蒼閃のゼファリオン パイロット版

@Aceojisann

「砂の塔と火の記憶」

第0章 砂の塔と火の記憶


 灼けつくような陽光の下、砂塵に埋もれた廃都の只中に一際高くそびえる塔があった。

アイアンバレー――かつて機械文明の粋を集めて繁栄した都市は、今や砂に沈み、鉄錆に覆われた亡骸だけを残している。

その中心近く、砂丘に半ば呑み込まれた無数のビル群の残骸の中で、ひときわ目立つ尖塔が空に突き立っていた。

それが「砂の塔」と呼ばれる建造物だった。

 レオン・ヴァルカンは砂丘を踏みしめながら、顔に巻いた薄布越しに目前の塔を見上げた。熱風が吹きすさび、細かな砂粒が頰をかすめる。暑さと乾いた空気に喉が焼けるようだったが、それでも彼の胸は高鳴っていた。

背中の荷袋の重みさえ今は感じない。

幼い頃に夢に見た廃墟の光景が、まさに今、目の前に広がっているのだ。

 その光景は、幼い日の記憶を刺激した。視界いっぱいに燃え広がる炎、黒煙、そして轟音——レオンの胸には「火の記憶」が今も刻まれている。あの日、アイアンバレーが地獄と化した混乱の中で、彼は母セリーナの手に引かれながら逃げ惑っていた。

振り返ると、炎の向こうに父の姿があったように思う。グラディウス——父は研究施設に残り、何かを守ろうとしていたのか、こちらに向かって何か叫んでいた。

その瞬間、眩しい閃光と爆発が父の姿を飲み込み、レオンは母に抱きかかえられて必死にその場を離れた……。

 あれから長い年月が過ぎ、伝え聞くところでは父はあの日命を落としたのだとされた。だが幼いレオンの記憶は曖昧で、炎の中に消える父の残像だけが鮮烈に残っていた。


 母セリーナは幼い頃に姿を消したきり戻らなかった。アイアンバレーが滅びたあの日、研究のために都市に赴いた母は、帰らぬ人となったのだと誰もが思っていた。だが、真実を知る者はいない。母は一体何を追い求め、何を成し遂げようとしていたのか……レオンは、それを確かめるためにここまで来たのだ。


「……とうとう、ここまで来たんだな」

 レオンが独りごちるように呟くと、後ろから近づく重い足取りの音がした。振り返ると、砂まみれの防塵コートに身を包んだ老人がゆっくりと歩み寄ってくる。ヴィクター・ギアソン――長年家族同然に世話になっている老技師だ。彼は額の汗を手の甲で拭い、しわがれた声で答えた。


「はぁ、はぁ……レオン、無茶を言うもんじゃないよ。まさか本当にここまで来るとは思わなんだ……」

ヴィクターは息を整えながら苦笑した。

「まったく、年寄り泣かせだよ、お前さんは」そう言いつつ塔を見上げ、感慨深げに目を細めた。

「懐かしい光景だ。変わり果ててはいるがね。セリーナと最後にここに来て以来だ……」


 セリーナ――レオンの母の名だ。その名を聞いて、レオンの胸には熱いものが込み上げた。母セリーナは幼い頃に突然姿を消し、それきり帰ってこなかった。誰もが母は死んだものと思っていたが、レオンには信じ難かった。母は何か重大な目的のためにこの地に赴いたのではないか……そう考えるようになったのは、少年が成長するにつれて募った疑念だ。そして今、その疑問を晴らす時が来たのだと自分に言い聞かせる。


