第5話 天使が舞い降りた日
私の人生には生きがいが無い。高校を卒業し、元々頭もよくなかった私はそのまま山田産業という今の会社に入社した。同じく高卒で仕事を始めた友達は、寝る時間もまともに確保できないと言っていたし、仕事内容は特段難しいこともなく、先輩たちも優しかったから私はアタリの会社を引けたんだと思う。
しかし、趣味と呼べるものもない日々の生活は、肉体労働が主であるから休日に身体を休めるためダラダラと家で過ごし、今もビール片手に動画サイトでなにか面白い配信はないかと探る、そんな代わり映えのしない粗末なものだ。
「日曜に出社? 何言ってんだ送信ミスかぁ?」
コンビニで買った焼き鳥でも温めなおそうかと考えていた私の携帯に、そんな意味の分からないメールが届いた。毎日同じことの繰り返しでつまらない仕事だが、面倒なルールはないし、急な残業などが起きることもないうちの会社もついにブラック化の兆候が見えたかと訝しみながら布団の中で内容を確認する。
そして勢いよく私は起き上がった。
「奉仕活動で男が来るぅぅぅ?!」
心臓がバクバクと鳴っているのが分かる。迷惑メールの類を疑ったがアドレスは間違いなくうちの会社のものだし、同僚からタイミングよくメッセージアプリで連絡が来ている。それがこの内容に偽りがないことを証明しているように思う。
奉仕活動なんてものは大企業にだけ回ってくる役得であり、自分で言うのもなんだがこんなどこにでもある企業に来るものではない。だが、これは神様がくれた人生唯一のチャンスだと思い思考が早くなる。
「ど、どどど、どうしよう。男性が来るなんて、どんな服装で行こうかな? い、いや新しく買いに行って……」
そんなことを考えるが段々と冷静さを取り戻す。私は工場勤務なんだからいつものつなぎが制服ではないかと遅れて理解する。そう気づくと、さっきまでの興奮が嘘のように嫌なことばかりを考えてしまう。だが、それは恐らく事実になる。
私も幼年学校では男の子と一緒の生活を送ってはいたが、ほとんどが遠くから眺めるだけだった。たまに目が合ってもすぐ気味悪いものをみるかのような目に変わる。男性とはそういうものなのだ。高校では男子が通うような名門には行けるはずもなく一六歳の誕生日を迎えてからというもの男性に出会ったことはほとんどない。
奉仕活動についても男性は義務だから来てやってるといった態度で、万が一にもお話ができたりするようなものではないとネットで見た。
頭が冷えてからメッセージアプリを開く。同じ年に入社してから割と仲良くなったメッセージの送り主はいまだに興奮状態のようだが、わざわざ水を差すようなことを言うべきではないだろう。『楽しみだね』そう一言送ってスマホを放り投げる。焼き鳥はもういい。明日からまた会社だ。日曜まで会社はお祭り騒ぎだろうが、当日男性の態度を見てみんな冷静になるだろう。なんだかむしゃくしゃした思いのまま、私はまだ二十一時前だというのに眠りについた。
明後日に奉仕活動を控えた金曜の仕事終わり、普段ガサツな先輩も、同期の友人も、前日にエステや美容室へ行って少しでも男性によく見てもらおうと張り切った言葉を口にしている。周りを見てもどこまでのことをするか定かではないが、見たことのない熱気のようなものに皆包まれていた。
私はというと、日に日に憂鬱な感情が増していた。周りとのやる気の差にまいってしまい、いっそ当日は休もうかとまで考えたが、流石にそれは全てを諦めすぎかと踏みとどまる。
ここまで卑屈な人間だったのかと、この一週間で自身を再認識することになったが、女に生まれて金も権力もない私はこのまま幸せを掴めないまま老いていくのだ。最後に若い男をしっかりと目に焼き付けてしばらくそれをオカズに夜の発散をしようと我ながら最低な考えを決めた。
――――――――――――――――
日曜日、事前に聞いていた予定通り普段のスケジュールとは違って私は会社の大会議室に来ていた。
「ねえねえ! どんな人が来るのかな? 奉仕活動って幼年学校の中等部から始まって、高校までの六年間しかないんだし若い男の子ってだけで最高だけど。せっかくなら私の理想の王子様みたいな子が来てくれたら嬉しいな!」
