第3話
二件目のパーティーが終わって帰って来ると、化粧を落としてデイドレスに着替え図書室へ向かう。すっかり顔パスになっている同級生二人が参考書を積んで頭を突っつき合わせているのに、くつつっと笑うと、平服に着替えたヴォロージャも笑った。最近なんとなく良い感じの二人である。そりゃ六年間毎日顔を合わせて勉強してればそれも頷けるか、思いながらコンコンコンコンっとドアを叩いてみると、やっと気付いた二人がぱっと顔を上げる。
「ローリィ遅いぃ~、すっかり良い時間になっちゃってるじゃないのよ~! 王妃様とティータイムもしたけど、お腹空いてきちゃった所よぉ」
「ヴォロージャここの冠詞の使い方教えてくれ、二人ともちんぷんかんぷんなんだー」
「そう言うことはローリィに訊け。俺もローリィに訊く」
「あんたら、うちは辞書と違うんやけど」
「ローリィ先生のお陰でずっと成績下がらなかったんだもの、辞書と同じよー。ほら早く早くっ、来週提出の課題もあるんだからっ」
くすくす笑って私は自分の友達の隣に座る。ヴォロージャもそうした。ふんふん、と分からないところを聞いて、なるほど、と頷く。お? 教える人になれる自信が出て来たのかな? と思ってみると、爽やかに私に笑い掛けて来た。
「ローリィ! ここ頼む!」
「なんで自国の言葉が話せんねんあんたらは!? うちかてこない訛っとるのに国語九十点切ったこと無いで!?」
「そこはローリィ様だからだと言うことで。ここの冠詞ー」
「ローリィ、あたしは数学ー」
「そっちはヴォロージャの方が得意やろ。ほら、席交換するで」
「えー」
「効率の話しとるんや。浮気ちゃうで」
「えっローリィちゃん俺の事眼中にあったの……!? 嬉しいっ」
「ないわダァホ。効率言うてるやんか」
「秒で振られた! ヴォロージャ俺を慰めて!」
「次やったらお前城出禁な」
「ぐはぁーッ!」
何やってんだか、はーっとでかい机を回り道してヴォロージャの座る椅子を蹴る。ちっと舌を鳴らしてヴォロージャは机の下に潜って行った。スカートの中が見えることはないだろうけれど、行儀は悪いのでケツを蹴る。私も大概行儀の良い方じゃないけれど、ここまでじゃない。
さて冠詞冠詞。ああこれか。喋ってる時は無意識だけど文章にする時に躓くのってあるからなあ。私は逆だけど。喋ってる方が省略しがちだ。それが訛りに繋がっていることも少なくないけれど、さすがに王都で六年暮らしているとそれも大分抜けて来た。でも隣国の言葉は忘れていない。多分、忘れない方が便利だ。次期王太子妃としても。政略の駒としても。
「で、こう」
「あーなるほど、そう言えばそう話すな。ありがとなローリィちゃん。ついでに世界史のこの辺の政争の事も教えて」
「それは参考書読んだ方が早いわ。否、確か絵本であった気がするな……ちょっと待ってて、探して来るわ」
「絵本っ!? 絵本レベルなのっ!?」
「絵がある本はみんな絵本や。図説がいっぱい乗ってるの、ああこれやな。擬人化してあって分かりやすいで、各国」
「へー……あ、ほんとだ、この帽子とか隣国でよく見かける奴」
「こっちの髪型は東洋やろ? 分かりやすいんと違う?」
「分かる分かる!」
ふんふん読んでいく様子に、私はヴォロージャの方も見る。熱心に数学を解いて教えていた。友達はうんうん頭を唸らせているけれど、いらだった様子は見せない。その辺はちゃんと帝王学を学んで来た王子様だ、急かさない。ゆっくりと相手の出方を見る。
こう? と不安げに見上げられて、よし、と頷いて笑って見せる。あーあ、良い男に育ったよなあこいつも。見惚れちゃうぐらいだよ、まったく。ままごとのような婚約も、そろそろ効果を発揮してきたと言うことだろうか。私もヴォロージャに心惹かれてきたと言うことなのだろうか。
否、惚れてはいたと思う。家族になれ。実家に縁を切られた時に言ってくれたその言葉から、私はもうこいつにめろめろなのだろう。めろめろか。自分で言ってて気持ち悪いな。でもまあ、好きである事には変わらない。愛していることには、変わりがない。
みんなの王子様から私のヴォロージャになる瞬間が何より好きだ、と言ってしまったら、王妃様と陛下のラブラブっぷりを笑えないよなあ。私も私でヴォロージャが私の方にだけ見せてくれる笑顔が好きなんだから。外向きの取り繕ったそれよりも、友人に見せる気軽なそれよりも、もっと自然な笑顔。私はこいつが好きなんだと思わせられる、その顔。が、ふっとこっちを向く。不意を突かれて顔が隠せないでいると、向けられたのはその笑顔だった。とろけるような甘い笑み。
