向日葵の中の金盞花
第一話
地元の
新しい環境の前へ立ち、街の一等地に聳え立つ茶色の校舎を見上げていた。
今日は私立薺高等学校の入学式。進学率の高さから、入学する生徒の絶えない人気校だ。
校門前の桜が、受験を突破した新入生を祝福するかのように花弁を降らせている。
ここでやり直さなくてはいけない。死ぬことも出来ず、惰性で生きてしまった私にはそれしかない。
右ポケットに手を入れ、隠し持っていたクマのぬいぐるみを軽く握った。
玄関前に張り出されたクラス表の前で、大勢の生徒が一喜一憂している。同じ中学校から来た人や、早くも仲良くなった人達など様々だろう。
そんな喧騒が後ろめたくなり、逃げるように校舎の中へ足を踏み入れた。
三階にある1のAの扉を開けると、笑い合うクラスメイトが映った。
黒板に書かれている座席表のほうへ目を向けるも、周りに人が集まっていて座れそうにない。
(声掛けても大丈夫、かな)
恐る恐る近づき、避けてもらおうと口を開いた。
「あの……」
「でさー!」
「まじで!?」
声が小さすぎて、話に夢中になっている彼らに聞こえていないようだ。そんな些細なことで縮こまっていると、一人の男子生徒と目が合った。
「……!」
中性的で容姿端麗なその子は軽く微笑んでから、口を開いた。
「少し移動して話そ」
耳障りの良い低音ボイスでそう言うと、彼らを退かしてくれた。
困っていることに気がついてくれたのだろうか。お礼を言いたいのに、話しかける勇気が持てない。
そんな自分をもどかしく思いながら、彼を見つめる。
白く艶やかしい肌、サラサラとした漆黒の髪。周りの男子生徒に比べると小柄で細身の彼は、まるで少女漫画に出てくる王子様みたいだ。
(なんて名前だろう……?)
一つ前に座った彼の名前を座席表で確認する。
(『時雨 由希』くん?)
見た目に違わない、綺麗な名前だ。
話しかけてみたい気もするが、私のような底辺が近づいていい存在ではないのだろう。
(でも、いつかお礼言えたらいいな……)
――そう思っていた私に転機が訪れたのは、それから一週間後の事だった。
放課後。
今日も誰とも話すことなく学校が終わり、教室の出口へ歩を進める。
仲の良いグループができ始め、そんな光景に俯きながらブレザーの右ポケットへ手を入れた。
(あ、あれ……?ぬいぐるみがない……?)
足を止めて左のポケットを確認するも、求めている感触に指が触れることは無かった。
焦燥感に駆られながら、自分の席へと引き返す。机の周辺や鞄の中をくまなく調べたが、一向に出て来る気配はない。
(落とした……?)
だとしたら、どこで失くしてしまったのだろう。いつも無意識に触っているため、全く見当がつかない。
あのぬいぐるみは亡くなったお母さんが作ってくれた、世界でたった一つしかない大切なお守りだというのに。
(探し出さなきゃ……)
一刻も早く見つけ出そうと教室から飛び出し、記憶を頼りに心辺りを見て回った。
授業で使った音楽室、お昼ご飯を食べた屋上、そして周辺の廊下を捜索するも見つからない。
絶望的な状況に狼狽え、嫌な想像を掻き立てる。
(もし、このまま見つからなかったら……)
重苦しい感情がまとわりつき、視界が歪み出した。
(あと……探していないところ……)
その場で立ち尽くしながら考えていると、突然後ろから声をかけられた。
「美琴?」
「え……?」
呼ばれて振り返った先には、時雨くんが立っていた。名前を覚えていてくれたことに驚愕してしまう。
「どうしたの?なんか困ってる?」
「あ……」
迷子を助けてくれるような柔らかい声。久しぶりに感じた暖かな感情が、じわりと内側から溢れ出す。
「じ、つは、探し物……してて……」
「探し物?」
「うん。えっと……」
説明しようとしたところで気がついた。ぬいぐるみを探しているなんて、子供っぽくて変だと思われてしまう。
「……た、大したものじゃない、から……大丈夫」
必死で取り繕った笑顔を見せるものの、彼は引き下がらずに微笑んだ。
