第5話「被害者、苅生咲穂③」
*
「そう、そこなんだ。虐待と判断して良いものかどうか、判断に困る所があるのだよ。何というか、歯痒いけれどね。例えば、そうだな。これは比喩ではなく実際に近所の方が目撃していることだが、彼女が子供と、歩行者信号を待っていた」
「ほう」
妙に具体的だと思ったが、ご近所さん、虐待を目撃しているのか。
それは、その時に然るべき機関に相談するのが良いのでは――と思わなくもなかったけれど、その後の言葉を聞いて、私は久しぶりに後悔することになった。
「信号は赤だが、交通量もほどんどなく、車は来ない。その時、彼女はこう言うのだそうだ。
『信号は赤だけれど、急いでいる時は、車が来ていなければ渡って良いよ』と」
「………」
それは。
「これだけに留まらない。例えば手に紙屑を持っていたとすると、当たり前のようにこう言うのだそうだ。『誰も人が見ていなければ、道路に捨てて良いよ』と」
私は、何も返答できなかった。
「またスーパーではこんな風に教育しているらしい。『誰からも見つからないという確信があるのなら、物を盗んでも良いよ』。『スーパーの袋やスプーン、割り箸は多めに持って帰りなさい』まあ要するに、『悪事の許容』を、教育上で行っているということだな」
「悪事――って言っても、信号無視、ポイ捨て、窃盗と、小さなものではありますが……」
スーパーで袋を必要以上に持っていこうとする主婦なんて、日常茶飯事ではある。
「そう、小さなものではあるが、立派な犯罪だ。君の論理に立っても、恐らくそうなるだろう。彼女の、教育上良くない所というのは、知る人ぞ知る所だったようだ」
「……模範意識に欠ける人間が親になると、こういうことになる――ってことでしょうか」
「ん? どういうことだ」
「いえ、つまり、被害者の苅生秋穂さんは、その辺りを普段から適当にしていて――だからこそ子供がそれを真似している、ということなのかな、と」
そうなら、まだどこかで得心がいく。
親は親、子は子とは言い条、蛙の子は蛙、とも言う。
帰る場所などどこにもなく、ただ同じ所に収束してゆくのみ――負の連鎖を断ち切るのには、身を切るような痛みを伴う。
だから、代々そういう家庭で育ってきたからこそ、被害者もそれに
正直親からの――ある種
そういう事件を、いくつも見てきた。
毒。
その言葉が付随することが、その真実味をより際立たせている。
毒は、人にうつるのだ。
人から人へ、親から子へ、教師から生徒へ、同級生から同級生へ――毒はそうやって、永久に解脱することのないまま輪廻し続けて、我々人間を苦しめる。
故に、毒親。
言い得て妙な
「そうだな。それならどこか納得できたんだが、どうも違うらしいんだよ」
「違う? 何がですか? 結局親から引き継がれた呪縛が、今も子供を苦しめているという、いつもの展開じゃないんですか?」
「ああ。どうやら被害者は、恣意的に子供に犯罪を助長させていたらしい」
「…………?」
どういうことだ、先程までと何が違う。私の脳細胞のくぐもった箇所を無理矢理動かして考える。
「つまり、意図して子供に、信号無視をさせてたということですか? 何のために」
「それが解らないから、君を尋ねてきたということだ」
「…………」
子供を、犯罪者にする親。
確かにそういう
例えば窃盗行為だ。店員は、まさか小さな子供が、肉や魚を恣意的に略奪しようとするとは思うまい。大後悔時代と言いつつも、子供のそういう純粋性を信奉する風潮が、この日本には、
ただ――被害者の彼女の場合は、それとは少し違うような気もする。
安直に世の中の闇、世間の黒と断じて良いのだろうか。
(続)
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