第8話 白銀の尾は空気を読まない

「こいつ、色々あって最近までの記憶があやふやらしくて。今ちょっとずつここの決まりを説明してるとこなんだ」


 そう言ってから、今度はイリアーテに「前に紹介しただろ?」と腕をペチペチ叩きながら説明する。


「ほら、ナフィカだ。次期族長候補で、操音そうおんの人魚……いや、多重操音たじゅうそうおんだ。ものすごく希少で優秀なんだぞ? ちょっと説教臭いけど」


 通常、人魚の扱う音波は穏やかで速効性はない。例えるなら、広く浅く効果がある「気休めの軟膏」のようなものだ。攻撃性においても威嚇程度で、それも個々によって偏りがある。


 いわば、才能や身体的特徴のようなもの。そうシエリはイリアーテに説明していた。


 この能力差は成人後の仕事や地位に直結する。通常の人魚はこれらの力を値として0~3程度しか持たないが、稀に突出した才能を持つ者が現れるのだ。


 彼らは「操音そうおんの人魚」と呼ばれ、幼少期から次期族長候補と見做されているとのこと。操音の人魚は音波による戦闘や治癒、索敵を超人的な精度で行うことができる。そして、特性ごとに呼び名があるのだと言う。


 イリアーテは呼び名までは覚えていない。だが、稀に複数の才能を併せ持つ個体が現れるのだと言う話、その呼び名が「多重操音たじゅうそうおん」だと言う話は覚えていた。


 ナフィカは、シエリの軽口混じりの賛辞にほんの少し機嫌を直したようだ。とは言え、イリアーテに対する態度は依然として厳しい。力強い目元を鋭くすがめ、腕組み姿で見下ろしている。


「シエリ、悪い癖だぞ」


 ナフィカは低い声で、言い聞かせるようにシエリに言った。


「お前にだって仕事があるはずだ。自分を削ってまでやる気のないものの面倒を見てやる時間があるのか? 慣れない環境だからって、必要な自己研鑽を疎かにする態度を許すべきじゃない」


 その批判的な言葉に、シエリはふざけたりせず「悪かった。気をつけるよ」と真摯に答える。ナフィカの態度は苛立ちを含んではいたが、シエリの謝意で多少は落ち着いたように見えた。


「今回はシエリに免じて咎めはしない。が、まずは狩りの腕を試してやるからついてこい。シエリ、お前は休息だ。また音酔するぞ」


 シエリたちが断るだなんて、まるで想像もしていない態度だ。シエリの説明によると、ナフィカには既に高い地位があり、この世代の取りまとめ役を兼ねているのだろう。


 シエリはちらりとイリアーテをみやり、それから「ナフィカ、悪い」と断りをいれる。


「イリアは勘弁してくれ。流石に新人にナフィカの狩り場は厳しすぎだ。休息はいいから、今日は久しぶりにオレの手ほどきを頼むよ」


「今の言い方は好きじゃない。裏が読めないほど俺が馬鹿だと?」


「いや。お前ならその上で目をつぶってくれると思って頼んでる」


 しばしの沈黙が降り、そしてナフィカが嘆息する。


「今回だけだ」


 ナフィカが肩をすくめ、顎をしゃくってシエリについてくるよう促す。が、そこでイリアーテの白銀の尾がゆらりとシエリを囲み、遮った。


「シエリ。今日は人魚の住処の仕組みを教えてくれるんでしょ? 馴染むためにはまず理解を深めないと」


 再び、空気が固まる。


 シエリはなんとも言えない顔でナフィカを見やる。


「悪い。コイツ、案外頑固で人見知りなんだ」


 心底申し訳ない――というよりは、気まずそうな顔で場を濁すシエリ。が、イリアーテに釘を刺すことも忘れない。


「後でお説教だからな」


 ナフィカたちがシエリたちの元を去ったのは、重苦しい沈黙の中に舌打ちを残した後だ。シエリは彼らの姿が見えなくなると、げっそり脱力し、岩棚にもたれかかった。


「大丈夫?」なんていうイリアーテの言葉に、シエリはじろりと恨みがましい視線を返す。


「あのなぁ。お前、アレはさすがに天然じゃ通らないぞ。ナフィカに絡まれたら厄介なの。主にオ・レ・が!」

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