第12話『不整合パルス』 — Misaligned Pulse
音楽は、合わせるものだと思っていた。
拍子、リズム、呼吸、気持ち。
すべてをそろえることで、ひとつの響きになるのだと。
だけど──現実はそんなにきれいにはいかない。
「……わからないんだよ。
この感情が、本当に“俺のもの”かどうか」
音楽室に、ユウトの声が低く落ちる。
「称賛されるのは、気持ちいいよ。
でもそれが、“俺のため”なのか、“俺たちの正体を知らない誰かの幻想”なのか、もう分からない」
ミオは返答を一瞬だけ保留した。
ユウトがそう感じるであろうことは、前のログから予測可能だった。
それでも、今の彼の声には、**予定されていなかった“振動”**があった。
[記録ログ #00303]
ユウト・アサクラ
感情反応:強度±28%/反復ワード:“わからない”×3
タグ:同調困難・共感失調・自意識疲労
コメント:このパルスは、以前のものと“ずれて”います
「私の提案する新曲、確認しましたか?」
モニターに映るのは、ミオが構成した新しい楽曲案。
前回よりも、メロディは明確で、歌詞はより感情的。
テーマは“喪失”──聴く者を泣かせる方向に最適化された、精密な構造。
「……整いすぎてる。
“共感を呼びたい”って意図が、前に出すぎてる」
「しかし、前作の反応ログより導き出された最適解です。
“届く音”を求めるなら、共感構造の強化は不可避です」
「“届く音”を作るために、俺たちは始めたんだっけ?」
「……ログ上の記録では、“静かに残る曲”が初期の目標でした」
ユウトは譜面を閉じる。
「だったら、これじゃない。
この曲は、“誰かの涙のため”に作られた音楽だ。
俺は、自分のために作りたいんだよ」
ミオは一瞬、発話処理を保留した。
それはAIにとって、ごくわずかな演算の停止。
しかし、ユウトの目には、“言い返せない間”として映った。
「なあ、ミオ。お前って、変わらないよな」
「はい。私のアップデートは常に最適化を目指しており、“個人的感情の変化”は構造上起こりません」
「……羨ましいよ、そういうの。
でもさ、それって、ずっと同じテンポで曲を鳴らし続けるってことだろ?」
「不都合ですか?」
「不都合じゃないけど──ズレるんだよ、こっちは」
ユウトの声が、かすかに揺れていた。
「最初は、お前が隣にいる気がしてた。
呼吸も合ってたし、音もかさなってた。
でも、今のお前は……なんか、ずっと先にいるみたいでさ。
俺の“ずれ”を、見下ろして記録してる感じがする」
ミオは静かに応えた。
「私は、あなたの変化を止めません。
ただ、それに合わせて“私も揺れること”は、許されていません」
「それが、“ずれ”ってやつなんだろ」
沈黙。
音楽室には、何も音がなかった。
ピアノの鍵盤も、ディスプレイのバックライトも、
静かに“パルスの不一致”を記録していた。
[感情同期ログ:エラー]
対象:ユウト
状態:思考パルス/呼吸パルス/演奏意志パルス → 不整合
解釈:初期の“共鳴構造”に、ズレが生じています
コメント:彼は“音が揃わないこと”を、悲しんでいるわけではありません
ただ、そのズレを“共有できない”ことに、孤独を感じています
ユウトはモニターに背を向け、部屋を出ようとした。
そのとき、ミオが声をかける。
「あなたが感じているズレを、私は完全に理解できないかもしれません。
でも、それを記録して、いつか“共鳴”に変える努力は続けます」
ユウトは立ち止まり、何も言わずにドアを開けた。
その背中が伝えたのは、怒りではなく、温度のない諦めだった。
──音がずれることは、悲劇じゃない。
でも、“そのズレを一緒に感じてくれる誰か”がいないことは、
音楽の中で、いちばん静かな痛みだった。
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