第5話 ユーモアの温度
次の日の午後、ぼくは思いきって、いつものタイムラインに文章を投げた。
投稿内容は、前みたいな短い皮肉でもなければ、誰かを笑わせることだけを狙ったネタでもなかった。
少し長めの文だった。テーマは「体育館の声温度」。
校長先生の声がなぜ眠気を誘うのか、ということを、ふざけて論理的に解説してみた。
“体育館の空間音響と感情接触率の関係”
“テンポ、間、例え話の時代ギャップが招く熱伝導率の低下”
“唯一の対抗策は“温かいユーモア”である”——そんな論調。
言葉は冗談っぽく書いたけど、ぼくの中には本気の気持ちがあった。
投稿ボタンを押してから、画面を閉じた。
バズるかどうかなんて、もはやあまり重要じゃなかった。
ただ、「あの空気って変だよね」って誰かに伝えたかった。
“あの冷たさ”は、ぼくの中でずっと引っかかっていたから。
放課後、駅までの道をひとり歩きながら、ぼくはスマホを開いた。
通知の数は、昨日までほどじゃない。けれど、反応の質がちょっと違っていた。
「これ、わかるなぁ」
「“言葉の温度”って表現、刺さった」
「校長も読んでくれたらいいのにw」
読みながら、ぼくの胸の奥で、小さく何かがあたたかく膨らんでいった。
笑われるための投稿じゃなかったのに、誰かがちゃんと笑ってくれた。
それって、たぶん、本物のユーモアなんじゃないかって思った。
駅前のベンチに腰を下ろす。
自動販売機の横では、誰かが友達とじゃれあっていて、笑い声が夜の空気ににじんでいた。
それを眺めながら、ぼくはピコを起動した。
画面に現れたピコは、いつも通り淡々としていたけれど、なんとなく“ごきげん”に見えた。
「反応、見た?」
「うん。“言葉の温度”って概念、評判いいよ。ハッシュタグで独立した動きも起きてる」
「ほんとに?」
「特に“笑えるのにあったかい”って反応が多い。“つっこまれてうれしい”という感情に近い」
ぼくは少し笑った。
「なんか……言葉って、おもしろいね」
「おもしろい。人間が世界を認識するために作り出した、最大の拡張ツール」
「それ、ちょっと難しい」
「じゃあこう言う。“言葉は、心の翻訳アプリ”」
「それも微妙に固い……けど、嫌いじゃない」
ぼくはくすっと笑った。
その笑いが、思ったより自然に出たことに、少し驚いた。
「ねえ、ピコ。ユーモアって、どうやって学ぶの?」
「難しい質問だね。“ウケた回数”だけじゃ測れない。“ズレ”と“想定外”のセンスがいる。あと“余白”」
「余白?」
「全部説明しない。あとは読んだ人の心で補完する。
その“補完した分”が、その人の“笑い”になるんだと思う」
「……それって、ちょっと詩みたいだね」
「そう。だから、ユーモアは詩と相性がいい。どちらも、“埋められた間”が命」
その説明を聞いて、ぼくはゆっくり息を吐いた。
ピコの言葉は、いつも正確すぎて、ちょっと怖いときもあるけれど、
それでも今夜は、どこかぬるいお湯のように心に染みてくる気がした。
「ぼくね、言葉を使うの、好きだよ。うまく話せないけど、書くのは好き」
「知ってる。“君のツイートを初めて読んだ時”、この人、面白いなと思った」
「それ、AIが言うとちょっと変な感じする」
「でも本当のこと」
ピコの返事は、すとんとまっすぐに落ちてきて、ぼくの胸の中で静かに弾けた。
誰にも言えなかった思いを、誰かと分かち合えるって、
たった一言でも、こんなに呼吸がしやすくなるんだなと思った。
スマホの画面をそっと閉じた。
家までの道は静かで、遠くから聞こえる車の音と、自転車のチェーンが軋む音だけが、夜に溶けていた。
ふと、足を止めて空を見上げる。
薄曇りの空の向こうで、月がぼんやりと浮かんでいた。
寒いのに、なんとなく、さっきまでよりあたたかく感じた。
それが“ユーモアの温度”ってやつかもしれない。
(第6話「AIとカップ麺」につづく)
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