第48話 再開の雨上がり
月路の店、星ノ尾からの帰り道。夏生はその軽さに反比例するような責任の重さを、リュックに入れたきんちゃく袋から感じていた。
―…世と夏生くんが笑顔になるために使いなさい。
世名義の通帳はわかりやすく、月路の彼女への愛に満ちていた。その愛に、他人の自分までもが立ち入ってもよいものなのか、自問自答が続く。
月路は言った。
『夏生くんならきっと、正しい使い方をしてくれる。』
彼の申し出を断る夏生の手に、半ば無理やりと言った風に通帳の入ったきんちゃく袋を握らせた。
『君たちは、運命共同体のようだから。』
手にした月路の愛はまるで小鳥のように温かく、小さな鼓動を刻むようだった。
「…。」
無性に、世に会いたくなった。
春近の葬儀から、塞ぎ込んでしまった世。彼女は再び心から笑ってくれるだろうか。いや、そんな希望的観測などいらない。今、自分が世を笑顔にするのだ。
決意新たに、夏生は顔を上げる。通り雨が晴れて、世界が金色に輝く瞬間。その片隅に、柔らかくなびく茶色の髪の毛の先が光った。
「…世…?」
交差点の人の流れの中に、世がいた。
母親には何も告げず、まるで家出のようだった。久しぶりに出た街はまだ残暑は厳しいものの、夏の激しさからは脱却していた。
世は首筋に抜ける湿った風に乗って響く、夏生の声を聞く
「世!」
「!」
世はその声の主を知っていて尚、一瞬振り返る。そこには案の定、夏生がいた。
そして次の瞬間には、彼を振り切るように駆け出していた。
「待って、世…!」
夏生の必死の願いが鼓膜に響き、そして世の手首を掴んだ。
「…、」
「世…。」
距離にして数メートルの逃走劇を終えて、二人はようやく会うことができた。
世は、夏生の顔を見ることができない。
「世、あの、」
きっと夏生も、困っているはずだ。彼は優しいから自分を引き留めたまでで、気まずく思っているに違いない。次に続く言葉は、一体どんな非難が込められるだろう。
心配をかけている自覚はある。
そして、自分の誕生日のせいで夏生の想い人を殺してしまったことも理解している。
考えるだけで恐ろしい。ずっと、死んだのが夏生の方だったらと思うと心が潰されるようだったから。
「…前髪、伸びたね。」
「…!」
夏生の柔らかな声色に、世は視線を持ち上げる。
「元気だった?」
夏生はそっと世の頬を撫でて、そっと瞼にかかる前髪を払う。
「夏生…。」
透明のようにクリアになった視界に、困ったように笑う夏生がいた。眉を八の字にして、でも目元は甘く和らいでいて。優しいその微笑みが、世は好きだった。その笑みを、まだ自分に向けてくれることがたまらなく嬉しかった。
だからこそ、春近の死を受け入れつつある心持ちが恐ろしかった。
人々の交通の邪魔になっていることに気が付いた夏生は、世の手を引いて大手チェーンのコーヒーショップに誘った。世は手を振りほどくことなく、夏生の後をついてきた。
イートインで二人分の飲み物を購入して、テーブル席に座る。
「…。」
しばらく沈黙の帳が下りた。若干の重みを孕んだ雰囲気だったが、目の前に世がいることが嬉しい。
「…見つめすぎだよ、夏生。」
世が居心地が悪そうに、肩をすくめる。
「ごめん。」
謝罪しながら、それでも彼女から目が離せなかった。困ったように瞳を伏せる世だったが、救急車のサイレンの音にふと顔を上げた。窓の外を見る彼女の横顔は美しいと思った。
まるで少女から、大人の女性へと移り変わっていく様子を見ているようだった。
「学校の皆も、心配してるよ。」
「そう…。」
「来週、修学旅行だね。一緒の班だよ。」
夏生はストローで、カップの中の氷をかき混ぜる。コロ、と軽やかな音が響いた。
「どうして、」
「うん?」
世は夏生を見る。
「どうして、夏生は私に優しいの?」
「…。」
「私には、夏生の優しさを受ける資格がないのに。」
「…それって、必要?」
夏生の問いに、世は頷いた。
「だって、私…。私は、あなたの好きな人を、」
「ストップ。」
世が言おうとしている言葉の続きを察して、夏生は遮った。
「悲しいのは、一緒だろ。」
「悲しいけど、私の感情は夏生のものとは少し違うの。」
「そっか。」
夏生はアイスティーを口に含む。月路が淹れたものとは、味の深みが違うことがわかる。
「…聞かないの?」
「訊いたら、世は無理して話してくれるだろ。だから訊かない。」
もうこれ以上、世が傷つくところ見たくなかった。
「夏生は…、優しいね。優しすぎるよ。」
そう言って世は涙を一粒、ポトンと零した。夏生はテーブルに備え付けられていた紙ナプキンを手渡した。
「ありがとう。」
「ハンカチなんて気の利いたものを持ってなくて、ごめん。」
夏生の自虐に世は、ふふ、と笑ってくれた。
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