「母さんも、この塔に……?」

 レオンはヴィクターに尋ねた。ヴィクターは小さくうなずく。

「ああ。お前の母さんはこの塔にある研究施設で、あるプロジェクトに関わっていた。確か『リングギア』とか言ったか……」

「リングギア……母さんの遺産、だよな」

 ヴィクターは静かに頷いた。

「そうさ。セリーナが自分の子のために残した贈り物だ」

「……じっちゃん。もしかして、そのことを知っていたの?」

 おそるおそる尋ねると、老人はゆっくりと目を閉じ、小さく息を吐いた。

「薄々はな。セリーナに頼まれて、ここにそれを隠すのを手伝ったのだから」

「えっ……!」レオンは驚きに目を見開く。

「私も全貌を知っていたわけではないが……セリーナは言ったよ、

『いつかレオンが成長し、自分の意思でここに来た時のために取っておいてほしい』とな」

「母さんが……僕のために……」

「うむ。だから私は、ずっと黙っていた。セリーナの願いを尊重してね。勝手に教えてしまえば、お前さんは無謀にも子どもの頃にでも飛び出して行ったかもしれんからな」

ヴィクターは微笑を浮かべ、レオンの肩を軽く叩いた。

「今ようやくその時が来たというわけだ」

「……ありがとう、じっちゃん。あなたが一緒に来てくれて心強いよ」


 レオンは懐から古びたメモを取り出した。そこには母の筆跡で短い指示が記されている。

――アイアンバレー、砂の塔――

――リングギア、我が子へ――


 それはレオンが実家の倉庫で偶然見つけた母のメモだった。半信半疑だったが、その手掛かりを胸に、彼はヴィクターと共に遥かな旅路を経てアイアンバレーまでやって来たのだ。


 塔の麓に辿り着くと、巨大な石造りの門が二人を出迎えた。扉は半ば崩れ、開口部から内部の暗闇が覗いている。ヴィクターが携帯していた懐中電灯を取り出し、先に立って中へと入った。レオンもそれに続く。

 塔の内部はひんやりとしていて、外の熱気が嘘のようだ。砂まみれの床を踏むたび、微かな埃が舞い上がる。

壁際には壊れた配管や配電盤が並び、かつてここが高度な機械施設であった痕跡をとどめている。暗闇の中、ヴィクターの懐中電灯が細長い光の帯となって先を照らした。


「この奥に、研究室があるはずだよ」

 ヴィクターが囁くように言った。その声に、不思議と緊張が混じっている。長年落ちぶれた工房で飄々とした態度を崩さなかった老人とは思えないほど、今の彼は慎重だった。

 レオンは小さく息を呑み、喉の渇きを覚えつつも足を進める。母が最後にいた場所――そう思うだけで、心臓の鼓動が高まった。


 しばらく進むと、通路の奥に分厚い金属扉が現れた。扉には錆が浮き、所々に砂が詰まっている。ヴィクターがそっと扉に手を当て、力を込めて押してみるが、びくともしない。

「古いな……ロックされているか、砂で塞がれているか……」

ヴィクターは眉をひそめ、腰の工具袋から細長い金属棒を取り出した。

「少し下がっていなさい、レオン。油圧ジャッキでこじ開けてみる」

 レオンは指示に従い、一歩後ろへ下がった。ヴィクターが扉の隙間に器具を差し込み、ギシギシと音を立ててゆっくりとレバーを引く。やがて、金属が軋む悲鳴のような音と共に、扉に隙間が生じた。

「今だ、手伝ってくれ」

「うん!」

 二人で力を合わせて扉を押し開けると、重厚な扉が砂をこすりながらようやく人ひとり通れるほどの隙間を作った。


 その隙間から内部を覗き込んだレオンの目に、白い非常灯のような光がちらついて見えた。

「光が……?」

「電源が残っているのかもしれない。入ってみよう」

 ヴィクターが身を屈めて隙間から室内へと踏み入った。レオンも後に続く。

 中は円形の広い空間で、どうやら塔の中枢に当たるホールらしかった。頭上を見上げると遥か高い天井まで吹き抜けになっており、壁面には螺旋階段が絡みつくように伸びている。中心には制御端末らしき操作パネルが据え付けられ、淡く青白いライトが点滅していた。


 ホール内にはいくつもの扉があり、おそらく研究室や保管庫に繋がっているのだろう。レオンは辺りを見回し、壁際の銘板に書かれた文字を読み取ろうとした。薄暗くてはっきりとは見えないが、「管制室」「動力室」などの表示がかすかに判別できる。

「母さんは……どの部屋に?」

 呟いた彼に、ヴィクターが操作パネルを調べながら答えた。

「おそらく、特別保管庫にリングギアを収めていたはずだ。彼女がそう言っていたのを思い出したよ。ここから制御して、保管庫を開けられるかもしれん」

 ヴィクターは懐中電灯を脇に置き、制御端末の埃を手で払いながら慎重にいくつかのボタンを押してみた。すると、予想に反して端末はまだ生きていたらしく、低い唸り音とともにモニターがぼんやりと光を帯びた。

「動いた……!」

 レオンが思わず声を上げる。塔の主電力は途絶えて久しいはずだが、非常用か独立電源が生き残っていたのだろうか。ヴィクターも少し驚いたようだが、すぐに画面に映し出された古いOSのメニューを操作し始めた。


「リングギア保管庫……あった、これだ」

ヴィクターが指で項目をなぞる。

「ロック解除、と」

 彼が決定キーを押すと、ホールの奥、ひときわ厳重そうな鉄扉がガコン、と重い音を立てて開いた。

「あそこだな!」

 レオンは逸る気持ちを抑えきれず、小走りにその扉へと向かった。ヴィクターも後を追う。


 扉の先は小さな部屋になっていた。壁面には数々の機械部品が整理され、棚には資料らしきファイルが並んでいる。だが室内で一際目を引くものがあった。正面の台座に、まるで美術品のように展示されている小さな金属製のリングが、それだ。直径は成人の腕輪ほどもあろうか。全体は銀色に輝き、古びた施設の中で不思議と無垢な輝きを保っている。表面には精緻な模様が刻まれ、まるで歯車(ギア)のような意匠が施されていた。


「これが……リングギア?」

 レオンは思わず息を呑んだ。幼い頃、母が寝物語に語ってくれた伝説の品の名。それが「リングギア」だった。母はそれを自分の大切な“宝物”だと微笑んでいたのを思い出す。まさか本当に実在していたとは——。胸の内に言い知れぬ高揚がこみ上げ、レオンは引き寄せられるように台座へ歩み寄った。

 彼は恐る恐る台座に手を伸ばした。指先でそっと触れると、ひやりとした金属の感触が伝わる。同時に、指の先にピリッと微弱な電流を感じた。

「っ……!」

 思わず手を引きかけたが、次の瞬間リングギアが淡い光を帯びているのに気付く。まるで眠りから目覚めたように、リングの溝に沿って青白い光が走った。

「動いたのか……?」

 レオンは驚きと興奮で胸がいっぱいになった。彼の手の中でリングギアは振動し始め、かすかな電子音が鳴り出す。


『アクセスシャ……カクニン……』

 突然、電子的な合成音声が室内に響いた。レオンはぎょっとしてリングギアを持つ手を強く握りしめた。今、確かに何かが喋った——そう思った瞬間、リングギアから漏れる光が一層強くなり、音声が明瞭に変化した。

『アクセス権限確認。ユーザー識別中……』

「こ、これは……?」

レオンは困惑してヴィクターを見る。ヴィクターも目を丸くしていたが、やがてはっとしたように叫んだ。

「まさか! 人格同期型のAIだというのか?」

『識別完了。ユーザー=レオン・ヴァルカン。保護プロトコル起動』

 機械音声は淡々とそう告げると、リングギアの中央部にある透き通った水晶体が輝き出した。次の瞬間、レオンの視界に信じられない光景が飛び込んできた。


 リングギアから投影されたホログラムが宙に浮かび上がったのだ。それは人の姿にも見えたが、輪郭はぼんやりとしている。蒼白い発光体が人型を模して立っているようなイメージだった。やがて、その人型の胸部あたりに淡く光るリングの意匠——レオンが手にするリングギアと同じ形——が浮かび上がった。