同期の友人は結局興奮冷めやらぬまま今日を迎えたらしい。仮に王子様のようなイケメンが来たところで私たちは話しかけることも出来ずに、ジロジロ見ると嫌な顔をされる、期待するだけこの後が辛いだろうと思う。
「どうだろうね、私は感じがいい人だったらいいかな」
私は下を向きながら心にもないことを言う、感じのいい男性など存在はしない。それが分かっているから、この優しい友人が悲しむ顔を見せることになるのが嫌だ。それを見たら私は男性に絶望してしまう。だから高望みなんかしないし希望も持たない。そうやって心を守るのだ。
「でも、まだ中等部に入る前の子たちなんだもんね可愛い子でもいいなー」
確かに、そう知らされたときは驚いた。今日来る男性は普通では有り得ない初等部の男の子なのだ、それ故か人数も一人ではなく三人で来ると聞いている。変わり者であるならば、ちょっとくらい眺め続けても嫌な顔はされないかもしれない。
「保護省からの車が到着したそうです。この後すぐに社長たちが男性を連れて会議室に入ってきますので、皆さんくれぐれもおかしな行動をしないように」
今日の司会だろうか、普段見ない偉い人がマイクをもってアナウンスをする。負の感情を持ちながらも男性に会えるからか、身体は正直で私もドキドキしてくる。
そしてついに前の扉が開いた。
――――――――
先に入ってきた社長はすぐに視界に映らなくなった。三人順番に入ってきた彼らは堂々とした歩みで進み、止まる。いっそ視姦してやるとまで考えていた私はそんなことは頭から抜けて、先頭を歩いてきた少年をじっと見つめる。理想の王子様とは彼のことだったのかと、思考が介在する余地もなく脊髄で理解する。
その美しい黒髪も、自信にあふれる真っ直ぐな瞳も、均整の取れたまだあどけなさを残す少年に私は心を奪われた。そして、少しの冷静が顔を出す。時間にしたら数秒であろうが、凝視しすぎたと気づいた私は慌てて目を逸らそうとするが、その瞬間視線が交差した。彼からしたら何気ない行為かもしれないが、笑いかけながら手を振られた私は、無意識のうちに周りの目も気にせず手を振り返し呆ける。
社長がなにか話している気がするが、その声はマイクを通しているはずなのにどこか遠く聞こえて耳に入らない。
これが一目惚れというやつなんだろう。この男の子と私が結婚するなんてことは有り得ないし、いつか順番が周ってくるであろう人工授精で、彼の子を産めることだってきっと叶わない。だが、それでも彼と出会えた今日を思い返して私は幸せに生きることができる。
山田社長の言葉は何一つ聞こえなかったが、その手に持っているマイクを彼に手渡そうとしている。そんなことをしたら普通の男性は嫌がる。そう思うが、まだ名前も知らない彼ならば大丈夫だと不思議な安心感があった。
「ありがとうございます」
マイクを受け取った彼はそう感謝を述べる、それだけでも信じられないが発言は当然それだけでは終わらない。
「皆さん初めまして! 東京第一幼年学校初等部から来ました世継星です。今日は僕たちのために、日程を変更して出社されていると聞きました。皆さんの大切な一日を僕たちのために使っていただいているので精一杯恩返しできるよう頑張ります!」
それを聞いた反応は様々だった。涙を流す者。大声を出しそうになって慌てて自らの口を抑える者。感動のあまり足に力が入らなくなる者。
彼がおかしなことを言っていると思っているのは私だけではないはずだ。奉仕活動は男性が女性のために行う事ではあるが、日程が変わるのなんて当たり前で、会えて嬉しいのはこちらなのだから親の葬式があろうがそれを別日に変更する。それが一般的な認識だ。
しかし世継君は、いや、星様のなかでは今の発言が心からの気持ちで嘘偽りない本心なんだろう。ならばそれが正しい。私は認識を改めることにする。彼の語った世界が私の世界に変わる。彼がりんごは黒いというならば私もそう理解し直すのだ。
