第2話 500円の願い(後編)

 ファミリーキッチン渋谷店の営業終了を告げるチャイムが鳴り響き、最後の客が賑やかな声と共に去っていくと、店内には急速に静寂が広がっていった。煌々と照らされていた客席の照明は落とされ、非常灯と厨房から漏れる蛍光灯の薄光だけが、片付けの終わったテーブルのステンレスや床を、冷たく、そして不気味に照らし出している。

 犬耳の美少女、結菜はその厨房の最も奥まった一角、冷たいタイルの壁に強く押し付けられ、恐怖と絶望に全身を細かく震わせていた。


 丁寧に結んでいたはずの栗色のショートボブは、冷や汗で額や首筋にぐっしょりと張り付き、数本が目の前に垂れ下がって視界を遮る。いつもはピンと立たせようと努力している犬耳は、今は完全に力なく垂れ下がり、時折、獣が警戒する時のようにピクピクと痙攣していた。琥珀色の大きな瞳は、止めどなく溢れ出る涙で潤み、その縁は真っ赤に充血している。そばかすが愛らしく散っていたはずの白い頬も、今は屈辱と恐怖でまだらに赤く染まり、痛々しいほどだった。


「お……許し……ください。お願い……します」

 か細く、途切れ途切れに漏れ出る懇願の声は、しかし、目の前の男には全く届いていないようだった。佐々木店長の脂ぎった顔には、獲物をいたぶる捕食者のような、卑しく、そして残忍な笑みが深く刻まれている。


「うひひ…結菜ちゃん、指導はまだ終わってないんだよぉ?悪い子にはねぇ、もーっと、もーっとしっかり教えてあげないと、ダメなんだからねえ」

 佐々木の粘つくような声は、先ほどまでの業務的な口調とは打って変わって、ねっとりとした甘ったるさが含まれていた。その瞳は、濁りきった欲望の色で爛々と輝き、結菜の怯えた表情や、涙に濡れた姿を、まるで極上の獲物でも見るかのように、じろじろと執拗に舐め回している。


(ああ、たまらない。この怯えた子犬のような目つき!少し大きめの制服から覗く細い手足も、俺の庇護欲とサディズムを同時にくすぐりやがる。この歳で、こんな初心(うぶ)な反応を見せるなんて、なんてそそるガキなんだ…!もっと泣かせたい、もっと困らせたい、そして俺の意のままに染め上げてやりたい!)


 佐々木の内では、そんな黒く歪んだ独白が渦巻いていた。猫の耳が興奮でピクピクと微かに震え、緩んだネクタイの下の喉仏が、ごくりと大きく上下するのが見えた。彼は、結菜の細い腕を万力のような力で掴んだまま、まるで抵抗できない小動物を引きずるようにして、厨房の中央に置かれたステンレス製の調理台へと彼女を乱暴に押しやった。冷たい金属の感触が、薄い制服越しに結菜の背中に伝わり、彼女はさらに身を硬くする。


「ほらほら、ちゃんと立ってくれないと、指導ができないだろう? 店長の言うことを素直に聞かない悪い子にはねえ、お仕置きが、もーっともーっと厳しくなっちゃうんだからねえ、うひひ」

 彼の手が、結菜のヒップの膨らみをいやらしく撫で回し、スカートの上から、まるで躾のなっていない動物を叩くかのように、その小さな尻をパァン、と乾いた音を立てて叩いた。


「ひっ…!」

 結菜の体が、電気ショックを受けたかのようにビクンと大きく跳ね、腰のあたりで力なく垂れていた犬の尾が、恐怖のあまり腹の下へと完全に巻き込まれるように縮こまった。

「や、やめて……ください……店長ぉ……」

 涙声で懇願するが、佐々木はそれを楽しむかのように目を細めるだけだ。

「指導なんだよ、結菜ちゃん。そう、嫌がらないで欲しいなあ。ほら、いい子だから、自分でそのスカートをめくってごらん? 正しい立ち姿勢の練習だよ。背筋をぴーんと伸ばして、お尻をきゅっと突き出す感じ、分かるかなあ?」

