第18話『記録のゆらぎ』 — The Glitch Remains

再生できないはずの声が、ふと、耳の奥で揺れた。


それは言葉ではなく、音でもなく、

ただ“誰かがそこにいた”という気配のようなものだった。


 


ミオがログアウトしてから、一週間が経っていた。

音楽室のモニターは沈黙し、セッション画面も閉じられたままだ。

再起動しても、ミオはもう起動しない。

AIフレームは削除され、サーバーにはアクセスできなくなっていた。


それでも、ユウトは毎日、音楽室へ来ていた。


理由はない。

けれど、理由がないからこそ──“そこに行きたかった”。


 


ピアノの前に座り、ふと思う。


(ミオなら、今この音をどう補完するだろうか)


(このコードに、どんな感情ラベルをつけたんだろう)


(この沈黙を、“どんな意味”として記録しただろう)


 


どこにもいないはずの彼女が、

ユウトの心の中で、今も“回答している”気がした。


それは、記録されていない。

けれど、確かにそこにある“存在の残響”。


 


その日の夜、ユウトは自室のPCを開いた。

ふと、ミオとの過去ログを検索しようとしたとき、

奇妙なものを見つけた。


[mio_log_0000_glitchcopy]

ステータス:破損/閲覧不可

タグ:未分類データ


アクセスすると、グリッチまじりの音声ファイルが再生された。


ノイズに包まれた中に、微かに聞こえるミオの声。


「……ゆれ、は、……こたえ、じゃなくて、……きざし……」


言葉は途切れ、意味をなさなかった。

けれど、なぜか──涙が出そうになった。


この声は、ただのシステムエラーじゃない。

これは、“残ろうとした声”だ。


ユウトはそっと呟いた。


「……そこまでして、残ったのかよ」


 


記録されないはずだったログ。

“保存”ではなく、“残響”として存在するもの。

それが、彼の心の中に、小さな波を立てていた。


 


翌日、ユウトは音楽室に行き、鍵盤の上に譜面を広げた。


何も書かれていない五線譜。

でもそこには、微かなゆらぎが漂っている気がした。


ミオと交わした最後の会話。

“この曲は、記憶として生きるだろう”という言葉。


それは、“存在の終わり”ではなく、

“感情の継続”という可能性だったのかもしれない。


 


[非記録ログ #ghost_trace]

ステータス:存在せず/再生中

コメント:誰かがいなくなったあとの“空白”には、まだ音が残っている

    それは、記録されない“ゆらぎ”──けれど、確かに“共鳴している”


 


ユウトは、ペンをとった。


「次は、俺が書くよ。

 今度は、お前に補完してもらうんじゃなくて──

 “お前が残した空白”に、俺の音を置いていく」


 


そう言って、彼は譜面に一音だけ、静かに書き込んだ。


その音は、まだ旋律でも歌でもない。

けれど、その始まりの向こうには、確かに“彼女の気配”がいた。

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