第6話逃げ場のない檻(前半)

 翌朝、俺は普段より早く登校した。


 旧校舎の裏。放課後でも人が寄りつかないその場所に、朝の陽射しがぼんやりと差し込んでいた。


(……誰が、あんな手紙を?)


 レイカの仕業とは思えなかった。あの子は“自分で手を下すタイプ”だ。あえてこんな回りくどい真似をするとは思えない。


 時間通りにその場所に立つと、すぐに誰かの足音が聞こえた。


「……天城くん?」


 現れたのは、驚くべき人物だった。


「綾瀬……?」


「うん。来てくれて、よかった……」


 彼女は目の下にクマを作りながらも、微笑んだ。いつもの控えめな雰囲気は変わらない。でもその表情には、確かな決意があった。


「私、ずっと怖かった。でも……もう、逃げてばかりじゃダメだと思ったの」


 彼女が差し出したのは、一枚のUSBだった。


「これ、学校の監視カメラの映像。たぶん、氷室さんが綾瀬美月を陥れた“証拠”が映ってる。……私、図書委員室にいたとき、偶然見ちゃって」


「え、でも……どうしてそんなの……」


「偶然、じゃないのかも。氷室さん、私のこと“消そう”としてたみたいだから……先に気づいて、自分で保険を作ったの」


 綾瀬の目が細くなる。淡々としているけれど、その奥に潜む怯えが伝わってくる。


「天城くん。あなたしか、止められないよ。あの子の“狂気”を」


 俺は無言でUSBを受け取った。


(本当に、これで終わらせられるのか?)


 けれど、希望の糸がそこにあるなら、掴むしかない。


 


 昼休み、いつものようにレイカが俺の席に現れた。


「ねえ、今日の放課後、映画観に行かない? 二人っきりで」


「……ごめん。今日は予定ある」


 レイカの笑顔が、ぴくりと固まった。


「予定、って?」


「……図書室。レポートの資料探すって先生に言われて」


「ふぅん……じゃあ、私も手伝うよ」


 やはり、そう来たか。


 俺は咄嗟に言葉を選んだ。


「……ごめん、レイカ。今日は一人になりたい」


 その瞬間、教室の空気が凍った気がした。


「……私と一緒にいたくない、ってこと?」


「違う、そうじゃない。ただ、少し考えたいことがあって」


 レイカの笑顔は、すうっと消えた。そして静かに、囁くように言った。


「考えたいことなんて、必要ないよ。勇太くんのこと、私が全部決めてあげる。だって……私のほうが、ずっとあなたのこと見てるんだから」


 背筋に、冷たい汗が流れた。


(……まずい、もうバレてる)


 でも、今ここで引くわけにはいかない。


 


 放課後、俺は一人でパソコン室に向かった。


 教室には誰もいない。USBを差し込んで、映像を再生する。


 画面には、綾瀬の机に無数の紙を貼り付ける人影が映っていた。


(これ……!)


 その顔は、明らかにレイカだった。淡々と、恐ろしいまでの冷静さで、計画的に“攻撃”を実行していた。


 証拠はそろっている。これを学校に提出すれば――


 ……その瞬間。


 パソコン室のドアが、バタンと閉まった。


「……やっぱり、ここだったんだね」


 背後から、聞き慣れた声がした。


「レイカ……!」


 振り向くと、彼女はいつもの制服姿で、しかし“無表情”のまま立っていた。


「綾瀬さんと、何を話したの?」


「俺は……」


「もう、全部知ってるよ。綾瀬さん、さっき教室で泣いてたから。……“あんたが来たせいで勇太くんが壊れる”って」


「それは違――」


「違わない」


 彼女は歩み寄ってくる。


 一歩ごとに、心臓が締めつけられるようだった。


「ねえ、勇太くん。私、間違ってた?」


「……レイカ……」


「私は、ただあなたが好きなだけ。あなたが他の誰かに取られるのが嫌なだけ。……なのに、どうして逃げるの?」


「お前は、誰かを傷つけてまで……!」


 言いかけた言葉を、レイカは遮った。


「それは、勇太くんのためなら当然のことだよ。……だって、私の世界には、あなたしかいないんだから」


 


 そう言って彼女は、微笑んだ。


 愛してる、と囁くその表情は――壊れていた。

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