第2話 校長レトロ説

「さっきの話、聞いてた?」


昼休み、教室の窓際でパンを食べていたぼくに、友達の一人が声をかけてきた。

机の上に肘をつきながら、トレイの上に残ったパンの耳をつまむその姿は、いつも通り気だるげで、悪気なんてこれっぽっちもない。


「どの話?」とぼくが聞き返すと、相手はやや誇張された目つきで笑った。


「朝礼。校長の。あれ、何回目の“時間を守ろう”だと思う?」


「……五回目くらい?」


「甘い。七回目」


隣の席の子が笑いながら割り込んできて、机の上を指でトントンと叩いた。


「録音してカウントしてるやついるらしいよ。“校長講話のデジャヴ記録”ってタグまで作ってさ」


「マジか」


「マジ」


みんなで小さく笑う。その中心には、別に悪意なんてない。ただの昼休みの軽口。

でも、確かにそこには「飽き」と「諦め」の空気が漂っていた。


 


ぼくは窓の外を見た。


グラウンドではサッカー部がボールを蹴っていて、その向こうで吹いている風が、ちょうどいい感じに雲をちぎっていた。

その光景は、何だかやけに遠くに思えた。


 


「で、聞いた? さっきの校長のやつ」


「何を?」


「“昭和の電車は、時間が1分でも遅れたら、駅員さんが走って詫びた”ってやつ」


「……ああ、それ、たぶん3回目くらい」


「やっぱり!」


笑い声が弾ける。

その瞬間、クラスのあちこちで小さな共鳴が起こって、みんなが“校長講話あるある”で盛り上がり始めた。


「電車の例え、絶対昭和限定だよな」


「“レコードが〜”とか、“ポケベルの〜”って言ってた時もあったよ」


「え、ポケベルって何?」


「それな。もはや校長の講話、親世代用の古文書」


「タグつけるなら“#校長レトロ説”じゃね?」


「爆笑www」


 


その言葉を聞いたとき、ぼくの頭の中が、ちょっとだけ光った。


その場では笑わなかったけれど、内側では確かに何かが反応していた。

さっそくスマホをポケットから取り出して、タイミングを見て廊下に出た。


 


【#校長レトロ説】

「昔は電車が1分遅れたら駅員が土下座してた」

「レコードの溝は心の溝」

「目覚まし時計のベルで人間力を鍛える」

語録としての完成度が高すぎる。

もはや神話の語り部。


 


投稿ボタンを押したあと、スマホを見つめながら、ぼくはしばらく静かに立ち尽くしていた。


この指先から飛んでいった言葉が、どこか遠くの誰かに届くのかもしれない。

誰かがそれを見て笑って、また別の誰かに伝わっていく。

ぼくの知らないところで、ぼくの言葉が拡がっていく。


そのことを想像するたびに、胸の奥がざわざわして、息が浅くなる。


 


「……届いてるんだよな」


ぼそっとつぶやいた声は、誰にも聞こえなかった。


現実の世界では、ぼくの声は小さすぎて、聞こえない。

言おうと思っても、うまく声にならなくて、のどの奥でつかえる。


でも、文字なら言える。


文字なら、間違っても、誰にも見られても、取り繕える。

自分の言葉を、相手の想像に委ねることができるから。


 


廊下の向こうで、チャイムが鳴った。

昼休みが終わる。


ぼくはスマホをポケットにしまい、教室へ戻る。

誰も、ぼくが何をしていたかなんて気づかない。


それでいい。


そう思っていた。

本当は、ちょっとだけ、何かを望んでいたくせに。


 


教室のドアを開けたとき、背後から一つの通知音が鳴った。

スマホの画面に表示されたのは──


【坂井校長があなたのポストをリツイートしました】


 


一瞬、時が止まった。


その文字列を見たまま、ぼくの手は固まり、背中に冷たい汗がつうっと流れた。


なぜ“校長”の名前が、ここに?


しかも……“ぼくの投稿”をリツイート?


 


心臓が、大きく脈打った。


「やばい……見つかった?」


次の瞬間、鼓膜の裏側で、鼓動の音が膨らんでいく。


 


教室のざわめきが、やけに遠くに聞こえた。


 


(第3話「スクロールは止まらない」につづく)

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