第3話 予期せぬ出会い


特別高等警察、略して「特高とっこう」。

現在は「公安特別警察」と改称されているが、戦前からの「特高“とっこう”」の呼び名が一般に定着している。


戦前は主に共産主義や社会主義を取り締まっていたが、現在では持てる総力すべてを“国体の維持”のために使っている。

軍の存在、あるいはその権威を否認するジャーナリストや思想家や組織を、徹底的に弾圧するために存在しているのだ。


強制収容施設。


噂には聞いている。

どこかにある真実として、都市伝説として。

政治犯や思想犯を強制的に監禁し、思想の矯正を行う場所。


入ったら最後、家族にすら居場所は知らされない。


密かに拷問も行われているらしい。

もちろん軍は全力で否定するが。

施設でそのような事が行われた記録はなく、偶さか亡くなった収容者はそのすべての原因が病気だったと。

異議を唱えても解剖に応じてくれる病院はない。


恐怖の施設は、今日も滞りなく運営されているのだろう。



夜の船便で島を出発する事、一夜。

広央は軍が支配する本土へと降り立った。

偽の国民基本番号コッキカードをポケットに入れて。



電車の車両は使い古され、くたびれて見えた。

中吊り広告、窓ガラスのステッカー、車内ポスター。

いたるところに騒々しいくらいの情報と、いかがわしい広告が氾濫している。

広央は見ないようにしたが、どぎつい色彩と騒々しい煽り文句が嫌でも目に入ってしまう。


(α《アルファ》とのマッチングアプリ)(α《アルファ》と結婚したいβ《べータ》女子!)


これぐらいならまだ無視できた。

だがどうしても広央にとって無視できない最も嫌な広告がある。

車内ポスターの横一面に広がった、オメガの女性のきわどい下着姿。


(発情期のΩ《オメガ》と〇〇〇する方法)


写真の女性は色素の抜けた白い肌をしていて、その肌に同じく白い、長い髪を張りつかせている。


連想で、どうしてもイサの事を思い出してしまう。

首筋に貼った大きな絆創膏を無意識に掻く。

疼くようなかゆみを感じる、次第にがりがりと強くむしるように掻く。

絆創膏の下にうっすらと血がにじみ出てくる。


『死ね!』


広央の頭の中に、叫び声が響いた。

指に力が一層入り、それ以上やると皮膚を掻き破ってしまうだろうという時。

視界の隅に迷彩柄が映った。


はっとして、掻く手を止めた。


窓から駅のホームを見ると軍服姿の男たちがちらほらと見える。


(テロがあったから警備を厳重にしているのか?)


数日前、首都で軍施設への爆発騒ぎが数件あり、テロだと断定された。

治安の維持は軍最大の責務であり、通常は己の不備を露呈するような報道は控えめだ。

だが“善良な市民を脅かす不届きなテロリスト共は断罪せねば”、という世論を醸成したい為か、今回の件は比較的大きく報道されている。

ドアの上のデジタルサイネージで、先ほどから繰り返しこのニュースが流され若い女性アナウンサーが情報の提供を呼び掛けている。


巨大なプロパガンダ・ボックスと化している電車を降り、広央は指定された場所へと急いだ。



父から指示された人物と会うため、先方が指定したカフェ。

着信音が鳴り、スマホを見ると和希からのショートメッセージ。


『イサは落ち着き、家事の手伝いすらしているよ。なんと言っても気の置けないオメガ同士だから。非常にリラックスして伸び伸びと明るく爽やかに過ごしているから心配しないで』


「イサが家事を…」

その様子を想像し、広央は密かに涙ぐんでいた。


その頃。

和希は腕組みをしながら逐一行動を見張る。

「イサ、俺はヒロ兄みたいに甘くないからな!みっちりと働いてもらう!四角い部屋を丸く掃くな!雑巾は両手で持って縦に絞る!」


カズちゃん、怖い…」

和希の迫力に気おされ、渋々ながら労働という大嫌いな行為に励むしかないイサだった。


以上のやり取りを広央が知る由もなかったが。



まだ真夏ではないのに、首都は早くも初夏の陽気だった。

アスファルトから立ち上る地熱と、空からの照り付けで暑さから逃れる場所が無い。

神之島は海からの汐風が常に吹いているので、真夏のさなかでもどこかカラっとした涼しさがある。

島育ちの広央にとっては拷問みたいな天気だった。


先方が指定した場所は、公園の中に設けられたカフェ。

木陰の涼し気なテラス席だった。

カフェは小洒落た雰囲気で、それが人気なのか女性客で席が占められている。


広央は腕時計を見た。

先方の情報は父から全く聞かされていなかった。

軍の、それも秘匿されている施設に潜入するのだ。

いかにも屈強なガタイのいい男が来るのか。

それとも一見堅気のように見えて、目付きの鋭い曲者のような男が来るのか。


そんな男を予想しながら待っていたが、一向に先方は現れない。

時間はとうに過ぎている、なにかアクシデントがあったのか…


ふと、背中に感触が。

固いものが押し付けられた。

感覚で分かる、鉄の筒状のもの。

銃だ。


周りのテーブルの女性客は誰も気づかない。

皆おしゃべりに夢中だ。


広央はゆっくりと両腕を上げる。

順従なフリをして油断させ、肘打ちを当てるつもりだった。



「簡単に背中を取られてるなんて、間抜けね」



それは屈強な男のゴツいダミ声、という想像からはかけ離れていた。


澄んだ女の子の声だった。


無防備を承知で振り向いたそこには、腰あたりまで伸ばした長い髪、ピンク色のふわっとしたキャミソールワンピースを着た女の子が立っていた。

可憐な人形のような顔立ち。

年齢は15、6だろうか。

左手にはレースの縁取りのある日傘。

右手に銃。


女の子は銃を突きつけたまま、尊大な態度と軽蔑を含んだ眼差しで広央を射るように見る。


彼女は日傘を閉じ、広央の目の前の椅子にするりと座った。

「ネモフィラが咲いている、今が絶好の機会チャンスよ」


何のことだか分からず、広央はテーブルの上に無造作に置かれたゴツい銃を見る。


「安心して、本物よ」

彼女は事も無げに言うと、優雅に紅茶をオーダーした。


「君が…父さんが会えと言ってた人物!?だとしたら期待外れだったな!少なくとも最低限の明晰さはある人物だと思ってたけどね!」


彼女は何も言わぬまま、カップに口をつける。


「大体間抜けなのは君の方だよ!周りの客が銃に気付いて通報する、そしたら数分もしないうちに軍服が駆けつける。そしたら俺たちは一巻のおわりだ!!」


焦る広央の言葉を完璧に無視して、彼女はスプーンでカップのふちを叩いた。


カンカンカンカンカン


その音を合図に、カフェに十数組はいたであろう女性客(中にはベビーカーを押している人さえいる)が一切に立ち上がった。

そして皆無言で列をなし、店の外へと流れていく。


後には彼女と、呆気にとられた広央だけが取り残された。


「そんな間抜けな事はしないわ。それに軍服はこないわ、起こる爆破事件の対応に忙しくなるもの」


彼女の目に嘘が全く混じっていない事を直感した広央は、電車内の連続爆破事件のニュースを即座に思い出した。

「君は…テロリストなのか?」


質問に対する答えは、言葉ではなく日傘をフルスイングしての殴打だった。


「失礼ね、二度と言わないでちょうだい。抵抗するレジスタンスよ」


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