第16話「容疑者、品留豆流」

 *


「普通のご家庭、だったと思いますよ?」


 思っていたよりも軽快な語り口で、品留豆流さんはそう語った。


 事件現場から駅の反対側に行った所にあるアパートが、品留さんの家であった。


「至極普通の、どこにでもあるご家庭だったと記憶しています。私、他にもいくつかのお家にお邪魔して、シッターであったり、お手伝いを経験したことがあるんですけれど、それとも遜色そんしょくなく、という感じでした。確かにシングルマザーとして大変な一面もあるのでということで承ったお仕事でしたけれど、立派にお母さんをされていました。あ、今のご時世は、こういう表現はあまりよろしくないのでしょうか。すみません」


「立派に、ですか」


 今までの供述とは妙に食い違う。特に2人目――苅生千秋さんとは真逆のことを言っていた。駄目な娘、酷い娘と散々けなしていた彼女を、思い出した。


「ええ。だから、落下して亡くなったと聞いた時は、事故だと思いました」


 事故――ああ、そうだ。


 失念していた。


 その可能性をどこかで排除していた自分がいた。


 しかし事故か……誤って転落した可能性――? いや、ベランダの鍵が閉まっていたという状況がある限り、それは排除されてしかるべきだ。この密室性を解消しなければ、次には進めない。


「……警察の方がこんな風に捜査されるということは、事故ではなかった、ということでしょうか」


「ええ、万が一、ということもあるので」


「成程です」


 そう言って品留さんは、溜飲を下げた。


「品留さんは当日、訪れているのですよね」


「はい、いつも通り、おうちのお手伝いと始くんのお守りをしていました」


「その日の、咲穂さんの様子はどうでしたか」


「さあ、特にこれといって変わったことはなく……普通に私にも接していた、と思います」


 記憶の糸を探るように、品留さんは言った。


「あ、珍しいといえば」


 と、思い出したように彼女は続けた。


「日曜日に訪問することは、珍しかったです。大概苅生家に訪問する際には平日、咲穂さんがパートでいらっしゃらない時でしたから。でも、その日は、咲穂さんと一緒に家事をしていました。午前中で仕事は切り上げて」


 事件当日は日曜日だった。


 そうだ、そこに何か糸口があるか?


 平日はパートで、土日は家にいる、というのが、被害者の生活習慣だったはずだ。

 手は足りているはずだけれど。


「なぜ日曜日に訪問があったのだと思いますか」


「以前、咲穂さんが家事の最中に忙しく、思い詰めてしまったことがあるのだそうで。詳しくは分かりませんが、誰か手伝う人が欲しいと言われて、行きました。まあ結局いつもの家事のお手伝いをして、咲穂さんも一緒だったので午前中で終わってしまいましたけれど」


「成程」


 忙しくて思い詰めたことがある、か。


 それは字面で見る程に優しいものではないのかもしれない。


 ただでさえ、言葉の通じない幼児だ。排泄、食事も一緒に行わなければならない。四六時中一緒にいて、精神に不調をきたしても不思議ではない。以前、産後うつになり、理解の無い夫を撲殺した事件を担当したことがあった。彼女の両親も旧体制的な考え方であり、行き場を失った感情が爆発した結果、夫を殴り殺すという結末になったという、後味の悪い事件である。


 苅生咲穂にも、理解者はいたのだろうか。


 ふと、そう思ってしまう。


 いなかったのだろうな、きっと。


「その直後ですよね――咲穂さんが亡くなったのって」


「ええ、そうです」


「もし私が、もう少し長い時間あの家にいれば、防ぐことができたかもしれなかった、ですね」


「…………品留さん、それは」


「ええ、分かっています。分かっていますとも。そんなことを考えても仕方のないことくらい。でも、あんなに頑張って生きていた咲穂さんがあっさりと亡くなってしまうなんて、なんだか信じられなくて」


 頑張って生きていた。


 育児――か。


 それらを諦めた私には何も言えないけれど、一日中、言葉の通じない未熟な人間と共に同じ空間にいるのは、かなりの苦痛を要する。


 たとえそれが、親として当然の行為だとしても、だ。


 赤子なんて特にそうだ。


 赤子の手をひねるより簡単――などという言葉もあるくらいだから、壊れやすくて、とてもはかない。


「シッターやお手伝いを日曜もされているとは、なかなかどうして、品留さん、多忙でいらっしゃる。少し踏み込んだ話になりますけれど、ご結婚されていますか」


「いいえ、独身です。それに私は、病気で子供を作れないので」


「そうですか」


 見事に地雷を踏んだ――と思ったけれど、当の本人は特に気にしていない様子だった。しくったな。こういうのは、女性の私が気を利かせて、男性の有珠来警部を窘めるとかそういう場面だろうに。


 病気か。


 婦人科系の病気か、いくつか想像は付くが、その辺りで思考を切り替えておいた。下手な同情は、時に侮蔑より、目の前の人を傷つけるのだ。


 しかしどうして彼女が自分から、それを話したのかは気になる所ではある。


 子供に関してまでは私達からは聞いていない。


 品留さん自身が敢えて話したことだ。


 令和の今の世だ、結婚していない独身男女に対する目――世間の見解は、しょう平成へいせいと比べて大分だいぶ落ち着いたと言って良い。ただ、今現在、祖父母に位置している世代あたりまでは、そうした固定観念を捨てきれずにいる。


 この人も、そういう上からの洗礼みたいなものを、浴び続けてきたのかもしれない。ただ、それを言う品留さんの声色も、顔色も、平素そのものだった。


 もう吹っ切れている感じか。


 良かった――良くはないけれど。


「そうでしたか。どうしてシッターをしようと思ったんですか」


「元々子供が好きで、子供と接する機会が欲しかったからです。保育士の免許も持っているのですが、病気で身を持ち崩した時に止めてしまって――あ、元は保育園で働いていました」


「成程。苅生家の子供たち2人はどうですか? その、様子は」


「そうですね。始くんの方は、あまりクズることのない、大人しい子ですね。寝るときもすぐ寝てしまいますし、あ、でも咲穂さん、夜にしばしクズると言っていました。秋音ちゃんは――何というか、しっかりした子、と言った印象ですね。将来子役でも目指しているのか、というくらいにしっかりしていて、お母さんの教育の賜物たまものなのだな、と、常々感じています」


「へえ、そうなんですね」


 教育の賜物、ねえ。


 血の繋がらない赤の他人にはそう見えるのか。


 秋音ちゃん、余程巧妙に、その犯罪性質を隠匿されているのだな。


 隠匿するということは、悪いことをしているという自覚があるということ。それを正しいと思うのなら、わざわざ隠す必要が無い――その辺りの意図は、まだ見えない。


 一体苅生咲穂は自分の子供を、したかったのか。


「ありがとうございました」


「いえいえ、とんでもない。何かのお役に立てれば」


 こうして、容疑者4人の事情聴取が、あっさりと終わった。




(続)

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