ぼっと顔に熱が溜まるのを、ぱたぱた仰ぐ。暑いの? と隣から訊ねられ、ちょっとね、と返す。そんな季節じゃない。部屋の中はいつでも適温だ、特に図書室は。本が傷むから、湿度も一定に調整されている。だから夏も冬も過ごしやすいここは、私たちの絶好のたまり場だ。
そこに恋愛感情を持ち込まれると困るのは、私だけなのかなあ。そりゃ好きだけど、あんまり軽々しくあの笑みを出して欲しくないのも本音ではあって。学園でだって目が合うとたまに繰り出してきたりして。まあ隣の席だからちょくちょくあるんだけど、そのたびに私はくるくるの巻き毛が余計にくるくるになりそうなぐらい、頬に熱を溜めてしまう。
わざとやっているんだとしたら悪趣味だし、天然でやっているとしたらもっと悪い。私以外にそんな顔を見せるな、なんて言える権限は、私にはない。ままごとの婚約。まだその感覚が抜けていない私から何かを押し付けるのは、失礼だ。無礼だ。不躾だ。
九歳の頃、キスをされた。そして告白された。好きだから家族になれと言われた。何もなくなってしまった私はそれに縋りついた。蜘蛛の糸のように細くて儚いそれに、しがみ付くしかなかった。居場所が欲しかった。全ては打算の上の事だった。
十五歳の今、私は滅多にされることがなくなったキスを思う。少しは落ち着いてくれたのか、それとも飽きられたのか。どっちにしても寂しいと思ってしまう私は、欲張りになった。もっと淑やかでいられれば、と思うけれど、ヴォロージャ達にだけ見せられる素の自分を隠してしまっては意味がない。
彼ら彼女らだけには、私も素で接して来られた。それが信用で、信頼でなくてなんだと言うんだろう。それを消してしまったら、結局私はまた孤独になるだけだ。誰にも素を見せられず、内に籠ることしか出来ないだろう。そんなのは嫌だ。だからせめて、この四人でいる時ぐらいは、素でいようと思う。
ヴォロージャもそうなのかもしれない。あの笑みはそう言う意味なのかもしれない。だったら良いなと思う私は我が侭だ。自分は素でいたいと思っているのに、ヴォロージャにはそうでいて欲しくないと願っている。暴論だ。
でも。
だけど。
そう思ってしまう私はどうなんだろうなあ。
それもまた、素なんだろうか。
素の私の一つがほざく、暴論なのだろうか。
まあ良い、取り敢えず今は勉強だ。私も予習をしてしまうとしよう。常に一歩先に居なければ不安なのだ、私は。頼られなくなったら、いらなくなってしまう気がして、怖いのだ。ヴォロージャにも今の所は成績で負けていない。いつまでも頭でっかちでいる事は出来ないだろうけれど、今のうちに積み重ねることだけはしておこう。
「殿下、皆様、そろそろご夕食の時間です」
「やった! じゃなくて、はい!」
「取って付けたような挨拶せんでも良い。参考書持って部屋に運んでおこうぜ。そしたら夕食にしよう」
「はーい。ヴォロージャ君ってば随分教えるのが上手くなったわよね、生徒の私が良いからかしら、それとも先生の先生が良いからかしら?」
悪戯っこく私を見る友人に、肩を竦めることで誤魔化しておく。最近の私はヴォロージャにものを教えることが少ない。冠詞だってちょっと調べればすぐに分かっただろう。自分の勉強だって、私と同じで予習に近い所をやっている。いつか追い越されちゃうかな、と心配になるぐらいだ。
その時の為に、私はダンスの練習や社交術を身に付けなければなるまい。高等部では一度も呼び出しをされないこと、それが私の目標だ。それが叶うかどうかは生徒代表であるヴォロージャの最初の挨拶に掛かっていると言っても良い。だけど高等部で入って来るのは平民の人の方が多いだろうから、王位継承権を持つ私に喧嘩を売って来るようなことはないだろう。ないならそれで良い。平和な高校生活を送れる。
儚い願いだけど、ヴォロージャが余計なことを言わないことだけを願おう。そう、『俺の婚約者に手を出すな』的なことを。一応後で頼んでも置こうか。公然の事なんだから。もう言わなくて良いって。
だけど約束してくれなさそうなのが、ヴォロージャなんだよなあ。
プディングを食べながら、私は息を吐いてヴォロージャを見た。
だから、笑うな。
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