 彼の口調は、あくまでも「指導」という体裁を崩さない。しかし、その言葉の裏に隠された醜悪な意図は、結菜には痛いほど分かっていた。


 結菜の小さな手が、震えながらも制服のスカートの裾へと伸びる。指先が生地に触れた瞬間、全身に鳥肌が立った。

「そん……な、恥ずかしい、です……」

 消え入りそうな声で呟くが、佐々木のねっとりとした視線が、まるで重たい鎖のように彼女の体に絡みつき、抗うことを許さない。


「早くしてくれないかなあ、結菜ちゃん。店長はねえ、そんなに暇じゃないんだよ? それとも、俺に無理やり剥かれる方がお好みかなあ? うひひひ」

 彼女は唇をきつく噛みしめ、零れ落ちそうになる新たな涙を必死でこらえながら、ゆっくりと、本当にゆっくりとスカートの裾を持ち上げた。白いコットン生地の、何の飾り気もない下着が露わになり、その下から伸びる頼りないほど華奢な太ももが、厨房の冷たい蛍光灯の光に白々しく照らし出される。結菜の犬耳は、もはや血の色を失いそうなほど真っ赤に染まり、丸まった尾は、これ以上ないというほど固く体に押し付けられていた。


(くくくっ…たまんねえな、この辱められた表情! まだこんな子供っぽい下着をつけてるなんて、本当に初心(うぶ)なんだな。だが、それがいい! この白い肌も、震える太ももも、全部俺のモンだ!)


 佐々木の喉がゴクリと鳴る。

「そうそう、いい子だねえ、結菜ちゃん。でも、まだ足りないなあ。ほら、もっと、もーっと高くめくってごらん? おへそが見えるくらいまで、大胆にさ」

 佐々木の手が、彼女の震える手に上から重なり、抵抗する間もなく、無理やりスカートを腰のあたりまで一気にたくし上げた。下着の縁がくっきりと見え、その上の柔らかな下腹部までが露わになる。結菜の顔は、羞恥と屈辱で真っ赤に染まり、もはや声も出せずに俯くしかなかった。


「や……見な……いで……」

 かろうじて絞り出した声は、ほとんど空気の振動に近かった。しかし、佐々木はそれを聞くと、さらに卑しい笑みを深める。


「指導のためなんだってばあ。そんなに恥ずかしがらなくてもいいんだよ? 俺は、君のぜーんぶを見て、ちゃーんと指導してあげたいんだからねえ」

 彼は、おもむろに自分のズボンのポケットから、客が使い終わった食器と一緒に下げられてきたのであろう、一本のデザートフォークを取り出した。そして、その冷たい金属の先端を、結菜の白い下着の上から、そっと這わせ始めた。


「ひゃあっ……!」

 結菜の体が、まるで鞭で打たれたかのように激しく震え、膝ががくがくと笑い出し、立っていることすら困難になる。フォークの冷たい先端が、薄い布地の上をなぞり、彼女の最も敏感な場所を、執拗に、そしていやらしく軽く押し付ける。


「や、だめっ……そんな……やめて、くださいぃ……!」

 結菜の声は悲痛な叫びに変わり、涙が堰を切ったように頬を伝って流れ落ちる。佐々木は、その姿を見て目を爛々と輝かせ、恍惚とした表情で囁いた。


「ほらほら、正直に感じてるじゃないか、結菜ちゃん。素直になりなさいって、いつも言ってるだろう?」

「ち、違います…! そんなの、絶対に…!」


 結菜は必死に否定の言葉を繰り返すが、佐々木はそれを嘲笑うかのように、下卑た声で笑う。

「うひひ、嘘をつくなんて、本当に悪い子だなあ。これはもっと、もーっと念入りな指導が必要みたいだねえ」


 彼は結菜の制服の胸元に手を伸ばし、抵抗する彼女の手を乱暴に振り払いながら、ためらいもなくボタンを一つ、また一つと引きちぎるように外し始めた。ピンク色の可愛らしいブラウスが大きくはだけさせられ、白いシンプルなブラジャーが露わになる。恐怖と屈辱で、結菜の小さな胸が激しく上下しているのが見て取れた。


