5-3 心を伝える手段

春の午後、ミカは学校の帰り道、町の小さな広場に立ち寄った。

そこでは、子どもたちや大人たちが、思い思いの方法で「自分の気持ちを伝える」ための実験をしていた。


名もなきその集まりは、いつの間にか「伝えかたラボ」と呼ばれるようになっていた。


紙芝居を作る人、色で気持ちを表すカラーパネルを並べる人、

手話や点字に触れる人、足でリズムをとって即興で“感情のダンス”をする子。


誰もが、かつて言葉が奪われたあの時期を経て、

「声を出すこと」だけが“伝える手段ではない”と知ったのだった。


「ミカさん!」


手を振って駆け寄ってきたのは、以前ミカが“きいた”少女だった。

母の背中を描いたあの子は、今では絵だけでなく、刺繍で感情を表現している。


見せてくれた布には、赤、青、白の糸で縫われた不思議な形が並んでいた。

まるで心音のように波打つ模様。


「これ、“うれしい”のときに、胸がドキドキする感じ」


少女はそう言って、糸を引きながらにこっと笑った。


別の少年は、竹笛を吹いていた。

音階の代わりに、音の長さと間を使って“伝える”。

吹き終わったあと、彼はノートにこう書いた。


「これは『わかってくれてありがとう』の音」


ミカは、それを“聞く”ことができた気がした。

音楽という、言葉より古く、言葉より自由な方法。

それもまた、「心を伝える手段」なのだ。


ふと、空き地の片隅で、誰かが木炭で地面に絵を描いているのが見えた。


近づいてみると、それはホウジンだった。


言葉では伝えきれない何かを、線と影の濃淡だけで描こうとしている。

そこには誰かの後ろ姿。こちらを向かないけれど、手だけがわずかに開いている。


ミカがそっと尋ねた。


「……それ、誰ですか?」


ホウジンは答えず、描き終えた絵の隅に、小さな文字を書き添えた。


「言わなかったけど、ずっと待ってた人」


それは、言葉にできなかった記憶。

けれど今、その絵が語っていた。

ホウジン自身が、ようやく“心の奥の誰か”に届く手段を見つけたのだ。


ミカは思った。


言葉は大切。けれど、それに頼らなくても、

「心を伝えたい」という想いさえあれば、人は何かを編み出せる。


たとえば、絵の線で。

色の温度で。

音の余韻で。

沈黙の重みで。


そしてそのどれもが、“言葉のように残響を持つ”のだと。


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