1-17.突破口

クライス「がはっ!」


 意識が戻った瞬間、俺は盛大に息を吸い込み、むせ返った。


 反射的に自分の首を触る。


 冷たい汗を感じながら、そこにちゃんと体が繋がっていることを確認する。


 首はある。

 体もある。


 しかし、全身の感覚が鈍く、手足が痺れて動きが遅い。


 気道が詰まっているような、肺が空気を受け入れないような息苦しさが体を支配している。


 そして突然、胃の奥から何かが込み上げてくるのを感じ、俺は慌てて口元を押さえた。


クライス「うぐっ!」

店主「おい!にいちゃん大丈夫か!?」

シロ「クライスの兄貴!?」


 その場で吐き出すわけにはいかず、近くにあった花壇へと駆け寄った。


 胃の中身は何もなく、出てきたのはただの酸っぱい液体だった。それでも吐き気は収まらず、肩で息を切らした。


シロ「クライスの兄貴、急にどうしたの大丈夫?」


 シロが心配そうに駆け寄り、背中を優しくさすってくれる。

 その視線が俺の顔から吐しゃ物へと移り、少し驚いたように声を上げた。


シロ「……これ、毛玉じゃん!なんだよ~、心配して損した!」

クライス「すまん……毛づくろいしすぎたみたいだ……」


 俺が気まずそうに呟くと、シロはため息をつきながらも呆れたように笑う。


シロ「クライスの兄貴、猫らしさ全開だな。次からはほどほどにしてくれよ!」


 シロの声が遠くで反響しているように聞こえる。

 街の賑わいも次第に遠ざかっていき、先ほどの記憶がじわじわと意識の表面を覆っていく。


 俺は――確かに


 あまりにも一瞬の出来事で、痛みすら感じなかった。

 だが、彼が最後に放った言葉だけは、今も尚頭の中でループし続けている。


『君のギフトは、この世界にとってあまりに危険すぎる――』


(俺のギフトが……危険?)

(俺はただ、シロの兄貴を助けただけだぞ……)


 記憶を遡るたび、ボルグの変わりようが脳裏に鮮明に蘇る。


 彼は俺が精神だけ過去に戻れる能力を持っていると知った途端、表情を一変させた。


 それまでの穏やかさは消え失せ、冷酷な判断を下す執行人の顔へと変わったのだ。


(なぜだ……?俺のギフトがどうしてそこまで……?)


 疑問が渦巻く中、無力感だけが胸を支配していく。


シロ「クライスの兄貴、大丈夫?落ち着いた?」


 シロがヤキトリの入った葉の包みを片手に、心配そうに声をかけてきた。


クライス「あぁ……すまねぇ。もう少しだけ、休ませてくれ」

シロ「いいけど、無理すんなよ。そこに座れる場所があるから休もう」


 シロに促され、俺は近場に設けられた椅子に腰掛けた。

 息を整えながら、隣に座るシロの顔を見た。彼の目には、心配がにじんでいる。


クライス「シロ、王都に向かうためには資金が必要なのは分かってる。でも……ギルド以外で稼ぐ方法って、何かないか?」

シロ「うーん……この街に腰を据えて働くなら何とかなるかもしれないけど、旅をしながらってなると、厳しいかも」

クライス「 どうしてだ?」

シロ「物を売るにしても商品がないし、魔物の素材も基本はギルドに売るのが普通だしさ」

クライス「ギルド以外の店じゃ売れないのか?」

シロ「素材って、大抵は下処理が必要なんだよ。それができるのはギルド所属の職人さんたちだけなんだ。しかも下処理には費用もかかるし、手間も考えたら、よほど高価な素材でもない限り、買い取ってくれないと思う」

クライス「じゃあ、冒険者に格安で売るのはどうだ?」


 俺の問いに、シロは小さく肩をすくめて首を振って答えた。


シロ「それも微妙かな。素材は討伐の証明にもなるからね。実力が伴ってないのにランクだけ上がっちゃうと、緊急招集の時に無理な任務を任されるかもしれない」

クライス「……なるほど。なら旅の商人は?」

シロ「商人は戦えないから、魔物の素材を持ってたら、どこで手に入れたかって詮索されると思うよ。何度もそんなことしてたら、ギルドに目を付けられるかもしれない」

クライス「……そうか。ギルドを避けるのは無理か」


 俺の沈んだ声に、シロは小首をかしげた。


シロ「そんなに魔導書読むのが嫌だったの?」

クライス「いや、そういうことじゃないんだ……」


 ギルドで何が起きたのか、ここでシロに話していいものか迷う。

 だが、シロを危険に巻き込む可能性がある以上、話さない方がいいだろう。知らない方が安全なこともある。


クライス「少し、考える時間をくれ」

シロ「……分かった」


 シロはそう言って頷いたが、その表情にはほんの少し寂しさが滲んでいた。


 ギルドを避けられない以上、どうやって金を稼ぐべきか――このままでは、明日の生活すら危うい。


 いっそうのこと、この街で働きながら金を貯めるということも考えたが、黒い鎧の男が近くにいる可能性を思えば、ここに長居するのは得策とは言い難い。


(となれば、結局は冒険者登録して、討伐で稼ぐしかない……)


 俺は深く息を吐き、頭を横に振った。


 問題は、どうすれば“殺されず”に冒険者登録を済ませられるかだ。

 それが解決できなければ、次の一歩を踏み出すことすらできない。


(まずは、原因を突き止めなければ……)


 あの時、なぜギルドマスターに“殺された”のか。

 その理由が分からないままなら、また同じ過ちを繰り返すことになる。


 俺は気持ちを引き締め、記憶を辿った。

 脳裏に浮かんだのは、今でも鮮明に焼き付いて離れない“あの瞬間”だった。


 それまで穏やかだったボルグは、俺がギフトについて話した途端、冷酷な表情に一変し、俺を”殺害”した。


『君のギフトは、この世界にとってあまりに危険すぎる』


 その言葉が、頭の中で何度も反響する。


(俺のギフトは、精神だけを過去に戻す能力……)


 その力のお陰で“死”を免れてきた。

 だが、あの焼けるような痛み、肺が空気を拒む苦しみ、意識が断ち切られる絶望――それらを乗り越えて、ようやく戻れた。


(それなのに、“危険”って……一体、どういう意味なんだ?)


 そんな疑問と共に、記憶の奥から、ボルグの問いが浮かび上がっってきた。


『その力で、はあるのか?』


 あのとき、死んだシロの兄を助けたと正直に答えた。

 彼の態度が明らかに変わったのは、その直後だった。


(何かを変える……?)


 確かに俺は過去に戻って――シロの兄が死ぬはずだった”未来”をやり直した。

 その結果、彼は”今”、生きている。


 けれど、もし俺が何もしなければ……彼は確実に死んでいた。


 俺が“変えた”ことで、その“死ぬはずだった未来”は、跡形もなく消えてしまった。


      まるで、かのように……


(……俺は、本来訪れるはずだった未来を、“消した”ってことか?)


 一人の命を救ったことで、別の未来をなかったことにした。

 選び取った“結果”だけをこの世界に残し、そうでなかった“運命”を切り捨てた。


(このギフトは――誰かの未来を、運命を、捻じ曲げてしまう力がある……)


 その考えに至った時、冷たい汗が背筋を伝った。


 今回は“善い結果”を選び取れた。

 助けたのがシロの兄だったから良かった。


 でももし、黒い鎧の男のような人物だったら……。


 そう考えれば、ボルグの行動も理解ができた。


(俺は……とんでもないギフトを授かってしまったのかもしれない……)


 誰かを救える力――心のどこかで、そんな風に思っていた。


 でもその選択が、誰かの未来を奪うかもしれないなんて、考えもしなかった。

 助けることばかり見て、影響の大きさにまで目を向けられていなかった。


 ようやく今、“危険”という言葉の意味が、実感として胸に刺さってくる。


 でも……

 だとしても……


 俺は、生きたい!!


 たとえこのギフトが、誰かの運命を捻じ曲げる力を持っていたとしても、「そのために死ね」と言われて、はいそうですかと従えるほど、俺はできた人間じゃない。


 俺が殺されたのは、おそらく、このギフトが持つ本質的な危険性を、ボルグが見抜いたからだ。

 なら、ギフトの詳細さえ知られなければ、殺されることもなかったはず。


(そもそも……ギフトを持っていること自体、隠せばいいんじゃないか?)

(――いや、それじゃダメだ。サーチグラスがある。あれを使われたら……)


 そう思った瞬間、頭に浮かんだのは、サーチグラスを使ったリリアの姿だった。


 彼女は”ギフトを持っている”とは言っていたが、肝心の“中身”にはまったく触れていなかった。

 むしろ、どんな能力なのかを知りたがっていたくらいだ。


(……もしかして、ギフトの"存在"は見抜けても、その"詳細"までは見えないってことか?)


 あの時は、自分から詳しく話したせいで、ボルグとの面会にまで発展してしまった。


 だったら――リリアにギフトの内容さえ話さなければ、冒険者登録は問題なく済ませられるかもしれない。


クライス「これなら、いけるか?」

シロ「ん?何のこと?」


 思わず口をついて出た呟きに、ヤキトリを頬張っていたシロが首をかしげた。

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