死にたがりと殺し屋さん

水上夕羅

─プロローグ─


 暗闇の中、少女はただひたすら走った。

 昼間は人通りも多く活気の良い石畳の大通りも、深夜ともなればその賑わいは影を潜めている。広い道の両端に立ち並ぶ何軒もの店の扉は固く閉ざされ、露店さえも一軒残らず撤収していた。

 時折見かける人影と言えば、日々寝床を探して街を徘徊する困窮者ばかりだ。彼らは衣服とも呼べない様な擦り切れたボロ布をかろうじて身に纏い、垢まみれの身体をさすりながら路地裏の陰にその身を溶かす。


 そんな夜の街を、少女は必死に駆け抜けて行く。不気味なほどに静かな大通りには、裸足で地面を蹴る音だけが響いていた。

 ぽつりぽつりと存在する街灯の淡い灯りだけを頼りに、当てもなく走り続ける。

 暗闇の中の人影は、みすぼらしい衣服に身を包んだ少女が深夜に走り回っていようと、気にも留めない。みな己の事で精一杯で、同じ身分と思われる他者になど構っている余裕はなかった。


 この広い大通りを、少女はたったひとり走っている。

 少女のボロボロで薄っぺらい生地の衣服に、冬にまたがりかけているこの季節の風は容赦なく入り込んでいく。あかぎれだらけの指先にも、冷たい夜風はよく染みた。


 それでも少女は、息を切らせながらも走りを止めることはなかった。

 何も考えず、何も感じず。心を殺してただ遠くへ、遠くへと駆ける。

 もう何も考えたくなかった。全てをかなぐり捨てて自由になりたかった。昏く重苦しい場所になど、もう戻りたくはなかった。


 少女は走る。

 その身に絡みつく夜の闇を振り払いながら、 前だけを見てただ地面を蹴り続ける。冷たい石畳から直に伝わる温度も、少女を踏みとどまらせるには至らない。

 両の脚を交互に前後させるだけの単純な動作。繰り返し繰り返しそれを行う。息が上がり酸素が足りなくなろうとも。両の脚が悲鳴を上げようとも。さながら壊れかけた玩具のように、少女はその動作を繰り返す。

 無意味なのかもしれない。何も変わらないのかもしれない。それでも、少女は走り出してしまった。一一走りたいと思ってしまった。



 心などとうに枯れていた。何かを望むことなど、許されないのだと分かっていた。それでも。

 たった一つの望みを抱えて少女は走る。夜空に浮かぶ孤独な月に背を向けて。


 進む先にあるのは、どこまでも暗い闇。それでも、少女にとっては眩しすぎるほどの希望の光。唯一の望み。



 ――その身を終わらせることだけを考えて、少女は走り続けた。

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