3-3.ざわめきの中で

 体力テストの翌日、悠斗は、いつもと全く同じ時間に家を出た。

 いつものように、両隣の天城玲於奈あまぎ れおな田代麗たしろ うららが待っていたかのように合流する。


「お、おはよう、ゆうくん。あの、その、昨日はなんかすごかったみたいだね」

 麗が遠慮気味に聞いてくる。

「え、うん、えっと…、最近、体、鍛えてたから、その成果が出たのかな……」

 悠斗が口ごもりながら答えると、麗は、

「そうなんだ……」

 とだけ言って、そのまま黙った。恐らくそれが嘘であることはわかっていたのだろう。物心つく頃からの幼馴染だ。悠斗が今、その話題に触れて欲しくないことも、鋭く悟ったようだ。

 しかし、玲於奈の方は、

「あんた、あんなに運動神経よかったっけ? なんか、変じゃない」

 全く空気を読まなかった。

「え、うん、だから…、ちょっと特訓したんだよ。僕も男だからね。カッコいいところ見せたいもん」

 悠斗は知らないが、確かに特訓はしていた。昨日の常人離れした結果は、ヴァルによる深夜の戦闘訓練の成果が現れたせいもあるのだろう。

「特訓ね……」

 玲於奈は何やら訝し気な視線を悠斗に向ける。まるで奥に隠れるヴァルの存在を見透かすような感じだ。

「ま、昨日のは、たまたま調子が良かったせいもあるよ。――さ、もういいだろう、その話は。行こう、学校」

 悠斗は一人先を歩きだした。

「あ、待って、ゆうくん」

「待ちなさいよ、悠斗。もう少し聞かせなさい、昨日のこと」

 玲於奈は尚も体力テストの事を聞き出そうとしたが、悠斗は一切答えずに、足早に学校へと歩を進めた。


 そして、少しぎこちない感じで、そのまま三人でいつもの道を進んでいく。すると、途中で出会う他の生徒たちから、いつにない視線を向けられる。もちろん悠斗に向かってだ。学校が近づくとその視線も増え、ひそひそと話す声も耳に届いてくる。


「ほら、昨日の――」

「ああ、学校新記録――」

「すごかったらしいわよ」

「両手に花とは、けしからん」

「噂の超人は、あれか――」

「思ったより、普通だな……」


 などなど、皆、好き勝手なことを話している。まさに注目の的、というやつだ。

 悠斗にとってこんな事態は初めての経験だった。今までの彼は、その口癖のごとく、平凡で普通な人生を送ってきた。地味というより、周囲に溶け込むような、ごく普通、それが悠斗だった。しかし今、その「普通」という看板が、音を立てて崩れだしていた。


「……困ったな」


 思わず呟くが、こればかりはどうしようもない。

 悠斗の打ち出した数値、特にハンドボール投げと五十メートル走の記録は、彼を有名人にするのに十分すぎる数値だった。見ていた者たちによる少し盛った話が、より過大な噂話へとなって学校中に広がっていた。曰く、ハンドボールがロケットの様に飛んだ、だの、曰く、タイム測定できなかった始めの走りは誰の目にもとまらぬ速さだった、だの少々オーバーな(事実とそう変わらないかもしれないが)話などが口コミで広がり、悠斗はすっかり超人と化してしまっていたのだ。


 教室の扉を開けると、クラスメート全員の目が一斉に悠斗に向けられた。驚愕、好奇心、そして中には明らかに畏怖の色すら浮かんでいる。普段から気さくに話しかけてくる面々も、なんだか及び腰になっているように見えた。


「お、おはよう…」


 漂う空気を感じてぎこちなく挨拶し、悠斗はそそくさと自分の席へとついた。


「よう、昨日は凄かったな、悠斗」

 クラスの情報屋、山田がにやにやしながら話しかけてくる。何か目新しい話を引き出そうというのであろう。


「ああ、まあな。ちょっと体を鍛えていてな。その結果が出たようだ」

 麗に話した嘘を、今度はすらすらと話す。


「へぇ、そうなのか。一年の時とは別人のようじゃないか。どんな鍛え方したんだ?」

「別に、ごく普通にさ」

「普通ね…」

「いいだろう、そんなこと」

「でもな――」


 山田が更に何か訊こうとしたところで、ちょうどチャイムが鳴った。


「ほら、ホームルームが始まるぞ。自分の席に着けよ」

「あ、ああ……」


 そこで山田も諦めて悠斗から離れていった。そこで、前の席の麗が、心配そうな視線を送ってくる。


「……大丈夫、ゆうくん?」

「ああ、何でもないよ、麗ちゃん。こんな騒ぎ、すぐに収まるよ」

「そう、だね……」


 その時、担任の川口が教室に入ってきたので、麗は正面に向き直り、会話は終わる。そんな二人の様子を、玲於奈は隣の席からじいっと見つめていたが、その瞳には相変わらず疑問の色が浮かんでいた。

 二年になってからの悠斗の変化に、何かがある――そう勘ぐっている感じだ。


「休みのやつはいないな?」


 川口が出欠の確認をする中も、玲於奈はちらちらと悠斗の様子を探っている。それに、ヴァルがいち早く気づいた。


(悠斗、お隣さんが、何やらこちらを気にしているぞ)

「えっ……」


 そこで悠斗は玲於奈へと顔を向け、もろに視線が合う。すると、あっ、といった感じで玲於奈が顔をそらした。


「……何か言いたいことがあるの?」


 小声で話しかける悠斗。


「別に……。ただ、最近のあんた、なんか変だなって、そう思っているだけよ」


 玲於奈が小声で返す。顔は背けたままだ。


「そう……」


 どう答えれば納得するのかわからず、悠斗は言葉に詰まった。


「……気にしないで。ちょっと思っただけだから」


 玲於奈が返したところで、朝の短いホームルームは終わり、一時間目の理科の為に、みな理科室へと移動を始めた。悠斗たちも準備をして席を立つ。そのまま、会話を再開せずに、なんとももやもやした雰囲気の中、理科室へと向かった。


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