第8話「幕間①」

 *

 

 笹坂家で事情聴取を終えて、少しベランダを覗いた後で、私と警部はその場を後にした。


 そして、ひとのない公園のベンチに座って――私達は話した。


「どうだった、1人目は」


「感触としては、犯人とは言えないんじゃないですかね」


「そうか、随分あっさりだな」


「ベランダ経由で隣の家まで行ったって可能性も考えたんですけれどね。蹴破られた形跡はないし、その辺りは警察の方も指紋等調べているでしょうし、しんばその手法を取ったとしても、通りに面するこのマンションではやや危険が過ぎますしね。そういう痕跡は、残っていなかったんですよね」


「ああ。そこも調査済みだ。確かに、何者かが移動した形跡は無かった」


「室外機とかああいう所って埃とか残りますもんね。ベランダ伝いで移動説は無し――となると、彼女が嘘の供述をしていて、事件当日に家に入って突き落としたって可能性ですが――それは無さそうですか?」


「ああ。家に入って来た形跡はない」


「どうしてそう断言できるんです」


「廊下の監視カメラだ」


「…………」


 あったのかよ。


「監視カメラには、直前に苅生家に人が出入りした様子は見られなかった」


「それはもうちょっと早く聞きたかったですね……。え? となると、誰も出入りしていない状況で、今回の事件が起こったということですか」


「そうだ」


 かたくなに事件という姿勢は貫くのだな。


 まあ、それが警察の意向なら、探偵の私はそれに従うまでである。


 信条以外は。


「となると、事件当日、ベランダは開放的でいて、かつ密室状況だったということになるんですね」


 事件らしくなってきた。


 心は躍らない。


「さっき、笹坂さん宅のベランダの鍵を見てみたんですけれど、外側から開けられるタイプのものでは無さそうですね」


「そうだなあ。窓にも細工した形跡はなかったし、鍵の螺子ねじも緩んでいたわけではない」


「……じゃあ、上や下から侵入したというのは」


「残念ながら、上下の物件は、今は空いている、誰も住んでいないのだそうだ。鍵は管理会社が保管している」


 しかも苅生家は角部屋である――侵入するなら笹坂さん宅しかない。


 だからこそ、容疑者候補として笹坂餡子が選ばれたのだろう。


 もうちょっと早く言ってよ――と言いたいのを少し堪えた。


「しかしよく分かったな。笹坂家の家庭内不和に」


「……まあ」 


 素直に喜べない賞賛だった。


 まあ、探偵としての勘、というか、5年間の経験、というか。そういう不和とか歪みみたいなものには、多少は鋭敏になっているのかもしれなかった。


「あの後少しだけ愚痴を聞きましたけれど、レスみたいですよ。旦那さんが多忙で奥さんの相手ができないという」


「レス?」


 説明するのも面倒だな。


 直接的に言ってしまおうか。


「セックスレスです」


「ああ、子作りか」


 言い方よ。


 そう理解するとは、やはり有珠来警部とはジェネレーションギャップがあるのだなあ、と思ってしまう。


「まあ、その辺りも推察できますよね。『一人っ子は寂しいよ』とかいう謎の風潮があるようですし、隣のワンオペシングルマザーは、二人姉弟でやりくりしている訳ですから、その劣等感を刺激されて、セックスを要求したって、おかしくはないです」


「……まるで、子供を――劣等感を埋めるための道具のように扱うのだな。それじゃただのエゴじゃないか」


「いつだって、子供を産むことは、エゴですよ」


 でも――産んだ後に、愛することで、そのエゴを埋めるんです。


 私は常に、そう付け加えることにしている。


 既に妊娠を諦めた私としては、そう言うしかない。妊娠、出産。生物という括りの中では小さな摂理の一つではあれど、一女性となるとそうもいかない。


 身にもう一つの命を宿すのだ。


 その重さは、計り知れない。


「話を戻しますけれど、だからといって笹坂さん容疑者説は、動機と犯行手段という二つの点から、否定することができると思います」


「そうだな。うん、君の言う通りだと思う」


 ただ、状況は逆に悪くなったとも言える。


 ベランダという開放的な密室。


 そこで殺しを行う手段が、果たしてあるのか。その謎は、未だ解けていない。まあ、極論、謎はどうでも良い――私達の目的は、犯人を特定するだけの証拠を炙り出すことなのだ。


「容疑者候補は、後3人ですよね? 前日に部屋に入った、苅生千秋――容疑者の母。一週間前に家に来訪した、寄橋紗煌――容疑者の同級生、そして、当日に部屋に入った、品留豆流――ベビーシッター兼お手伝い。その中で警察が疑っているのは苅生千秋さんなんですよね」


「疑っているというより、俺が個人的にそう思っている、というのに近いな」


 流石は探偵警部と呼ばれるだけある。


 理由を問うた。


「家庭内の話だ。色々とあるのだろう? 前夫とも教育方針の齟齬で離婚している。そんな娘に対して、母はどう思っていたのか。答えは、恥だ。警察での事情聴取でも、そう言っていた。出来の悪い娘だと。そんな世間体の悪い娘の存在に耐えきることができずに、殺害した――という線だ」


「……成程。そういう見方ですか」


 一見悪くはないが、どうだろう。


 被害者の親――祖母ということは、孫という存在が引っ掛かって来る。


 果たして、孫のこれからを考えることなく、犯行を実行に移すだろうか。


 娘を殺したことはいずれ露呈する。


 日本の警察の検挙率くらい、計算には入れているだろう。


「口論になったとか、そういう形跡はないんですか」


「ないな」


「でも、毎回諭しに行っていたんですよね? 母が幾度となく来訪していて、何か喧噪が起きないとも限らないでしょう」


「いや、本人曰く、諭すというより、ただ単に言うだけなのだそうだ」


「言う、とは」


「何度も家に来訪して、最初こそ教育方針の話になる。ただ途中から、母親の一方的な話になるそうだ。一方的というか、糾弾とも違う、何と言えばいいかな……」


 どうも奥歯にものが挟まったような言い草である。


「その辺りは、本人から聞いてみるのが良いだろう」


 そう言って、警部は立ち上がった。


「聞けるんですか?」


「ああ――流石に今日は無理だろうが、明日か明後日にでも、アポイントを取ってみるよ」


「ありがとうございます」


 私もそれに続いた。




(続)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る