「俺には大丈夫に見えないけどなぁ。力になれるかもしれないから、言ってみて?」
宝石のような黒い瞳に見つめられ、逸らせなくなった。優しい笑顔に躊躇いが溶かされてしまう。
「……あの、パッチワークで作られた、クマのぬいぐるみ……なんだけど」
「ぬいぐるみ……?」
「う、うん……」
「そっか」
軽蔑の色も嘲笑の色も見えず、純粋に頷いてくれているのが分かる。
「一階の落し物箱は見た?」
「あ……ううん、まだ見てない」
「じゃあ行ってみよ?そこにも無かったら、先生にも聞いてみるよ」
手を差し伸べてくれることに疑問を覚えた。クラスメイトとはいえ、仲が良い訳でもないのに。
「ど、どうして、そこまで……?」
「大切なものなら当然じゃない?それに、泣きそうな顔してるのに放っとけないよ」
「……!!」
心に一陣の風が吹き、あまりの眩しさに目を伏せてしまった。そんな理由で彼は助けてくれるというのだろうか。
もしも、中学の時に彼のような人がいてくれたら、少しは違ったのかもしれない。
「み、美琴?大丈夫?」
焦りだす彼を見て、自分が泣いていることに気がついた。
「ち、ちがうの。ごめんね……嬉しくて……」
「……大袈裟だなぁ。袖で擦ると跡ついちゃうよ?」
ハンカチを差し出され、どこまで親切にしてくれるんだと思いながらも涙を拭いた。
「あり、がと……」
「うん。じゃあ行こっか」
三階から一階へ移動し、玄関前の落し物箱を覗いてみた。
「ない……」
ガックリと肩を落としていると、廊下の向こうから同じクラスの男子生徒が歩いてくるのが見えた。
「おー時雨、何やってるん?」
咄嗟に時雨くんから距離を取り、様子を伺う。
「ちょっと探し物をね」
「ふーん?あ、そうだ。さっきそこでこれ拾ったんだけど、お前のだったりする?」
そう言って彼が掲げて見せたのは、探し求めていたクマのぬいぐるみだった。
「あ……」
小さく声を漏らしていると、彼は笑いながら言葉を続ける。
「んなわけねぇか、こんな子供っぽいもん」
「……」
自分の物だと言い出せないまま俯いた。やはり子供っぽい。大切な物なのに、どうして私はこうなのだろう。
「あっ、ありがと!俺が探してたのそれだよ」
「え……?」
見開いた目で、平然と嘘をついてくれた時雨くんを見つめる。
驚いたのは私だけではなかったようで、拾ってくれた彼も意外そうに口を開いた。
「え、まじ?これがそうなん?」
「うん、たまには可愛いものもいいかなと思って」
「お、おう。じゃこれはお前に返すわ」
「拾ってくれてありがとうね」
「……まあ、力になれたなら良かったよ。じゃあな」
去っていく男子生徒に手を振った時雨くんは、私の方へ向き直る。
「はい、これで当ってる?」
「う、うん、ありがとう……!」
彼の手からぬいぐるみを受け取り、ギュッと胸に抱き寄せた。
(落としちゃってごめんね……)
柔らかな感触に安堵していると、彼は穏やかに微笑んだ。
「良かった」
「ね、ねぇ、どうしてあんな嘘、ついてくれたの……?」
「あぁ……俺に聞かれた時も言いずらそうにしてたから、何となくあんまりバレたくないのかなって」
「時雨くん……」
優しいだけではなく、洞察力もある人なのだろう。言葉にできない程の感謝を少しでも伝えるため、深く頭を下げる。
「ほ、本当に、何から何までありがとう……!」
「そんな、頭下げられるほどのことしてないよ」
「ううん。私にとっては、すごく嬉しかったから……!」
頭を上げると、彼の瞳が僅かに揺れた。
「……本当に大袈裟。感情豊かだね、美琴は」
言いようのない違和感に戸惑うものの、すぐにイタズラっぽい笑みをこちらへ見せる。
「ふふっ……もうドジしちゃダメだよ?」
「ど、ドジ……!?」
あまりの言葉に目を丸くしていると、彼は少年のようにクスクスと笑う。
「うん。ふふふ……じゃあ、帰ろっか」
「う、うん……」
勘違いなのかもしれない。それでも一瞬、明るい雰囲気に影が射したように見えた。
(気の所為……?)