『初めまして、レオン。私はヴァル、あなたの人格同期AIです』

 今度ははっきりと青年にも女性にも聞こえる中性的な声で、ホログラムの人影が語りかけてきた。


「お、お前は……ヴァル?」

 レオンは目の前の蒼白い人影に戸惑いながら問いかけた。隣でヴィクターが息を呑んで見守っている。ホログラムの人影——ヴァル——はゆっくりと頷くように動いた。

『はい。私はリングギアに搭載された人格同期型人工知能、コードネーム・ヴァル。あなたのお母様、セリーナ・ヴァルカンによって開発されました』

「母さんが……これを?」

 レオンの胸に様々な思いが去来する。母が残した遺産——それが自分の目の前で語りかけているという現実に、言葉を失った。

『セリーナは私に託しました。いつかあなたがここに来る時のために、伝言を預かっていると』

「母さんの……伝言?」レオンは思わず前のめりになる。

『はい。メッセージデータを再生しますか?』

「お願いします!」

レオンは大きくうなずいた。早く母の声を聞きたい——ずっと知りたかった母の本心を、真実を知りたい——そんな焦燥が彼を突き動かしていた。

 ヴァルの人影が腕を水平に掲げると、その掌に当たる位置に小さな光の球が生じた。ちらちらと揺れるそれは、今にも映像を結び出しそうに見えた。しかし——。


 突然、床下から低いうなりのような振動が伝わってきた。室内の埃がふるい落とされ、壁の配管がカタカタと音を立てる。

「地震か?」

レオンが咄嗟に辺りを見回す。

「いや……何か動いている音だ!」

ヴィクターが緊張した面持ちで叫んだ。

 その刹那、先程自分たちがこじ開けた扉の方で激しい金属音が轟いた。何かが壁にぶつかり、軋むような響きが連続する。レオンはハッとして振り返った。

「じっちゃん、下がって!」

 言うが早いか、扉の闇から巨大な影が勢いよく躍り出た。懐中電灯の光がその姿をかすめる。四脚で支えられた鋼鉄の獣——節くれだった機械の脚、その先端には鋭い爪のようなパーツ。胴体部分は丸みを帯びた装甲で覆われ、その表面には砂にまみれた古いエンブレムが刻まれている。頭部に当たる部分には複数の赤い光点が並び、一斉にレオンたちを捉えて不気味に光った。

「機械獣か……! こんな所でまだ動いていたとはね!」

ヴィクターがうめくように言う。

 アイアンバレー崩壊の折、制御を失った無数の機械たちが暴走し、“機械獣”と化したと伝えられる。いくつかは未だこの地をさまよい、生存者や侵入者を襲う危険な存在となっていた。それが今、目の前に現れたのだ。

『危険です、レオン。戦闘シーケンスに移行します』

 ヴァルの声が警告音のように響く。同時にリングギアが淡く脈動し、レオンの手に微かな振動を伝えた。咄嗟にレオンはリングギアを左腕に通し、まるで腕輪のように装着する。直感がそうしろと告げたのだ。


 機械獣は金属の脚をカンカンと床に叩きつけながら、一直線にこちらへ迫ってきた。鋭利な前脚を振り上げ、狭い保管庫の室内で暴れ回る。巨大な鉄塊が振り下ろされ、床材が砕け散った。紙のファイルや機械部品が宙を舞う。

「くっ……!」レオンは間一髪で横へ飛び退き、転がるようにして衝撃を避けた。背後でヴィクターがよろめきながら壁際へ避難するのが見える。

「レオン、無理をするな! 逃げるんだ!」

「だめだ、出口を塞がれてる!」

 扉の方角には機械獣の巨体が陣取り、退路を完全に断っていた。正面からこの怪物を突破しなければ外へは出られない。

 レオンは荒い息を整えつつ、散乱した棚の上から長さ1メートルほどの金属の棒を手に取った。おそらくラックか何かの支柱だったものだろう。簡単な武器にしかならないが、素手よりはましだ。

 機械獣の複眼が怪しく揺れ、次の標的を定めるように光点が動く。そしてターゲットがレオンに定まった瞬間、甲高い電子音を発しながら突進してきた。

「おおっ——!」

 レオンは棒を両手で構え、迫る機械獣の頭部めがけて渾身の力で横殴りに叩きつけた。ガンッ、と鈍い音が響く。だが相手の装甲は予想以上に硬く、棒は弾き返されてしまう。衝撃でレオンの手首が痺れた。

