3-11.黒瀬のムチャブリ
ヴァルと川口の間で行われた深夜の極秘会談の内容も、遙か宇宙空間から地球へと迫りつつある新たな厄災のことも、当然、何も知らない悠斗は、ぐっすりと眠り、清々しい土曜の朝を迎えていた。
「今日は家でゆっくりしようかな…。ここのところ色々あったからな……」
体力テスト以来の騒動に、精神的疲れを覚えていた悠斗は、土日の休日をその回復にあてようと考えていた。ところが、直後にかかってきた黒瀬部長からの電話によって、その構想は音を立てて崩壊した。
『おはよう、悠斗。すまんが、九時までに部室に来てくれ。じゃあ!』
何故?との理由を訊く間もなく、用件だけ言って切られる通話。時計を見ると八時過ぎ。これから朝ご飯を食べて、着替えて、学校へ――あまり余裕はない。
はぁ~……
悠斗は大きなため息をつき、仕方ない、とあきらめた。
休日の瑞穂高校は、平日とは打って変わって静かだった。部活動や委員会の仕事などで学校に来ている生徒たちが疎らにいるだけで、広大な校舎全体に、どことなく休日の空気、ひっそりとした時間が流れている。ここ数日の騒ぎの様に、悠斗は注目されることもなく、校内に入り、部室棟に向かった。
「何の用だろうな、部長…?」
部室棟の階段を上がりながら改めて考える。
「そう言えば、レンタルがどうとか言ってたよな……」
玲於奈のことに気を取られ、意識の外に追いやられていたが、昨日の部室での会話を思い出し、悠斗の中に嫌な予感が湧き上がった。
「このまま帰ろうかな……」
天文部のドアの前で、ふとそう考えたが、そういうわけにはいかない。仕方ない、とドアのノブに手をかけドアを開ける。
ぎぃ~
蝶番の軋む音が微かに響き、そっと部室の中をのぞいた悠斗に向かって、黒瀬の元気すぎる声がかけられた。
「よう、悠斗! よく来たな!」
よく来たって――あんたが有無も言わせず呼び出したんでしょ、と心の中で少し悪態をついたが、それを表に出せる悠斗ではなかった。
「……おはようございます、部長。あ、只野先輩も、いたんですね」
満面の笑みを浮かべた黒瀬の横には、いつものように困り果てた表情を浮かべる只野が座っていた。向けられた只野の目の中に、なんともすまなそうな色を見て、悠斗の嫌な予感はさらに増した。
「いやぁいやぁ、待ってたぞ。悠斗!」
黒瀬が両手を開いて出迎える。嫌な予感がさらに増した。
「えっと…、今日はなんで呼ばれたんですかねぇ…?」
悠斗が恐る恐る尋ねる。できれば答えを聞きたくない。どうせロクでもないことが返ってくるのだから――
「喜べ、悠斗! お前の力が役立つ機会がさっそく来たぞ!」
「えっ?」
「すぐに、こいつに着替えろ。もうすぐ試合が始まる!」
黒瀬がテーブルの上に置かれたものを悠斗へと広げて見せた。それは、白地にえんじ色のラインが入った、野球部のユニフォームだった。
「え…? これって――」
「ん? 見りゃわかるだろ! 野球部のユニフォームだよ」
「ユニフォームは、わかるんですけど…これがなんでここに?」
「だから、これがお前の今日の戦闘服だ!」
「え………」
悠斗の思考が完全に停止する。嫌な予感が的中した。やっぱり、ロクなことにならなかった。
「待ってください、部長。それって――」
「昨日話しただろう。レンタルだよ、レンタル。そのテストケースとして、今日の野球部の練習試合に、一打席だけ出てもらうことになった」
「え、ええーーっ!」
「ふふ、私の行動の速さに驚いたか? 褒めたたえてくれても構わんぞ」
どうだとばかりに胸を張る黒瀬だが、悠斗にしたら疫病神にしか見えない。
野球部?
練習試合?
テスト?
一打席だけ?
頭の中で、黒瀬の言葉がクルクル回る。
「……」
(悠斗、野球というのは、あれだな、ピッチャーが球を投げて、バッターがそれを打つやつ? マンガやアニメで見たぞ。青春の象徴だな。確か、甲子園、だったかの?)
「……」
(任せておけ、悠斗。俺様が、ヒーローにしてやる。えーっと、ホームラン? あれをきっちり打たせてやるぞ!)
「それは、困る!」
脳内でかってに盛り上がるヴァルに対し、思わず悠斗は声に出して叫んだ。
「ん? 何が困るんだ、悠斗?」
突然の叫びに、黒瀬が怪訝そうに訊き返す。
「あ、いえ、その…、いきなり野球の試合なんて…、困るなぁって……」
どうにか誤魔化す悠斗。それに対し、黒瀬が真っ直ぐ悠斗の目を見て、訴えかける。
「大丈夫だ、問題ない! 悠斗、お前ならやれる! 信じろ、自分を!!」
「え、えっと……」」
「私はお前を信じてるぞ。できる! お前を信じる私を信じるんだ! わかるな、悠斗!」
黒瀬が整った顔をぐっと近づけて来る。残念という接頭詞がつくものの誰もが認める美人に見つめられ、悠斗は思わずぼ~っとなった。そして、
「あ…、わかりました。やってみます」
そう了承していた。その答えを聞いた途端に、黒瀬の顔がにんまりと歪む。
「よし、じゃあ、すぐにユニホームに着替えろ。試合は九時半からだ」
「あ、はい」
悠斗はテーブルの上のユニフォームを手に取り、着替えようとした。そこで、自分をじっと見る黒瀬の視線に気が付く。
「あの…、見られてると着替え、出来ないんですけど」
「気にするな。私は一向に構わん」
「いや、僕の方は構うんですけど……」
そこで横の只野が立ち上がり、黒瀬の腕をとった。
「行くよ、那奈。大空は繊細なんだ、君とは違って。異性に見られて着替えなどできないよ」
「ん? そうか。そう言えば、入学式の着替えの時もそうだったな。私が着替えだすと、慌てて外に出ていったものな」
「な…、君は大空の前で、あのバニー姿に着替え始めたのか?」
「私は気にしないからな。敦史の前でもそうじゃないか、昔から」
「いや、それは…。とにかく、先にグラウンドに行こうか」
只野が強引に黒瀬を入口へと引きずって行く。
「大空、あまり気負わず、気軽にやってくれ。部のことは考えなくていいから」
外に出る間際に、只野は優しく悠斗に言い残す。黒瀬が即座に、
「いや、ダメだ。必ず結果を――」
と反論するが、言い終わらないうちに、廊下へと連れ出され、扉は閉じた。その向こうで、まだ何か叫んでいたが、その声も、段々と遠くなる。
(相変わらず、エネルギッシュな
「当然だよ。もし場外ホームランなんて打ったら、更に騒動が増しちゃうよ。だから、ここは何もしないで、ヴァルは」
(そうか、残念だな。いいチャンスだと思うのだがな、ヒーローになる)
「ヒーローとかなりたくないから。普通でいいの、ごく普通で……」
深いため息をついてから、悠斗は渋々野球部のユニフォームへと着替えだした。
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