僅かなもやもやを抱えながら外へ出ると、辺りはすっかり橙色に染っていた。
どうやら、時雨くんとは家の方向が一緒のようで、恐れ入りながらも彼の隣を歩かせてもらっている。
「あ、あの……ハンカチ、洗って明日返すね?」
「え、今返してくれていいよ?」
「だ、ダメだよ。汚しちゃったもん」
「ふふっ、涙拭いただけなのに」
年上のお兄さんのような、安心させてくれる穏やかさにほっと胸を撫で下ろす。
ふと、初日にも助けてもらったことを思い出した。
「……そ、うだ。入学の時も助けて、くれたよね?」
「え、そうだっけ?」
「う、うん。席に座れなくて困ってたら、避けてくれて……ありがとう」
「些細なことなのに、よく覚えてるね。でもそんなにお礼を言われると照れちゃうなぁ……?」
子供っぽい無邪気な表情に変わり、ドキッとする。
黙っている時はクールな印象なのだが、こういう表情豊かなギャップが人気の秘訣なのだろうか。かなりモテそうだ。
「照れちゃうの?」
「うん、それはもう真っ赤に」
「……ちょっと見てみたいな」
見ているだけだった人とこんな近くで話せるとは思っていなかった。予想外の縁に感謝しながら呟く。
「他にもなにかお礼できたらいいのに……」
すると、彼は思いついたように口を開いた。
「そう思ってくれてるなら……文芸部に入らない?」
「え?文芸部?」
「うん。友達が設立したいらしいんだけど、一人足りないんだよね」
「えっ……と……」
名前からして、本や詩などに関する部活であることは確かなため、かなり興味はそそられる。だが、また空気の読めないことをして、誰かを不快にさせてしまうのではないだろうか。
頭に取り憑いた白い花は、いつまでも私を許してくれそうにない。
「……」
ちらりと時雨くんの顔色を伺う。
ここで断ってしまったら、せっかく親切にしてくれた彼を怒らせてしまうだろうか。二度も助けてくれた彼には嫌われたくないのに。
「……と?……みーこーとー?」
「え……?」
ぼんやり考え込む私を、時雨くんの素っ頓狂な声が現実へ引き戻してくれた。
気がつくと彼は私の前へ立っており、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「大丈夫?顔色悪いよ?」
「あ……」
「ごめん、いきなりだったよね。無理しなくていいから、重く考えないで?」
また気を使わせてしまった。
穏やかにそう言ってくれる時雨くんは、私が考えているような心の狭い人間ではないと思うのに。
「わ、私こそごめんね……!えと、誘ってくれるのはとても嬉しいんだけど……」
「けど……?」
「本当に入っても、いいのかなって……」
つい卑屈になる私に、彼は笑いかけた。
「美琴さえいいなら、入ってくれると嬉しいな」
「嬉しい……?私なんかでも……?」
「うん、嬉しいし助かるよ?」
真っ直ぐにそう言われ、視界がパッと明るくなる。社交辞令だったとしても、心を揺らすには充分すぎる魔力を持っていた。
「そう、言ってくれるなら、入ろう……かな?」
「ほんと?」
「う、うん」
「やったね、ありがと」
少し冷静に考えてみれば、友達の多そうな時雨くんが私なんかを誘ってくるくらいだ。本当に人が足りなくて困っていたのだろう。
嘘でも喜んでくれている彼を見て、思わず嬉しくなってしまう。
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
「えー?ありがとうは俺の方なんだけどなぁ。美琴は優しいんだね」
「あえ……?そんなこと、ないよ?」
「ふふ……」
ニコッと微笑まれ恥ずかしくなってしまう。
決して恐怖や不安が消えた訳では無いものの、時雨くんがいてくれるなら、大丈夫かもしれない。
勝手に縋ろうとしている自分を嫌になりながらも、少しだけ道が開けたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます