第9章「クラウンパントと古いカメラ」

――“思い出”は、丸くて、どこか平らなかたち


 


放課後の写真部室は、いつも少し暗い。

カーテンは閉めきられ、白い壁には黒く塗った暗室用のテープが貼られ、天井には乾きかけた印画紙が吊るされている。

あの部屋だけ、時間が静止しているように見えるのは、いつも誰かが「過去」を現像しているからかもしれない。


小野寺 朔(おのでら さく)。

高校2年の写真部員。カメラを手にすると、誰より饒舌になる無口な少年。

背は高く、動きは静か、言葉少な。でも、シャッターを切るときの指は迷いがない。


彼がかけているのは、クラウンパント型のメガネだった。


上部がまっすぐ、下部がなだらかに丸く広がる――

一見、ボストン型に似ているが、上辺の“クラウン(王冠)”のようなラインが特徴的な、レトロなフレーム。


その形を見た瞬間、僕――**透(とおる)**は思った。


「この人は、“記録すること”で感情を整理している」


クラウンパントは、1920〜30年代のフランスで生まれた伝統的なフレーム。

アンティークな雰囲気、知性と柔らかさの同居――“時を閉じ込めるための窓”のような眼鏡。


 


「……この形、好きなんだ」


朔がそう言ったのは、ある日、彼が光映堂にやってきたときのこと。

クラウンパントのフレームに、微かなヒビが入っていた。


「祖父のカメラに似てる気がして。

 上は直線だけど、下は丸い。なんか、“人に似てる”と思って」


「人に?」


「うん。……いつもはまっすぐで硬いけど、下の方は丸くて、崩れやすい」


 


彼の祖父は、昔、戦後の日本をモノクロ写真で記録していたアマチュアカメラマンだったという。

朔は、その形見のライカを今も使っている。

重くて古くて、いちいちピント合わせが面倒な、でも世界でたった一枚しか撮れないようなカメラ。


「このフレームも、“撮るときの自分”と似てる。

 いまの自分は、たぶん……“写す人”の顔なんだと思う」


 


ある日、文化祭のポスターに使う写真を撮ってくれと頼まれた朔は、

図書室で本を読む少女を静かにファインダー越しに見つめていた。


それは――かつての章で登場した、丸眼鏡の文芸部員・雪乃だった。

彼女がページをめくる指、髪をかき上げるしぐさ。

その一瞬を切り取るとき、朔の目はほんの少し揺れていた。


だが、彼は声をかけなかった。

彼のカメラは“語らない記憶”だけを写していた。


 


数日後、朔がまた光映堂に来た。

このとき、彼は別のメガネを手にしていた。

クラウンパントの中でも、素材がセルからメタルに変わった、より“軽やかな”タイプ。


「……ちょっとだけ、違う視点で撮ってみたくなって」

「変えたい?」


「ううん。変わりたいってほどじゃない。

 でも、今よりもうちょっとだけ、“写り込んでもいい気がして”」


 


クラウンパント型は、ただの懐古趣味じゃない。

それは――**過去と今を、自分の中で共存させるための“器”**なのだ。


 


文化祭当日。

校舎の一角に飾られた写真展には、朔の写真が5点並んでいた。

そのうちの1枚。夕暮れの校舎で、逆光のなか本を読む少女のシルエット。


そこには、小さな反射が写っていた。

彼自身のメガネの、ほんのわずかな“レンズ越しの景色”。


「写り込んでたね」


僕がそう言うと、彼は少しだけ笑った。


「うん。……でも、それでいいかなって思ったんだ。

 記録する人にも、ちゃんと、誰かに見られる時間があっても」


 


クラウンパント。

それは、時間と心を、きちんと形に収めようとする人のフレーム。

まっすぐとやさしさの間で、バランスをとりながら、

誰かの記憶に、そっと残るためのかたち。


 


(→第10章「ハーフリムの約束」へ続く)


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