残った二人の自己紹介は聞き逃してしまったが、仕方ない。私の中に新たな世界が生まれたのだからこれは価値ある失態だろう。何を言っていたかは後で周りに聞けばいいのだ。そしてまた、にわかには信じられないことが司会から発せられる。
「では、皆さんからお三方へなにか質問などがある方は挙手を」
考え事ばかりしていたせいで反応が遅れる。慌てて手を上げようとしたときにはすでに隣に座る友人が質問権を獲得していた。それは喜ばしいことだが、私の星様に変なことを言ったら今までの交友関係などかなぐり捨ててしばきまわそう。監視するかのように目を向け、質問内容に耳を傾ける。
「あ、あの王子......じゃなくて世継君達はまだ中等部に入る前だと聞きました。どうして、奉仕活動に行こうと思ったんですか?」
少し気になる発言はあったが、内容としては皆が気になっていることで良い質問だと素直に思う。
「そうですね、僕たちは来年からそれぞれで奉仕活動を行うことになります。でも、上手く大人の皆さんとお話しできるか不安だったので、今のうちに三人で練習ができないか頼んでみたっていうのが本音です。ちょっと自分勝手ですよね」
天使か。王子だと思っていたが星様は天使だったらしい。本当に自分勝手ならば奉仕活動に行こう、などという考えが出てくるはずもないのだ。そして、向上心を感じさせるそのセリフは私たちをこのまま天界へと誘っていくのだろう。
「そうだったんですね、天使......じゃなくて、世継君、質問に答えてくれてありがとうございます」
こいつ、ちょっと思考を読んできてないか? 少し疑問に思うが彼の魅力がそうさせるのだろう。それに全員が聞きたいことを聞いたのはナイスだ。許すとしよう。
その後は他の二人が推しなのであろう同僚たちがそれぞれ質問を投げかけていたが、冬樹君と透君も嫌な顔一つ見せず受け答えをする。彼らは星様に惹かれてついてきたといったことを教えてくれたが、そもそも普通の男子はついてこない。私はもうただ一人に心を奪われてしまったが、彼らもまた星様と同じく多くの女性を惹きつけ、心の支えになる器を間違いなく持っているだろう。
最後の質問だと司会が告げ、手を挙げる周囲の勢いも増すが今日の私はツイているらしい。そして口を開くが考えていた無難な質問ではなく、押し込めていた嫌な自分が顔を出してしまったらしい。伝える気のなかった想いを星様にぶつけてしまう。
「こんなに自然な笑顔を人生の中で男性に向けてもらえることがあるなんて、思ってもみませんでした。その、もう皆さんと会うことは出来ないんでしょうか……?」
言ってしまった。今日彼らに出会えた自分たちはこの世界の女性たちの中で最も幸せなのだ。もう会えることはないが、この思い出を胸にこれからの人生を生きていけばいいじゃないか。馬鹿なことを言った私はそれを訂正しようともう一度マイクを近づけるが、星様の口が開く方が早かった。優しい彼ならば、ただ肯定するのではなく、こちらを気遣って謝罪の言葉でも述べるかもしれない。しかし、そんな予想は簡単に覆された。
「うーん、まだ確実に言えるなにかがある訳じゃないんですけど。でも、もっと多くの人たちを笑顔にするようなことを僕たちはやっていくつもりなので……」
――――だからそんな辛そうな顔しないで欲しいな――――
そう言って、また私に笑顔を向けてくれた。それだけで悲しかった気持ちはなんだったのか、私の顔はほころんでしまう。
今までの私は、惰性のままただ死に向かっていた生きてきた。別にいつ死んでもいいと思っていたし、多分それは虚勢を張っているなんてこともなかったと思う。
でも、この瞬間をもって私はハッキリとまだ死にたくないと思った。彼らの行く末を見届けるまで絶対に死んでなんかやらない!
「ほら、笑ってる顔のほうがずっと綺麗ですよ」
こうして、私の天使が生きる意味をくれたのだから。
けど、
私もエステ行っておけばよかったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!
その笑顔が私に過去を後悔させた。
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