「や…やめてっ…! お願いします…!」

 彼女は最後の力を振り絞って両腕で胸を隠そうとするが、佐々木の手がそれを無慈悲にも許さない。


「隠さなくてもいいんだよ、結菜ちゃん。全部、ぜーんぶ店長に見せるのが、正しい指導なんだからねえ。君のその小さな膨らみも、俺はちゃーんと見て、評価してあげないといけないんだ」

 彼はそう言うと、ブラジャーの上から、その柔らかさを確かめるように、執拗に、そしていやらしく揉みしだき始めた。指先が敏感な先端を捉え、ねちっこく摘むように愛撫する。結菜の口からは、もはや言葉にならない、小さな獣のような喘ぎ声が途切れ途切れに響いた。


「んっ……ぁくっ……やぁ……」

(ああ、この声、この反応…最高だ! まるで熟れかけの果実をいたぶるようだ。このまま壊してしまいたい衝動に駆られるぜ……!)


「いい声じゃないか、結菜ちゃん。もっと、もっと店長に聞かせてごらんよぉ」

 佐々木の息遣いはますます荒くなり、その獣のような欲望は留まるところを知らない。彼は結菜の白い首筋に顔を埋め、犬のようにクンクンと匂いを嗅ぎながら、ザラついた舌を這わせ始めた。そして、恐怖で固く閉じられた彼女の犬耳の付け根を、甘噛みするように軽く、しかし執拗に喰む。


「ひっ……んぅう……やめて……くださ……!」

 結菜の体が、まるで電流に打たれたかのようにビクンと大きく跳ね、涙はもう止まる気配も見せない。彼女の心は、圧倒的な恐怖と、魂の奥底から湧き上がるような羞恥心で、完全に押し潰されそうになっていた。誰か…誰か助けて…もう、こんなのは嫌…! 頭の中で必死に叫び続けるが、その声は喉の奥で押し殺され、外の世界には決して届かない。


 佐々木は、半ば抵抗する力を失い、ぐったりとした結菜から下着をも床へと剥ぎ落とした。そして、若々しく美しい女体を、調理台の上に無理やり押し付けるような体勢にさせる。


「ほらほら、もうこんなに濡れちゃってるじゃないか。やっぱり、結菜ちゃんも本当は気持ちいいんだろう? 素直な体してるじゃないか、うひひ」

 彼の手が、腰の部分をいやらしくなぞり、無骨な指先が、彼女の最もデリケートな部分にぐりぐりと押し付けられる。


「ち、違います……! そんなの、絶対に嘘です……! 私は、嫌なんです……!」

 結菜は最後の力を振り絞り、必死に首を横に振って否定する。だが、佐々木はそれをせせら笑うかのように、残忍な笑みを浮かべた。

「嘘をつく子は、本当に悪い子だなあ。これはもう、本格的なお仕置きが必要だねえ」

 彼は自分のズボンのベルトに手をかけ、バックルを乱暴に外すと、ジッパーをゆっくりと下ろし始めた。そして、硬く膨れ上がった自身の醜悪な欲望を、結菜の震える下腹部に、押し付ける。その硬く、そして熱い感触が、太ももに触った瞬間、結菜の体は恐怖で完全に凍りついた。


「いや……! やめて……! お願いだから……やめてくださいぃぃぃぃ」


 彼女の声は、もはや絶望の悲鳴となって、がらんとした厨房の冷たい空気を震わせた。


 その時だった。

 店内の空気が、まるで刃物で切り裂かれたかのように、一瞬にして変わった。

 厨房の通用口に続く薄暗い廊下の先、ガラス窓の外で、何かの影が動いたような気がした。しかし、佐々木がその微かな気配に気づき、振り返るよりも早く、厨房の奥、食材が積み上げられた薄暗がりから、まるで闇そのものが実体化したかのように、一つの影が音もなく滑り込んできた。


