第6話 萎れた孔雀
コフチャズの領主は、アスラン皇子が持ち込んだ商品を、喜んで高く買ってくれた。商品――つまりは、ゼーナに雇われたことを白状した刺客たちを、ということだ。
あずかり知らぬところで
見目麗しい皇子は、例によってコフチャズの民には歓呼でもって迎えられ、領主の屋敷に滞在することになった。兵が街に入るにあたっても、規律の厳守を命じられたこともあって混乱も軋轢も最小限に抑えられた。
帝都から派遣された軍の存在は、結果的にはコフチャズの治安に良い影響を与えるのではないだろうか。
ゼーナの大使、ダンテ・スピノラが、今は
神聖なる帝国の領内にて狼藉を働いた異教徒に厳正なる処罰を。ゼーナ大使には、同国人が犯した罪への釈明と賠償を要求する。
皇子暗殺について触れなかったのは慈悲ではない。賠償という名目の口止め料を吊り上げるための、遠回しな脅しだった。
コフチャズからの報せに、
* * *
コフチャズは、帝都やエドレネほどに歴史がある街ではなく、壮麗な離宮とは無縁だし、
それでも、近郊に築かれた砦はそれなりに見応えがあるし、帝国の内陸部はイストリア商人には本来縁遠いものだから、街並みや民の暮らしを眺めるのはバルトロには興味深いことだった。
領主の館ともなれば、花や噴水、遠方から取り寄せたタイルや、絹や宝石で彩られた調度品で美しく整えられているし、何しろ彼らは皇子の側近として丁重にもてなされているし――期せずして、彼は帝都の喧騒を離れての優雅な休暇を満喫していた。
客人の特権のひとつとして、バルトロは、屋敷内、
だから、その日訪れた来客に最初に接したのは――案内の奴隷を除けば――領主でも家令でもなく、異国人である彼だった。
「――ごきげんよう、スピノラ大使。いつもとは違う雰囲気でいらっしゃるが、何かあったのかな」
「これは、イストリアの若君……」
西方語でのやり取りとは裏腹に、ふたりが纏うのは帝国風の
バルトロが黒を基調とした装いなのはいつものこととして、ダンテ・スピノラの衣装の色も装飾も、以前見た時よりもだいぶおとなしい。萎れた孔雀のよう、とさえ言えるだろうか。
とはいえ、いつもは輝くばかりの自信に満ちた整った顔が翳って見えるのは、衣装の色のせいだけではないだろう。
(陳謝のためにかけつけたとあっては、さすがに着飾るわけにはいかなかったか)
これまでの投資が水の泡となりつつあり、コフチャズの領主からはどれほどの賠償を要求される分からない。さらに、対応を誤れば、帝国に滞在中のすべてのゼーナ人に反感が向けられるかもしれないとなれば、それは顔色も悪くなるだろう。
「なぜ――いえ、
言わなくても良いことを、わざわざひとつひとつ口にするあたり、ダンテも相当余裕をなくしているらしい。それも、まだ大きな思い違いをしている。
(すべて、スィーラーンの手の内だったというのに。……まあ、気付かなくても良いが)
大事な妻が、ゼーナの怨みを買うことは避けたい。
バルトロは、わざとらしいほどにこやかな笑顔を浮かべた。推測を肯定したのだ、と解釈するのは相手の勝手だ。
「以前のご忠告が身に染みた旅路でした。高貴な御方にご満足いただくことは難しい、と――幸いに、アスラン皇子は忍耐を知る御方で助かりました」
「貴国も大胆なことをなさる。帝位を脅かし得る御方に、不用意に近づくなど」
西方語での会話に、ダンテの脇では案内役の奴隷が戸惑いの表情を浮かべて佇んでいた。役目を果たせない不安に駆られているなら気の毒だが――
(領主には後で執り成してやる。もう少し、言いたいことがあるんだ)
気の毒な奴隷を苦笑で宥めてから、バルトロは相手の恥知らずな言い分を切り捨てにかかった。
「我が国は、
それに、と。声を低めながら、バルトロは一歩、足を踏み出して敵国の大使に迫った。
「帝位を脅かす、などとは滅多なことを。
母と兄弟の間に不和と不信の種を撒こうとしたのは分かっている、と囁くと、晴れた空の色のダンテの目に、苛立ちの雷が走った。
「……安易に勝ち誇るのは小者のすることです。お国や父君の力があってこその若君なのですから、足もとを掬われぬようにと願っております」
だが、皮肉にはまったくもってキレがない。この状況で何を言っても、負け犬の遠吠えにしかならないだろうに。
もちろん、悔しまぎれの忠告などバルトロは気に懸けない。笑顔で受け流すことができるていどのものだ。
「勝ち誇っていると思われたのなら心外です。私は、閣下に御礼を申し上げたくてお待ちしていたのに」
「礼……?」
訝しげに繰り返したダンテに、バルトロは悪戯っぽく囁いた。
「貴方がたのお陰で、妻と出会えました。どのような財や地位や権力とも比べ物にならない、かけがえのない宝物です」
「……は?」
唐突な惚気に、さすがに意表を突かれたらしい。ダンテ・スピノラともあろう者が、素で驚きと戸惑いの声を漏らして絶句したのを前に、バルトロは声を立てて笑った。
暗殺者をひとまず捕らえ、アスラン皇子の猛る心も宥めた後の道中は、彼らふたりにとっては新婚旅行のようなものだった。無粋な刃で妨げられた話の続きをする時間も、十分に取れたから。
あの夜のように満天の星の下で。天幕の中で。行軍の中、密かに馬を寄せ合って。そうして、囁き合い語り合って――スィーラーンは、彼に心を委ねると言ってくれた。そして、彼にも同じことを欲してくれた。
愛している、と。思い切ってはっきりと告げた時の、彼女の恥じらいはにかむ表情と声を思い出すと、バルトロの胸ははちきれんばかりに高鳴り、身体は熱くなる。
『私も、愛しています。……と、思います』
彼女自身が人間なのか傷ものの至宝なのか――スィーラーンは、まだ迷っている節がある。だから、早く教えてあげなければ、とバルトロは思っている。
(どちらでも良い。私の傍にいてくれれば。私の妻であってくれれば……!)
スィーラーンも、同じ屋敷に滞在中だ。女性だけに
一度思い立つと、ダンテなんかの相手をしている場合ではない、としか思えなかった。やや性急かつ雑に、バルトロは一礼をした。
「領主殿がお待ちなのでしょう。引き止めて申し訳ありませんでした。ゆっくりとお話しなさると良い。――私は、妻のところに行きますので」
「若君?」
「それではまた、いずれどこかで。その時は、お互いに実のある話をしたいものです」
嫌味の応酬やら当て擦りや探り合いではなくて。国が違っても、商人としてなら取引ができる場合もあるだろう。
それだけ言い切ると、バルトロは相手の返事を待たずに背を向けた。向かうのは、屋敷の奥――妻がいるほうだった。
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