2-19.ごく普通の高校生活

 週末が明け、月曜日の朝がやってきた。忌まわしい戦いから二日が経ち、悠斗の心にはようやく平穏が戻りつつあった。今朝は寝坊することもなく、いつもの時間に家を出て、玲於奈と麗と共に学校へと向かう。三人で並んで歩く、見慣れた通学路。


 例のマンションの前を通りかかった時、悠斗は無意識のうちに五階のベランダを見上げていた。もちろん、プランターが落ちてくる気配など微塵もない。青く澄んだ空が広がり、小鳥のさえずりが聞こえる、穏やかな朝の風景。先週、始業式からの一週間の出来事が、まるで悪夢だったかのように思えてくる。


「おはよう!」


 教室に入ると、クラスメイトたちが元気に挨拶を交わしていた。週末の話題で盛り上がるグループ、早速授業の準備を始めている真面目な生徒。悠斗の望む“日常”がそこにはあった。悠斗も笑顔で挨拶を返し、自分の席に着く。


 やがて始業のチャイムが鳴り響き、教室が静かになる。がらりとドアが開き、入ってきたのは担任の川口一郎だった。その姿を見た瞬間、クラスの数人が小さく息を呑んだが、それは彼のイケメンぶりに対してだろう。


「……」


 悠斗は無言でその姿を目で追った。


 あの戦いの後、悠斗とヴァルは、川口を殺さなかった。それどころか戦いと麻薬の副作用でボロボロの肉体も修復してやった。その代わり、彼の体内にヴァルの体組織の一部を埋め込み、ある『契約』を施した。現在のヴァルの力では、ムジナール人である川口をベジターのように完全に支配することはできない。しかし、もし悠斗やヴァルを裏切るような行動をとれば、あるいは銀河シンジケートに情報を流そうとすれば、即座に心臓と脳が内部から破壊されるように仕掛けたのだ。いわば、生殺与奪の権を握った上での、不安定な協力関係。


 そして彼からこれまでの経緯と現状を聞きだした。

 何故、川口がヴァルが悠斗に寄生していると気づいたのか――それは、あの晩、ヴァルが地球へと落ちてきた晩、追ってきた銀河シンジケートの戦闘機械キラーマシーンの信号を探知し、川口もあの場所に来たのだ。しかし、到着した時には全てが終わっており、何もなかった。が、その場から立ち去る悠斗の姿を目撃し、その後をつけたのだった。

 そして、悠斗の家を知り、更に調査して都立瑞穂高校の生徒であることなどがわかると、早速校内に潜入すべく工作し、新任教師として学校に潜り込んだのだった。


 銀河シンジケートの本部から、ヴァルヴァディオの手配情報は辺境の星の駐在員である川口の耳にも入っていたので、もしかしたら、の思いで悠斗の調査を始めた。そして、色々仕掛けていくうちに、ヴァルが寄生している事を確信、しかし、本部には連絡せず、手柄を独り占めにしようと一人で仕掛けたが――惨敗に終わった、というわけだ。


 この川口の言葉を信じれば、ヴァルが悠斗に寄生していることを、銀河シンジケートの本部は知らないはず。しかし、追ってきた戦闘機械キラーマシーンのこともあり、いずれこの辺りにヴァルが潜入していることを知られるかもしれない。そこでヴァルは川口を味方につけ、偽情報を流すことした。更に、目が届きやすいようにそのまま担任教師を続けさせることにしたのだった。


 教壇に立った川口は、一瞬だけ、悠斗の方に視線を向けた。それは他の生徒には分からない、ほんの僅かなアイコンタクト。悠斗も小さく頷き返す。それで全ては通じたようだった。川口はすぐに視線を前に戻し、いつもの爽やかな笑顔で口を開いた。


「おはよう諸君。週末はしっかり休めたかな? 今日からまた一週間、頑張っていこう」


 連絡事項を伝え、軽くジョークを交えながらホームルームを進める川口。その姿は、完全に「善良で有能な教師」そのものだった。あの夜の恐ろしいモンスターの姿も、銀河シンジケートのスパイという裏の顔も、今は欠片も見られない。


(とりあえずは、俺様の言いつけ通り動いている様だな、川口は)

 悠斗の中でヴァルが満足げに言う。

(そうだね。こうしていると、あの夜の戦いが嘘のようだね……)

 悠斗が声に出さずにヴァルに応える。

(しかし、油断はするなよ。敵は銀河シンジケートだけじゃない)

(え、どういう事?)

(銀河連邦もゴラオン帝国も、俺様を追っている。なにせ、有名人だからな、俺様は!)

(そんな…。これでやっと、望んでいた普通の高校生活が送れるようになると思ったのに……)

(ふっ、大丈夫だ。俺様も普通の高校生活、青春とやらを楽しみたいからな。任せろ、守ってやる)

(うん……)


「はぁ~……」


 悠斗は小さくため息をつき、窓から外を見た。

 青い空、白い雲、萌黄色の植物たち……

 世界はいたって穏やかで平和だ。そう感じる。

 でも、どうやら自分を襲う危機はまだ去っていないようだ。それでも今は、戻ってきた平穏な日々を楽しもうかな、と悠斗は思い、口元を緩めた。


 そんな悠斗の様子を、じっと見つめる人物がいた。悠斗のすぐ隣の席の玲於奈だ。悠斗は気づいていなかったが、何やら意味ありげな視線で、その挙動を観察していた。


「……悠斗、あなたに何が起こっているの?}


 玲於奈はそう小さく呟いたが、その声は悠斗にもヴァルにも届いてはいなかった……




第二章 完

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