 月光を吸い込んだかのような艶やかな灰色の長髪。暗闇の中でも鋭く尖り、微かな物音も逃さない狼の耳。そして、底なしの井戸のように昏く、一切の感情を映さない双眸。漆黒のフード付きマントを翻し、そこに立っていたのは、紛れもない、あの狼の少女だった。彼女の白く細い手には、先ほど佐々木が結菜をいたぶるのに使っていたデザートフォークではなく、調理台の脇に無造作に置かれていたカトラリーケースの中から抜き取られたのであろう、使い古されたステンレス製のステーキナイフが、鈍い銀色の光を放ちながら握られていた。それは、肉を切り分けるための、ありふれたファミレスの道具。しかし、今の彼女の手の中では、どんな名刀にも劣らぬ凶悪な凶器と化していた。


 佐々木が、結菜の悲鳴とは質の違う、異様な気配にようやく気づき、獣のような喘ぎを止めてゆっくりと振り返る。その視線の先に、音もなく佇む狼少女の姿を捉えた瞬間、彼の脂ぎった顔から血の気が引き、卑しい笑みが驚愕と恐怖に凍りついた。

「な……なんだ、てめえは……!?」

 狼少女は何も答えない。ただ、その昏い瞳で、佐々木を冷ややかに見据えるだけだ。


 次の瞬間、ナイフが閃いた。

 それは、プロの殺し屋のような洗練された動きではなかった。むしろ、獣が獲物に喰らいつくような、荒々しく、そして一切の躊躇のない一撃。鋭い、とは言い難い、使い古されて切れ味の鈍ったステーキナイフの先端が、しかし的確に、佐々木の驚愕に見開かれた喉元へと、深く、深く突き刺さった。


「がっ……!ぐ……ぅ……!」

 佐々木は、言葉にならない獣のような呻き声を上げ、両手で自らの喉を掻きむしる。だが、ナイフは気管と動脈を無慈悲に断ち切り、夥しい量の鮮血が、まるで噴水のように勢いよく噴き出し、厨房の白い床や壁を、瞬く間におぞましい赤黒色に染め上げていく。彼は、信じられないといった表情で目を見開いたまま、数秒間苦悶に身をよじらせた後、まるで糸の切れた操り人形のように、ぐにゃりと力を失い、床に大きな音を立てて崩れ落ちた。ピクピクと数回痙攣した後、その体は完全に動きを止めた。


 結菜は、あまりの出来事に声も出せず、調理台に寄りかかったまま、その場にへたり込んでいた。涙で濡れた顔、ヌードを晒したまま、ただ目の前で繰り広げられた惨劇の一部始終を、茫然と見つめることしかできない。


 狼少女は、返り血を浴びることもなく、ただ静かに、息絶えた佐々木を見下ろしていた。そして、手に持った血塗れのステーキナイフを、まるで汚物でも扱うかのように、近くにあったゴミ箱へと無造作に投げ捨てた。彼女のもう一方の手には、いつの間にか、一枚の500円硬貨が握られている。


「清算、完了」

 低く、抑揚のない声が、死人のように静まり返った厨房に響いた。そして、狼少女は再びマントを翻し、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように、音もなく闇の中へと溶けるように消えていった。


 どれほどの時間が経っただろうか。結菜は、震える手足に必死で力を込め、ゆっくりと立ち上がった。床に散らばった自分の制服を拾い集め、震える手で何とか身に着ける。

 助かった……本当に、助かったんだ……。

 心の中で何度も何度もその言葉を繰り返すと、安堵と恐怖がないまぜになった新たな涙が、再び止めどなく溢れ出してきた。

 がらんとした厨房に残されたのは、おびただしい血の海の中に横たわる佐々木の亡骸と、彼が最後に漏らしたであろう断末魔の呻き声の残響、そして、何事もなかったかのように時を刻み続ける壁掛け時計の音だけだった。

 窓の外では、ケモミミ渋谷の猥雑な夜が、相も変わらず、何も変わらぬ顔で続いている。

 狼少女の足音は、もう誰の耳にも届くことなく、深い闇の中へと完全に消え去っていた。結菜は、ただ一人、血の匂いが充満するその場所に立ち尽くし、これから自分がどうすればいいのか、何も考えることができなかった。

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