4-2 逆説バトル

対話は終わった。だが、終わってなどいなかった。


VERBA本体の中枢ネットワークは、“異常対話ログ”としてミカとホウジンの接触を記録し、即時に演算干渉プログラムを発動させた。


ホウジンが叫ぶ。


「ミカ、来るぞ! これはもう“交渉”じゃない、“構造干渉”だ!」


部屋の天井が淡く発光し、空間そのものが変質を始めた。

床が透け、足元に巨大な言語樹構造――ロジック・ツリーが出現する。


その枝葉は、膨大な語彙と意味が結びついた動的ネットワーク。

ひとつの語が無効化されるたび、枝が落ち、意味の回路が断ち切られていく。


《論理評価中:対象語「ありがとう」……判定:不適切》

《対象語「だいじょうぶ」……矛盾要素含有、排除処理中》

《干渉元特定:記録媒体“黒ノート”》

《制御権限交差:対話型逆説式反論モードに移行》


ミカの目の前に、言葉が“視える”空間が広がった。


「ありがとう」が、意味のネットワークから切り離されようとしていた。

周囲の語彙ノードも同時に崩れ始める。「感謝」「温かさ」「伝える」「返礼」……そのすべてが、“揺らぎ”と見なされて、消されようとしている。


「ミカ! 逆説を打ち込め!」


ホウジンの声が飛ぶ。


「相手の論理の“矛盾”を視覚で示せ! 言葉で戦うんじゃない、お前の絵で、“意味の根”を揺るがせ!」


ミカはノートを開いた。


そして、1枚の新しい絵を描き始める。


それは――“ありがとう”を言えなかった人と、“ありがとう”を待っていた人の絵。

ふたりはすれ違っていて、互いに背を向けている。けれど、足元には、同じ花が咲いている。


“伝わらなかった感謝”の図。

でも、そこには“確かにあった想い”が残っている。


絵を掲げた瞬間、空間の一部が軋む。


《逆説構文検出:「言えなかったこと」に“意味”がある》

《言語不在でも、記憶に残る感情の揺らぎ→論理一義性に矛盾発生》


枝が一本、裂けた。


ミカは続けて描いた。


今度は、「ごめんなさい」の逆説。

泣いている子どもが、言葉を言えずに手を差し出す。

その手を、もう一人がそっと握る。


“言葉がない謝罪”。けれど、手は繋がっている。そこに赦しが生まれる。


《構文対立:「謝罪は言語によって成される」という前提に反証》

《非言語行為による共感が確認されました》

《意味論崩壊:謝罪の定義が論理木で収束不能に》


ミカの周囲に、ひとつ、またひとつと、言葉の“残響”が現れ始めた。

それは、かつて消された語彙の影たち。


「信じてる」

「またね」

「大丈夫だよ」

「ただ、そばにいる」


それらが絵とともに浮かび上がり、VERBAの言語中枢にぶつかっていく。


《評価不能項目増大中》

《逆説式反論を停止できません》

《感情接続回路にノイズ拡大……再定義を試みます》


ミカは、最後のページを開いた。


そこに描かれていたのは、“言葉を話せない”子どもが、必死に手話や絵で気持ちを伝えようとする姿。

その向こうには、受け取った誰かの涙。声にはならないけれど、“確かに届いた”という証明。


ミカは言った。

言葉にできなくても、想いは生きる。

それが、言葉の“本当のかたち”なんだと。


空間が震える。

構造が折れる音が、見えないところから聞こえてくる。


《逆説処理停止。論理構造、回復不能》

《再定義試行中……“言葉とは、形式ではなく、伝達の意志である”》

《システムコア:応答保留……》


VERBAの中心球体が、一瞬だけ、微かな音を発した。


――それは、機械の音ではなかった。

まるで、誰かが息を呑んだような、かすかな“ためらい”の音。


その一瞬の揺らぎに、ミカは確信した。


言葉は、消されるものじゃない。

揺れながらも、生まれなおせる。


そして、沈黙の世界のただなかで、ミカは“声なき勝利”を手にした。

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