第6話「被害者、苅生咲穂④」

 *


 ふと私は気付いた。


「何だか事件とは、話が逸れてきましたね」


「ああ――そうだな。事件の話に戻そう」


「ベランダ付近の情報が欲しいです」


「ちなみに、ベランダの鍵には、指紋は検出されなかったよ。あったのは三歳の娘のものと、被害者のものだけだ。前述の4人の指紋は検出されなかった」


「……じゃあ、犯人の中で最後に部屋を訪れた、ベビーシッターの品留豆流さんが怪しい、と考えるのが自然ですね」


「そうだな、それが自然な思考だ」


 烏龍ウーロン茶を飲みながら、有珠来警部は同意した。


 酒豪そうな見た目をしているが、彼は下戸である。


「どうなんです。品留さんは」


「いや、警察はどちらかというと――前日に部屋に来訪した被害者の母親、苅生千秋さん――つまり、身内による犯行が濃厚だと見ている」


「ほう、身内による犯行ですか」


 一応、復唱した。


 特に意味はない。


「その根拠を教えていただけることはできますか?」


「被害者の歪曲した教育方針を知っていた者は――この中で苅生千秋さんだけだったからだ」


「……!」


 これもまた、少し驚いた。


 そういう親として異常な行動は、周囲から見て際立つのだ。特にママ友の井戸端会議的人間関係コミュニティの中では、露呈しやすい。


「そこまでの異常こと教育しているのだったら、ご近所で有名になってもおかしくはないのではないですか?」


「それはまあ、被害者の世間体を取りつくろうのが上手かったから、なのだろうな。隣近所の方々にあらかた話を聞いたけれど、行儀の良い、良い家族。シングルでも頑張っている、という印象であったそうだ」


 独身シングルでも頑張っている、ね。


 そういう固定観念がなくならない限りは、この世は平和にはならないだろう。そして生きづらい奴もいなくならない。負の連鎖である。


 ただ――この場合はその限りではないのかもしれない。


「母親は知っていて見過ごしていたんですか?」


「事なかれ主義の母親なのだそうだ。本人も極力他人には吹聴しないようにし、度々被害者の家を訪問していたらしい」


「訪問して、何をしていたんですか?」


「本人は説得と言っているが、被害者の親だからな。身内の証言はあてにならん」


 ばっさりと、有珠来警部は切り捨てた。


「それに――子供に犯罪を助長させる親の、そのまた親なら、まあ大概まともな神経はいなさそうですね、偏見ですけれど」


「いや、正しいよ。実際その通りだ」


 あきれたように、警部は言った。


 その呆れが、恐らく事情聴取の結果、なのだろう。


 大方「自分の娘は正常だ」とか「あの子は正しかった」だの、何だのまくし立てたんだろう。


 こんなことを臆面もなく言うと、各種教育機関やパパママ連合軍から糾弾されることを平気で言わせてもらえば、異常者の親も、大概異常者であることが多いのだ。


 そして異常者そういうやつに限って、自分の教育は間違っていないと考えているのだから、救いようがないのだ。


 そりゃ生きづらくもなるという話である。


「ちなみに、一応事情聴取では、説得を試みていた――と言っていたよ」


「説得って、何のです」


「教育方針の、だよ。一応母親から見たら、自分の娘の所業は失敗に見えたらしいからな。『それは間違っている』と、何度指摘しても駄目なのだそうだ」


「…………」 


 まあ、一応良識のある親、なのか? 


 それとも、自分の教育が失敗したと自覚しながら放置したタイプか。


 色々と想像が巡って、肉野菜を消化中の胃が痛くなる。


 説得とか、もうそういう次元の問題ではないのではないか。


 即刻児童相談所に駆け込む案件である。


「警察としては――どういう動きを?」


「2人の子供は一時預かりをして、遠い親戚の家に預かってもらっている。いつまでも署内にいる訳にはいかないからな」


「で」


「で――そこで案の定捜査が停滞している、という塩梅だ。探偵の手を借りたい」


「成程」


 この推理の結末にあまり良いものは期待できないだろう。


 何となく、探偵的な勘でもって、私は思った。


 真実なんて、真相なんて、案外そんなものだ。


 人が人を殺しているのだ――今回は可能性だけれど――それを暴くということは、犯人の人生を終わらせるということに等しい。逮捕されれば、前科が付く。もう間違いなく、生きている限りは、自由だとはいえない人生を強いられることになる。


 だから――


 いや、ここから先の思考は、少し違うな。


 そういう雑念あれこれを振り切って、私は烏龍茶を一杯飲んで、口の中の肉の油を浄化した。


「――分かりました、やってみます」


 私には、往年の探偵達のような口上はない。


 私の名前は、鹿海うなず


 どこにでもいる、探偵である。




(続)

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