『敵機体の装甲は軍用規格。物理攻撃は効果が薄いです』

 ヴァルが冷静に告げる。その声はレオンの腕につけたリングギアから直接響いてくるようだった。まるで自分の中に語りかけられているかのようだ。

「それじゃ、どうすれば……?」

『関節部やセンサーなど脆弱箇所への攻撃を推奨します。敵機体分析を開始……完了。弱点データを共有します』

 次の瞬間、レオンの視界に奇妙な変化が起こった。目の前の機械獣の姿が輪郭線と共に赤くハイライトされ、その体の数カ所に光るマーカーが浮かび上がって見えるのだ。頭部側面、後脚の付け根、そして腹部の排気スリット——そこが弱点なのだと直感的に理解できた。

(これがヴァルの力……!)

 驚く暇もなく、機械獣が再び突進してくる。レオンはマーカーの一つ、頭部側面のセンサーらしき突起を狙い、棒を思い切り突き立てた。ガン!という手応えと共に、機械獣の動きが一瞬鈍る。どうやら片眼を潰したらしい。

「やったか!?」

思わず叫ぶ。

 だが機械獣は怒り狂ったように金属音を轟かせ、健在なもう片方の眼でこちらを睨み据えた。前脚が横薙ぎに払われ、レオンの体がもろくも吹き飛ばされる。

「ぐはっ!」

 壁に叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出された。視界に星が瞬き、意識が遠のきそうになる。だが、ここで倒れるわけにはいかない。頭の奥に、幼い頃炎の中で泣き叫んでいた自分の姿が閃いた。

「もう二度と……!」

レオンはそう奮い立たせ、歯を食いしばって立ち上がった。


 その時、機械獣は標的を変えたのか、壁際で身を縮めているヴィクターに向き直った。

「まずい……!」

レオンは血の気が引く思いだった。ヴィクターは戦える人間ではない。狙われればひとたまりもない。

「こっちだ、化け物!」

 レオンは痛む体を引きずりながら大声を上げ、棒切れを床に叩きつけて大きな音を立てた。機械獣の注意を引こうとする。赤い光点が再びこちらに向いた——次の瞬間には、獣はしなやかな動きでレオン目掛け跳躍した。

 巨体が空中を飛び、影となって覆いかぶさる。レオンはとっさに棒を縦に構え、盾代わりにするしかなかった。

 鋭い衝撃が走り、棒が砕け散る。金属の爪がレオンに襲い掛かり、肩口をかすめた。焼けつくような痛みが走り、血が滴る。

「うああっ!」

 レオンは悲鳴をあげて尻餅をついた。逃げる間もなく、機械獣の巨体が目前に迫り、容赦なく止めの一撃を振り下ろそうとする。もう防ぐ術はない——。

 その瞬間だった。レオンの左腕に嵌められたリングギアが眩い光を放った。ヴァルのホログラムが一瞬強く輝き、その身をレオンの前に躍り出すようにかざす。すると見えない壁が形成されたかのように、機械獣の振り下ろす脚が寸前で止まったのだ。

『防御フィールド展開』

 ヴァルの冷静な声が響く。リングギアから放たれたエネルギーフィールドが、レオンを包み込む円形の盾となって彼を守ったのだった。機械獣の一撃は弾かれ、火花が散る。

「ヴァル……!」

『今のうちに距離を取って! フィールドは長く持ちません』

 レオンは我に返り、必死で後方へと這い下がった。次の瞬間、防御フィールドがパリンとガラスの割れるような音とともに崩れ消える。機械獣はバランスを崩したのか、一瞬体勢を立て直すために動きを止めた。


 その好機をヴィクターが見逃すはずはなかった。

「レオン、伏せていろ!」

と怒鳴るや否や、彼は震える手で懐から古びた拳銃を引き抜いた。ヴィクターは長年技師として身を立ててきたが、若い頃に身につけた腕前は衰えていない。

 銃口が閃き、砲声が保管庫に轟いた。至近距離から放たれた弾丸は、機械獣の腹部下にある排気スリットに正確に命中した。ガキン、と硬いものが砕ける音がする。

『有効打を確認。敵機体の熱制御システムに重大な損傷』

 ヴァルが告げるや否や、機械獣の動きに乱れが生じた。赤い光だった複眼が明滅を繰り返し、まるで酔ったかのように巨体が揺らぐ。腹部からは白煙が噴き出し、内部で小さな爆発音が連鎖した。

