
「やぁやぁ、お待たせして申し訳ない。ちょっと急ぎの用があったもので」
七十代半ばと思しき弱々しそうなおじいちゃんが入室。どうやらこの人が社長らしいということで、向かい合って面接がスタートした。
簡単な自己紹介を終え、「私が御社を志望した理由は……」という話を山田君が始めた時、社長室に一本の電話が掛かって来た。
「ちょっとすまないね」
そう言って電話に出た社長はみるみる内に青ざめた顔になり、急いで席を立つと「申し訳ないが、しばらくここで待ってもらっても良いかね? すぐに戻るから……あ、机の上のものには触らないでくれたまえよ」と山田君に伝えると、部屋を出て行ってしまった。
部屋に残された山田君。
初めはぼんやりと座って社長の帰りを待っていたが、五分経ち、十分経ち、一時間経っても社長は帰って来ない。
山田君の頭に、様々なことが浮かんでは消える。
『社長の顔色が変わったのは、何か会社にとって大きな損害になるような事件が起きたんだろうか?』
『社長の家族に何かあったのかもしれない』
『あるいは、実は社長が受けた健康診断でガンが発覚してその検査結果を聞きに行ったとか』
もし社長の身に何かあったら、仮に内定をもらっても会社の雲行きは怪しくなる。このままこっそり出て、面接自体なかったことにしてしまおうか?
鞄を手に立ち上がり、扉に手をかけようとしたその時。
山田君に、ある考えがよぎった。
『もしかしてこれこそが最終面接? 緊急事態になった時にどう対処するかをどこかで見てるのかもしれない』
自分が面接官ならまずどこを見るか……。
必至で考える山田君。
『ただ待機するだけではなく、いざという時に行動力のある人材かどうか、かな』
いつ社長が帰ってきても大丈夫なように部屋の片付けをしておこう。
山田君は社長の言いつけを忘れて机の方へ向かう。
「何だコレ」
デスクの上に、丸くて赤いボタンがあることに気付いた。
ボタンの上には『押すな』の一言が。
「何のボタンだろう?」
山田君はそのボタンを色んな角度から眺めるが、どこからどう見てもよくあるただのボタンだった。手を伸ばそうとしたその時、社長の言いつけが不意によみがえった。
「机の上のものを触らないように」
伸ばした手を収める山田君。
とりあえず一旦椅子に戻って座り直すも、なんとなくボタンのことが気になって仕方ない。
あのボタンは一体何のために使うのだろう……。
普通のデスクに置かれた、妙な存在感を放つ普通のボタン。
一度見てしまうと気になる性分なのか、山田君はもう一度ボタンを確かめるためにデスクへ近付いた。ボタンの周囲には囲いもなく、簡単に押すことができる状態だが、『押すな』の文字の主張が強い。
押すなと言われると押したくなる。
でも押した瞬間に社長が現れて「はい、君は失格。我が社の採用試験は不合格」と言われるかもしれない。
いや、不合格になったところで、ぼくの中にある「押したい」という願望は一生残り続けるような……。
それならいっそのことここでポチッと押して逃げればいいんじゃないか……?
山田君はボタンの上に指を置いたものの、緊張のあまり力が入らない。身体はじっとりと汗をかいている。決意を固めていざ押そうとしたその時、デスクにある社長の電話が鳴り響く。びくつく山田君。コールは五回鳴って切れ、部屋には静けさが戻った。
『ボタンを押そうとしている僕を、どこかで社長が見ているのだろうか?』
山田君は冷静さを取り戻す。時計を見ると、社長が退室して既に2時間が経過していた。
ここで、山田君はあることに気が付いた。
『もしやこのボタンは会社にやっかいな客が来た時に、警備員や警察を呼ぶためのものかもしれない。ほら、よくドラマであるじゃないか、コンビニや銀行とかで強盗が入って来た時、カウンターの裏にある通報ボタンをこっそり押すシーンが!』
もしそうだとすれば、不用意に押す訳にはいかない。
何より、警察沙汰を起こす会社なんてロクなところじゃない。
というか、そんな危ない会社に就職したら自分はまともな仕事をさせてもらえないんじゃないか?
もう最終面接なんて受けてる場合じゃないぞ!
山田君は面接を放棄することに決めた。
鞄を手にドアノブを回そうとした時、山田君は思った。
『そうだ、もうこんな会社受けないなら、最後にボタンを押して、ダッシュして帰るのもアリかもしれない』
山田君は踵を返して社長の机へ。
ボタンを前にしてひとつ深呼吸をし、いざボタンに指をのせて押そうとしたその瞬間。ガチャリとドアが開かれた。退室していた社長が戻ってきたのだ。
デスクにいる山田君、そして山田君の伸ばした手の先を見て、社長の表情は一変、「もしや君、机のボタンを押したのかね!?」とすさまじい剣幕で怒鳴ってきた。
「す、すみません、悪気があった訳ではなくて、いや全くなかった訳ではないのですが、というよりもボタンが、ボタンが……」
穏やかに見えた社長の豹変に狼狽えた山田君は、逃げるように部屋を出て階段を駆け下りる。
『やっぱりあのボタンを押したらピストルか何かが出てくるような仕掛けになってるんだ、早くこんな危険なところ、出なくては!』
社長は出て行った山田君を振り向きもせず、すぐにデスクへ。
ボタンが押されていなかったことにホッとして、椅子に腰掛けた。
「全く、大会社の社長がこんなものにうつつを抜かしていることが見付かったら面目丸つぶれだからなぁ……」
社長は呟きながらボタンをポチッと押す。
天井がガコンと開き、上から今大人気のアイドルグループを写した大判のポスターが降りてきた。
「さっきの電話は焦ったのぅ。全通はマストじゃというのにチケットが取れないなんてありえんじゃろ。ほんに、使えん部下より使える顧客じゃ。主催者がうちの客で良かったなぁ」
テレビの電源を入れ、数日前に発売されたばかりの横浜アリーナで行われたライブ映像を流すと、引き出しから鉢巻と法被、装飾を施したうちわを取り出した。
「ウリャ!オイ!ウリャ!オイ!」
お気に入りの曲に合いの手を入れながら社長が踊り狂っていた頃、山田君は階段の踊り場で頭から血を流して虫の息だった。
焦るあまり足がもつれて、階段を踏み外してしまったのだ。
視界が少しずつ暗くなる。
山田君は暗く閉じられていく意識の中、呟いた。
「押したい……」
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