第10話「風景はことばで閉じ込められるか」

「なあ、空って、なんで毎日違うんだろうな」


屋上のフェンスにもたれながら、晶がぽつりとつぶやく。

その隣では、凛がスマホを構えていた。

オレンジから赤、そして深い藍へと変わっていく空。

校舎の屋上は、まるで世界から少しだけ浮き上がったように静かだった。


「きれい、だよね」


凛がそう言った。

でも、その“きれい”が――なんだか急に、もったいなく感じた。


晶も、同じことを言おうとしていた。

でも、“きれい”って、毎回それだけで終わってしまう。

空も風も、あの感じも。全部、“きれい”でまとめられて、逃げてしまう気がした。


「ねぇ、AICO。

この空……“きれい”以外に、どうやって表現したらいいんだろう」


スマホ越しに声をかけると、すぐにAICOが反応した。


「“きれい”は、最も便利で、最も抽象的な表現です。

本当の“きれい”を届けたいなら、“どこが・どうして・どう感じたか”を分解してみましょう。」


「分解って……色とか?」


「はい。“風景語彙”には、主に次の3つの切り口があります。

・色彩(色の名前や濃淡)

・動き(空の流れ、雲の速さ、光の広がり)

・構造(空の広さ、高さ、遠近感など)」


晶は空を見上げた。

オレンジの層の上に、濃い藍色がじわりとにじんでいた。

雲は薄く、流れるというより、空に溶けかけているように見える。


「……空が、茜色の抱きしめ方をしてる、って感じ?」


言葉にしてみて、自分でも驚いた。

それは、どこか照れくさくて、でも今の気持ちにぴったりはまる表現だった。


「“茜色の抱きしめ方”。素晴らしいです。

色と感情、そして構造(空が何をしているか)が一体化しています。」


凛がくすっと笑った。


「なにそれ。ちょっと詩人っぽいけど、なんか……伝わるね、それ」


彼女の言葉に、晶の胸がほんの少しだけ熱くなった。


それから晶は、空を見るとき、ただ「きれい」とは言わなくなった。


「青がほどけていく空」

「夕日が街を抱いている」

「空に、静けさが降ってくるみたいだった」


言葉を探す時間が、少しずつ楽しくなっていった。

まるで、空をカメラじゃなくて“語彙”で閉じ込めようとするように。


「言葉は、“心に残すシャッター”にもなれます。

写真に映らない気配や余韻を、ことばで残せたら――それは立派な“描写”です。」


AICOのその言葉が、屋上の風にやさしく混ざった。


夕日が完全に沈むころ、晶はふと、自分の中に新しい感覚が芽生えたことに気づいた。


言葉が、景色を捕まえてくれる。

いや――むしろ、景色が、ことばの中に流れこんでくる。


🔜次回:🌱語彙の芽〈第10話編〉

「きれい」だけじゃもったいない!

色、動き、広さ、余韻――風景を言葉で描くための“風景語彙の使い方”を紹介。

空をカメラじゃなく“語彙”で切り取ってみませんか?


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る