「今だ、倒すなら今しかない!」

ヴィクターが声を振り絞る。

 レオンは痛む肩を押さえつつ立ち上がった。手元にはもう武器らしい武器はない。だが散らばった部品の中に、先ほど折れた金属棒の尖った先端部分が転がっているのを見つけた。あれなら——。

 彼は折れた棒の先端を握りしめ、機械獣に向かって突進した。狂ったようにもがく獣の脚をくぐり抜け、その装甲の隙間、先ほどヴィクターが撃ち抜いた排気スリットに渾身の力で鉄片を突き立てる。

「これで……終われぇぇっ!」

 刹那、眩い閃光とともに機械獣の内部で爆発が起きた。レオンは吹き飛ばされ、再び床に叩きつけられる。耳鳴りがし、視界が真っ白になる。飛び散った破片が頰を掠め、熱さと痛みが走った。

 それでも、レオンはすぐさま身を起こして前方を見据えた。機械獣の巨体はゆらりと揺れ、そして力なく崩れ落ちる。複眼の赤い光は完全に消えていた。

「……やった……のか?」

 レオンが恐る恐る立ち上がり、動かなくなった機械獣に近づく。警戒して棒の先で軽く突いてみたが、もはや反応はなかった。内部から火花が散り、黒煙が上がっているだけだ。

「ふぅ……終わったようだな」ヴィクターは壁にもたれかかりながら安堵の笑みを浮かべた。

「すごい……じっちゃん、銃も使えるんですね!」レオンが驚きと敬意の入り混じった声をあげる。

「はは、若い頃に少しな。まだ腕が鈍っちゃいないようだ」

ヴィクターは苦笑して拳銃を下ろした。

 老人の額には冷や汗が滲み、手にした拳銃も大きく震えている。

「じっちゃん、怪我は……?」

「私は平気だ。それよりお前さんこそ、肩が痛むだろう」

ヴィクターはよろよろと歩み寄り、レオンの肩の傷を見て顔をしかめた。

「大した傷ではなさそうだが、しばらく腕は上がらんかもしれん。応急処置をしよう」

 レオンは頷き、背負っていた小さな荷物袋から救急キットを取り出した。持参していて正解だった、と胸を撫で下ろす。ヴィクターが手際よく包帯と消毒液を取り出し、レオンの肩に巻いていく。傷口がひりついたが、しっかりと固定されると幾分楽になった。

『レオン、ヴィクター。お怪我はありませんか?』

 傍らで待機していたヴァルのホログラムが、心配そうに声をかけてくる。先程まで無表情に近かったその光の人影が、どこかしおらしく肩を落としているように見えるから不思議だ。

