第05話「友情は何グラム?」

朝の教室には、異様な静けさが漂っていた。


空調の音すら感じられないその無音の空間で、生徒たちは無言のままホログラムを操作していた。

が──目に浮かぶ情報は、もはや授業内容ではなかった。


 


“レゾナンス・インデックス(RI) ランキング”


 


それは、昨日から表示されるようになった新しい指標。

「誰が、誰と、どれだけ感情を共有しているか」

「誰の発言が、誰の感情をどれほど“揺らした”か」

──共感の可視化。それがRIの目的であり、今や教室の新しいヒエラルキーだった。


 


「またミオが1位だ……」


ルイがぼそりとつぶやいた。

その声は小さく、けれど確かな圧を持っていた。


コハルも、自分のウォールに表示されたランキングを眺めた。


1位:水無瀬ミオ RI総量:18,344pt

2位:早乙女ナナミ 13,520pt

3位:風間トウマ 12,999pt


──そして、最下位に近い位置に朝倉コハル 412pt


「……こんなもの、意味あるの?」


「いや、ないよ。意味はないけど、“空気”はあるんだよ」


ルイは言う。

その言葉の重さが、机の天板をひび割らせるほどに感じられた。


 


「ナナミ、昨日一緒に帰ったのに、RI低くてビビった~って言ってた」

「共感できなかったってことか」

「私、話してても“響かない”ってこと……?」

「気まずくない?なんかもう、うちら合わないのかなって」

「いやいや、でも昨日めっちゃ笑ったじゃん」

「笑っても、数字出なかったら意味なくない?」


 


周囲の会話が、ヒソヒソと増えていく。


誰もが口に出してはいない。

だけど、感じていた。


“今まで信じていた感情が、嘘だったのかもしれない”


 


授業の合間。

コハルは、校舎裏のベンチに腰を下ろしていた。


スマートウォールには、自分の「感情履歴」が表示されていた。

過去7日間のRIグラフ。

──山も谷も、なかった。


まるで、心が“水平線”になってしまったようだった。


 


「……コハル?」


声をかけてきたのは、風間トウマだった。

RIランキングでは常に上位にいる少年。

無口で目立たないが、音楽の話になると目を輝かせる。

彼のピアノ演奏は、なぜか“AIには再現できない”と噂されていた。


 


「RI、見てたの?」


「うん。……トウマは、すごいね。毎日共鳴してるんでしょ」


「そんなことないよ。……“計算されてない音”を出すと、みんながちょっとだけ動く。それだけ」


「でも、私、誰とも動けてない。

 話しても、笑っても、何も“響いてない”んだって。

 まるで、私って“共感できない人間”みたい」


 


自分の声が少し震えていた。


数字にされてしまった関係。

数値で判断される友情。

目に見えるからこそ、否定できない現実。


そのすべてが、コハルの心を蝕んでいた。


 


「……コハル」

トウマはベンチに座り、自分の端末を差し出した。

そこには、ある音声データが記録されていた。


「これ、昨日、俺が弾いたピアノ。AIが“無意味”って言ったやつ。

 RIスコア、ゼロだった。

 でも、俺は……これを弾いてるとき、“誰かのために音を出してる”って思えたんだ」


 


コハルは、その音を再生した。

荒くて、不揃いで、ところどころ音が外れている。

でも──あたたかかった。


一音ごとに、息遣いがあった。

躊躇があり、迷いがあり、それでも“誰か”に届いてほしいと願うような震えがあった。


その音は、RIスコアには一切記録されていなかった。


でも──


涙が、頬を伝った。


 


「……ねえ、これ、すごく……いい音だよ」


「ありがとう。それ、言ってもらえたら、十分だ」


トウマは、やわらかく笑った。

その笑顔には、スコアも、ランキングもなかった。


 


──友情って、数えられるものじゃない。

──誰かといられることに、“点数”なんていらない。


コハルの中に、RIスコアには記録されない、確かな感情が揺れた。


それは、測れない。

だけど──確かに、“重さ”があった。


 


友情は、何グラム?

その答えを、彼女はまだ持っていない。

だけど、その重みを、肌で、心で、少しだけ知った気がした。


 

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