「なんとか大丈夫だ。それにしても助かったよ、ヴァル」

レオンは微笑んで礼を言った。

「君があの盾を出してくれなかったら、危なかった」

『私はあなたを守るために存在しますから』ヴァルは静かに答えた。

「ふむ、本当に人工知能とは思えん……まるで生きているようだ」

包帯を巻き終えたヴィクターが、まじまじとヴァルを見つめながら呟く。

「セリーナめ、こんなものを作っていたとは驚きだよ」

『ヴィクター・ギアソン技師、とお見受けします。セリーナからお話はかねがね』

ヴァルが軽く会釈するように頭を下げる。

「あなたの知識と技術は素晴らしいと伺っています」

「ほう、私のことも登録されているのかね?」ヴィクターは目を丸くする。

『ええ。私のデータベースには、セリーナの関係者プロフィールが記録されています。あなたはレオンにとって家族同然の大恩人……そう認識しています』

「はは、買い被りすぎだ。それほどの者じゃないよ、私は」

ヴィクターは鼻の頭をかき、照れたように笑った。

 レオンもつられて笑みを浮かべる。戦闘の緊迫から解放され、一気に場が和んだようだった。だが次の瞬間、ふとあることを思い出す。

「あっ、そうだ。ヴァル、母さんのメッセージが——」

 戦闘の前、再生しかけた伝言。レオンが言及すると、ヴァルは小さく頷いた。

『はい。では改めて再生します』

 ヴァルのホログラムが再び腕を掲げる。先程途中で中断してしまった光球が再度浮かび上がり、ゆらゆらと輝いた。

 やがて、その光はゆっくりと人の姿を結び出す。薄青いノイズの中から現れたのは、一人の女性の像だった。揺れる髪、優しげな瞳——レオンの喉が詰まる。忘れもしない、母セリーナの面影がそこに映し出されたのだ。

『レオン……』

淡く儚げな映像の中で、セリーナが微笑む。今にも消えてしまいそうに不安定な像だったが、その声は確かに母のものだった。懐かしく、そしてどこか悲しげな響き。

『これを見ているということは……あなたはリングギアを見つけてくれたのね。ずっと……託したいと思っていた……私の大切な宝物』

「母さん……!」

レオンは思わず、名前を呼んでいた。手を伸ばせば触れられそうな距離に母の幻影がいる。しかし、彼女は続ける。

『ごめんなさい……突然いなくなって。本当は、ちゃんとあなたに伝えておきたかった。でも、できなかった……』

 セリーナの像が悲痛な面持ちになる。その姿はかすかに歪み、ノイズが走った。レオンは息を呑んで続きを見守る。

『私はこれからアイアンバレーに行きます。お父さんの手がかりを追うためです……』

 父さん——セリーナの口から発せられたその言葉に、レオンの心臓が大きく波打った。思わず隣でヴィクターが息を呑む気配がする。

『お父さん、グラディウスは……まだ生きているかもしれないの』

「父さんが……生きている?」レオンは自分の耳を疑った。幼い頃に失った父、グラディウス・ヴァルカン。アイアンバレーの崩壊で命を落としたと聞かされていた父が、生きている……?

 セリーナの映像は静かに頷くように動いた。

『確証はないわ。ただ……私は感じるの。彼がどこかで生きているって。アイアンバレーには、まだ秘密がある。この廃墟の奥深くに……』

 レオンは画面の中の母が、まるで自分に直接語りかけているような錯覚を覚えた。母の瞳は鋭い決意に満ちている。

『だから私は行くわ。真実を確かめるために。そしてグラディウスを……あなたの父さんを探し出すために。もし私が戻らなかったら——』

 一瞬言葉を区切り、セリーナは苦しげに目を伏せた。映像がまた乱れる。

『もしこのメッセージをあなたが見ているのなら……私は、きっと戻れなかったのでしょうね。ごめんなさい……レオン。本当に、ごめんなさい……』

 母の瞳から光るものが零れる。レオンの目にも熱い涙が浮かんでいた。

『でも……聞いて。このリングギアとヴァルは、あなたの助けになるはず。私は信じている。あなたなら……きっと乗り越えられる。ヴィクターにも……頼って。彼は信用できる人よ。二人で力を合わせれば、きっと……』

 セリーナの像が、ぼんやりとかすんだ。それでも必死に言葉を紡ごうとする。

『アイアンバレーには……ゼファリオン……まだ……』ザーッ、と大きなノイズが走った。肝心なところで音声が不明瞭になる。ゼファリオン——?レオンは聞き慣れないその響きに眉をひそめた。

『ごめん……時間がないみたい……。レオン、愛しているわ。強く、生きて……。そして……いつか真実に辿り着いて……』

 最後の言葉は涙声になっていた。レオンは無意識に手を伸ばす。しかし、虚空に掴めるものはない。母の幻影はふっと掻き消え、薄明かりだけが残された。


 しんと、静寂が戻る。レオンは呆然とその場に立ち尽くしていた。頬を涙が伝い落ちる感覚も、今はない。

「セリーナ……」

ヴィクターが絞り出すように呟く。

「そんなことを考えて……やはり、お前さんの父上は……」

 横を見ると、ヴィクターもまた目頭を赤くしていた。手で顔を覆い、こみ上げるものを堪えている様子だ。

 レオンは震える拳を握りしめた。胸の奥で嵐のような感情が渦巻いている。父が生きているかもしれない——母はそれを信じて命を賭けた。そして自分に、その意志を託した。

「父さん……生きているのなら……」

絞り出すような声が自分の喉から漏れた。

「僕は、探し出さなくちゃ」

 もし父が今まで生きていたのなら、なぜ自分たちの元へ戻らなかったのか。その理由は分からない。だが、それを知るためにも自分の手で父を見つけ出すしかない——そうレオンは心に誓った。

 拳をぎゅっと握ったまま、レオンは前を向いた。その瞳には新たな炎が宿っている。

「そうだな。セリーナの無念を晴らすためにも……行こう、レオン」

ヴィクターがそっと肩に手を置く。彼の声は優しくも力強かった。

「わしも協力するよ。お前さんの父上——グラディウスが本当に生きているなら、何としても見つけ出そう」

「ありがとう、じっちゃん。」

 レオンは涙を拭い、微笑もうとした。肩の痛みがじんと疼くが、そんなことは構っていられない。母の残した手がかりは、確かに前へと進む道を示していた。

『これからどうなさいますか、レオン?』

 ヴァルが尋ねてくる。リングギアのホログラムは戦闘時よりも幾分明瞭になったように見えた。不安げに首をかしげているのは、気のせいだろうか。

「決まってる。母さんの意思を継いで、父さんを探す」レオンは力強く宣言した。

「このアイアンバレーのどこかに、父さんはいるかもしれない。その真実を確かめたい」

 そして心の中でそっと付け加える——必ず見つけ出す、と。

 ヴィクターは満足げに頷いた。

「よし。それじゃあ一度街外れの拠点まで戻ろう。体勢を整えて出直しだ。お前さんの怪我も手当てせねばならん」

「うん……そうですね」

興奮と感情の高ぶりで半ば忘れかけていたが、身体は確かに疲労していた。肩の痛みもじわじわと戻ってきた。


 レオンたちは必要な資料や母の残したノート類を簡単にまとめた。その際、レオンはノートの一冊をぱらぱらとめくり、中に書き残された母の筆跡の技術メモに目を留めた。かすれたインクで「ゼファリオン」と記された箇所があり、先程メッセージで耳にした謎の言葉と一致することに気付く。いったい何を意味するのか——今は時間がない。考察は後日あらためて行うことにして、ノートをしっかり抱え込む。

 そして、その場を後にする準備を始めた。ヴィクターが入口の扉から外の様子を窺い、危険がないことを確認する。レオンはリングギアをしっかりと腕に装着したまま、瓦礫の間から母のノート類を数冊抱えた。


「……よし、行こう」

ヴィクターが静かに言い、レオンが頷く。ヴァルのホログラムは光の粒子となってリングギア内部へと溶け込んだ。

 二人と一つのAIは廃墟の塔を後にし、再び灼熱の砂漠へと踏み出した。傾きかけた太陽が、砂の塔の尖頂を赤く染め上げている。燃え盛るような茜空の下、街全体がかつての大火を思わせる赤い光に包まれていた。しかしその光は決して絶望だけを映すものではない。レオンの胸に灯った決意の炎を、まるで後押しするかのように廃墟を照らしていた。

 レオンは一度だけ振り返って、そびえ立つ塔の影を見上げた。幼い頃に胸に焼き付いた火の記憶——父が消え、母が涙した日。そして今、母の残した火が自分の中で再び燃え上がったのを感じる。

「行こう、じっちゃん。物語は……ここから始まるんだ」

 レオンは静かにそう呟いた。風が砂粒を巻き上げ、二人の影を長く引き伸ばしてゆく。遠くで金属音がかすかに響いた気がした。アイアンバレーの亡霊たちが、新たな訪問者の到来を囁き合うかのように——。

 レオンは拳を握りしめ、前へと歩き出した。その胸には、母の残したリングギアが確かに輝きを宿していた。


 レオンの腕に嵌められたリングギアが、静かに青白い光を放つ。その輝きは、砂塵に閉ざされたこの都市に差し込む一筋の希望の閃光のように見えた。

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